第34話 貴族さん、凶報を受け取る

「旦那様、そろそろお休みになられては……」


「この書類が片付けば休む」


 深夜の領主城、壮年の男が紙の山に埋もれる執務机から無愛想に返答した。


 もう肌寒い季節にも拘わらず暖炉に火はなく、窓の一つが開けられているおかげで部屋は氷室ひむろのように冷え切っている。老いた家令の目は開け放たれた窓に向けられているが、自らの主が眠気を誤魔化すために行う悪癖と承知しているので忠言はしない。


「冬期対策の報告書だけで一晩明けてしまいますよ。旦那様ももうお若くはないのですから、ご自愛くださいませ」


「アンギラはまだ成長途上にある。これしきの書類仕事で音を上げていられるか」


 アンギラ辺境伯領は領都だけで八万、全体で十四万の人口を抱えるファラス王国でも有数の巨大領地だ。海岸線を持つ特性を活かして他領との海路を開拓し、少数ながら東のレトナーク共和国から商船が来ることもある。魔物の多数棲息する海を渡る遠洋航海は極めて高い危険を伴うものだが、船に腕利きの冒険者を同乗させることによって安全性を宣伝し、二の足を踏む各国各地との貿易路をじわじわと拡大してきた。この街が王国における海洋貿易の玄関口となるのも時間の問題だろう。


 魔の森に隣接する王国最西端の辺境という恵まれない立地でありながら、何故ここまで領地が発展したのか。それは、ひとえに辺境伯が冒険者の有効活用に着目したからだ。


 元来、王国貴族は冒険者という存在を重視してこなかった。各地の領主は『民は税を納めるために生きている』と本気で思っている者も多く、税を免除される流民などには目もくれていない。


 そんな中、アンギラ辺境伯領の当代領主であるジークフリート・アンギラは、魔物の素材を外部に輸出する道に辺境領地の活路を見出した。魔の森や迷宮という、領地にとっては一長一短の魔境を多額の費用を掛けて整備し、王都にある本部へ根回しして冒険者ギルドを領内各地に招致。関係商人に便宜を図り、冒険者を集めるためにありとあらゆる優遇措置を講じた。"冒険者の楽園"という異名も、辺境伯が手の者に吹聴させて広めたものだ。


 その甲斐もあって、現在では先代当主の時代を遥かに上回る利益が生まれ始めている。この調子で王国の海運業をアンギラが牛耳れば──────


「もう陞爵しょうしゃくも目の前なのだ。休んでなど、いられるものか」


「…………どうか、ご無理だけはなさいませんよう」


 何を言っても無駄らしいと察し、家令はせめて体を温めてもらおうと、紅茶の入ったティーポットに手を伸ばす。と、そこへドタドタと廊下を走る音が近づいてきた。鎧の擦れる音からして従士の誰かだろうが、この時間にこの慌てよう。ただ事ではない。


 入室を許可する僅かな時間を惜しみ、ジークフリートは家令に目配せして部屋の扉を開けさせた。


「閣下、緊急のご報告ですッ!!」


 執務室に乱入して来た従士長は、呆気に取られる家令を無視して部屋の中央で片膝をつく。


「騒がしい。落ち着いて報告しろ」


「も、申し訳ございません! つい先ほど、北部地域にオルクス帝国が侵攻したとの報せが届きました! 本日の午前のことです!」


 やはり凶報だったか、とジークフリートは一つ舌打ちをした。


「相手は正規軍か?」


「いえ、ドリス侯爵家の私設兵と確認しております!」


「またか……。成り上がり者の山賊侯め」


 国境には侵略に備えて複数の砦を設置しているが、連中は索敵の目をくぐり抜けてたびたび嫌がらせを行ってくるのだ。


「被害は?」


「ムユリム村の住民、およそ三十名が死亡、五名が重傷! 女子供の遺体が見当たらないため、拉致されたものと思われます! 住居は全て焼かれ、田畑や井戸も荒らされているようです!」


 その報告の内容を咄嗟に理解できず、ジークフリートは固まった。

 数秒の間を置いて口を開く。


「────何だと!? 住民に手を出したというのか!!」


「はっ! 村は壊滅状態とのことであります!!」


 これまでも侯爵領との小競り合いは幾度となくあった。しかし、それは整備した街道を荒らしたり、砦のある土地に捕獲した魔物を放ったりといった、戯れ合いに近いものだ。


「ドリス侯爵、気でも触れたか……!?」


 今回の攻撃はお遊びでは到底済まされない。宣戦布告に等しい暴挙だ。


 覇権主義の野蛮人どもが……ッ!!


「村を焼いた連中の規模と足取りは!」


「騎兵部隊のようですが、規模は不明! 北部国境沿いの川を南へ向かったようです!」


「大至急王都に使者を送れ! 帝国の本格侵攻の可能性があると伝えろ! 周辺貴族とアンギラ領内の各地代官には援軍要請だ!」


「はっ!」


「門兵と衛兵を残し、その他の兵力は戦時態勢へ移行! 傭兵ギルドにも応援要請を出し、三日以内に全戦力を北門へ集結させろ! 行けッ!!」


 尻に火がついたように駆け出した従士長と入れ替わるようにして、寝巻き姿の二人の青年が部屋に入ってくる。


「父上、何事ですか?」


「従士長が血相を変えて走って行きましたよ」


「帝国に北の村が焼かれた。どうやら、今回は本気で我らとやり合うつもりのようだ」


「「──────ッ!」」


「トーマス、お前は私と共に戦地に出ろ。明日の朝一番に先遣隊と北の砦へ向かう」


「……承知いたしました。しかし、父上自ら前線に出向かれるのですか?」


「当然だ。国境を守護するアンギラが破られれば、王国西部に野蛮人どもがなだれ込む。それだけは何としても防がねばならん。ジェイド、お前には私が不在の間、アンギラの一切を任せる。領主代行として振る舞え」


「かしこまりました。先日のボレロ男爵からの奏上はいかがいたしましょうか」


「……減税の嘆願だったか。開戦も有り得る状況だ。丁重に断りを入れておけ」


そでにしてもよろしいのでは? 何せ、あの男爵は────」


「ジェイド、何度も教えたはずだ。この地は王国中から冒険者の集う多様性の街だと。それに、ボレロ男爵は近頃では珍しい高潔な貴族。あの男が嘆願するということは相当の窮地に違いない。無下むげに扱うことは許さん」


「…………分かりました」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 翌日、領主の執務室にはよく似た顔の二人の姿があった。顔立ちは双子と見紛まごうほどにそっくりだが、片方は執務机にふんぞり返り、片方はその前で片膝をついている。


「兄様、お呼びでしょうか」


「レナルド、帝国が攻めてきたことは知っているな?」


「はい。騎士たちが話しているのを耳にしました。父様とトーマス兄様が戦地に出られたとか」


「そうだ。その間は私が領主代行を命じられた。で、早速だが……。お前に一つ、仕事を頼みたい」


 ジェイドは冷ややかな、意地の悪い微笑みを口元に浮かべてレナルドを見据えた。


「…………仕事、ですか」


「領主の名代としてナバルへ向かい、代官に減税の件は却下だと伝えろ。急ぎの案件だ。詳細は道中にその書面で確認しておけ」


 拒否権はないとでも言うかのように、バサリと床に数枚の紙束が放り投げられる。


「兄様、ナバルまでの道中にはガレナ荒野があります。ですので、その……。護衛を付けてはいただけないでしょうか。一人か二人でも構いません」


 必死の面持ちの弟の哀願を、兄は嘲るように鼻で笑った。


「お前には立派な専属護衛がいるだろうが。それとも、この有事に兵を貸せと贅沢を言うつもりか?」


「……いえ、申し訳ございませんでした。なるべく急いで出立いたします」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「護衛が出せない、ですと?」


「ごめん、ラウル」


 しょんぼりと肩を落として謝るレナルドに、ラウルと呼ばれた大柄な騎士は首を振って答えた。


「レナルド様に非はございません。ですが、ガレナ荒野には魔物だけでなく盗賊も多いと聞きます。我らだけでは心許ないですな……」


「だよね……。アクセルとオーリックは────」


「あの二人にも訓練は積ませておりますが、まだまだ見習いの身です。……致し方ありません。私が護衛を見繕って参りましょう」


「見繕うって、どうする気なんだい?」


「傭兵ギルドのギルドマスターとは旧知の仲です。戦時となれば傭兵たちも招聘しょうへいされるでしょうが、鎮護の者に腕利きがいないか当たってみましょう。……そう暗い顔をなされずとも大丈夫です! このラウルめに全てお任せください!」


 不安げな主を少しでも元気付けようと、ラウルはドンと胸を叩いて見せた。

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