第18話 お侍さん、感心する

「行くぞっ!」


 怯えながらもこちらに駆けてくるフランツを見て、黒須の脳裏に去来きょらいしたのは幼き日の自分の姿。神妙にすべき立ち合いの最中だが、その初々ういういしくも果敢かかんな姿には、懐かしき修行の日々が想起されて仕方がなかった。


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 鼻の根を砕かれてボタボタと血を垂らしながら、七歳の元親は父に向かい合っていた。兄たちはすでに失神し、道場の端に転がされている。


「元親よ、何故打ち込まん」


 視線を落として震える息子を威圧するように父が問う。百戦錬磨の覇気に怯え、元親は父の眼をまともに見ることさえできなかった。


「……申し訳ございません。腕の及ばぬ未熟者ゆえ、足が前に出てくれ────」


いなッッ!!」


 突然の砲声に気圧けおされ、思わず一歩後ろに下がる。手に持つ木刀を取り落としそうになった。


「目的を履き違えるな」


 父はそう言って壁に飾られた掛け軸を指し示した。眼に飛び込んで来るのは"心・技・体"の三文字。


「申したはずだ。この鍛錬は腕でなく、心を鍛えるためのものだと。幼い貴様らに腕がないのは必然。技や体など成長と共に身に付ければよい。何より先に鍛えるべきは、その下地となる心胆だ。負けると分かっていても立ち向かう心構えこそ、武士たる者の第一歩だと心得よ」


 言われていることは理解しているつもりだった。先に叩きのめされた兄たちも、それを覚悟の上で飛びかかって行ったのだ。


「……………………」


 しかし、どうしても足がすくむ。鼻の奥に感じる痛みが、畳に落ちる鮮血の赤が。水に濡れた着物のように身体を重くして離してくれない。


「教えた筈だ。我らの背には護るべき者たちがいると。御家人どもは我らの背を見てはらを決めると。我らがおくせば兵は逃げる。兵が逃げれば民は死ぬ。なればこそ、武士たる者は一歩も後に引いてはならん。と願う者の前で、腰の引けた姿など死んでも見せてはならんのだ」


 自分を恥ずかしく思う気持ちと父の期待に応えたいという気持ちがごちゃ混ぜになり、元親の眼から涙が零れた。


「強くなれ、元親。我こそが武士の中の武士であると、胸を張れる漢になれ」


 声を出さずにはらはらと泣く元親に、父は厳しくも優しい声でそう言ってくれた。


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 あの時の黒須にとって、父との立ち合いは心底怖いものだった。どう打ち込んでも返り討ちに合う自分の姿が鮮明にまぶたに浮かび、前に立つだけで膝が震えて止まらない。それほどまでに、熟練者に打ち込むというのは勇気が必要になる行為なのだが…………


 "天稟てんぴんがある"


 それがフランツとの立ち合いを終えての率直な感想だった。幼い日の自分と比較するのは無礼かもしれないが、彼の心胆は賞賛に値する。


 英雄豪傑の闊歩かっぽする日本にあっても、剣を持った黒須の眼光を真っ直ぐに受け止められる者はまれだった。剣士では武士の威圧に耐えられず、怖気おじけて逃げ出すのが関の山。仮に圧に耐えたとしても、隙のない相手に斬り掛かることは並の神経でできるものではない。


 ところがフランツは、怯えながらも大胆な奇襲に打って出た。その顔には確かな恐怖が浮かんで見えたが、それを飲み込み向かって来たのだ。


 黒須の眼識では、彼我の間には筆舌に尽くし難い実戦経験の差があった。フランツは大振りを多用し、間合いを広く取りたがる癖のあることから、恐らく対人戦闘の経験はないに等しい。魔物とはそれなりに戦って来たと感じさせる動きを見せたが、それでも、自分に立ち向かうには相当の覚悟が必要だっただろう。


 我流剣法であるがゆえの粗は目立つものの、彼の胆力は一端の剣士足り得る。剣豪を詐称する三下剣客などよりもよほど見所があると、贔屓目ひいきめなしでそう感じた。


「────天晴あっぱれだ」


 フランツには聞こえぬよう、黒須はボソリと呟いた。



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「さて、では次だな」


 先ほどまで観戦していた三人に歩み寄る。次は誰が出るかと盛り上がっているが、今の戦いを見て臆していない彼らもまた有望だ。


「バルトはコイン投げが強いですねぇ。私、一回も勝ったことないです」


「でもよ、後衛なしでどうするつもりだ? お前、盾しか使えねぇじゃねえか」


「うむ……。鎧もない状態でまともに戦える気はせんが……。フランツが男を見せたんじゃ。儂が逃げ出すわけにゃあ、いかんわい」


 悲壮な顔で決意しているところ申し訳ないが、残念ながらマウリの言う通りだ。フランツとの立ち合いで盾も立派な武器として使えることは分かったものの、流石に、それだけでは勝負にならない。


「バルトは"壁役"なのだろう? ではマウリ、パメラ。お前たちも一緒で構わん」


「三対一、ですか?」


 パメラは目を丸くしているが、彼女に至ってはそもそも武器らしい武器を持っていないのに、どう戦うつもりだったのか。


「バルトは防御専門、お前たち二人は敵と単独で対峙するには向いていない。となれば、まとめてやるのが手っ取り早い」


「まぁ……。俺らじゃタイマンはキツいか」


「確かに、瞬殺されても訓練になりませんもんね」


「指示役のフランツが不在となれば、各々おのおのの連携が肝じゃの」


 双方納得のいった所で、開始位置まで距離を取る。マウリの弓の腕も見たいため、フランツの時よりもさらに離れることにした。


 しかし、木刀での試合じゃれあいなど久方ぶりだったが、なかなかどうしておもむきがある。生家の山道で通りがかりの兵法者を襲っていた時はまだ腰物こしものを許されておらず、渋々と自作の木刀を使っていた。木刀での立ち合いに慣れると、いざ刀を振る際に刃物を刃物として扱えなくなりそうな気がして嫌でたまらなかったものだが……。"琴心剣胆きんしんけんたん"、これはこれで面白い。


「準備はいいか?」


「おうッ! いつでも来んかい!!」


「フランツの仇討ちだ!」


「やりますよー!」


 立ち合いの直前にも拘わらず、その威勢のいい声に思わず笑みを浮かべそうになる。かつて黒須の前に立った者たちは、誰もが虚勢を張り、怯え、おののき、化け物でも見るような眼でこちらを見ていた。


 彼らの眼に今の自分がどう写っているのかは分からないが…………。黒鬼ではなく、友として写っていればいいなと、黒須はらしくないことを思いながら開始の合図を送った。

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