第27話 お侍さん、邪魔立てされる
その女は妙に人間離れした風情に見えた。
陶器の冷たさを連想させるような
"立てば
女は辺りを一瞥すると、カツカツと威圧するような足音を立てながら集団に近づき、いまだ血が垂れる右手を庇い
「リット、説明なさい」
「ギ、ギルドマスター……。その、実は────」
受付の男が状況を説明するにつれ、女の顔はこれでもかと言うほど不快げに歪んでゆく。元が美しい面貌であるだけに、その落差は一種の迫力を帯びて威光を放っていた。
「つまり、私の裁定を知った上でこの暴挙を仕出かしたと……。リット、貴方はクビよ。荷物をまとめて出て行きなさい」
「そんな……っ!」
「指揮官の決定に従えない者に背中を預けることはできない。貴方には失望したわ」
受付の顔が白紙のように蒼褪めるが、女は関心をなくしたように周囲で押し黙っている連中に視線を移した。
「この場にいる者も同罪よ。傭兵なら
その宣告に、指を失った者たちから不満の声が上がる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「姉御、そりゃねぇぜ!」
「そうだ! 俺たちゃギルドのためを思って───」
男たちの不平不満は、しゃらりと鳴る鞘走りの音によって掻き消された。
「文句のある者は剣を抜きなさい。ここは傭兵ギルド。弱者に発言権はない」
しんと静まりかえる訓練場。だがそこに、張り詰めた空気を破るように一人の男の声が響いた。
「文句はないが、抜刀すれば相手をしてもらえるのか?」
怒気を孕んだ棘のある声に、全員の視線が黒須に集まる。
「これは俺とこいつらとの勝負だ。そしてまだ決着はついていない。そこに割って入った上に
黒須は
「貴方が噂の男ね。なるほど、話に聞いていた以上の狂犬────」
「傭兵とは。人と戦うことを生業とする職と聞いていたが」
女の言葉を遮り、怒りのままに言葉を
「期待外れも
"
真剣勝負への横槍は、武芸者の尊厳を踏み
武士として、耐え難い侮辱だ。
万の言葉で罵倒しても飽き足らぬ
「私は傭兵ギルドのギルドマスター、サリアよ。今回の件、責任者として謝罪させていただくわ。勝負の邪魔をしたことについても、本来は許されないと理解しているつもりよ。だからどうか────」
「黙れ
サリアは手に持った剣を投げ捨て、黒須の前に跪いて
せめて苦痛なく終わらせてやろうと黒須は刀を振り上げたが、次にサリアの口から出た予想外の言葉に手を止めた。
「だからどうか、私の命一つで剣を納めて欲しい。後生よ、部下たちだけは見逃して」
「……………………」
その自己犠牲の言葉に、ここに来て初めて武芸者の片鱗を見た気がした。
こちらをまっすぐ見つめる
偽りや反抗の意志が僅かでもあれば
決意、覚悟、失望、落胆、屈辱、そして孤独。その眼は、微塵の悪意もなく懸命に哀訴しているように見えた。膨れ上がった怒りが急速に萎んでいくのを感じ、振り上げた刀をゆっくりと下ろす。
「……もういい、
刀をパチリと鞘へ納め、周囲の傭兵どもを睨みつける。
「貴様らにも警告しておく。今回は指だけで済ませたが、次は遠慮なく首を落とす。覚悟があるならまた挑んで来い。決闘でも不意打ちでも構わん」
今し方まで身を沈めていた鉄火の余奮から、突然、つき飛ばされたように醒めていく。早朝の
……今夜は
言うべきことも言ったので、さっさと帰ろうと踵を返した途端。サリアに腕を掴まれた。
「何だ」
「もう少しだけ、時間をもらえないかしら」
「何故だ」
「……そう
「要らん。もう傭兵ギルドには興味が失せた」
「そう言わないで。貴方がここに来た理由もちゃんと聞いておきたいわ。ねっ? この通りっ!」
「……………………」
サリアはおどけた様子でまた頭を下げて見せた。その変わり身の早さに毒気を抜かれ、黒須は渋々と同行を承諾する。
案内されたのは最上階にあるサリアの執務室だ。ヘルマンの質素な部屋と違って王朝絵巻さながらに絢爛豪華。派手な調度品も多く、香まで
以前、
「さて、第一印象は悪かったと思うけど、できれば仲直りさせて欲しいの。私は貴方に興味があるわ」
そう言いながら手ずから
「………………」
信用のない相手から出された物を口にするはずもなく、さっさと続きを話せと眼で促す。
「まぁいいわ。まず最初に言いたいのは、クロス、貴方は冒険者より傭兵の方が向いてるってことね」
よく分からんという顔の黒須に、サリアは丁寧に説明を続けた。
「傭兵ギルドのランクは単純な戦闘力で決まるのよ。冒険者ギルドと違って、依頼の達成率や本人の素行はあまり考慮していないの。私たちは戦争への参加が主な仕事だから、部隊を編成するのにこのやり方が適しているのよね。貴方の腕なら、すぐに高位ランクになれるわよ」
「そんな肩書きに一体何の意味がある?
「……そんな者ばかりじゃないわと言いたい所だけど、貴方にしてしまった仕打ちを考えると返す言葉もないわね。じゃあ、話題を変えましょう。今回は何のために傭兵ギルドに来たの?」
その後、サリアの質問に黒須がつっけんどんに返答する居心地の悪い時間がしばらく続いた。
「なるほどね、大体事情は分かったわ。他に何か聞いておきたいことはあるかしら?」
傭兵についてはどうでもいいが、とりあえず最初から気になっていたことだけ質問しておこうと、黒須はこの部屋に入って初めてサリアの顔に眼を向けた。
「こういったことを質問するのは失礼に当たるのかもしれんが……。お前は人間ではないのか? すまんが、この国に来て初めて他種族の存在を知ったのだ」
近くで見て気が付いたが、サリアの頭の両側には尖った耳が二つ、にょきりと突き出していたのだ。獣人のような頭頂部にある獣耳ではなく、位置は普通だが巨大な耳。耳の大きな女は総じて幸運に恵まれると言うが、福耳と呼ぶにしても大きすぎる。
これで何らかの
「私は
「────数百年を、生きると言うのか? 信じられん話だ」
「貴方、本当に何も知らないのね。正確な年齢は黙秘させてもらうけど……。私も貴方の曾々々々々お祖父さんより歳上だと思うわよ」
「……
人魚の肉を喰らって不老不死となり、八百年を生きたとされる伝説の尼僧だ。別名
「誰よそれ?」
期待を込めて返答を待っていたが、サリアはキョトンとした顔でこちらを見つめ返したのだった。
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その晩、荒野の守人の拠点は何とも言えない空気に包まれていた。湯上りの湿った長髪を結ぶこともせず葡萄酒片手に不機嫌そうに話す黒須を、仲間たちはそれぞれ微妙な面持ちで見ている。
「それで……いきなりCランクになったの?」
「ああ」
サリアはその権限で黒須をCランク傭兵に認定した。これはギルドマスターが持っている裁量の上限らしい。もう二度と傭兵ギルドに行くつもりはないため、黒須にとっては何の意味もない肩書きだが。
「何かトラブルがあるかとは思っとったが……。まさか登録初日に中位ランクになって帰って来るとはの」
「ま、まぁ、誰も殺してねぇんだし、大丈夫なんじゃねえの……?」
「すごいですっ! すごいですっ! お祝いしましょう!!」
自分のことのように喜びはしゃぐパメラを、黒須は微笑ましい気持ちで眺める。
この国に来て、随分と見識が広がった。もはや彼らを"異人"と
善人もいれば、悪人もいる。最初は文化の違いに戸惑ったりもしたが、そういう意味ではこの国の者も、日本と何ら変わらないのだ。
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その日以降、ある変化があった。
「おいっ、道空けろ! 荒野の守人の皆さんがお通りだ!」
「お、お疲れ様っす!!」
「クロスの兄貴! 冒険者業頑張ってくだせえ!」
道々で傭兵から声を掛けられ、仲間たちの顔にはうんざりとした辟易の色が浮かんでいる。
「ねぇ……。クロス……」
「知らん。俺に言うな」
「お前さ、俺らに『少し揉めただけだ』って言ってたよな?」
「クロスの"少し"は信用ならん。絶対大揉めしたじゃろ、これ」
「……………………」
強面の男たちに注目され、パメラはバルトの背中に張り付いて動けなくなってしまっていた。
「あのフランツさんってお方がパーティーのリーダーらしいぜ。クロスの兄貴が下についてるってことは、あの人も相当な化物に違いねぇ」
「だな。絶対に怒らせないようにしようぜ」
フランツが泣きそうな顔でこちらを見ているが……。そんな顔をされてもどうしようもないのだ。
あのあとサリアがギルド内をどう収めたのかは知らないが、機会があればこの落とし前は必ずつけさせようと、黒須は決意を新たにした。
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