第21話 冒険者さん、成長を実感する

「プギィィィイ────ッ!!」


 フランツはパメラの魔術で大火傷を負った豚鬼オークに向かい合う。


 全身から煙が上がるほどの重傷だが、やはり仕留め切れなかったか。これまでに四人掛りで一匹の豚鬼を倒したことはあるが、単身で相手をするのはこれが初めてだ。


 ……大丈夫だ。訓練を思い出せ。相手の動きをよく観察して、自分に有利な立ち位置を考えろ。


 手負いの豚鬼は雄叫びを上げながらこちらに向かって来る。その体格に圧力は感じるものの、連日の模擬戦のおかげか、冷静に動きを見ることができた。


 右の拳を握り、肩が僅かに動く。


 ────右の振り下ろし!


 大振りの拳を左に躱し、すれ違いざまに脇腹を斬り付ける。


 硬い。が、手応えありだ!


 振り向くと、豚鬼は脇腹から大量の血を吹き出していた。恐らく傷は内臓に達しているが、まだ油断できない。魔物の生命力は凄まじく、この程度の傷なら動けるはずだ。


 案の定、豚鬼は目をギラつかせながら両手を広げて向かって来た。


 体当タックルりか! 掴まれるのはマズい……!


 バックステップで一旦大きく後退する。幸いなことに相手は手負い。難なく距離を離すことができた。


「ブヒィィィッ!!」


 悔しげな声を上げる豚鬼と睨み合う。相手は瀕死だが、それゆえに捨て身の攻撃に警戒を強めなければならない。


「「……………………」」


 数秒の沈黙のあと、豚鬼はまたしても両手を前に突き出して突進して来た。


 なるほど……。組み付きさえすれば勝てると思っているのか。


 クロスの言葉を思い出す。

『敵の拍子を読め。敵には拍子を読ませるな。お前の攻撃は見え見えだ。何をしたいのか、どこを狙っているのか。はらうちがそのまま挙動にあらわれている』

 模擬戦のたび、何度となくそう言われた。


 彼もきっと、今の自分のような心境だったのだろう。


 教わったばかりの"八相はっそう"の構えを取り、相手の動きに集中する。素振りではまだ一度も合格をもらえていないが、ぶっ倒れるまで繰り返した型。


 "斬るためにどう躱すか"だ!


 突進してくる豚鬼の腕を潜るようにして避け、半回転して背後を取る。相手はドタドタとたたらを踏み、咄嗟には振り向けない。


「ふっ!!」


 前のめりになったガラ空きの背中へ、フランツは渾身の一撃を叩き込んだ。


「プギィ……」


 背を大きく切り裂かれ、豚鬼はゆっくりとうつ伏せに倒れた。


 荒れた息を整えながら、自分の手のひらを見つめる。


「────俺、強くなってるのかな」



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



 子供の頃、ルクストラ教会に置いてあった英雄譚えいゆうたんを読んだことがきっかけだった。たった一人で魔物の群れに立ち向かい、ボロボロに傷付きながらも街を救った冒険者の物語だ。


 生来大人しい性格だったフランツは、その勇敢な英雄の姿に酷く憧れた。両親は心優しい息子には無理だと考え反対したが、それを押し切って酪農家の実家を飛び出し、アンギラで冒険者になった。


 最初は自信に満ち溢れていた。


 下積み時代は理想としていた冒険者像との隔たりに畜生と唇を噛む日もあったが、雑用依頼で資金を貯めて、立派な装備も手に入れた。自己流ではあるけれど、剣の訓練だって人一倍努力してきたつもりだ。ギルドの資料室に引き籠もって勉強し、あらゆる魔物の特性や弱点にも詳しくなった。文字を読めない冒険者に学んだ知識を披露して、俺はお前たちとは違うんだと、優越感に浸ったりもした。


 しかし初めて魔物に向かい合った時、その自信は粉々に打ち砕かれた。


 相手はたった一匹の小鬼ゴブリンだったが、自分に向けられる情け容赦のない殺意に耐えられず、フランツはまともに剣を振ることもなく尻尾を巻いて逃げ出した。


 誰にも言えない、自分だけの暗くて苦い思い出だ。


 そこからは諦めの多い人生を歩んできた。ソロであることを諦めて仲間を探し、一人で魔物を倒すことを諦めて連携ばかり訓練した。仲間の前で口に出したことはないが、高位の冒険者になることも諦め、ただ漫然と無難な依頼をこなして生活する日々に、いつしか強くなろうとする熱意さえ失っていた。



 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



 今、確かな成長の実感がこの手にある。


 数日特訓しただけで急に技術が向上したりはしない。これは、考え方の差だ。回避を起点にするのではなく、攻撃を起点にして戦っただけ。たった、それだけの違い。


 体の内側の明かりの消えていた部屋に、光が灯ったような感覚があった。その部屋に久しく仕舞い込んでいた何かが、むずむずと動き出した気がする。


 このまま前に進めば、憧れたあの英雄の姿に、一歩でも近づけるかもしれない。


「…………俺、まだ強くなれるんだ」


 胸の奥が太陽を飲み込んだように熱くなり、フランツはぎゅっと拳を握り締めた。


「──っと、そんな場合じゃない。バルトの所に行かないと……ん?」


 我に返って辺りの様子を確認すると、激しく戦っているバルトたちの近くでクロスが腕を組んで立っていた。


「フランツ、終わったか」


「ああ、何とか勝てたよ。クロスはどうして参加してないんだ?」


「見てみろ」


 促されるままバルトたちの戦闘に目を向ける。


「よっしゃ! 左足もらったぜ!」


「右足もあと少しです! バルト、もうちょっと頑張ってくださいっ!」


「クロスのしごきに比べたら余裕じゃ! あと千発は耐えられるわい!」


 マウリはナイフ片手に豚鬼の周りを走り回っており、どうやら左足のアキレス腱を斬ったらしい。パメラも杖の遠心力を利用して右膝を攻撃している。そして、バルトがピッタリと相手に張り付き、繰り出される大振りの拳を全て防いでいた。


「すごい……」


「ああ、特にバルトの奮闘が目覚しい。マウリとパメラの技は付け焼き刃だが、全ての攻撃をバルトが防いでくれると確信しているからこそ大胆に動けている。そら、もう豚鬼が膝をつくぞ」


 パメラの杖が右膝を打ち据え、豚鬼がついに倒れ込んだ。そこへバルトが大盾を挟んでのしかかり、押さえつける。


「マウリッ! トドメを刺せ!!」


「任せろ!」


 藻掻く豚鬼の首にマウリがナイフを差し込み、決着がついた。


「みんな、驚いたよ! まさか三人で豚鬼を倒し切るなんて!」


 フランツは心からの賛辞を送った。近接戦闘が苦手な彼らが豚鬼に勝ったのは、間違いなく快挙だ。


「いや、バルトがすげえよ! 俺らに一発も掠らせなかったぜ!」


「私たちは躱すことも考えずにただボコボコにしただけです!」


「訓練の成果が出てよかったわい。クロス、どうじゃったかの?」


御膳上等ごぜんじょうとう、天晴れだ。敵の攻撃を抑えながら、動き回る仲間の位置を常に眼で追えていたな。マウリとパメラも訓練通り、見事な連携だった。フランツの戦いも見ていたが、相手との位置取りや間合いを考えて戦えていたな。全員見違えたぞ」


 み、見られてたのか……。でも、やっぱりあれで間違っていなかったんだ。この戦いで少しだけ、何かを掴めた気がする。


「さっさと解体しようぜ! こっから川まで遠いから、急がねえとな」


「そうだね。手分けして運ぼうか。クロス、ロープを出してくれる?」


 豚鬼の死骸に手をかけると、クロスは不思議そうな顔でこっちを見た。


「解体? 豚鬼こいつにも素材になる部分があるのか?」


「豚鬼は肉が売れるぞ。アンギラじゃあ人気の食材じゃ」


「………………食うのか、これを?」


 クロスはとても驚いた様子だ。

 あれ? でも────……


「何言ってるんですか。クロスさんがこの前屋台で食べてた串焼きが豚鬼のお肉ですよ? 美味しいって言って、おかわりまでしてたじゃないですか」


「────あれか。旨かったが……。食う前に、知りたかったな」


 いや、むしろ知らずに食べていたのか。


 クロスはたまに抜けた所があるというか、分からないことがあっても相談せず、一人で自己完結して行動するふしがある。


 先日も買ってきた服の着方が分からなかったらしく、ベルトを紐のように腰に結び、ゆるいズボンを両手で押さえた状態で朝食の場に登場した。『このおびは固くて巻き難いな』などと大真面目な顔で言うものだから、大いに笑わせてもらったものだ。


「いけませんよ、クロスさん! 好き嫌いはダメです! 今日の晩ご飯だってこの豚鬼を食べるんですからね!」


「好き嫌い……? いや、そうだな。お前の言う通りだ。ここは異国。そう、ここは異国だ。郷に入っては郷に従えだ」


 自分に言い聞かせるようにブツブツ言っているが、そこまで嫌なら食べなくてもいいと思うんだけど…………


 クロスいわく、ニホンでは牛馬の肉を食べること、つまり"肉食"自体に忌避感を持つ者が多いらしい。ファラス王国でも獣人族の一部に草食の者はいるが、国民全体が菜食主義とは驚きだ。

 彼自身は子供の頃から狩りをしていたので平気なのだそうだが、単純に、人型という点が気持ち悪いのだとか。自分たちにとっては子供の頃から親しみのある食材だけに、あまりピンとこない感覚だった。


 その後、何とか川辺まで死骸を運んで解体した。巨体の豚鬼でも肉になってしまえば持ち運びも楽なものだ。


「じゃあ、そろそろ乗り合い所に戻ろうか」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 馬車に揺られ、日も落ち始めた頃。ようやくアンギラの城壁が視界に入る。


「今回はそこそこの稼ぎになったんじゃねえか?」


「そうだね。討伐報酬に豚鬼の肉、薬草、犬鬼の毛皮。何より装備の損耗がないからね。金貨二、三枚にはなるんじゃないかな」


 フランツは頭の中で各種支払いなどの細かい計算を始めていた。パーティーの資金管理もリーダーの大切な仕事だ。家賃や食費のほか、もしもの時のために貯蓄も考える必要がある。冒険者は体が資本。誰かが怪我や病気になったとしても、治療費が出せないような事態は絶対に避けなければならない。


 そんなことを考えているうちにギルドに到着した。


「お疲れ様です、ディアナさん。依頼の達成処理をお願いします」


「おかえりなさい! あの、その前にちょっとお話が…………」


 ディアナはどうにも顔色が優れない様子だ。何か悪い話なのだろうか。


「どうしたんですか?」


「実は、ギルドマスターから皆さんが戻ったら部屋にお連れするように仰せつかっているんです。……何かしたんですか?」


 ────心当たり、あるなぁ…………

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