第29話 冒険者さん、立ち尽くす

「ほら、クロス。もう戻ろう」


 盗賊が逃げて行った方向を、未練たっぷりに睨みつけているクロスの肩をぽんぽんと軽く叩く。


「ああ」


「………………」


 フランツは前を向いて歩き出した彼の様子をこっそりと見て、すぐに視線を戻した。


 ────やっぱり、そうだ。


 前から何となく感じていた違和感。彼の戦闘を見るたびに、漠然と思っていたこと。


 傭兵との喧嘩の時もそうだったが、クロスはまるで心の中にスイッチでもあるかのように、有事と平時でまとっている雰囲気が激変する。彼にとっては取るに足らない相手だったとしても、命のやり取りという"非日常"を体験した直後にも拘わらず、もうすでにそのことを忘れてしまったかのような澄まし顔だ。


 恐らく、クロスと自分とではに大きな隔たりがある。


 死を恐れていない、と言うべきか。

 勇敢さ、とは違う気がする。

 血気盛ん、ではない。

 悟っている、も的外れ。

 命を軽んじている……には少し近い。


 うまく言えないが、宗教の違いというような簡単な差ではないように感じるのだ。


 彼のことをよく知らなかった頃はその勇猛さを頼もしく思っていたが、今となっては冒険者として彼の強さをうらやむ気持ちよりも、友として彼の強さをあわれむ気持ちの方が大きくなり始めていた。


 きっと、生死が身近にあり過ぎたのだと思う。殺し合いが"日常"になってしまうほどに。


 彼が望んでそういった人生を歩んでいるとは理解しながらも、フランツはその無惨なほど痛ましい生き様に胸が締め付けられるような同情を覚えた。


 一方で、自分は────……


 戦闘を終えたあとの興奮で熱病にかかったみたいに体が熱く、疲労で脱力しているはずなのに、こめかみの辺りがドクドク脈打っているのを感じる。落ち着け、落ち着けと念じてみても、顔の筋肉は石のように強張り、口の中はカラカラだ。


「ふう……」


 こんなみっともない顔をトトや子供たちには見せたくなくて、水筒の水を飲むついでに頭からもぶっかけた。濡れた顔を革手袋をした両手でゴシゴシと擦り、騒ぎ立った心を落ち着かせる。


「………………」


 クロスは何も言わずに、こちらの心を何もかも見透して優しく理解するような目でその様子を眺めていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 荷馬車に戻ると、こちらも戦闘は一段落したようで皆が外に出てきていた。


「みんな、ケガは?」


「トトたちも含めて全員無傷じゃ。奴ら、一斉に逃げ出しおったわい」


「けど、荷物に何本か矢が刺さっちまった。すまねぇな、トト」


 マウリの言う通り、荷馬車はまるで針鼠の様相を呈していた。荷に突き刺さったのは数本のようだが、これではほろは買い替えだろう。


「とんでもないっ! 命あっての物種ですからね。皆さんのおかげで助かりましたよ!」


「オレ、絶対死んだと思ったっす……」


「冒険者さんって強いんですね〜」


 こちらを見るルルのキラキラした瞳に、先ほどまでの気のたかぶりが潮の引くように消えていくのを感じる。


「子供たちも無事でよかった。それにしても、結構な規模の盗賊団だったね」


「この辺に盗賊が出るなんて噂ありましたっけ?」


「聞いたことねえな。大勢逃げられちまったし、ギルドには報告しとこうぜ」


「私も長年この街道を使ってますが、まさかここで盗賊に襲われるとは思いませんでした。ウチからも商人ギルドに伝えておきます」


 あの人数の多さや馬車の故障を偽る巧妙な手口からして、新興の盗賊団とは思えない。恐らく、どこか他所の土地から移動してきた連中だ。ギルドに報告しておけば傭兵ギルドや領軍と連携して討伐隊を組織してくれるだろう。


「倒した盗賊はどうします?」


「マイカの門兵に引き渡すよ。とりあえず全員ロープで拘束しよう」


「こっちは全員生かしてるが……。クロスがやった方は皆殺しか?」


「いや、手加減はしていないが峰打ちで済ませた。死んではいないだろう」


 その答えにマウリとバルトは目を丸くする。


「なんと、殺しておらんのか。どういう風の吹き回しじゃ?」


「……ただの気紛きまぐれだ」


 そっぽを向いて答えたクロスに、フランツはこっそり微笑んだ。


 気を失っている男たちを手分けしてを集め、片っ端から縛っていく。捕らえたのは襲ってきた盗賊団のおよそ半数、十四人にもなった。

 自分たちでやったこととはいえ、たった五人でよく凌ぎ切ったなと改めて思う。着実に日頃の訓練の成果が出ているようで、皆の顔には隠し切れない達成感が浮かんでいた。


「クロス、これでいいか?」


「ああ。最後に先端を輪へ通して首に一周する。こうしておけば動くと首が締まって逃げられん」


 最初は普通に後ろ手に縛ろうとしたのだが、クロスがそれでは不十分だと特殊な縛り方ロープワークを披露した。体の前後に腕を固定して、首に縄を掛ける複雑なものだ。


「ぬぅ、難しいのう」


縄術じょうじゅつの一種だ。覚えておくと便利だぞ。今度、縄抜けの術と一緒に他の縛り方も教えてやろう」


「クロスさーん! こっちも確認してくださーい!」


 途中で手持ちのロープが足りなくなってしまったが、トトが商品の中にあった衣料品用の革紐を気前よく提供してくれた。


「……っと。よし、これで全員かな?」


「だな。どうやって連れてく? 誰か一人歩いて引率するか?」


「そうだね、じゃあ────」


「ちくしょうっ! ほどけコラ!!」


 全員を縛り上げた頃、何人かが目を覚まして暴れ始めた。武器や鎧は取り上げているが、ぎゃあぎゃあと口煩く騒ぎ立てている。


「オレらの仲間がすぐ助けに来るぞ! そうなりゃお前ら皆殺しだ!!」


「大人しくしてくださいっ!」


「離しやがれ売女が! テメー、俺らが自由になったらボロボロに犯して────ぎィッッ!!」


「一度だけ警告する」


 汚い言葉を口にする男の鼻をクロスが指先で捻りあげた。凄まじい握力によって真横を向いた鼻からは大量の血が流れ、ミチミチと嫌な音が鳴っている。


「俺は野盗という連中が心底嫌いだ。吐き気を催すほどに憎悪している。仲間は貴様らに情けを掛けているが、俺は今すぐにでも殺したくて仕方がない」


 クロスは必死に手をどかそうとする男を無視して盗賊たちを睨みつけ、ついに男の鼻を


「ぎゃあぁぁああ────ッッ!!!!」


「いいか、次に罵詈雑言ばりぞうごんを吐いてみろ。耳と鼻を引きちぎり、目玉を潰して四肢ししを斬り落とす。そのあとは首に縄をかけて、マイカまで馬車で引きずり回してやるぞ」


 クロスは底冷えするような冷酷な声で脅しかけ、手に持った肉塊をビチャ!っと地面へ投げつける。盗賊たちは震え上がり、無言のまま何度も頷くことで無抵抗を示した。


「クロス…………」


 この怒りようを見るに、やはり、相当我慢をさせてしまったらしい。


「「「…………………」」」


 彼の豹変に、トト親子も身を寄せ合って完全に怯えてしまっている。


「む? どうした」


「いっ、いえ……! あの────」


 クロスに目を向けられ、トトは咄嗟に子供たちを背に庇った。自分たちはもう慣れたものだが、初見でこんな修羅場を見せられればこうなって当たり前だ。


「トト、大丈夫だよ。クロスはこんな感じだけど、敵対しなければ優しいから」


「敵には容赦ねえけどな……。どうすんだよコイツ。このままじゃ失血死するぞ」


「捨て置け。死んだら死んだで構わん」


「そういう訳にもいかんじゃろ。パメラ、包帯を貸しとくれ。儂が処置する」


 バルトの治療を待ってから盗賊たちを何人かずつに分けて縄で繋ぎ、それぞれの馬車でゆっくりと牽引することにした。観念したのか、全員悲壮な顔でトボトボと歩いている。


「みんな大人しくしてるっすね」


「そうだね。このペースなら何とか夜までにマイカに着けそうだ」


「間に合いそうになければ奴らを走らせればいい」


 その後は特に襲撃にも遭わず、ようやくマイカの門が視界に入った。門兵に事情を説明し、盗賊たちの身柄を引き渡す。これまでこの辺りに盗賊の目撃情報はなかったとのことで、とても感謝されてしまった。


「大した金にゃなんなかったな」


「賞金首はいなかったみたいだからね」


 ファラス王国では盗賊の犯罪奴隷化が奨励されており、冒険者や傭兵に限らず、誰が捕縛しても報奨金がもらえるようになっている。悪名高い賞金首であれば高額の懸賞金が出ることもあるが、今回は一人頭銀貨一枚、合計金貨一枚と銀貨四枚を受け取った。名のない盗賊なんてこんなものだ。


「今回は本当にありがとうございました! 皆さんは命の恩人です。今度店にいらっしゃった時は精一杯サービスさせていただきますね!」


 親子揃って深々と頭を下げるトトに笑顔で応じ、依頼書に完了の署名をもらって別れた。まさか魔物ではなく人と戦うハメになるとは思わなかったが、何にせよ、これで護衛依頼は達成だ。


「えらく鍛治人ドワーフの多い街だな」


「そりゃあ鉱物の集まる街じゃからの。鍛冶屋が増えりゃあ自然と鍛治人も集まるわい」


「バルトは来たことあるんですよね? おすすめの宿屋とか知ってたりします?」


「美味い酒を出す店は分かるが……。前に来た時は金がなくての、馬小屋のすみを借りて寝泊まりしたもんじゃ」


「宿代より酒代かよ。いかにも鍛治人らしい言葉だな。なら腹も減ったし、飯屋でよさそうな宿がないか聞いてみようぜ」


 特に混み合うような時期でもないため、宿の予約の前に遅い夕飯を摂ることにした。バルトの案内で大通りに面した"がさつな黒山羊亭"という一軒の食堂に入る。


「うえぇ……。不味いですぅ…………」


「苦い酒だな……。俺の口にも合わん」


「そう? 俺はわりと好きだけど」


「飯と合わせると結構イケるな。何て酒だ?」


麦酒エールじゃ。この独特の苦味がええんじゃがな」


 パメラとクロスには不評だが、喉越しがよくて癖になる味だ。マイカでは葡萄酒よりも麦酒が主流らしいので、荷物に余裕があればお土産に一樽買って帰ろう。


「おう、ベルガン」


「……ん? おぉ、バルトじゃねえか! 久しぶりだな!!」


 バルトが店主と顔見知りらしいので、宿の情報を聞きに行ってくれた。鍛治人だらけのマイカだが、ここの主人は人間のようだ。


「今日は仕事で来とっての。五人なんじゃが、ここらでいい宿を知らんか?」


「……何度も飲みに来といてふざけてんのか? うちは食堂兼、宿屋だ! おめぇも何回か酔っ払って泊まってっただろうが!」


「そうじゃったかの……? まったく覚えとらんが……」


「記憶が飛ぶほど飲むんじゃねえっていつも言ってんだろ! だいたい前に来た時も────!」


 思わぬ形で宿屋が見つかったので、そのままこの店で一夜を明かした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 翌朝、一行はギルドで護衛依頼の完了報告を済ませたあと、今回の目的である調査依頼の依頼人に話を聞くべく採掘事務所を訪れていた。


 依頼書には現地で話を聞けと指示があったため、受付の男性に依頼書を見せる。


「どうも。依頼を受けた冒険者ですが、責任者はいらっしゃいますか?」


「へ……っ? あんたらもかい?」


「あんたら?」


 その言葉に嫌な予感がしたが、責任者の部屋まで案内してもらう。


「すまねえっ!! やっちまった……! アンギラに依頼を出してもなかなか受注されねえもんだから、マイカのギルドにも依頼したんだ。取消しの手紙は送ったんだが、入れ違いになっちまったみてえだ……」


 責任者は依頼書を見せた途端、名も名乗らずに真っ青になって謝罪した。


「────二重依頼ダブりか。褒められた話じゃあないの」


 いつも温厚なバルトの瞳に剣呑けんのんな光が宿る。


 冒険者ギルドは同じ内容の依頼を複数の支部に出すことを禁止している。依頼を出し直す際は最初に依頼した支部に変更の申し立てを行い、ギルド間で手続きをしてもらわなければならないのだが……。今回はどうやらギルドへの申し立てをせずに、自分で勝手に変更の手続きをしようとしたらしい。


「えっと……。それじゃあ…………」


「本当に申し訳ねぇ……。先週、マイカのCランクパーティーが受注してくれて、もう魔物も退治されたんだ。だから────」


 フランツは途中から頭が真っ白になってしまい、もう男の言葉は耳に入っていなかった。マウリが怒鳴り散らす声も酷く遠くに聞こえる。


 今回の遠征のために、パーティーの運営資金のほとんどをついやしている。護衛依頼の報酬と盗賊の捕縛で得た報奨金を合わせても、金貨二枚と銀貨四枚。仮に皆で分配すべき報酬分を全額運営費に回したとしても、こんな端金はしたがねでは来月まで到底持たない。


 血の気が引き、手足がやけに重く感じる。どうすればいいのか分からず、フランツは足に根が生えたようにその場に立ち尽くした。

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