第42話 騎士さん、決意する

「ここで一度休息を取る。お前たちは周囲の警戒に当たれ」


 アンギラを出立してから約半日。一行は街道沿いの空き地で休憩することにした。ラウルが馬車の近くに残り、他の者は散開して警戒を厳にする。


 草も生えない剥き出しの赤土に石ころばかりの荒野が続いていたが、この場所だけは別天地オアシスのように草木が生い茂り空気も澄み切っている。残念ながら水場がないため、馬たちに水を与えてやることはできないが、痩身で疲れやすい主に一息ついていただくには絶好の環境だろう。


 ラウルは草をむ愛馬のたてがみねぎらうように一撫ですると、下馬して馬車に歩み寄った。


「レナルド様、ここで一時間ほどの小休止といたします。短い時間ではありますが、少し体をお休めください」


「お茶をお淹れいたします」


「ありがとう、ラウル、ピナ」


 足元をふらつかせながら馬車を降りる主は笑みを浮かべているものの、やはり、その顔色は若干優れないように見えた。


「いやぁ、やっぱりピナが御者だと快適だよ。油断するとうっかり居眠りでもしてしまいそうだ」


「そう仰っていただけると嬉しいです」


「我らに構わずお休みいただいて結構ですぞ。今夜は久々の野営となります。安眠は難しいでしょうからな」


 自分たちを案じさせまいと気丈に振舞う主の心遣いに、ラウルの胸がちくりと痛む。


 舗装されていない道を走る馬車は、乗っているだけでも体力を消耗するものだ。本来、貴族の旅路はもっと細かく休息を挟むものだが、今回は火急の要件のために通常では有り得ないほどの強行軍。主にかなり無理をさせてしまっている自覚はある。


 ピナが荷台から取り出した簡易テーブルセットに座ると、レナルドはこちらに隠すような仕草で腰の辺りをそっとさすった。


「それにしても、この辺りは魔物が多いね」


 事前に覚悟していたことだが、ガレナ荒地に入ってからは頻繁に足止めを食らっている。手を焼くほどではないにせよ、煩わしいことに変わりはない。


「人里から離れた街道はどうしても駆除の手が行き届きませんからな。ですが、我々は幸運ですぞ。あの傭兵、相当な手練てだれです」


「ああ、僕も見ていたよ。ほとんど彼が一人で魔物を倒していたね。ラウルの目から見ても強いのかい?」


「極上、と言わざるを得んでしょうな。素性の知れない傭兵でなければ勧誘したいと思うほどです」


「それほどなのか……。話に聞いていた通りの乱暴者では?」


「いえ、むしろ謹厳実直きんげんじっちょく。一貫して友好的な態度です。それに……。アクセルたちと話しているのを聞きましたが、どうやらサリア殿の話は少しばかり、傭兵ギルドに都合のいいものだったようですぞ」


「と言うと?」


 ラウルはクロスが話していた内容を掻い摘んで説明した。


「────それって、完全にギルド側に非があるよね」


「同感ですな。もし私が同じ状況に遭遇すれば、暴れはせずとも同じように激怒したでしょう。あの警告に嘘はありませんが、要点はぼかしていたようです」


 サリアはあたかもギルドを訪れた彼が前触れもなく暴走したかのような口振りだったが、原因を聞けば何のことはない、逆恨みの私刑リンチに対して反撃しただけだ。それも、元を辿れば傭兵が彼の仲間を侮辱したことが発端だと聞けば、十分に情状酌量の余地がある内容だった。


「ずいぶんと誇り高い傭兵なんだね。騎士みたいだ」


「いずれにせよ、私は彼が信用に足る男だと判断しております。小勢の我らにとっては僥倖ぎょうこうかと」


 二人がそんな会話をしていると、噂をすれば影。クロスが馬に乗ったまま近づいて来た。


「馬上から失礼する。視線を動かさずに聞いてくれ」


 彼はこちらが言葉の意味を咀嚼するのを待つかのように一拍置くと、声を低くして続きを述べた。


「……北東の木陰に怪しげな男たちが潜んでいるのを見つけた。武器を持って、こちらの様子をうかがっているようだ」


「「──────ッ!!」」


 レナルドたちの顔に緊張が走る。彼が言った方角は、ちょうど自分たちの真後ろだ。忠告されていなければ思わず顔を向けてしまっただろう。


「……人数は分かるか?」


「確認できたのは七人。だが、他にも伏兵がいるやも知れん。俺は気取られぬように周囲を探って来る。その間に対応を考えておいてくれ」


 そう言い残してクロスはさっさと行ってしまった。ラウルは自分の失態に思い至り、顔色を失う。


 恐らく相手は噂にあった盗賊。街から尾行されたのではなく、馬車を止めるには好都合なこの場所で待ち伏せしていたに違いない。つまり、わざわざ自分から盗賊の狩場に飛び込んだようなものだ。


 高所での綱渡りで足場を踏み外したかのような寒気に襲われ、全身の血が冷えて動悸が高まる。


「……相手が徒歩なら、馬車に飛び乗って逃げるのはどうかな?」


 自責の念から呆然と思考の海に沈んでいたが、緊迫した主の声にはっと我に返る。


 いつもの悪い癖だ。主に先に対応を考えさせてしまった。


「二頭立ての馬車では動き出すのに時間が掛かりすぎます。乗り込む素振りを見せれば、その瞬間に襲い掛かって来るでしょう。……私がレナルド様を馬に乗せて逃走します」


「ちょっと待ってくれ、ラウル。ピナはどうするんだ?」


 現在レナルドたちは馬車の近くで椅子に座っており、ラウルの愛馬までの距離は近い。素早く動けば一分と掛からず馬に乗って駆け出せるだろう。周囲を警戒している見習いたちも騎乗しているため、こちらが走ればすぐに追走してくるはずだ。


 しかし、ピナだけは紅茶を入れる湯を沸かすために離れた場所で薪を拾っている。


「…………致し方ありません。どうか、ご理解を」


「ダメだっ!!」


「レナルド様……! 声を抑えてください……!」


「ラウル。ピナは僕が五歳の時から一緒に育った、姉にも等しい存在なんだ。こんな僕を見捨てずに、ずっと仕えてくれている。だから、僕も彼女を見捨てることは絶対にできない」


 主の安全を最優先に考えれるのであれば、二人で遁走するのが最も生存率が高い手段だ。しかし────


「……では、どうにか戦ってみましょう。レナルド様は私の合図で馬車にお隠れください」


 レナルドの表情から不退転の決意を感じ取り、ラウルはその選択肢を捨てた。主の意向に献身でこたえ、忠義を尽くすことこそが騎士の本懐。主命に背いてまで押し通す己の意見などありはしない。


「すまない、ラウル。元騎士団長がこんな出来損ないのために……」


「何を仰いますか。私はレナルド様に仕えていることを誇りに思っております。それに、老骨とは言えまだまだ現役。こんな所で主を残して死ぬつもりなど毛頭ありませんぞ」


 泣き出しそうな主を少しでも勇気付けるためになけなしの笑顔を向け、ラウルは決死の覚悟で腹を括った。


 の私がどこまで戦えるかは分からんが…………

 レナルド様だけは、命に替えても絶対にお守りする。


 決意の炎を瞳に宿らせ、あやふやな気持ちを押し潰すようにぎりぎりと拳を握る。


 一度開き、また握る。

 強く、痛いほどに。

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