24 狂者は未来を語る
手下を失ったみたきは、目を眇める。
「彼、もう飽きたわ。あなたもそう思うでしょう?」
その言葉に嫌な予感がして振り返ると、笠沙さんの全身が真っ黒に染まり、微動だにしていない。
ラネットではなく空間停止のようだが、何にせよ動きを封じられてしまった。
俺の武器――警棒型スタンガンは、さっき消えてなくなった。
笠沙さんを救うためとはいえ、これは手痛い。
ポケットに入っていたもうひとつの武器、ふつうのスタンガンを手に取る。
これは、触れるほどの距離に接近しなければ攻撃できないため、対ラネット武器としては分が悪い。
「その道具も食傷気味よ」
みたきの声と同時に、俺が持っていたスタンガンが、一瞬で灰になって消える。彼女は手を動かさず、離れた場所でベンチに腰掛けたままなのに。
触れたものを消せるというラネットの大原則すら、みたきには通用しないのだ。
見渡す限り、ほかに動いている人間はいない。
俺と彼女のふたりきりというわけだ。
突然。
みたきが俺のすぐ横にいた。
「な……っ」
思わずぎょっとする。肩が触れそうなほど間近に、いきなり人間が現れたのだから。
「何をしたんだ?」
つまらなさそうに、幼馴染は話す。
「手品以下の代物よ。ただ、孝太郎くんの時間を止めただけだもの」
次の瞬間、またみたきはベンチに戻っていた。
……時間を止められたことすら自覚できない。その間に彼女に触れられていたら、すぐに消えていてもおかしくないのに。
そもそも、彼女が少し念じただけで、停止された遊園地ごと消え去ってしまう。
ラネットや時間を操ることなど一切できず、身体的にも平凡な人間である俺が、歯向かう方法なんてない。
ありとあらゆる手立ては、試す前から失敗が約束されていた。
みたきが本気を出していたら、既に何万回も殺されている。
いや、どれだけの超人を集めてきても、あんな人間を倒せるはずがない。最早化け物と言っても差し支えなかった。
わざわざ広場の端と端で会話する意味もない。俺は軽く嘆息してから、無防備に幼馴染に近づく。
「……お前、少しくらいは手心を加える気はないのか?」
「私が孝太郎くんを愛している理由は色々あるけど、事こうなっても一切絶望していないってところは真っ先に挙げられるかもしれないわね」
みたきは警戒する様子もなく、ただこちらを見つめている。
「だって、この遊園地で人がいくら殺されたって、あなたにとってはどうでもいいことだから。死のうが生きようがどっちでもよすぎて、ひとまず助ける方を選択してるけど。誰がどうしようが誰が裏切ろうが、それがあなたの精神に影響を及ぼすことはない。目の前のタスクをこなすだけ。極論を言ってしまえば、あなた自身の生命すらどうでもいいでしょう?」
本当に俺をなんだと思ってるんだ。
人が死んだら寝覚めが悪いし、殺されるのはさすがに嫌なのに。
「私のことだって、嫌いとか憎いとかは全く思っていないでしょう? まぁ、面倒だくらいは思ってるでしょうけど」
確かに嫌いだとは思っていないが、これを口に出したらまた、興味がないだけとか好意の反対は無関心とか冷血人間だとか言われそうだ。
俺はみたきを抱き寄せた。
突然の行動にも、彼女は全く拒まない。
その長い髪から、ふわりと花の香りが広がる。
綺麗な髪だった。光に当たると、なめらかな銀糸のようにきらめく。
この髪が永遠に失われるのは、少し惜しいと思った。
俺はポケットから折り畳みナイフを取り出し、彼女の背に突き立てる。
死角かつ間近からの攻撃。咄嗟には避けようがない。
鮮血が舞う。
身体的にはふつうの高校一年生の少女に過ぎない――いや、それよりだいぶ脆弱な人間だ、衝撃に崩れ落ちる。
――と、ここまでが俺が生み出すはずの未来。
だが、こんな未来は選択されない。
みたきは時間操作できるから。
俺がナイフを手に取るよりも先に、幼馴染は身体を離す。
そして。
みたきの色素の薄い髪が、極彩色に染まっていた。
▶ ▶
「これは……」
彼女自身も、異変を悟ったらしい。
この髪は、以前にも見たことがある。
朝霧。
過去からの旅行者。
彼女は時間移動で「百年の壁」を超えた。
その代償として、髪に――魂に烙印を刻まれてしまった。
逃れられない死の運命を。
魂。
人の根幹であり、形作るもの。
過去、未来、ありとあらゆる並行世界において共通する絶対の固定指示子が、魂だ。
人間は生きている限り、いや、死んでも自分の魂からは離れられない。
一度魂に刻まれた死の呪いは、不可逆で決して元には戻らない。いくら時間移動を使おうが、どうにもならない。
これが、みたきを終わらせる方法だ。
「お前は『百年の壁』を超えた。無数に広がる並行世界、その全てで神庭みたきという存在の死が決定づけられた」
「……私が、そんなミスを犯すわけ――」
そう、彼女が「百年の壁」をわざわざ自発的に超えるはずがない。
物陰で息を潜めていた葦原教授が、姿を現す。
彼が仕組んだのだ。みたきの時間移動が失敗するように。
俺は神庭家の蔵の地下から、時間操作術について記した書物の情報を盗んだ。
そこには当然、時間移動の方法も載っていた。詳細に。
だが、それを読んだだけで時間移動できれば苦労しない。俺たちには、この知識は活かせなかった。
そもそも時間移動者同士が争ったって、堂々巡りの不毛な戦いになるだけだし。
みたきの時間操作を妨げられればよかったのだが、その域に達することもできなかった。現に、笠沙さんが空間停止を阻止しようとしたが、上手くいかなかった。
だったら、みたきの時間操作に真っ向から反発するのではなく、
たとえば、振るわれた剣を真っ向から受け止めたり、破壊しようとするのではなく、その切先を少しずらすような。
それなら比較的力を要さない。まだ実現性があると踏んだ。
その上、逸らした先が百年後だったら、致命傷になり得る。
しかも時間移動ではないから、葦原教授の命を削ることはない。
みたきは、俺が蔵に忍び込んだことには気付けただろう。盗聴器を仕掛けたことも。
だけど、地下室に入ったことまでにはわからなかったはずだ。
そのことは、葦原教授と笠沙さんにしか伝えていないのだから。
盗聴器も作戦の上で重要だったが、みたきの注意をそちらに向ける目くらましでもあった。俺の目的は盗聴だと思わせて、ほかに何かしたんじゃないかと探ることを妨げるための。
俺が地下室に入ったのは、一周目だ。二周目では入っていない。
この世界のみたきは、俺が地下室内を見たことを知らない。
無論、存在自体は二周目でも教えているから、可能性自体は把握していただろう。それでも、一周目の彼女よりは警戒心が薄まっているはずだ。
しかも、書物を見られたことを悟ったところで、こんな作戦を取られると予期するのは難しい。
俺が「百年の壁」を知っているなんて、想像だにしていないだろう。
一周目で、「百年の壁」を超えた女性に出会っていたことまで、
みたきには、ほとんど予想していなかった事態。
そこが付け入る隙になる。
だから俺は、みたきが時間移動するように仕向けるだけでよかった。
その結果が今の、毒々しい彼女の髪色だ。
「お前、不利な状況に陥っても、時間移動でやり直せばいいとでも思ってたんだろ? だからこんな攻撃にも引っ掛かるんだ」
「…………」
若菖蒲の髪の少女は、地面に座り込んでうつむいている。手放された傘は、傍らに転がっていた。もう日光を気にする余裕もないのだろう。
「またいつもみたいに時間移動で逃げろよ。得意なんだろ? それが」
「百年の壁」で定められた死は、その地点を時間的に跳躍することで回避できる。だが、そんなものは敗走に過ぎない。彼女の矜持には相当の傷がつく。
「これまで、神にでもなったつもりだったか? お前がやってるのはただのカンニングだよ。そして、そのツケを払うときがきた」
顔を伏せてこそいるが、彼女がくちびるを噛んでいることが伝わってくる。
全幅の信頼を寄せていたであろう能力で、足元を掬われたのだ。屈辱感もひとしおだろう。
「もう終わりだ、お前は」
時間操作で全てを築き上げてきた人間は、時間移動で死ぬのだ。
「……素晴らしい」
眼前の少女が、そうつぶやくのが聞こえた。それから、魂が抜けたかのようにふらふらと立ち上がる。
「破裂しそうなほどの悔しさや怒りや憎しみや悲しみが、全身を駆け巡っている。こんな――こんな喜びは生まれて初めてだわ」
その表情は、今までに見たことがないほどの純粋な喜色に満ちていた。
「すごい、私、もうどうにもならないのね。どうやっても助からないわ。もう全部終わり。受け入れ難いほどの圧倒的な敗北に、くらくらしそう。これが破滅なのね」
頬を紅潮させて、柄にもなく声を弾ませて。年頃の少女のように、くるくると回る。
ああ、これが、待ち望んでやまなかったものを手に入れた人間の姿か。
きっと今が人生で一番楽しい瞬間なのだ。
「……神庭みたき。あなたがしたことは到底許されることではありません」
葦原教授が、苦々しく口を開く。残忍な破壊者が終止符を打たれ、反省するどころか狂喜乱舞しているのだ。こういう反応になるのも、道理だろう。
「そうよ。私は同情する余地もない世界の敵だから、人々に
みたきの言葉に、葦原教授は目を剥く。
「…………っ、ぎ、犠牲になった人々を一体なんだと――」
「あなた、面白くないわ。もう必要ないし。ふたりきりにして」
みたきがそう言うや否や、教授の身体はすぐに黒一色になり動かなくなる。またぞろ空間停止させたらしい。
「……殺すのか? 葦原教授も」
「嫌ね。私自身は人殺しなんてしたことないわ。本当に、これまで一度たりともね。だって、孝太郎くんは人殺しするような女なんて嫌いでしょう?」
確かに、これまでみたき本人が誰かを殺しているところは見たことがない。どうやら真実らしかった。
他人を使ってやらせている時点で同罪だし、そもそも世界を終わらせようとする方が余程性質が悪いが。
「そんなことよりも……やっぱりあなたを選んでよかったわ。孝太郎くん、私はあなたへの愛で今にもどうにかなってしまいそう」
みたきはまた、屈託のない笑顔を向けてくる。幼馴染の俺でも、こんなに無邪気な顔の彼女を見たのは初めてだ。
本来ならば、こんな傍迷惑な奴は精一杯苦しんで死んだ方がいいのだろうが。
人は誰しも固有の人生を持っていて、その全てが尊重されるべきだから。
みたきが喜びそうな破滅を、演出してやった。
「ありがとう、孝太郎くん。私をこんなにも破滅させてくれて。愛してるわ」
「……喜んでもらえてうれしいよ」
もちろん実際には、一ミリも何も感じていないが。みたきのために「うれしい」という反応を選択しておくか。
全てが終わった少女は、スキップするような足取りのまま抱きついてきた。そのまま耳元で、不安定で揺らぎのある声を発する。
「ねえ、孝太郎くん。歪みは世界から淘汰される――そうでしょう?」
ぴしり、と。
灰色の空にひびが入るのが見えた。
亀裂はどんどん広がり、やがて空全体に広がる。
なんだ? 何が起こっている?
「ふつう、時間移動の技術は、淘汰をかい潜る技術とセットなの。世界に消されてしまったら、時間移動も何もないから」
彼女はいつもの調子で、一方的に話し続ける。
ひび割れた空から、黒い灰が降ってくる。これは、破片、なのか?
最初は霧雪のようだった灰も、豪雪のように量が増す。
空が、世界が、崩れていく。
全てが黒色の中に包まれていく。
「でも、事故みたいな時間移動の場合、淘汰に抗う術は持っていないことが多いのよ。『飽和』でもしてない限り、あっけなく消えてしまうのがほとんどだわ」
事故みたいな時間移動。
淘汰への対策を講じていない時間移動。
そんなの、身に覚えがあるどころの話ではなかった。
俺は、瀬名の自殺をきっかけに、五年前の世界――二周目の世界に移動した。
意図したものではなく、再現性もない事故のようなタイムリープ。
なのに、なぜ俺は淘汰されていない?
一周目で朝霧は、俺の前でひどくぼやけて消えていきそうになったことがある。
そのときは如意宝珠を渡して事なきを得たが、時間移動に詳しい彼女ですら、淘汰に呑まれそうになるほどなのに。
「……みたき、まさかお前が何かやったのか?」
問うと、幼馴染は口角を吊り上げる。
「嫌ね。大好きな孝太郎くんが消えそうになっていたら、当然助けるのが恋人としての務めでしょう? 私はとっても優しい彼女なんだから」
もう付き合ってないというのに……。
みたきの時間操作の腕が卓越しているのは、言うまでもない。
周囲にいる人間の淘汰を防ぐことすら、可能なのだ。本当に、その能力を善行に使っていたら、どれだけ世界がよくなったことか。
「でも、私がいなくなったらそれももう終わり。あなたを助けてあげられる人はいなくなるのよ」
みたきが俺の腕を引く。
闇の中に引きずり込まれる。
視界が真っ黒に染まる。
彼女の話はいつも唐突だった。
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