13年前のベツレヘムの星

韮沢瀬名さんが園児だった頃の話です。

――――――――――――――――――――




 こうして、呪いを解かれたお姫様は、王子様と結ばれて、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました。


 おゆうぎ会の劇は終わり、一斉に拍手が広がる。

 こちらにカメラを向けている、大人たち。


 わたしは、観客席に向かってお辞儀をしてから、壇上から離れた。




 ▶ ▶




「瀬名ちゃんのお姫様、とっても上手だったわ。すごかったね~」

 幼稚園の先生が、笑いかけてくれる。


 おゆうぎ会は無事に終わり、園児たちは自らの親のもとに駆け寄っていく。


 おゆうぎの感想を楽しそうに話し合う、たくさんの親子。

 あそこは上手だったとか、あそこは間違えていたとか、我が子の成長に感慨を抱いたり、録画映像を見返したり。


 その会話の内容が、不随意に耳に入ってくる。


「ぱぱ! まま! 劇、ちゃんとみてくれた?」

「ああ、もちろんだよ。動画にも撮ってあるから、後で見ような」


「ふーちゃん、とってもかわいかったわよ。お姫様の役じゃなかったけど、パパとママにとっては、ふーちゃんがお姫様だからね」

「えへへー」


 人ごみをすり抜けて、わたしは園の出入り口に向かう。


 そこには、見慣れた白い車が停まっていた。

 お手伝いさんの送迎だ。


 わたしが近づくと後部座席のドアが開いたので、すぐに乗り込む。


「時間が押していますが、ピアノのお稽古に向かいます。その後は――」

 今日の予定を話しながら、運転手は自動車のエンジンをかける。


 わたしは、鞄から楽譜を取り出す。今度のコンクールで弾く予定の曲。

 白い紙と五線譜の上には、大量の書き込みやメモがあった。


 ……おゆうぎ会、お父さんとお母さんに見てもらいたかったな。


 わたし、お姫様の役を――主役をやったんです。

 いっぱい練習して、頑張って、幼稚園の先生にも褒めてもらえたんです。


 でも、お父さんとお母さんは忙しいから。

 そんなわがままを言ってはいけない。


 あの空間で、お姫様を見ていたのはごくわずかな人間だけだっただろう。大多数の観客は、自らの子どもを見ることに忙しかったから。


 車は、ピアノ教室を目指して走り出した。




 ▶ ▶




「瀬名ちゃん、今日もすごく頑張ってたわね。疲れたでしょうから、これでも食べて」


 ピアノのレッスンが終わると、先生はいつも飴をくれる。

 今日はソーダ味だった。


 これが、ひそかな楽しみだった。

 甘いものを食べる機会はあまりないから、こういうときくらいしか食べられない。


 お菓子はすごい。

 口の中に入れると、瞬く間に幸せが広がる。


 すぐに食べずに、大事に取っておこう。つらいことがあったら、そのときに食べるんだ。暗い気持ちも、すぐにどこかに飛んでいくはず。


 わたしは、飴を丁寧に胸ポケットに仕舞い込んだ。


 その後英会話の習い事を終えたわたしは、帰宅する。

 お父さんとお母さんは、もう家にいた。


「――――」


 彼らは、今日発表された英語スピーチコンクールの結果について話し始める。


 年中さんから小学二年生までが参加できる部門で、わたしは最年少だった。誕生日が三月下旬だから、本当に全参加者の中で一番年齢が低かったかもしれない。


 そして、最終審査で入賞を逃してしまった。


 当然、お父さんとお母さんは強く叱責してきた。

 なぜ入賞できなかったのか、何がいけなかったのか、どこで間違えたのか。


「……ごめんなさい」


 もっと気を引き締めろ、練習しろ、努力しろ。

 尖った言葉の数々に、わたしは諾々とうなずく。


「はい」

 その返事の仕方は、お父さんとお母さんが教えてくれたものだった。


 どんな声量が正しいのか、どれくらい声を張るのが正しいのか、どんな声色が正しいのか、言うときの視線も表情も姿勢も、全部教えてくれた。


 だから、わたしはその通りにする。

 そうすれば怒られずに済むから。


 彼らの糾弾はさらに勢いを増す。


 わたしは、教えられた通りの返事を続ける。

 どんなことでも頷いて、お父さんとお母さんの言うことを全部聞くのが、いい子だから。


 そういえば今日はおゆうぎ会だったらしいな、とお父さんが言う。


 知っていたんだ……と、わたしは少しうれしくなった。お父さんとお母さんが、わたしについて気にかけてくれるだけで、うれしかった。


 しかし、お父さんの次の言葉は、「おゆうぎ会なんかやっている暇があったら、なんでもっと練習しないんだ」だった。


 そうだ、彼らが望んでいるのは、わたしがお姫様の役をやり遂げることではない。

 一番になることで、最優秀賞を取ることで、輝かしいトロフィーを手に入れることだった。


「ご、ごめんなさい……」


 頭を下げた拍子に、胸ポケットから飴が転がり落ちた。さわやかな空色の包装紙に包まれた、飴玉。


「あ――」


 お父さんが、それを見逃すはずがなかった。

 空色の飴玉は、取り上げられる。


 どこでこんなもの手に入れたんだ。

 そんな時間があるのか。

 そんなものにかまけているから、賞が取れないんだ。


 これからは、お菓子を食べてはいけない。

 それが、わたしに下された判決だった。


「……はい」

 わたしは、教えられた通りに返事をした。




 ⏩ ⏩




 だんだん冷え込んできて、街はクリスマス一色になる。


 赤い三角の帽子や赤い服に身を包んだおじいさんのイラストをよく見るようになって、緑のもみの木や、プレゼントボックスのアイコンが至るところに散りばめられる。


 クリスマスケーキ、ブッシュドノエル、シュトーレン……どんな味なんだろう。

 想像してみるけど、食べたことがないからあまり上手く思い浮かばなかった。


 そもそも、お菓子を食べてはいけないのだった。


 お父さんとお母さんの言うことは、全部聞かないと。

 そうしないと、喜んでもらえない。


 クリスマスが近づいてきて、幼稚園もすっかり浮かれ気分になっていた。

 至るところにクリスマスの飾り付けがされている。


 わたしはコンクールが近いから、幼稚園のクリスマス会には参加しないことになった。


 園児たちがはしゃいでいる。

「サンタさんにお手紙を書くんだ」


 そういえば、サンタさんには欲しいものをお手紙で伝えるらしい。

 そうすればクリスマスにプレゼントを持ってきてくれるというのだ。


 ……サンタさん。


 十二月二十四日の夜、子どもたちが寝静まった後に、プレゼントを届けて回るというおじいさん。


 今までわたしのところに来てくれたことは一度もなかったけど、きっとお手紙を書かなかったからだ。


 その日の夜、わたしは便箋を用意した。

 家にあったのは真っ白な便箋だけだった。封筒も、縦長で無地で、四角四面なデザイン。


 少し素っ気ないかなと思ったものの、サンタさんは手紙を選り好みするような人ではないだろう。


 筆を執って、便箋の上に走らせる。




サンタさんへ


 クリスマスプレゼントは、ピアノのくつがほしいです。

 わたしは、だいをつかってもピアノのペダルがふみにくいです。コンクールのときのくつは、もっとふみにくいです。

 せんせいに、ペダルようのくつがあるとききました。そのくつなら、きっとピアノがうまくひけます。

 わたしは、ピアノのコンクールでいちばんになりたいです。おとうさんとおかあさんによろこんでもらいたいです。

 でも、いっぱいれんしゅうしてもいちばんになれないです。おとうさんとおかあさんはいつもおこります。

 だから、ピアノのくつがほしいです。ピアノがうまくなりたいです。おとうさんとおかあさんによろこんでほしいです。


         にらさわせなより




 わたしは筆を置いて、丁寧に紙を折り畳む。角がずれないように、慎重に。

 三つ折りの便箋は、すっぽりと縦長の封筒に収まった。


 お手紙を書いたはいいけど、一体どこに送ればいいんだろう?

 サンタさんの郵便番号も住所も分からない。


 翌日、わたしは幼稚園でほかの子に尋ねてみる。


「サンタさんへのお手紙は、ママとパパにあげるんだよ」


 なるほど、そういうものなのか。

 大人は、サンタさんの郵便番号や住所を知っているということなのだろうか。


 でも、お父さんとお母さんに渡すなんて……。


 わたしは悩んだ末に、家のお手伝いさんに渡すことにした。


「あ、あの、お手伝いさん」

「なんですか?」


「これ、その……サンタさんへのお手紙です。えっと、サンタさんに渡してもらいたくて……」


「ああ……はい」

 お手伝いさんは面倒そうな顔をして受け取った。


 これで、サンタさんにお手紙が届くはずだ。




 ▶ ▶




 クリスマスイヴの夜。

 寝る前に、自分の部屋の窓際に靴下をつるす。


 クリスマス用の大きなものはなかったから、わたしが普段履いている小さくて白い靴下しか選択肢はなかった。


 これでは、ペダルシューズは入らない気がする。

 それでも比較的大きいものを選んだ。


 サンタさん。

 クリスマスプレゼント。


 お父さんとお母さんが喜ぶ顔を想像して、少しわくわくする。


 別に、ペダルシューズがあればコンクールで一番になれるわけでもないけど。

 少しは近づけるはずだ。




 ▶ ▶




 そわそわして上手く寝付けなかったけど、気づいたら朝はやってくる。

 わたしは飛び起きて、窓に近づく。


 靴下は平べったいままつるされており、とても中に何か入っているようには見えない。


 それでも一縷の望みをかけて、中を覗き込む。

 やはり空っぽだった。


「――――」


 靴下に入らなかったから、ほかの場所に置いたのかな……。


 部屋の中の至るところを探してみても、クリスマスプレゼントはなかった。


 どうしよう。

 何か間違えてしまったのだろうか。


 手紙の文面?

 便箋? 封筒?

 手紙の渡し方?


 ぐるぐると、頭の中を色々なことが駆け巡る。

 多くの可能性と――後悔が。


 しかしその思索は最終地点に到達する。

 指先が震える。


 サンタさんは、いい子のところにしかやってこないから。


 だから、わたしのもとには一度も訪れないのだ。


 答えは、はっきりしていた。

 最初から、何をどうしようが結果は決まっていたのだ。


 きっとお父さんとお母さんなら、「こんなことにかまけているから」などと言い出すことだろう。


 これから先、サンタさんがわたしのところに来てくれることは一度もないのだと、そう思えてならなかった。


 いい子ではないわたしは、絶えず努力をしなければいけないのに。


 ……こんなことにかかずらっている時間はない。

 次のピアノコンクールに向けて、練習をしないと。


 わたしは、部屋を出た。

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