Lv9.ドグニチュード2



「おいちょっと、さっきから負けてるじゃないか。エタル」

「当たり前だろ。相手はD2だぞっ」


 防具屋では青い魔術士の衣という名で売られているマントを翻しながら町中を急いで走っている最中に、肩に乗っているシュレディが叫んできたのでエタルは適当に返事をする。

 先程の戦闘で弾き飛ばされた町と林の境界線上の道から砂煙に紛れて裏路地の脇道に入り込むと、急いでトロールが進みそうな町の中心部へと繋がる街道の途中へ先回りする迂回路を走っていた。


「さっきから何度も吹き飛ばされてるのに、よくケガ一つないよね。エタルは」

「ちゃんと受け身は取ってるからな」


 魔法陣の出力を使って受け身を取ることは可能だ。しかしそれでも緻密な魔力操作の為に必要な集中力は格段に消費する。


「タフだなぁ」

「これだけは得意だったんだ」


 懐かしい思い出を呼び起こしてしまったので、ぎこちなく笑う。

 一年前まで在籍していた学院でも、エタルは魔法操作の成績だけはよかった。と言っても全体的にみれば中の下ほどの技術でしかなかったのだが。

 それでも教師からは褒められ、エタルも喜んで自信をつけたものだった。


 しかし、今はそんなことを思い出している場合ではない。、

 照度を落とした光学魔法陣を纏って馬車程の速度で走っていたエタルはトロールが現在、居そうな中心点を想像して、先回り出来そうなほどの距離まで急いだ所にあった通りの角まで辿り着くと、その角の陰に小さく隠れて待ち伏せを計った。


「あのトロールってやつ、なんであんなに足が早いのに今はゆっくり歩いてるんだろ?」

「持久力が無いからだ」


 シュレディの素朴な疑問に、エタルは答える。

 トロールの脚力には目を見張るものがあるが、それは瞬発力に限ったものであり、持久力に関して云えばそれほど長続きするものではない。ただし人間の走行力と比べると当然、人間の持久力よりもトロールの瞬発力のほうが遥かに移動距離で上回っているために、トロールの持久力の無さを欠点とみる向きは皆無といってよかった。


「人間がトロールと戦うと、弱点が弱点じゃなくなるんだ」

「当たり前だろ。相手は自然災害だぞ」

「違うでしょ。ただの魔物だ」

「災害級の魔物だっ。オレたちは食われる側なんだよっ」


 エタルの余裕のない大声に、シュレディは言葉を返す事もせずにただ黙っている。

 その理由は地面にあった。シュレディが肩に乗るエタルの足元では地面が揺れている。揺れの大きさが次第に強くなってくるのは、あのトロールがここへ近づいてきている証拠だった。


「……エタル」

「恐がるなら、黙って震えてろ」


 錆びた剣鞘を構えて、建物の角からトロールが接近してくるのをひたすらに待つ。

 ここからは、タイミングが重要だった。エタルの各種属性魔法はまだ起動するのに問題は無い。しかし魔法出力の全てを発揮しても現在は攻撃を防御するだけで精一杯であり、こちらから攻撃して主導権を取る手段が完全に存在しなかった。


(防御しかできない。時間稼ぎしかできない。ヤツを引きつける要素が逃げるマトで終わっている)


 もちろん、それでよかった。

 相手はD2級であり、自然災害級の魔物である。それをランク外の順位戦者ランカーが打ち合いで拮抗しているこの状況だけでも奇跡と表現してよかった。


「攻撃を通せないのは苦しいね」

「……ああ、出口がない」


 防御ばかりでは出口がやってこない。いつまでも終わりのない敵からの攻撃をいなすだけの無限な戦闘に足を踏み入れる地獄の入り口となってしまう。いつまでこの戦いを続ければいいのか? 本当に救いの手はやってくるのか? もしやって来なかったら、エタルはこのままトロールと終わらない戦いを続けることになるのか?


 頬から伝う冷や汗が要らない不安感を煽り立てる。想像してはならない地獄がもうすぐ目の前までやってくる。ズシン、ズシンと近づいてくる悪魔の瞬間。

 待ち構えるエタルの手が震えてしゃがんでいる足も震えた。臆病風に吹かれている。

 それも一つのトロールの能力といえた。弱者の敵を嫌でも圧倒してくる理不尽な存在感。


(だったら、D3以上の各上の魔物にも同じことをやってみせろってんだッ)


 想像の中で、敵に向かって悪態をつきたくなる。その怒りだけで今のエタルは動いている。強者が弱者ばかりに振り下ろしてくる絶望的な理不尽。なぜその理不尽を今の自分エタルと同じように上の存在へと向けようとはしないのかっ?

 しかし、その理由が何でなのかも今のエタルにはよくわかっていた。


(弱者は常に、さらに弱い弱者へと自分の暴力を振り向ける……)


 それが一番楽だから……。一番楽だったから一番の最初の選択肢として真っ先に選んでしまうのだ。そして、自分が弱者になった時に不平と不満を吐き散らしながら強者の供物としてほふられる。

 いつの世も、それは同じだった。そしてエタルは、それが常にイヤだった。絶対にどうしても耐えられなかった。

 自分が弱者になった時に振り下ろされて欲しくないものは、自分が強者になった時でも絶対に振り下ろしたくはなかったから。

 今のエタルは強者ではない。強者ではないからこそ、あえて強者に向かって力を振るう。しかし、それには勇気がいる。その勇気を持っている者を、この世界では勇者と呼んだ。

 エタルは学校時代にその勇者の素質を最も備えていた人物のことを思い出した。今この時に、もしもその人物がこの場に居てくれさえすれば、こんな状況など簡単に覆す事ができるだろう。しかしそれはもはや永遠に叶うことのない望みだった。


 だからこそエタルは、自分の持っている剣の柄を強く握った。




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