22 生命


 全身を拘束され、地面に横たわったまま時間が過ぎていく。いや、実際には一秒たりとも経過していないのだろうが。


 通り過ぎる人はいるが、わざわざ妙なものに縛られている人間を助ける余裕がないのだろう、足早に去っていく。

 声を掛けても言わずもがなだ。


 地面を転がることくらいは可能だが、それで活路を見いだせはしなかった。

 あまり笠沙さんと離れるのも危険だし。


 為す術もなく空を見ていると、慌てた顔で駆け寄ってくる者がいた。

「き、君たち、大丈夫ですか?」

 葦原教授だ。


「上木さんにやられて……彼女、みたきのスパイだったんです」

「……そうですか」


 教授の顔にも、さすがに動揺が現れる。

 向こうは、信者を内通者とするためにわざわざ安曇大学に入学させた異常者だ。常識で測れるはずがない。


「恐らくこの輪は、上木さんが作るラネットキャンセラーと似たメカニズムで生み出されています。言ってしまえば、停止した空間の結晶のようなものだと考えられます」


「なるほど……それでは物理的に破壊することは難しいですね」

 教授は、俺を拘束する輪をごそごそと調べる。

 それから、何やら念を込めるように手をかざす。すぐにきつく縛り上げていた輪が霧散した。


「別の空間停止をぶつけると、消えるようですね」

「そういう仕組みが……ありがとうございます」

 教授は同じ要領で、笠沙を縛る輪も壊す。


 解放され、俺たちは立ち上がった。縛られていたところには赤い跡が残っており、痛む。だが、これくらい放っておけば収まる。


 改めて教授と顔を突き合わせると、彼は厳粛に言葉を発する。

「……私が時間移動し、過去を変えます」

「え……?」


「既に被害者が何人も出ています。この状態では、増える一方でしょう。こうなっては、時間移動するしか……」


「そ、そんな! 教授に無理はさせられませんよ!」

 笠沙さんが声を張り上げる。俺もうなずいた。


「向こうも時間移動の使い手――しかも、前代未聞の手練れ。結局いたちごっこにしかなりません。そうなれば不利なのはこちらです。わざわざそんな土俵に上ることはありません」

 それで教授の生命を消耗させるわけにもいかない。


「し、しかし、それではどうすれば……」

 状況は絶望と言うほかなかった。


 場所は、空間停止された遊園地。

 みたきの支配下にあり、彼女に有利極まりない。


 敵は、手で触れたもの――人間を消せる厄介な相手。恐らく数は十人にも上る。

 対してこちらは仲間同士での連絡手段を断たれ、ろくに連携が取れない。


 更に、ラネットキャンセラーという強力な能力を持つ上木さんは裏切り、敵に回った。

 黒い輪で人間を捕らえる能力ひとつとっても、対抗する余地がない。


 何より、味方の士気はガタ落ちだろう。仲間内で無用な疑心暗鬼が発生する可能性もある。


 だが、諦めるわけにはいかない。

 犠牲者を、世界を、救うために。


「俺にひとつ、考えがあります」

 葦原教授と笠沙さんは、俺の顔をまじまじと見ている。


「それには、お二人の協力が必要です。手伝っていただけますか?」


「い、いいですけど……」

「一体何をするつもりですか?」


 俺は、口を開く。

「みたき自身を狙います。彼女を滅せば、全て終わるのですから」




 ▶ ▶




 黒いメリーゴーランドやコーヒーカップの側を駆け抜ける。

 みたきと上木さんはどこだ……?


 広い園内。向こうだって移動しているかもしれないのだから、そう簡単には見つかると思えなかった。

 通信手段がないため、一度離れると合流が難しく、こちらは手分けして探せないし。


 だいぶ時間を使って捜索した末、ふたりの姿をようやく見つけた。


 冴木メリーランドの中央。

 ちょっとした広場になっている、開けた空間。

 そこに、彼女たちはいた。


 だが、ふたりだけではない。

 ほかに、頭以外全て黒色に染まった人間――ふつうの来園者だろう――が五人ほど立ち尽くしていた。黒曜石の彫刻の頭部だけが、生身になっているような姿だ。


 遠くからでも、彼らの顔が恐怖に染まっているのがわかる。さっさと消すこともできるだろうに、わざわざ嬲るようなやり方をしている。

 だが、こうして時間を掛けてくれるから、こちらが救出する隙が生まれるのだ。


 その奥には、日傘を差したままベンチに腰掛けている神庭みたき。

 傍観者気取り、というわけらしい。いいご身分だ。


「いきましょう、笠沙さん」

「はい」

 彼は、地面に機械を置いた。


 終わりにしよう。全てを。

 俺は、捕らえられた人々に――上木さんに向かって走り出す。


「…………」

 俺たちに気づいた彼女は、言葉を発さないまま手をかざす。


 先程と同じように、俺を囲むように黒い輪が現れる。だが、同じ手は食わない。

 輪が締まり、拘束しようとした寸前、粉々になって消え去った。


 上木さんの顔色がわずかに変わる。

 この黒輪のメカニズムはわかった。別の空間停止をぶつければ、消滅するのだ。後方で機械を操作する笠沙さんが、打ち消すのも容易い。


 輪は何個も出現し、そのたびに砕かれる。

 俺はダッシュの勢いを殺さぬまま、黒化させられた人々のところに辿り着く。


「今、助けます」

 彼らにそう声を掛けてから、上木美伽に肉薄した。警棒型スタンガンを握った状態で。


 彼女は後ずさりながら、なおも手で空を切る。

 急に、俺の足が動かなくなった。見ると、ひざの辺りまで黒色に染まって地面に縫い留められている。


 恐らくは、来園者を黒化させたのと同じ手だ。黒輪はもう通用しないと悟ったのだろう。

 しかし、直接触れていない以上、これは絶望の伝播というよりかは空間停止の応用。これも、違う空間停止で相殺することができる――


 案の定、すぐに俺の脚は元の色に戻る。後ろにいる笠沙さんに目を向ける必要もない。彼は、上木さんの術に対応しきっていた。

 みたきの空間停止に対抗することはできないが、上木さんの空間停止なら打ち消せる。


 俺は、目の前の信者に向けて大きく警棒を振り下ろす。間一髪でかわす上木さん。こちらに向かって手を伸ばしてくるが、すんでのところで俺も距離を取る。


 敵が守りに転じたのを、上木さんは見逃さない。彼女の手の動きに連動するように、俺の腕が、警棒が、黒く染まっていく。だが、これも笠沙さんの術で回復する。

 自由が効く足で、俺は再び駆ける。


 この警棒は、人の腕よりもリーチが長い。

 真正面からぶつかれば、この武器の方が先に触れる。

 上木さんは後ろに下がろうとするが、それよりも速く警棒の攻撃が炸裂した――


「――――っ」

 今度はかわされなかった。

 腕にかすった程度だが、しびれは生じているはずだ。彼女は思わずうずくまる。


 ラネットキャンセラーがない今、スタンガンで行動を一時的に止めたところで、拘束する術がない。単なるロープや枷で縛っても、ラネットで消されかねない。

 ひとまずスタンガンで更なる追撃をかけようと、大きく振りかぶった。


 だが、上木さんは前方に転がって回避した。あの程度のしびれでは、あまり足止めにもならないようだ。

 俺と彼女の間に、五メートルほどの距離が開く。


「前から思ってたけど……スタンガンなんて超甘えてるよね」

 神庭みたきの信者は、立ち上がりながら話し始めた。


「……甘えてる、ですか?」

「非殺傷武器といえば聞こえはいいけど、そんなんであたしたちに立ち向かえるなんて、本気で思ってるの? 銃――とまでは言わないけど、刃物でもなんでも、もっと致命傷を与えられる武器を持ってきなよ」


 言葉を続ける上木さん。

「結局人を殺すことが怖いから、逃げてるだけでしょ? 監禁した信者だって結局解放しちゃうし。ヒーローごっこはしたいけど自分の手は汚したくないなんて、甘えてるよ。一番理に適った方法よりも、自分たちが楽な方を選んで胸を張っていられるなんて、やばいって気づいてる?」


 一周目で、尾上たちは不破を消した。

 次なる犠牲者を生まないために。


 本来なら、俺たちもそうするべきだったかもしれない。みたきのシンパたちを殺せば、彼らがこれ以上人を消す可能性を完全に無にできる。


 しかし、俺にはどうしてもそれはできなかった。

 いくら人殺しでも、「こいつは罪人だから殺してもいい」と値打ちをつけることが。


 人は誰しも固有の人生を持っていて、その全てが尊重されるべきだから。

 少なくとも、そういうスタンスで動くと決めたから。

 それに――


「スタンガンでも、人を救うことはできますよ」

「え?」


 きょとんとする上木さん。

 彼女の後ろで、頭以外黒色に固められた人々が、元の色に戻って動き出した。


 彼らを黒化させているのは、空間停止だ。そして、別の空間停止をぶつければ無効化できることも判明している。


 だから俺は――俺たちは、隙を伺っていた。

 上木さんの空間停止による攻撃が止まる時間を。笠沙さんの手が空く時間を。


 そして、好機はやってきた。

 俺の攻撃をよけるので、彼女が精一杯になるタイミングが。戦闘の最中に会話を始めるタイミングが。


 あとは、その隙に笠沙さんが来園者に向かって空間停止の術を行使するだけだった。


 解放された人々は、一目散に逃げていく。また人質にされては敵わないので、むしろありがたいとも言えた。

 ある程度距離が離れれば、上木さんの術も届かないだろう。


「……へえ、そういうつもりだったんだ」

 彼女はようやく振り向いて、事態を把握する。敵と――俺たちと対峙していては、追うことも難しい。

「ヒーロー気取りも、ここまでくれば笑えるかもね」


 それまでずっと離れた場所で黙していたみたきが、口を開く。

「上木さん、彼らを殺して」


「はい」

 信者は、躊躇なく首肯する。


 まるで、「帰りに牛乳を買ってきて」とでも言うかのような、淡白なやり取り。だが、実際にこうして何人もの人間を殺してきたのだろう。


 上木さんの攻撃が空間停止に限られていたのは、こちらを殺さずに動きだけを止めたいという思惑があったからだ。


 だが、ここからはそれも終わりだ。

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