23 導く手は


 灰色の空の下、遊園地の広場。

 上木美伽と俺が、真っ向から睨み合っている。


 俺の後方には、空間停止の機械を操作する笠沙さん。

 上木さんの後方には、ベンチに悠々と座るみたき。


 ろくでもない幼馴染は、手出しするつもりがないらしい。配下に働かせて、自分は椅子に腰掛けて、随分楽な立ち位置だ。

 異様な雰囲気を感じ取っているのか、この広場に近づいてくる通行人はいなかった。


 束の間の停滞を打ち破って駆け出したのは、上木さんだった。

 彼女は絶望の扱いこそ上手いが、あまり策を弄するタイプではない。またしても奇を衒わずに猪突猛進の姿勢だ。


 上木美伽の足が、空間停止で縛り付けられる。上木さんがやった術を、笠沙さんがやり返したというわけだ。

 しかし当然、抗する手段も明白だ。次の瞬間には元に戻ってしまう。


 またみたきのシンパの身体が黒く染まり、打ち破られる。そして今度は俺の身体が空間停止され、元に戻る。

 短時間に、それが何度も繰り返される。


 激しい応酬。鍔迫り合い。

 とはいえ、こうなってくると空間停止の処理を他人に任せている俺に余裕が生じる。


 あちらからすれば笠沙さんの方が厄介だが、迫ってくる俺を放置するわけにもいかない。一対二の構図では、人数が多い方が有利なのは明白だ。


 時間が止まった遊園地で、通信機器は圏外になっている。民俗学研究会の仲間と連絡が取れない状況だが、敵だって携帯電話で連携が取れないということだ。


 上木さんは絶え間ない空間停止への対処で、じりじりと動きが鈍くなっていく。

 その好機に乗じて、警棒を大きく突き出した。


「――――」

 胴体を狙ったが、紙一重で避けられてしまった。彼女の長い髪がなびく。

 俺がスタンガンの向きを変えて接触させようとする前に、上木さんは思い切りこちらに身を寄せ、手を伸ばしてきた。


 この手に触れられたら、消される――

 咄嗟に警棒で彼女の手を薙ぐように、身を庇ってしまう。だが上木さんは逆に、スタンガンの持ち手の部分に触れようとしてきた。


 持ち手には電流が走らないし、握っている俺の手に触れられたら一巻の終わりだ。

 瞬間的に背筋に冷たいものが走る。


 彼女の指先が、警棒をかすめ――それ以上は動かなかった。笠沙さんが空間停止させたからだ。


「…………」

 攻撃の機会を邪魔され、上木さんはまた後ろに下がった。危ないところだった。


「これでもう、その武器は使えないね」

 彼女の手の直撃は避けられたが、先程かすった際にスタンガンのボタンがいくつか消されていた。


 流れていた電流は止まっている。この様子では、中の部品や配線にまで影響を及ぼしているようだ。

 完全に機能停止してしまった。


 しかし俺は構わずに疾走し、上木さんに近づく。彼女はなおも空中で手を動かし空間停止しようとしてくるが、黒く固まった自分の左足は笠沙さんに任せて、右足で地面を蹴る。


 みたきの信者の足元から、身体に黒色が広がっていく。笠沙さんは俺への空間停止を治すよりも、上木さんの動きを止めることを優先したらしい。

 彼女が自身の黒色を消すよりも先に、俺が振り上げた警棒が当たる――


 電流はない。

 当たっても相手の筋肉を収縮させることはできない。

 だが。


 警棒が、勢いよく彼女の手首にぶつかった。

「く――」

 上木さんの顔は、苦痛に歪む。


 スタンガンとしての機能はなくなったが、警棒自体にだって武器としてはなかなかの効力がある。

 鈍器で打ち付けられれば、ひとたまりもない。


 怯んだ隙を見逃さず、俺はもう片方の手首にも攻撃する。

「うぐ……っ」

 痛みに耐えきれず、彼女は崩れ落ちた。空間停止は解除できたが、俺の攻撃にまで対応する余裕がなかったのだろう。


「多分両手首とも折れていますから、動かさない方がいいですよ。早く固定した方がいい」

「…………」


 あまりこういう手荒な真似はしたくなかったが、もうこうでもしないと止められない。

 ラネットキャンセラーは使えず、ふつうの手錠では消されるのが関の山だ。手そのものを使えなくするしかない。


 ラネットや時間操作のトリガーは、人間の意志だ。

 だから、言ってしまえば「手」がファクターになる必要はどこにもない。現に、時間移動者や神庭みたきは、手を使わずに能力を行使している。


 それでも、みたきのシンパなどが人を消すときに手を使うのは、何かを伝播させるときに「触れる」というイメージが最適だからだ。

 能力を行使しようとするとき、手に意識を集中させるのが一番やりやすいからだ。


 触れたものに、自らの絶望を波及させるのが、人間を消す仕組みである。

 接触するだけなら身体のほかの部位でも可能だ。


 だが、たとえばひじ、額、腰といった部分が相手に触れたとしても、それで絶望を伝播させることは難しい。不可能と言ってもいいくらいに。

 なぜなら、手以外の部位では、「自分が持っているものを広める」というイメージが喚起できないから。


 人間の意志でラネットや時間操作が行われる以上、「イメージできない」というのは致命的な障壁だ。

 「時間を操れるはずがない」という意識が、時間操作を大きく妨げるのと同じように。


 人間は求めるものに手を伸ばす。

 力を込めるとき手を強く握る。


 民俗学研究会の人間が空間停止を行う際、機械に能力の方向性をアシストしてもらうように。

 人は意志を発揮するとき、手というアンテナに頼らざるを得ない。

 人間という生物として生まれた以上、逃れることができない、認知の癖のようなもの。


「……鴇野くん、人畜無害そうな顔して、意外と乱暴なことするんだね」

 ぶらりと垂れ下がった両手のまま、アッシュグレーの髪の女性は立ち上がる。


 俺の左足も、元の色に戻っていた。これが終わったら、笠沙さんにはたくさんお礼を言わなければならないな、と思った。


「でも、あたしはあなたたちを殺さないといけないから」

 ここで諦めてくれればよかったが、上木さんはそのまま突っ込んできた。

 彼女の身体が、足元から急激に黒色に覆われていく。


 これは――空間停止ではない。空間停止なら動けないはずなのに、彼女の脚は止まっていないから。


 では、この黒色はなんだ? ラネット? 何が起きている?

 俺は何もしていない。恐らく笠沙さんも。みたきだって第三者を気取っている以上、手出ししていないだろう。


 それに、当の本人である上木さんが一切動揺していない。

 これではまるで、彼女自身が自分の身体を黒く染めているかのように。


 自分を丸ごとラネット化させようとしているのか――?


 そもそもラネットとは、絶望して《時間》を止めた人間の身体が黒色になる現象。触れたものに絶望を伝えるのは、副次的な効果に過ぎない。


 全身を黒化させ、体当たりで俺たちに絶望をぶつけようとしているのだろう。

 その方法ならば、手で触れるというイメージに頼らずともラネットを伝播させられる。


 だが、そんなの危険すぎる。

 下手すれば、自分自身が消えてしまう恐れも――


 空間停止されれば動けなくなるが、ラネットになっただけでは動きには支障はない。今にでも世界に淘汰される危険性があることを除けば。


 上木さんは真正面から迫ってくる。

 向かい合うだけでも、ラネットの出力が尋常ではないことを感じ取った。彼女にぶつかれば一瞬で消えてしまうことだろう。


 しかし苦し紛れの直線的な攻撃。かわすのは簡単だ。

 突進を俺に避けられてもなお、上木さんの足は止まらない。一直線に進んでいく。


 彼女が向かう先にいるのは――まずい。狙いは笠沙さんだ。

 俺も慌てて後を追う。


 黒く染まった彼女の髪の先が、ちりちりと灰になって解けていく。黒い両手の指先が、霧散していく。

 ラネットによる淘汰が、上木さんの身体を蝕んでいる。


 しかし完全に消える前に、笠沙さんの元に辿り着いてしまう。

 当の彼はようやく立ち上がったところで、上木さんから逃げ出す余裕はなさそうだ。


 このままでは笠沙さんが消されてしまう。

 俺は意を決して、彼女の脚にめがけて警棒を投げた。


 全力疾走している脚に棒が絡まり、上木さんの身体が傾く。

 ラネットに触れた警棒はあっという間に塵と化すが、既に彼女を転ばせる役割を果たしていた。


 地面に、みたきの信者が倒れ伏す。

 身体を起こすための手も腕も既にない。消えてしまった。立ち上がるための足だって、形を失おうとしている。


「か、上木さん、なんでここまで……」

 信じられないといった様子で、笠沙さんは声を発した。


 黒炭となって散っていく間際、彼女の口が動いた。

「黒闇天様が言うことは、絶対、だから」


 すぐに上木美伽の最後の一片までもが、ふわりと空気に攫われていった。


「か、上木さん……」

 先程まで彼女がいた辺りを、笠沙さんは呆然と見ている。


 捨て身の攻撃。

 自分の命を投げ打ってまで、命令に従おうとしたのだ。

 彼女にとっては、自らの人生よりも神庭みたきの方が重要だから。


 ここまでの崇拝者がいるのに、みたきは前の世界で躊躇なく自らの死を選んだのか……なんて無責任なんだ。


 ぱちぱちと、軽い拍手の音が響く。

「すごいわね、孝太郎くん。いいものを見せてもらったわ」


 相変わらず、高いところから物を見たがる人間だ。今まさに仲間が消えたというのに、ベンチから立ち上がろうともしない。


「お前が手を貸せば、上木さんは助かったんじゃないのか?」

「そうかもしれないわね」


 みたきは一切動じた様子もない。

 彼女が求めているのは、人間の破滅だ。

 自分の信者の破滅すら、歓迎すべき事態なのだ。


 手を伸ばした相手が、絶望への先導者だったとしても、全てを委ねたからには受け入れるほかない。

 それが自身の選択の結果なのだから。

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