第36話 冒険者さん、仲直りする

「お、おい……。そろそろ機嫌を直してくれ。この通りだ。俺が悪かった」


 ここで野営せよと言わんばかりにぽっかりと空いた森の空閑地くうかんち。上層の安全地帯と比べると人影もまばらで静寂がしんと響く中、クロスは珍しい困り顔でフランツたちに頭を下げた。


「う、うむ……」


「えーっと……」


「いや……。何ていうか、こっちこそゴメン」


 彼に向かい合う仲間たちの顔に怒りの感情は毛ほどもなく、逆に、良心の呵責かしゃくに胸が締め付けられるような後ろめたさが浮かんでいる。


 何故かと言うと────────


 鬼熊マーダーベアを倒した翌朝から、『そんなに戦いてえならお前が一人で戦え!』というマウリの言葉を皮切りにして、道中全ての戦闘をクロスがこなしていたのだ。ちょっとした罰のつもりだったため、疲れを見せればすぐに助けるつもりでいたのだが……。なまじクロスの戦闘力が高いために道程はすこぶる順調で、むしろ以前より探索ペースも上がり、現在はである。


 たった一日で五、六、七、八階層を踏破するという、高位冒険者も真っ青な進軍速度だ。彼は異常な索敵能力で有象無象の魔物を全て回避し、それぞれの階層の門番すらたった一人で瞬殺してのけた。遠距離、中距離、近距離と武器を使い分け、さらには斥候まで自由自在。改めて"武士"という戦士がいかに万能であるか痛感させられた気分だ。


 クロスは知らないと思うが、上級者に先導してもらって迷宮を進む行為は"寄生"と呼ばれ、冒険者の間では恥ずべき非行とされている。しかし、全く音を上げる気配がないためフランツたちも許すに許せない状況になってしまい────……内心は、罪悪感でいっぱいになっていた。


「まぁ、もう二度としねえって誓ってくれたしな。"武士の頭は軽々しく下げるものではない"んだろ? 頭上げろよ」


「そ、そうですね! クロスさんがそこまで謝るなら許してあげてもいいですよ!」


「パメラよ。実は『こっちの方がラクチンです!』とか思っておったじゃろ?」


「し、失敬なっ! そそ、そんなことは微塵も考えておりませんとも! ええ! 私は純粋に反省してもらいたい一心でした!」


「実際、俺たちはただ後ろを歩いてただけだったしね。クロス、かなり無理をさせたんじゃないか?」


「いや、俺が軽率な行動を取ったせいだ。気にするな」


「ほれ、仲直りした所で腹も減ったじゃろ。そろそろ夕飯にしようぞ」


 空腹は人の心を荒ませるが、満腹はどんな時だって気持ちを豊かにしてくれる。ここまでぎこちない雰囲気だったため、フランツは今晩の料理は豪華にしようと決めた。とは言っても、持ち込んだ調味料には大した種類もないので、調理法と材料を工夫するしかないのだが。


 焼いた肉にも飽きてきたし……煮込み料理がいいかな。


 鍋に肉と香草を放り込み、マウリとパメラが道中で採取していた食用の野草も入れてコトコト煮込んでいく。肉の占める圧倒的な割合に野菜不足の感はいなめないが、幸いにして荒野の守人は全員が肉好きだ。今晩くらいは栄養よりも味覚優先でいいだろう。


 パンなどの付け合わせもないため、あまり濃くなり過ぎないように注意しながら味を整え仕上げを終えた。


「できたよー。ここまで狩った魔物の肉を全種類入れた肉シチューだ。食べ比べしてみよう」


「わぁー! 美味しそうですねぇ!」


 ゴロゴロと大雑把に切られた具材を山盛りに盛り付け、仲間たちに器を配る。


「こりゃ豚鬼オーク肉だな。普段食ってる慣れた味だ」


「これは何だ? あっさりとしていて旨い」


斧鳥アックスビークだよ。ほら、くちばしが斧みたいで凄い速度で走ってた白くて大きな鳥」


「むぅ!? こりゃあ美味いぞ! 皆もこの肉を食ってみい!」


 バルトが示したのは昨日倒した鬼熊の肉だった。これを食事に出すと気まずい空気になるかもしれないと思って、ずっと温存していた物だ。脂身の多い肉質で、赤身との割合が半分もある。


美味うめえっ! なんつーか、高級な味がする!」


「脂身がトロトロで、口の中であっという間に溶けますね! 美味しいですっ!」


「昔食った熊は臭くて硬くて食えたものではなかったが……。確かに、これは絶品だな」


「流石はCランクだね。全部は売らずに自分たちで食べる分も少し確保しておこうか」


「そうしようぞ。この肉でベーコンでも作ってみるかの」


「やったぁ! バルトのベーコンは美味しいですからね!」


 ようやく和気あいあいとした雰囲気が戻り、フランツは肩の荷が下りたようにほっと胸を撫で下ろした。


「そういや話は変わるけどよ、ここまでの宝箱の中身って何だったんだ? 俺、罠の確認だけして見てなかったんだよな」


「五階層の蜘蛛猿スパイダーモンキーが鉄のナイフ、六階層の豚鬼の群れが下級治癒の水薬ポーション、七階層の豚鬼頭ハイオークが魔道具っぽい指輪、八階層の魔犬モディ・ドゥー衝撃波ティルト巻物スクロールだね」


「ふーん……。指輪と巻物は当たりだな」


 巻物とは、魔術が使えない者であっても一度だけ込められた奇跡を発動できる魔道具だ。使い切りではあるが緊急時の奥の手として冒険者からの需要は高く、特に、攻撃魔術の巻物は人気がある。


「これがあれば俺にも魔術が使えるのか?」


「どうだろう? 全く魔力がない人には使えないって聞くけど……」


「おい、試そうとすんなよ? それ店で買うと結構高けえんだからな」


 手に持った巻物をじーっと見ているクロスにマウリが釘を刺す。


「ならこの……"指輪"、だったか? これなら試してもいいか?」


「ダメですよ! 鑑定してもらわないとどんな効果があるか分からないんですから」


「そうか…………」


「まぁ浅層の魔道具なんぞ大した物でもなかろうが、魔法袋の例もあるから妙に期待してしまうわい」


 初探索の成果に夢を見つつ、食事を片付けて野営の準備をする。門番の間まであと僅かだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「次の門番は邪鬼オーガだ。Dランク下位の魔物だけど、動きが速いみたいだから気を付けよう」


 地図にある注意事項を共有し、慎重に扉を開く。昨日はずっと戦闘をクロスに任せていたため、なんだか久しぶりに戦う気がする。


「ウォゥオオォゥッッ!!」


 広間に入った途端、邪鬼が奇声を上げながら手を振り回して凄い勢いで向かって来た。角の生えた厳つい顔面に、血管の浮き出た筋骨隆々の体躯。二mほどの大きさだが、手足が妙に長いため見た目よりも大きく感じる。


「やかましいわッ!!」


 邪鬼は矢を放つよりも速くこちらへ肉迫したが、素早く前に出たバルトの盾に跳ね飛ばされた。


「クロス、パメラ! やるぞっ!」


 転がった所にマウリ、パメラ、クロスの遠距離攻撃が雨のように降り注ぎ、邪鬼はそのまま立ち上がることなく絶命した。


「……なんか、呆気なかったですね」


「うむ。やはり鬼熊との死線を越えたあとだと、どうにもな」


「いちおう格上の魔物なんだけどね。俺なんて今回は何もしてないよ」


「血の沸くような修羅場を越えたあとはそんなものだ。生半なまなかな相手では達成感は得られず、逆に虚無感に襲われる。それゆえ武士は自ら死地を探して飛び込むのだ。少しは俺の気持ちが分かってもらえたか?」


「言いてえことは分かるけど、自分もやろうとは思わねえよ」


 恐れいらぬかという顔で鼻息も荒く語るクロスを、マウリはバッサリと斬って捨てた。


「ところでパメラよ。お前さん、魔術の発動が随分と速くなったのう」


「ふふふ、そうでしょうそうでしょう。鬼熊との戦いで必死に連射した時にコツを掴んだのですよ。それに、今まで自分の近くでは怖くて魔術を使えませんでしたけど、何となーく安全な距離感も分かってきました」


 邪鬼は角と魔石しか売れる部位がないのでさっさと解体を済ませ、宝箱の確認に取り掛かる。マウリが罠のチェックを終えて蓋を開くと、そこには一見して使い道の分からない代物が入っていた。


「何だこりゃ? 虫眼鏡か?」


「それにしては小さすぎません?」


「……これ、度が入ってないみたいだ。ただのガラスだよ」


「こりゃあ片眼鏡モノクルじゃな。目の悪い者がこうやって眼窩がんかめて使うモンじゃが……。何も見え方は変わらんな」


 バルトは右目に片眼鏡を装着して周囲を見渡すが、左目で見える景色と全く相違ないとのことだった。他の者が試してみても結果は変わらず、これもまた魔道具だろうという結論で魔法袋に放り込む。


 ちなみに、クロスも装着しようとしたのだが、凹凸が少ない彼の顔の構造ではどうやっても目に嵌らず、ポロポロと顔から片眼鏡を落とす姿にフランツたちは大いに笑わせてもらった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「これはまた……。急に雰囲気が変わったな」


「わぁー! 綺麗な景色ですねー!」


「ホントだね。風が気持ちいいや」


「ここが迷宮じゃなきゃあ、あそこの丘で飯でも食いたいところじゃの」


 階段を降りた先に広がっていたのは見渡す限りの草原だった。所々に起伏の大きな丘や背の高い草むらはあるが、森に比べれば木々が少なく、通り抜ける風が爽やかに感じる。


 振り返ればいつも通りの岩山に先程降りた階段があるが、今回はその横にもう一つ小さな門が存在していた。あれがきっと地上への直通門だろう。


「で、どうするよ? ここから先はDランク推奨の階層だぜ」


「そうだね。とりあえず適当な魔物の討伐証明だけ手に入れて、今回は地上に戻ろうか」


 十階層の直通門を使用するには、この階層の魔物を討伐して許可証を発行してもらう必要がある。


「フランツー! これって魔物じゃないですかー?」


 タイミングよく、パメラが階段の近くで絶叫草マンドラゴラという植物系魔物を発見した。ぱっと見はただの草だが、よく観察すると葉が脈打つようにウネウネとうごめいているのが分かる。


「こんな魔物もいるのか。引っこ抜いて────」


「待て待て! やめんかっ!!」


 おもむろに葉を鷲掴んだクロスをバルトが慌てて引き止めた。


「……何だ。狩らないのか?」


「絶叫草は地面から出た途端、とんでもない声で叫ぶんじゃ。気の弱い者が間近で聞けば即死するとすら言われておる」


「叫ぶ……? 草がか」


「そうだよ。でも、絶叫草には簡単な倒し方があるんだ」


 フランツは絶叫草にロープを結び、皆を連れて遠くに離れた。


「ギルドの資料室で読んだんだけど、あいつは日光に弱いから、距離を取って抜くとしばらく叫んだあとに死ぬんだって」


「草の癖に日が苦手とは。道理に合わん生き物だな」


 全員が耳を塞いだことを確認してロープを引くと、天地も張り裂けんばかりの大絶叫が上がる。鳥類を連想させるキィーっという甲高い声が耳を塞いでいても聞こえるが、その声は徐々に小さくなり、十秒も経たない内に消えた。もう一度叫ばないとも限らないので、念の為にしばらく放置してから歩み寄る。


「うーわ……。俺、絶叫草って初めて見たぜ」


「キモいですねぇ……」


 地上に出てきた根の部分は、土塊つちくれでできたしわがれた赤子のような姿をしていた。あまりにも不気味で触れるのも躊躇われたが、葉の部分を指で摘んで何とか魔法袋に入れる。


「これでよし。それじゃ、帰ろうか」


 フランツの掛け声で地上へと向かう長い階段を登っていく。護衛依頼での盗賊の襲撃に始まり、調査依頼の頓挫など散々な目に遭った遠征だったが、久しぶりに帰宅する一行の足取りは軽かった。

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