25 常夜のリップ・ヴァン・ウィンクル
気づけば、上を見ても下を見ても横を見ても、黒色が広がっている空間にいた。
ここには見覚えがある。
世界の狭間だ。
当然のように、黒色のアンティークな椅子に腰掛けた少女が、ひとりいた。
長い髪を二つ結びにした、見覚えのある顔。というか、さっきまで目の前にいた存在。神庭みたき。
その髪も、桃色と緑色のグラデーションになっている。場所が暗いからか、彩度が低く見えるが。
狭間にいる神庭みたきは、二周目みたきとは別の存在だ。だが、根っこの魂は同様のものを共有している。
烙印が魂に根ざしたものである以上、並行世界全ての彼女の髪色が変わるのは道理だ。
「ずっと見ていたわ、孝太郎くん」
俺の横に、無から生み出された椅子が現れる。みたきの椅子と同じデザインで、ちょうど彼女と向かい合うように置かれている。
座れ、ということらしい。
「自分に足を引っ張られるというのは、なかなか乙なものがあったわ。私自身は現実の世界に介入できないのに、
自分が介入できないところで、勝手に自分の運命が決められるというのは、さぞや口惜しいことだろう。
二周目のみたきは、並行世界の数多の自分諸共巻き込んで自殺したようなものだ。そういうのも彼女の嗜好に合致していそうだが。
「……それで、どうして俺はまたこの場所にやってきたんだ?」
「以前あなたが狭間に来たとき、私はどういうふうに説明したんだったかしら?」
確か、一連の事件と時間移動で世界が不安定になった結果、狭間と繋がった、ということだった覚えがある。
今回も、遊園地の敷地全ての空間停止に、ラネットやら時間移動やら、世界を不安定にさせる要素が多分にあった。
だからまたここに来ることになったのだろう。
「でも、直前の世界は空がひび割れてたし色々降って来てたし、明らかにまともじゃなかったよな?」
「ああ、それは――単純に空間停止を解除しただけよ。目的が達せられた以上、だらだらと続けても意味はないし。最後の嫌がらせとして空間丸ごと消し去ってもよかったんだけど、孝太郎くんに敬意を表してやめておいたわ」
「…………」
またろくでもないことをしようとしていたのか……。
「だけど、さっき私じゃない私が説明したように、あなたという時間移動者は世界の淘汰から逃れられないわ。元の世界に戻ることは、身投げと同義ね」
「じゃあ、俺はどうすればいいんだ? ここでずっとお前と暮らすのか?」
「ふふふ、そうよ。ふたりきりで永遠に仲良く暮らすの」
――私はあなたを愛しているから、あなたには最後に破滅をプレゼントしてあげる。
二周目みたきの言葉。
彼女は元より、自身の破滅の先に俺の破滅が待ち受けていることも、織り込み済みだったのだ。
みたきの死が俺の死を意味することも知らずに、みたきに対抗しようとした俺を眺めるのは、とても愉快だっただろう。
「でも、こんな事実を知ってもなお、あなたは絶望から程遠い――でしょう?」
「まぁ、そうだな」
俺は一周目のみたきと同じように、行方不明者として処理されるはずだ。
……そうなったら、瀬名がどうなるのか少し気がかりだった。
「私ね、あなたを絶望させたかったの。あなたを
「もしかして、一周目でやったことも全部、それが目的だったのか?」
「そうよ」
一切悪びれることなく、みたきはうなずく。
まだ記憶に焼き付いている、一周目での出来事の数々。
瀬名にちょっかいを出して、あんな手に負えない殺人鬼にしたのは、とどのつまり俺にとびっきりの絶望をプレゼントしたかったのだ。
幼馴染が実はカルト集団の先導者で、悪趣味な虐殺をプロデュースしているという事実すら、演出のひとつに過ぎない。
そのために世界の狭間に身を投じるなんて、正気の沙汰ではないが。
「あなたを絶望させるために、私はこれまで色々な世界を渡り歩いて来たわ。恐らく想像を遥かに上回るほどに。でもね、成就しなかった。何にも執着しない人間は、何を失っても痛くもかゆくもないもの」
みたきは俺のことを買い被りすぎだと思う。ふつうに執着するし、絶望だってするのに。
「白水絵空……という名前は知っているでしょう?」
なんでそれを――と尋ねかけたが。相手は、過去と未来を自由に行き来できる人間だ。そんな昔のことまで掴んでいたのは、予想外だったものの。
「明らかにあなたの人格形成に一番影響を与えてる人間だから、あなたが彼女に出会わなかったらどうなるか、試してみたの。でも、ダメだった。だって、あなたは手術を乗り越えられずに死んでしまったから。もちろんやり直したわ」
実験感覚で他人の生涯を振り回すのはやめてほしいんだが。いくら時間移動でやり直せるからって、その並行世界では俺が死んでいることに変わりない。
「何も持っていない人間は、一度与えてから奪うのが絶望させる秘訣なの。そういう意味では、あなたが言うところの『一周目』は最上の成果を出したわ。まさかあなたが、自分の人生を滅茶苦茶にした大量殺人鬼に失望しないほどに異常者だったとは思わなかったけどね」
「別に、一周目の瀬名を許容したわけじゃないよ」
あそこまで行き着いてしまったら、殺して止めるしかない。
「ねえ、私のことが嫌い?」
「嫌われたいのか?」
「いいえ、そんなわけないじゃない」
「だったら嫌いじゃないよ」
意味のないやり取りだ。
「であれば――あなたにとって、一番されたくない嫌なことって何?」
それは、いつかどこかで聞いた言葉だった。
「……言ったらやるんだろ? それを」
「ええ」
「そうだな……俺が一番嫌なのは、大好きな幼馴染が未来永劫顔を見せないことかな」
「なるほど、それは確かに最悪ね」
みたきは楽しそうに笑う。この冗談が受けたようで何よりだ。
「ねえ、孝太郎くん。ここから出て、元の世界に戻りたい?」
「ああ。でも、戻ったら俺は淘汰されるんだろ?」
「私が、時間移動しても世界に消されない『おまじない』を付与できると言ったら?」
「……何のつもりだ?」
みたきなら、実際にできてしまいそうだから余計に性質が悪い。
「嫌ね。私はとっても優しい彼女なんだから。乗り気じゃない人を無理やり永遠に縛り付けるような真似、するはずないでしょう? そんなことをする人は頭がおかしいんだわ」
目の前の人間が、「とっても優しい彼女」だった瞬間なんて一秒たりとも存在しないが。
「孝太郎くんがずっとここにいても、よくも悪くもこれ以上の発展性はないし。それに、私の信者曰く、生きるということは、今にでも逃げ出したいほど辛く苦しい拷問らしいから」
「生きなければ価値も残せないけどな」
生きることが拷問、か。
どうせ彼女はろくでもないことを考えているのだろうが、元の世界に戻してくれると言うのなら、乗らない手はない。
「帰してくれるのなら、帰してほしいけど」
「いいわよ。帰してあげる」
腐れ縁の幼馴染は、こげ茶色のストッキングに包まれた脚を組み変える。
「その代わり――
黒い世界の中でも、その紅の瞳は怪異のような光を湛えていた。
「この髪色、型無しだとは思わない? そもそも、幸福に終わらせられたのに、その後も永遠に続いていかねばならないのは拷問に近いわ」
世界の狭間では、彼女は息絶えることなく永遠に存在し続けるという。世界を眺め続けることはできるが、何も干渉できないし、苦痛だろう。
「お前は別に、永遠の終身刑を受けてもいいと思うけどな」
そう言うと、みたきはくすくすと笑う。
「
殺せということか……随分簡単に言ってくれる。
「孝太郎くんの好きなやり方でいいわよ?」
「……はぁ、仕方ないな」
俺がうなずいたのを見て、みたきは立ち上がる。
そして、キスしてきた。
「――――」
「はい、これで『おまじない』を掛けたわ。ついでに、元の世界に戻れるようにも」
「キスする必要はあったのか?」
「ないわよ」
「…………」
だから、もう恋人じゃないっていうのに……。
みたきはこういうとき、約束を反故にするような人間ではない。そして、俺も約束を破る人間じゃない。
彼女の首に手を掛けた。
こうして、全ては終わった。
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