大雪

増田朋美

大雪

寒い日であった。本当に寒い日であった。こんな寒い日は、部屋の中でのんびりしているのが一番良いとされているが、こんな日に限って、用事があってでなければならない。なんてことは結構あるものである。今日は、着物の腰紐がきれてしまい、カールさんがやっているリサイクル着物屋へ買いに行かなければならないのであった。

杉ちゃんと蘭が、予約していた介護タクシーに乗って、カールさんの店まで向かっている途中。空からちらりほらりと、白いものが降ってきた。

「わあ、雪だ。こんな時に限って降るんだよな。」

杉ちゃんがちょっと嫌そうに言った。

「周りの奴らは、雪が降って嬉しいねなんて言うのかもしれないけどさ。これでは電車は止まるし、道路は混雑するしで、何も嬉しくないね。」

杉ちゃんは続けた。

「まあ確かに、ロマンチックではあるけどね。」

蘭もあまり嬉しそうでない顔をして、そう答えたのであった。

「今日は雪が降ると、天気予報で言っていましたよ。若い人を乗せると、クリスマスに雪が降るなんて素敵ねえと言うんですが。」

運転手が申し訳無さそうに言った。雪が降ると言っても、結構な大雪で、いくらワイパーでフロントガラスを拭いても降ってくるほどであった。杉ちゃんが言った通り、道路は大渋滞になってしまった。二人が、ようやくカールさんの店へたどり着いたときは、予約した時間の30分以上過ぎてしまった。とりあえず店の前で下ろしてもらって、杉ちゃんが、コシチャイムのぶら下がっている店の入口のドアをガラッと開けると、

「だから、ヘチマ襟は、お年寄り向きのコートでして、若い人ようではございません。いくら大雪で寒いと言っても、ベルベットのコートは、襟の形で対象年齢が決まっていることは、覚えてもらわないと。」

と、カールさんがそう言っているのが聞こえてきた。

「ははは、また着物のことをちゃんと知らないお客が来たな。」

と、杉ちゃんがでかい声でそう言うと、それに気がついたカールさんが、

「全くだよ。このお客さんは、どうしてそんなにヘチマ襟にこだわるんだろうね。」

と、大きなため息を着いて、そう返した。蘭が一体どうしたんですかと聞くと、

「いやあねえ。こちらのお客さんが、ベルベットのコートがほしいと言うんだが、ヘチマ襟はお年寄り向きの襟だから、お若い方にはつかえないことを、いくら話してもわかってくれないんだよ。」

と、カールさんは言った。

「はあ。」

杉ちゃんは、そのお客さんを見た。確かにそこに居るのは、まだ20代前後の若い女性だ。女性はあまり着物のことを知らないと思われ、付下げの着物に、半幅帯を締めている。それも浴衣用のものだ。こんな大雪の日に、浴衣用の半幅帯では、ルール違反ということをいわれることも、十分にありえた。

「お前さんな。着物代官にいわれる前に教えてあげる。付下げに半幅帯をするなら、もっときらびやかな半幅帯をつけろ。浴衣用の半幅では、付下げに合わないし、季節的にも不向きだよ。」

杉ちゃんが、彼女にいうと、

「す、すみません。着物のことはちゃんとわかっていなかったものですから。」

と彼女は素直に応じるのだった。カールさんが、

「ではどうしてそんなにヘチマ襟にこだわるの?」

と、聞くと、

「ご、ごめんなさい。ただ、着物のコートと言うと、着物に近い襟でなければならないのかなと思っていて、その襟のデザインだけしか通用しないんじゃないかと思っていたんです。」

と、彼女は答えた。

「そうか。じゃあ、教えてあげる。着物のベルベットコートというのは、襟のデザインで、何歳くらいの人が対象者なのかわかるようになっている。若いやつは、四角い額縁みたいな道行衿とか、ちょっと四隅を丸くした都えりとか、学ランのような詰め襟を着ることになっている。逆に、着物に合わせたような道中着襟や、さっきのヘチマ襟は、お年寄りのためのデザインで、若い人が着るもんじゃないんだ。事実、ヘチマ襟だって、セーラー服から派生したお年寄りの襟だからな。別にお年寄りの格好をしても、法律違反では無いけどさ。でも、年寄の格好をして生意気だとか、そういうことはいわれるかもしれないね。それは、嫌だろう。だったら、若い人用のやつがちゃんとあるんだし、そっちを着よう。」

杉ちゃんがそう言うと、彼女はそうなんですか、わかりましたと言った。

「じゃあ、ベルベットのコートで道行衿のコートは、こちらです。赤いコートと、紺のコートとございますが、どういたしましょう?」

カールさんが売り台からコートを二枚出してきてくれた。こちらのコートは、ちゃんと四角い額縁のような道行衿になっている。

「ありがとうございます。それでは、こちらの赤を買ってもよろしいですか?」

流石は若い女性だ。派手な方を見せれば、派手な方へ目が行くんだと思う。

「はい、大丈夫ですよ。それでは、お値段は、2500円で大丈夫です。」

彼女がそう言うと、カールさんはすぐに答えた。

「ついでにさ、付下げに合うような帯も一本かって行ったらどう?流石に浴衣帯で付下げはまずいよ。もし、帯結びで困るんだったら、ここには作り帯もたくさん売っているよ。」

杉ちゃんはすぐそういう事を言った。蘭は、杉ちゃんすぐ他人のことに口を出すなと言ったけど、杉ちゃんの悪癖は止まることが無い。

「はいはい、作り帯ですね。若い人ですから、お太鼓より文庫のほうが良いでしょうね。文庫の作り帯ですと、おそらく袋帯から作ったものが入荷してます。これなどいかがですか?」

と、カールさんは、売り台から、作り帯を一つ出した。可愛らしい感じの、文庫結びの作り帯だった。文庫結びというのは、蝶結びのような結び方のことである。

「わあ、素敵な帯ですね。とても私が締めるのはもったいないくらい。」

と、彼女は言った。確かに作り帯は、金糸で大きな桐紋が刺繍してあって、非常に派手なものだった。

「若いんだからさ、この位の派手な帯を締めても良いんだよ。カールさん、これ、おいくら?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ、どうせ売れる見込みがないと思っていましたので、1000円で結構です。」

と、カールさんは言った。

「わかりました。ありがとうございます。じゃあ、その帯も一緒に買っていきます。」

彼女はとても嬉しそうにいった。そして、3500円をカールさんに渡した。

「ありがとうございます。こんなに親切にしていただけるとは、思ってもいませんでした。呉服屋さんというと、押しつけ商法とか、囲み商法とかされるからやめたほうが良いと思っていましたので。まさか、こんなに親切に、それに作り帯まで売ってくださるとは。」

「いやいや。作り帯で良いんだよ。そうしないと、着物は消滅しちまうよ。それよりも、着物をどれだけ楽しめるかが大事だからね。お前さんもさ、もう少し、着物の事を勉強してみると良いよね。着物は、付下げばかりじゃないから。それだけじゃないってわかったら、もっと楽しくなると思うよ。何かわからないことがあったら、このカールさんに聞いてもよし、僕達に聞いてもよしだ。そりゃ、道路なんかで、お直しするおばさんもいるかも知れないけどさ、まあ、そうなったらそうなったで、ほっとけばいいのよ。それよりも味方は他にも居るって事を忘れないで、着物を楽しめや。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。多分、杉ちゃんのような、笑い飛ばして着物の事を注意してくれる人がいてくれれば、もう少し、着物を着てもはばかられることは無いはずだ。蘭は、そういう杉ちゃんに、全くと思いながら、会話を聞いていた。

「じゃあ、こちら領収書になります。作り帯の付け方はわかりますよね?」

カールさんが確認すると、

「はい大丈夫です。それはちゃんと知っています。」

と彼女は答えた。

「本当に、今日は皆さん、教えていただいてありがとうございました。着物のことが楽しくわかって、とても嬉しかったです。また来てしまうかもしれませんが、そのときはよろしくおねがいします。」

そう言って商品を受け取り、頭を下げて帰っていく彼女に、杉ちゃんたちは、大雪だから、気をつけて帰れといって、彼女を見送った。杉ちゃんたちもその日は、腰紐を買って帰っていったのであるが、帰り道も、大変な大雪で、また道路がすごい渋滞に巻き込まれてしまった。そんなときでも口笛を吹いて、のんきにしていられるのが杉ちゃんだった。蘭は、全くのんきだなと杉ちゃんに言ったが、返答はなかった。

二人が、カールさんの店に行った日から、数日がたった。しばらくはれの日が続いたけれど、まだまだ冬は続くものだ。またその日も雪が降ってきて、また道路が混雑するような大雪になった。そういう日は、蘭のもとへやってくる客は少ないが、その日はなぜか、お客が一人来ることになっていた。予約していた時間よりも、15分近く早い時間にその客は到着した。なんでも大雪で、バスがすごい渋滞に巻き込まれてしまうような、状態なので、何時のバスで来たのかわからないという。それほどの大雪であるということだ。そんなときに、肌を見せてそこへ刺青をしてくれと言うのだから、よほどわけのある人なんだろう。

「今日はどうしましたか?」

と、蘭は、できるだけ普段と変わらないように言ってみた。

「確か、予約票によりますと、腕にバラを彫るようにと承りましたが?」

「はい、実は、交通事故に会いまして、そのときに、腕に大きな傷跡をつけてしまいました。美容整形に行くこともできないから、それなら、入れ墨をして、それを目立たなくさせることはできませんでしょうか?」

と、彼女は自分の腕を見せた。確かに肩の部分に植皮をした跡があった。具体的に言えば、フランケンシュタインの怪物のようなイメージだ。誰か他人の皮膚をもらったんだろう。そこだけ、周りの皮膚と、色が違う皮膚になっているから。こればかりは、現代の医学でもどうにもできないものだった。

「わかりました。じゃあ、そこにバラの刺青をして、目立たなくさせましょう。」

蘭がそう言うと、

「ありがとうございます!本当にありがとうございます!あたしの長年の夢がやっと叶いました!」

と彼女は言うのだった。

「長年の夢?」

と蘭が聞くと、

「はい。だって、周りの人からは、いじめられて、バカにされてばかりで、なんとか消すことはできないかずっと考えていたんです。家族に言えば、皮膚をくれた父に申し訳ないじゃないかっていわれるし。」

と、彼女は答えた。なんとも、曲がったところのある女性だと蘭は思った。きっと、そういうふうにしか感じることができなかった女性なのだろう。それは、家庭環境とか、そういうものが左右するから、仕方ないことなんだけど、でも蘭はできるだけ曲がらないで生きてほしいなと思うのだった。

「父は、何も言いませんけど、あたしは、この体さえなかったらってずっと思いました。それのせいで、何回大損をしたと思っているんでしょうか。それくらい、数多く馬鹿にされましたよ。先生、お願いします。早くこれを目立たなくしてください。」

そういう彼女に、お父さんは随分辛い思いをしているのだろうなと蘭は思った。本当は、皮膚を提供してくれたお父さんに感謝して、素直に喜べばいいじゃないかと思うのだが、彼女はそれはできないのだろう。

「そういえば、庵主さまが、事実は事実であってただあるだけだと言ってたよな。」

蘭はそれを思い出した。確か観音講へ参加した時、安寿様はそう言っていた。それは、蘭にはピンとこなかったけど、そういうことなんだと思った。それはある意味じれったくて、ちょっと悲しいことでもあるなと思った。でも蘭は、そう思うしか無いなと思いながら、

「じゃあまず下絵を描きましょう。それでは、どんなバラが良いか、仰ってください。刺青は一生残りますから、失敗はできません。それを覚悟で望んでくださいね。」

と、言った。

「わかりました。赤いバラが良いです。バラが好きな花なので。」

と彼女は言った。蘭は目の前に居る女性の顔を眺めながら、赤いバラとメモ帳に書いた。外はまだ、大雪が降っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大雪 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る