第45話 騎士さん、傭兵を説得する

「ラウル殿、説明してくれ。先ほどの振る舞いは何の真似だ? 俺を舐めているのか?」


 傭兵はボタボタと血の垂れる剣を握ったまま、一歩一歩、こちらに詰め寄る。


 その心臓を射抜くような殺意は、アンギラの門前で見せたものとは比較にならない濃度だった。海千山千、幾多の戦場を生き抜いてきたラウルの胆力をもってしても、冷たい汗が背筋を伝うほどの強烈さだ。まるで『下手な言い訳をすれば殺す』と言わんばかりの様相に、馬車から降りて来たレナルドや見習いたちも凍りつく。


 この男────人を、殺している。

 それも相当な数を。数え切れんほどの数を。

 いくら傭兵でも、……!


 ラウルはこれ以上接近させるのは危険と判断し、レナルドの前に立って槍を構えた。


「……クロス殿、落ち着いてくれ。突然どうしたというのだ。我らは貴殿をあなどってなどおらん。とりあえず、まずは剣を納めてくれ」


「そ、その通りです。お怒りの理由が分かりません。先ほどの振る舞いとは、一体────?」


 自分たちはサリアからの警告を踏まえ、敬意を持って彼に接していたはずだ。実際に彼の実力を目にして信頼もしていた。敵意を向けられる理由に何一つとして心当たりがない。


「敵前でいつまでも与太話よたばなしに興じておいて、本気でそう抜かしているのか? ……とぼけるつもりなら、もういい。俺はこの依頼を降りる。馬は置いていくからあとは好きにしろ」


 クロスは剣についた血を払うと、きびすを返して来た道を戻り始めてしまった。


「クロス殿、お待ちください! 何か、大きな誤解があるに違いありません!」


「わ、我らには決して貴殿を侮辱する意図などありませんでした! どうかご寛恕を!」


 見習いたちはクロスの前に立ち塞がり、必死の説得を試みる。ナバルまでの距離を考えれば、残りの道程を自分たちだけで乗り切れるとは到底思えない。ここで彼に離脱されることはそのまま任務失敗を意味していた。


「お前たちに言っているのではない。そこの二人だ。鉄火場で人を試すなど無礼千万ぶれいせんばんにもほどがある。護るつもりのない護衛責任者に、護られるつもりのない護衛対象。こんな茶番に付き合っていられるか」


 クロスは見習いたちを押し退け先へ進もうとする。それを見たラウルも説得に加わるため彼に駆け寄ろうとしたが、背後から聞こえた神妙な声に足を止めた。


「クロス殿、お願いします。どうか話を聞いてください」


「ご主人様! お止めくださいっ! そのような────!」


 振り返ると、そこには地面に額をつけて平伏へいふくする主の姿があった。貴族として有り得ない行動に、ピナが肩を掴んで止めさせようとしているが、頭を下げたまま動こうとしない。


 その場にいる全員の視線がレナルドに集まる。


「僕はアンギラ家の者として、何があってもナバルに行かなければならない責務があります。この先も貴方の力が必要です。何卒────!」


「……………………」


 必死に頭を下げるその姿が琴線に触れたのか、クロスは数秒の間を置いて、一つ大きなため息を吐いた。


「俺はこの国の貴族について詳しくはないが、貴族であろうがなかろうが、男子が軽々しく頭など下げるものではない。……謝罪は受け入れよう。だが、依頼を続けるかどうかは説明を聞いてからだ」



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 殺気を霧散させたクロスを椅子に座らせ、ラウルは試すような魂胆や侮辱の意思は一切なかったことを説明した。


「傭兵ギルドの小娘しろいのから俺の悪評を聞いていたのではないのか?」


 誠心誠意本音を伝えたつもりだったが、クロスは依然として訝しげな表情のままだ。


「いや、サリア殿からは────」


 今さら隠し事をして彼の不興を買うほど愚かではない。サリアから聞いた警告の内容も包み隠さず全て話す。


「若干省略されているが……。おおむね、事実に反する内容ではないな」


 クロスはアンギラには戻らず、このまま北の戦地へサリアの首を獲りに行くつもりでいたそうだが、一旦その考えを改めると言った。


「だが、まだ分からん。ラウル殿、其許そこもとならあの程度の敵を相手に尻込みすることなどあるまい。何故ああも狼狽うろたえていた?」


「それは────……」


 思わず言い淀んだラウルを見て、レナルドが会話を引き取る。


「クロス殿。それは当家の秘密にも関係することですので、僕の口からご説明いたします」


 レナルドが語ったのは、一般には知られていない、貴族の恥部とも言える内情だった。



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 ファラス王国では古くから『魔術の才能とは神の祝福である』という考え方があり、それが近年になるにつれて『魔術の強さはその者がどれだけ神に愛されているかを示す』と曲解され始めた。


 そして現在、王侯貴族の間では『貴族の格は神に選ばれし魔術師としての才能で決まる』という選民思想に近い考えが蔓延している。その風潮は特に他国から国境を守る領主貴族ほど顕著になり、魔術の才を持たぬ者は出来損ないと揶揄され、貴族失格とまで言われるほどだ。


 そんな中、アンギラ辺境伯家という大貴族に生まれついたレナルドには、他の兄弟と違って魔術の適性がなかった。教会で適性を調べた度歳以降、メイドとしての教育すら受けていない獣人奴隷の子供、ピナを世話役として与えられ、父母兄弟ふぼきょうだいからはまるで三男など元から存在しなかったかのように扱われた。


 暴力こそ振るわれることはなかったが、家族から向けられる言葉にはいつも無関心や侮蔑ぶべつが含まれていた。兄たちが貴族学院に通う中、レナルドだけは家庭教師を付けられ、屋敷から出ることも許されなかった。社交界に参加することもなかったため、周辺の貴族やアンギラの住人にも、次第にその存在は忘れ去られていった。


 振り返ってみると、それは人生ですらなかったのかもしれない。本当にそれくらい惨めだった。生きているのが嫌になるくらい。


 レナルドが十五歳の成人を迎えた頃、新たに護衛としてラウルが付けられた。


 ラウルは強力無比な身体強化の奇跡を使って戦う騎士団長として名を馳せていたが、ある日、突然魔術が使えなくなった。それは魔術師の間では有名な魔失病という不治の病で、『涜神とくしんにより神の寵愛を失った者の病』と呼ばれるものだった。


 ラウルはそれでも騎士団長として役目を果たそうとしたが、何故か魔術を失った途端、まともに体が動かせなくなってしまった。臆している訳でもないのに、敵前に立つと体が硬直して頭が鈍る。一騎当千とすら呼ばれていた男が、数匹の小鬼ゴブリン相手に二の足を踏むようになったのだ。


 力を失ったかつての豪傑を、他家の貴族や騎士は嘲笑の的にした。ラウルはその蔑視に耐えられず、団長の任を辞して騎士の座を返上しようとしたが、領主は外聞が悪いとその上申を受け入れずレナルドに下げ渡したのだ。


 その日以降、護衛がいるのだから政務を手伝えと言われ、様々な汚れ仕事をさせられてきた。たった三人で東奔西走し、何度も危険な目に遭った。ラウルは必死に領主に護衛の増員を嘆願したが、渋々と与えられたのは、騎士見習いの若者二人だけだった。



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「ですので、守られるつもりがないと言うよりも、僕は誰かに命を懸けさせてまで守られる価値のない人間だと……。そう、自認しております」


 どこか諦めたような様子で自らを卑下するレナルドのそばには、ピナがはらはらと涙を流しながら寄り添っている。彼は長年蔑まれ続け、すでに自分の心が荒んだことを苦にしないほどに荒んでしまっていた。


「私は魔術に頼りすぎていたのであろうな。魔力を失い、立場を失い、自信さえも失ってしまったようだ。満足に体が動かず、何かが起こるたびに長考する癖がついてしまった。貴殿に手を抜いたと思われても致し方ない」


 ラウルの顔には自嘲の笑みが浮かぶ。人前でいくら騎士として振舞おうと、自分はもう生き恥を晒すだけの出涸でがらしだ。不意に過去の栄光にすがろうとする自分に気付き、死にたくなるほどの自己嫌悪に陥ることもある。


「「……………………」」


 後ろに立って話を聞いていた見習いたちは言葉を失っていた。彼らはその境遇を何一つ知らず、父親に言われるがままにレナルドに仕え、ラウルに指導を受けていたのだ。


 その状況に疑問を持ったこともなく、自らを鍛えるのに精一杯で、主や指導者の立場を知ろうと考えたことさえない。自らの浅慮に言いようのない自責の念と強い恥を覚え、二人は足下に視線を落としたまま、何も言うことができなかった。

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