ベツレヘムの星

時系列的には、一周目の韮沢瀬名さんが高校二年生だったときの冬の話です(本編開始の半年前)。


――――――――――――――――――――――――



 吐き出した息が、白い色を持って空へと昇っていく。そして、それとすれ違うように、雪が降ってきた。


 街は至るところがクリスマス模様となっており、並木通りの木々は数十万もの電飾を巻きつけられて眩いばかりにきらめいている。


 この盛大なイルミネーションは、地元では有名なイベントになっていて、観光客も全国から集うらしい。


 いつも通る道は、浮かれた人々に埋め尽くされていた。その大半がカップル。手をつないだり、さらには腕に抱き着いたり。


 十二月二十四日の繁華街は、なんとも賑々しい有様だった。


 先輩はまだ来ない。

 今日は大学があるから、終わり次第待ち合わせ場所――ここに来るという。


 別に同じ家に住んでいるのだからわざわざ待ち合わせする必要はないけど、先輩が「この方がデートっぽいから」と言うから、仕方なくこうして待っている。


 別にデートじゃないのに。ただ、お互いにあげるクリスマスプレゼントを一緒に選ぶだけだ。ついでに、外食するだけ。


 ライトグレーのダッフルコートに、ダークレッドのスカート。寒いから、黒いタイツも履いている。どこかおかしいところはないだろうか。先輩がデートだなんて言うから、気になってしまう。


 振るわれた粉砂糖のように、厚ぼったい雪がきりなく舞い降りてくる。こんな天気でも、ホワイトクリスマスという言葉でラッピングしてしまえば素敵なものになるのだと思うと、なんだか笑ってしまう。


「瀬名」

 雑踏の中でも、聞き逃すはずがない声。


 見ると、先輩が軽く右手を上げてこちらに歩いてきていた。

「ごめん、演習が長引いちゃって」


「いえ、それほど待っていませんから」

 彼は、ぽんぽんとわたしの頭を撫でた。

「な、なんですか?」

 そう訊くと、彼は笑顔を見せる。


「雪が積もってたから」

 待たせてごめんな、と言いながら、先輩はわたしの手を握る。手袋を着けていないから、直接指先が触れる。


 ……わたしも。

 これから、傍から見ればこのカップルの群れの一部になるのだろうか。




 � �




 アーケード街に入ると、ひとまずは雪から逃れることができる。


 先輩について歩くと、洗練された白い内装の雑貨屋に、彼はふらりと入った。


 舶来の洒落た商品が並んだ店内。

 アクセサリーから、はたまた家具まで、種類は多様だ。


 横に立つ人は、白くてもこもこしたベレー帽を手に取った。

「これとか、瀬名に似合うんじゃないか?」


「……わたしが被るには、デザインがちょっとかわいらしすぎませんか?」

「かわいい瀬名にぴったりじゃないか」


「…………」

 この人はどうして臆面もなくそんなことが言えるのだろう。わからなかった。


 彼は有無を言わさず、わたしに被せる。

「ぴったりだよ。瀬名は綺麗な黒髪だから、余計に。白い花の髪飾りとも合うし」


 卓上の鏡を見てみる。

 ……やっぱり、かわいらしすぎるというか。わたしが被ると、子どもみたいだ。こんなの……恥ずかしい。


「あはは」

 先輩は邪気もなく笑っていた。なんだかからかわれているような気がする。


 結局、ベレー帽を買うことにしたようだ。今後被らなければいけないと思うと、少し気が重い。


 彼に贈るプレゼントを探して、わたしも店内を見回す。

 気に入った様子のものがあるなら、それが一番手っ取り早いけど。


 先輩は、アンティークなデザインのシェードランプを手に取る。

「おっ、このランプいいな。枕元の明かりにぴったりじゃないか?」


「もう、先輩ったら。そんなの買ったら、家が余計にぎゅうぎゅうになってしまいますよ? ただでさえ先輩がいつも古い本を買ってくるから、置き場所に困っているのに」


 片付けの基本は物を減らすことなのに、先輩と暮らすとなかなかそれができない。


「もう少し広いところに引っ越そうか? 1Kはさすがに窮屈だろ? シングルベッドしか置けないし」

「あ……いえ、引っ越すのも手間ですし……」

「あはは、そうか」


 その後も、様々な店に立ち寄っていく。


 次に入った店は、最初のところよりもっとシックな感じだ。

 木目の棚に、財布が並んでいる。


「そういえば先輩、最近財布がほつれてきていませんか? そろそろ新調しましょうよ」

「ああ、よく気付いたな」

「わかりますよ、それくらい」

 

 先輩の普段の恰好に合いそうなデザインの、三つ折りの財布を選ぶ。

 レジでギフト包装してもらって、プレゼントらしくなった。


「そろそろ予約の時間だから、夕食に行こうか」

「はい」


「今日行くところは、ケーキがすごくおいしいらしいんだ」

「…………」

 そんな気の遣い方、しなくてもいいのに……。




 � �




 案内されたのは、こぢんまりとしているが感じのよいレストランだ。


 もっとおめかししてきた方がよかったかと思ったが、高校生が入れるだけあって、そこまで堅苦しい場所ではないらしい。


「予約していた鴇野ですが」

 先輩がそう告げると、お店の奥に案内される。


 二人がけの丸いテーブルには、白いクロスがかけられていた。

 向かい合って先輩と座ると、ウェイターがシャンパン――のようなシャンメリーをグラスに注いでいく。


 ローストチキンやミネストローネ、リースサラダなど、クリスマスらしいメニューが次々と運ばれてくる。どれもすごくおいしくて、満足感があった。


「先輩、おいしいですね」

「ああ」

 先輩とお話しながら食べるごはん。


 だいぶ満腹感を覚えてきたが、まだメインディッシュが残されていた。


 いよいよ運ばれてきたのは、大きなブッシュドノエル。


 丸太を模したロールケーキの上には、粉砂糖が振るわれてあり、雪だるまに似せられたマシュマロや、砂糖で作られたサンタさんが載っている。クリスマスに食されるという特別なケーキだ。


「全部食べていいよ」

「こ、こんなのひとりじゃ食べきれませんよ……!」


 先輩は笑みを浮かべる。

「好きなだけ食べてくれよ」

 会話がかみ合ってないような気がしたが、それよりも問題は目の前のケーキだ。


 ふわふわのスポンジにココアクリーム。添えられた苺の酸味が、いいアクセントになっている。


「わたし、幸せです……」

 あんまりがっつくのもはしたないし、もったいないから、一口一口味わって食べる。そして、一口ごとに広がる幸福。


 気づいたら、ケーキは全てなくなっていた。




 � �




 帰宅の道中、白雪が降り積もるイルミネーションの並木通を通る。


 こんなに楽しいクリスマスイブは初めてだ。

 ひょっとしたらわたしのこれからの人生、これ以上はないかもしれない。今が最上で、あとは下っていくばかりかもしれない。


 ふと横を見上げると、先輩はこちらの視線に気づいて笑みをこぼす。


「…………」

 自分がそれに釣られて笑っていることに気づいたのは、少し後のことだった。




 � �




 家に帰っても、どこか浮足立った感覚は残っていた。


 先輩は、どこから用意したのか、大きな一対の靴下をつるしている。

「こっちが俺の分で、こっちが瀬名の分な」


「別に、わたしはいりません。サンタさんなんて来ませんし」

「こらこら、そんなこと言ったら本当にサンタさんが来なくなるぞ」

 全く……先輩はこう見えて結構子どもっぽいところがある。


「瀬名」

 先輩の方を向いた瞬間。

 唇同士が触れる。呼吸が奪われる。


「――――」

 わたしは先輩のシャツをぎゅっと掴んだ。


 顔を離す。苦しかった呼吸が解放されて、わたしは荒れた息を整えた。


「……もう、先輩ったら」

 こうして、クリスマスイヴは終わりを迎えた。




 � �




 目が覚めると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。

 先輩は既に起きている。


 いつもより眠りが深かったらしい。気づいたら眠りに就いていて、日課の先輩の携帯電話チェックもできなかった。まぁ、別に構わないか。昨日はずっと先輩と一緒にいたのだし。


「うん?」

 見ると、つるされていた大きな靴下が、さらに膨らんでいた。試しに触れてみると、何かが入っている感触。


 サンタさんが、こんなところにまで……?


 靴下の中には、ステロタイプなクリスマスプレゼントが入っていた。赤い袋に、金色のリボン。


 包装を外していく。

 中から出てきたのは、白くてふわふわしたマフラーだった。「Happy Christmas!」と書かれたカードが添えられている。


 試しに巻いてみると、先輩は目を細めた。

「すっごくかわいいよ」


「…………」

 マフラーを巻いただけで、かわいいも何もないだろうに……。


「でも、どうして今年はサンタさんが来てくれたんでしょう?」


「きっと瀬名が今年一年いっぱい頑張ったからだよ」

 そう言いながら先輩はわたしの頭を撫でる。

「もう、先輩ったら……」


 大きな靴下は、ふたつあった。

「先輩はサンタさんから何をもらったんですか?」

「え? ああ、クッキーだよ。後で一緒に食べような」


「クッキー……何クッキーですか?」

「あはは、アソートだよ。瀬名が好きなの選んでいいから」


 きっと、サンタさんは先輩へのプレゼントを持ってくるついでに、わたしへのプレゼントも用意したのだろう。


 もらったクッキーを一口かじる。

 クリスピーな食感と、甘い味が広がった。


 これがクリスマスの味か、と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る