第25話 冒険者さん、観戦に行く

「フランツ、いい加減にせんか」


「目の前でウロウロしないでください! うっとうしいですっ!」


 皆がまったりと余暇よかを楽しむ中、フランツは一人、ソファーの周りをグルグルと歩き回っていた。


「だって……」


 朝食後、珍しくウキウキとした様子で出掛けるクロスを見送ったが、時間が経つにつれてだんだんと不安になってきたのだ。


 この街に来てから、彼が単独で行動するのは今日が初めて。何度も通ったギルドへの道で迷子になるとは思わないが、ギルドマスターから受けた忠告がまとわりつくように頭の中で木霊こだまする。


「面倒くせえな。そんなに気になるなら見に行きゃいいじゃねえか」


 弓の手入れをしていたマウリがぶっきらぼうにそう言うが…………

 自分一人で行って、お節介な奴と思われるのも嫌なのだ。


「マウリ、一緒に行ってくれない……?」


「夜中便所に行けねえガキかテメーは。休みの日までギルドに顔出したくねぇよ」


 この薄情者め………


「しかし、実際のとこ大丈夫かの? 駆け出しにゃあ生意気なのも多い。挑発されて暴れとらんとええんじゃが」


「暴れたとしても教官が何とかして……くれますよね?」


「高位冒険者なら、たぶん……」


「どうだかな。聞いただろ? アイツの潰した傭兵団、Cランクだったって。対人戦闘に特化した連中が八人掛りで……あのザマだぜ?」


「「「…………………」」」


 マウリ自身も言っていて不安になってきたらしく、結局、フランツたちは全員で足早に家を出た。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「こんにちは、ディアナさん。クロスは訓練場です────」


「知りませんっ!」


 ディアナはこちらの問いを聞き終わらないうちからそれを否定し、プイッ!と音がしそうなほど大きく顔を背けてしまった。


 クロス────何かしたのか?


「おや、守人の諸君」


「……ギルドマスター」


 ディアナの後ろの席に腰掛け、書類を眺めていたヘルマンがこちらに気が付き声を掛けてきた。高い視点から冒険者のことを真剣に想う人物だと分かっているつもりだが、相変わらずの仏頂面に心の表面が粟立つ感じがする。


「君たちも見学かね?」


 その声色には、どこかわざとらしさがあるような気がした。さも自分たちが来ることが分かっていたかのような、例の処罰の件と同じ、作為の匂いがする。


「はい、やっぱり少し心配で……。ん? 君たち、ですか?」


 ヘルマンは頬の隅に皮肉げな笑いを漂わせ、何もかも把握しているかのように頷いた。


「私もちょうど様子を見に行く所だ。ついて来たまえ」


 ────やはり、どこまでも食えない男だ。


 ギルドマスター自らの案内でギルドの裏手にある訓練所に向かう。


「あの、今回の教官は誰が担当ですか?」


「"強撃"と"神速"だよ」


 名のある冒険者は、その戦闘形態スタイルや逸話から敬意を持って二つ名で呼ばれる。それこそが一流であるあかしであり、全冒険者の憧れなのだ。かくいうフランツも、寝る前に自分の二つ名を妄想してニヤニヤするのが日課になっている。


「ブランドンさんと……"神速"は聞き覚えがないなぁ。バルト、知ってる?」


「Bランクのネネットじゃな。昔っからよく酒場で大騒ぎする娘で、この辺りの鍛治人ドワーフで知らぬ者はおらん」


 なるほどと相槌を打ちつつ訓練所の中に入ると、もう模擬戦が始まってしまっていた。


「つぎぃー! かかってこーい!」


 広い訓練場の中央で怒鳴っている女性を見て、神速とはそういうことかと納得する。ネネットという名に聞き覚えはなかったが、彼女は豹獣人パンテーラ、獣人族の中でも特に速度に優れた種族だ。


「きょ、教官……。もう、無理です……」


「なんでだ! まだ生きてるじゃないかー!」


「死ぬ……。もう死にそう、です……」


「死にそうってことはまだ生きてるってことだー! 諦めるなー!」


 すでに彼女の周囲には打ち倒された新人冒険者が死屍累々と転がっているが、そこにクロスの姿はない。辺りを見渡してみると、何故か彼は一人だけ参加せず、離れた所でブランドンと模擬戦を観戦していた。何かやらかしたのかと一瞬ヒヤッとしたが、ブランドンにも特に変わった様子はない。


「……お前たち。何故ここにいる?」


「い、いやぁ、家にいてもヒマだったからさ。皆で応援に来たんだ」


「何でお前だけ見物してんだよ?」


「知らん。この……ブランドンに待っていろと言われた」


 本人が真横にいるのに大変失礼なことを言おうとした気がするが、それはさておき、クロスはとても不満顔だ。


「ギルマス。指示通りコイツだけ待機させてますぜ」


「手間を掛けた。今回の受講者はどうだね?」


「規格外が二人ですね。コイツら、どっちもランクと腕がまったく見合ってねえ」


 その言葉にヘルマンは目を丸くする。


「……二人? クロスくんの他にもそんな逸材がいるのかね?」


「今ネネットに捕まってる、ユリウスって名のGランクです。兎獣人ラピヌはキレると怖えってよく言いますが……。ありゃそん中でも特級ですわ。火力だけなら間違いなくAランク相当はある。まともに受けたら俺でもタダじゃ済まねえと思います」


 ブランドンが顎をしゃくって示したのは、胸ぐらを掴んで揺さぶられている小柄な青年だった。完全に失神しているようで、ピクリとも動かない。自分たちの時もああだったなぁと、苦い思い出が蘇る。


「……後ほど、彼の評価書を確認しておく」


 ヘルマンは神妙な様子でそう言うと、クロスをともなって中央へ歩み寄る。


「ネネット、彼が例のFランクだ。今から相手をしてもらっても構わんかね?」


「いいぞ! みんな寝ちゃってヒマだったんだー!」


「クロスだ。よろしく頼む」


「アタシはネネット! よろしくなー!」


 ネネットは人懐っこい笑顔でクロスの手を握り、ブンブンと大きく振った。マウリと変わらないくらい小柄な女性なので、随分と平和的な図に見える。


「────なるほど。確かにこれは"戦う者の手"だ」


 ネネットの手を掴んだまま、クロスはニヤリと口許を歪めた。


 その獰猛な笑みは、フランツの胸に一滴の不安となって落ちる。クロスは滅多に笑わない。たまにマウリやパメラを微笑ましそうな眼差しで眺めていることはあるが、こんな風に笑ったのは初めて会った時以来だ。巨人と戦っていた時、彼は狂ったように笑っていた。


「クロス。念のために言っておくけど、これは訓練だからね? 殺し合いじゃない。分かってるよね?」


「……………おっと」


「おい。"おっと"って何だよ?」


「クロスよ、お前さん……」


「ち、違う。言葉の綾だ。訓練ということくらいわきまえている」


 いや、絶対に忘れてたな……。


 彼の生い立ちやこれまでの旅の話を聞いた時、正直に言えば異常だと思った。"武士道"という独特な思想に基づいて行動し、好き好んで戦場を渡り歩き、強者を探しては殺し合って生きてきたのだという。


 フランツの常識からすれば、そんな人間を表す言葉は一つしかない。

 だ。


「クロスさん、私たちの目を見て約束してください。ネネットさんを絶対に殺さないって」


「莫迦なことを、パメラ。俺は────」


「クロス。頼むよ」


 フランツやパメラの真剣な表情に、クロスは小さくため息を吐いた。


「武士道に懸けて、殺さないと誓約する。……これでいいか?」


「本当に分かっとるんじゃろうな」


「武士にとって違約は恥だ。もしたがえることがあれば、腹を斬って詫びてやる」


 そこまではしなくてもいいが、ひとまずこれで大丈夫だろう。彼の性格を考えるに、交わした約束を破るような真似はしないと信用できる。


「クロスはアタシを殺したいのかー?」


「ネネット。彼は少しばかり変わった冒険者だから、あの発言は気にしなくていい。それよりも、彼は新人だが恐らくかなりの戦闘経験を積んでいる。同じBランクを相手にするつもりで戦ってくれたまえ」


「??」


「……手加減不要ということだ。分かるかね?」


「よく分かんないけど、分かったー!」


 フランツたちも協力して転がっている新人を片付け、立ち会いの場を整えた。ネネットとクロスは距離を取り、互いに訓練用ではない本身の武器を携えている。


「手加減するなって言われたから、真剣でいいぞ! かかってこーい!」


「そうか。では、いざ」


 睨み合うことも、語り合うこともなく、実に簡単に始まってしまった。


 先に動いたのはクロスだ。無手のままネネットに向かって走り、彼女から十mほど離れた位置から急加速。右手は剣の柄に添えられている。


「ちょ────っ!」


 あれは巨人を仕留めた技じゃ!?


 焦りのあまり声を上げそうになったが、ネネットはクロスの剣を空中に跳び上がって易々やすやすと回避した。さらに大きく後方へ跳び、一回転して着地する。


 クロスはそのまま彼女を追い、着地のタイミングを狙って剣を振ったが、ネネットはグニャリと体を逸らして後方転回することで躱した。


 まるで曲芸のような体捌きだ。それに、一つ一つの動きにキレがあって速い。


「お前強いな! よぉーし、アタシも本気で行くぞー!」


 ネネットは腰に吊り下げていた二本の短剣を引き抜き、両手に持った。双剣使いだ。


「フッ!」


 一つ息を吐いたと思ったら、彼女の姿が


「なっ!? どこに……」


 一瞬見失ったが、剣戟けんげきの音に目を向ければ、そこには目にも止まらぬ速度で斬り合う二人がいた。


 クロスは足を止めて剣を振っているが、ネネットは現れたと思ったら消え、そしてまた別の場所に現れては消える。


「なんだよ、アレ。豹獣人ってこんなに速かったのか?」


「馬鹿な。普通の豹獣人にあそこまでのスピードはないわい。身体強化ブーストの奇跡を使っとるんじゃろう」


「いえ、魔力の動きは感じませんでした。素の身体能力ですよ、あれ。クロスさんも速いですけど、ネネットさんはもはや瞬間移動ですね……」


「ギルドマスター、俺には二人の剣が目で追えません。今はどっちが優勢なんですか?」


「……驚くべきことに、互角だね。体捌きはネネットに分があるが、剣速はクロスくんの方が上だ」


「動体視力も並じゃねーな。ネネットはスピードと手数で相手を圧倒する短期決戦型だが……。完封してやがる」


 元Aランク二人の顔にも驚愕の色が浮かんでいる。


「お前すごいなー! アタシの速さについてこられるヤツは初めてだ!」


「こちらこそ恐れ入った。これほどの速力は久しぶりだ。初見なら遠の昔に殺られていただろう」


「アタシと同じくらい速いヤツがいたのかー!?」


「ああ。あの時は初撃で片耳を飛ばされたものだ」


 ────今、"片耳を飛ばされた"と言った気がしたが、聞き間違いだろうか。


 固唾を飲んで見守っていると、クロスの動きに緩急がつき始めた。止まったり、走ったり、ふらついたりと、一見ふざけているように見える。


「何してんだあれ?」


「ネネットの動きが読まれたな。アイツは速いが直線的だ。相手に複雑に動かれると対応できねえ」


 ブランドンの言う通り、ネネットの動きが急に悪くなった。クロスが常に動き回っているため攻撃できず、後手に回り始める。


「くそー! もう怒ったぞぉー!!」


 ネネットは双剣を持ったまま地面に手をつき、四足獣のような体勢になると、なんと訓練所の壁や天井を足場にして縦横無尽に跳ね回り始めた。もはや姿は目で追えず、剣がぶつかる音と足場を蹴る音しか聞こえない。


 クロスの体がまるで風に斬られているかのように独りでに傷つき始める。


「なんだよ……。これ……」


 初めて見る高位冒険者の実力に戦慄していると、嬉しそうな声が訓練場に響いた。


「いいぞッ! 見事だ!! 愉しませてくれる!」


 クロスは左手で短剣……脇差を抜くと、訓練場の角に向かって走り、壁を背にして立ち止まった。右手を前に、左手を上に伸ばして剣を構えている。


 そうか、あれなら攻撃の方向を絞れる!

 あの場所であれば、ネネットが来るのは前か上の二択だ。


 次の瞬間。巨大な岩が衝突したような轟音が響き渡り、クロスの掲げた脇差に両手の短剣で斬りつけた状態のネネットが姿を現した。


 クロスは右手の剣を手放すと彼女の首を鷲掴み、そのまま地面に叩きつける。


「────カハッ!」


 トドメとばかりに顔の真横に脇差を突き立てた。


「うぅ〜……! アタシの負けだー!!」


 涙目のネネットが降参を宣言し、勝負は終わった。


「クロス……。女性相手にやりすぎじゃないか?」


「無礼なことを言うな、フランツ。素人相手ならその通りだが、剣を握る者に性別など関係ない。手を抜く方が失礼というものだ」


 そう言ってネネットに手を差し伸べて助け起こす。


「楽しかった。礼を言う、ネネット」


「またやろうな! アタシももっと強くなるぞー!」


 二人は固い握手を交わし、互いの健闘を讃え合う。


「よぉーし! みんなで飯食いに行こー!」


 ネネットはクロスの手を引っ張り、フランツたちの同意を待つことなく訓練場を出て行ってしまった。慌てて追いかけようとすると、ヘルマンがそれを引き止める。


「フランツくん、君たちのパーティーはEランクだったね?」


「はい、そうです」


「なら、私の権限でクロスくんを今日付けで昇格させよう」


 フランツたちはその言葉に目を見開いた。ギルドマスターが特例昇格の権限を持っていることは知っていたが、それを実際に行使するのは初めて見たのだ。


「…………いいんですか?」


「Eランクならもう新人講習は受けられないからね。ディアナは正しかった。彼はとても新人と共に学ぶようなレベルではない。もっと上のランクにしてもいいのだが、パーティー内でのランクは揃っていた方が何かと便利だ」


 ヘルマンに礼を言い、この特報を早く伝えようとフランツたちは駆け出した。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 新人たちも皆帰り、がらんとした訓練場には二人の男が残っていた。


「ブランドン、どう見た?」


「なんつーか、危うい感じっすね。いつ爆発するか分からねぇ野郎だと思います。昔の自分を見てるみたいで、イライラする感じですわ」


「同族嫌悪というやつかね?」


「かもしれねぇですね。ま、俺みてーにはなってもらいたくねえもんです」


「……その足のこと、許してくれとは言わんよ。だが、守ってやれなくて本当に申し訳なかった」


「馬鹿野郎。何度も言うが、こりゃ自業自得だ。俺が考えなしに飛び出したせいでこうなった。それを言うなら、パーティーは俺のせいで解散したようなもんじゃねーか。詫びんのは俺の方だ」


「…………君は本当に気高い男だ。心から尊敬する」


「んなことより、喧嘩の抗議の件で久しぶりにババアに会ってきたんだろ。相変わらずか?」


「ああ。彼女は今も強く、美しいままだ。赤龍レッドドラゴンというパーティーに残された、唯一変わらない存在だよ」


 ヘルマンは遠くの音楽に聞き入っているかのような恍惚とした表情になった。それを見たブランドンは対照的に、腐った食べ物を口に放り込まれたような苦りきった顔になる。


「ヘルム、お前さ……。マジでアイツの歳分かってんのかよ? お前のその顔、貴族ぶった喋り方より気持ち悪いわ」


「……うるせぇな、ブラン。愛に歳は関係ねーんだよ。サリーはいつか必ず俺んとこに戻って来る。俺たちは結ばれる運命なんだ」


 二人きりの訓練所に、いかにも粗野な冒険者たちの楽しげな声が響いて消えた。

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