21 止まった時間の中で
俺と笠沙さんは園内を周り、みたきの信者を見つけては捕まえた。
更に、アトラクションに閉じ込められた人々の救助も行った。やり方はひどくシンプルである。
たとえばジェットコースターの場合は、ヘルメットを着けてレールの上を歩き、ロープやベルトを駆使して止まっているマシンの元まで辿り着く。そして、乗客を次々と落とし、笠沙さんの空間停止で受け止めるという寸法だ。
もちろん、落ちれば助かるという説明は事前に行ったが、易々と受け入れられるわけがない。
落下地点にマットを敷き、視覚的にも安全性を保証し、かなりの時間を掛けて、全員を助ける。
その間も太陽は、南の空から微動だにしなかった。これは無論、みたきの能力が遥か遠くの恒星にまで影響を及ぼしているというわけではない。
何しろ今俺たちは、止まったフィルムの一コマにいるのだから。領域の外まで停止しているように見えるのは当然だ。
だからといって、時間が無限にあるというわけではない。
こうしている内にも、来園者がみたきの信者の手に掛かっているかもしれないのだ。
しかし、宙吊りになっている人々を放置できなかった。様々なアトラクションを回って、客を脱出させていった。
▶ ▶
「随分悠長なことをやっているのね。こうしている間にも、私の信者はたくさんの人を殺しているのに」
聞き慣れた、笑いを含んだ声。
振り返ると、日傘を差した幼馴染が立っていた。
色素が薄い髪は、光に透かされてきらきらと輝く。
「か、神庭みたき……!」
横に立っていた笠沙さんが身構える。
そして、みたきの横には。
アッシュグレーの長い髪をカールさせた女子大生が、寄り添うように立っていた。
「か、上木、さん?」
困惑に満ちた声を発する笠沙さん。
彼女が手に持っていた黒い手錠――ラネットキャンセラーが、灰のように崩れていく。
――か、上木さん、あなた確か、任意で能力を解除できたはずでは?
笠沙さんがそう言っていたことを、思い出す。
洋館の地下に監禁されているはずの信者たちが逃げ出しているのは。
その枷を外したのは、誰か。
「上木さんが、地下牢の信者を逃したんですか……?」
「そうだよ。元々その手筈になっていたから。頑張って
「な、なんでそんなことを……」
「全部黒闇天様の言う通りにするのが、一番だから」
快活な笑顔のままで、彼女はそう言う。時候の挨拶を口にするように、自然に。
「か、上木さん、まさか神庭みたきの信者、だったんですか……?」
横の笠沙さんは、信じられないといった様子だった。
「黒闇天様は未来のことが全部わかるんだよ? まさに神様なんだ。黒闇天様の言葉に従うと、何もかもが上手くいくの」
「ど、どうしてそんなトチ狂った奴の言うことを信じるんですか!? 人を殺すなんて、世界を終わらせるなんて、どう考えてもおかしいでしょう!」
笠沙さんの言葉に、上木さんは首を傾げる。心の底から理解できないという顔だ。
「おかしい? 一足す一は二だって言われても、信じる以前の問題でしょ? 疑いもしないでしょ? それが正しいことなんだから」
その横で、みたきは嘲弄の表情を崩さない。
「彼女のラネットキャンセラーの能力、便利だったでしょう? でもね、あなたたちが有難がっていたのは、ラネットそのものなのよ」
似た効果を持つ如意宝珠は、白く曇った色をしていた。だが、上木さんが作るラネットキャンセラーは、真っ黒だった。これは、ラネットだから、ということなのか?
「より濃いラネットの前で、ラネットを使おうとすると、打ち消し合って使えなくなるという仕組みよ。彼女は『飽和』しているから、こんなものも作れるの」
飽和。
長く続きすぎて、最早世界に歪みだと認識されなくなった絶望。
絶望を飼いならした者は、ラネットの扱いに長けるという。その結果が、あの技術だ。
どうして一周目の世界で、尾上たちがラネットキャンセラーを使っていないのか、わかった。
いくら既に上木さんが卒業している頃だとしても、あんな便利なものは譲り受けて使い続ければいい。
だが、彼女が裏切り者だというのなら。
ラネットキャンセラーなんて残すはずがないし、残っていても使うはずがない。
敵の一存で解除できるような拘束具なんて。
恐らく、上木さんが間者であることは、シンパたちすらあまり知らないだろう。
そうでなければ、尋問の際に漏らしたり、それらしい態度を隠せずにいたはずだ。
そこまでして隠してきた情報を、今明かすのは。
ここで全てを終わらせるつもりだからにほかならず。
「上木さんは、あなたたちの作戦も、全て教えてくれたわ。民俗学研究会の行動なんて、筒抜けだったということよ。端から勝ち目なんてなかったの」
ライブハウスでの一件など、まさに戯れでしかなかったのだろう。
必死に作戦を考えて、その通りに動く俺たちをせせら笑っていたのだろう。
「もちろん、今日あなたたちがどんな対策を講じて、何をしてくるかも、詳らかに把握していたわ。これまで積み重ねてきた努力が全部無に帰しちゃって、申し訳ないわね」
「そ、そんな……」
笠沙さんは、膝を折って崩れ落ちる。絶望に屈するかのように。
「な、なんて……奴らだ。最初から、踊らされてたんだ……」
何もかもが、無駄だったということなのか?
世界は、神庭みたきの思い通りに終わってしまうのか?
「……だったら、せめて聞かせてください。上木さんは、どうしてみたきに付き従うことにしたんですか?」
俺の質問に、上木さんは答える。
「だって、黒闇天様はあたしを救ってくれたから」
それはいつかどこかで聞いた言葉と、似ていた。
「あたし、バカだから、これまで色んなことが丸っきりダメだったの。いっぱい失敗してきて、周りにも迷惑を掛けて、いっぱいいじめられた。でも、黒闇天様はなんでも教えてくれたんだ。これから起きることも、次にどうすればいいかも、全部。進む大学まで決めてくれたし、入試の問題だって黒闇天様の予言通りだったんだよ? 黒闇天様がいなければ、合格できてなかった。全部黒闇天様のおかげ」
みたきは、元々上木さんをスパイにするために、安曇大学に入学させたのか……?
他人の人生をなんだと思ってるんだ? 自分の駒扱いじゃないか。
「黒闇天様はみんなを救ってくれる、導いてくれるの。こんなにいい人はほかにいない。だからね、黒闇天様が世界は終わらせた方がいいっていうのなら、終わらせた方がいいんだよ。黒闇天様の言うことは、全部正しいんだから」
自分の人生を他人に委ねるのは、そんなに楽なことだろうか。
考えることを放棄して別の誰かに縋るのは、それほどまでに救い足り得るのだろうか。
人生は――そんなに逃避したいほど無価値なものなのか?
「せ、世界を終わらせていい道理なんて、どこの誰にもありません……」
絞り出すような笠沙さんの声。
「どうして? 神様には世界を終わらせる権利があるんだよ? そして、その神様が世界を終わらせるべきだって言うんだから、それに従わないと」
だが、上木さんには暖簾に腕押しだった。
「ずっと疑問に思ってたんだ。どうしてあなたたちは黒闇天様の言う通りにしないんだろうって。あなたたちみたいな人がいるから、世界は平和にならないんだよ?」
世界の平和。
彼らにとっては、あらゆる生命が絶えた状態を指すのだろう。
「だから、邪魔しないでね」
彼女は――
突然虚空から、俺の身体を囲むように黒色の輪っかが出現する。まるでフラフープのようだ。
しかし黒の輪はぎゅっと締まり、腕ごと身体を縛る。
「うぐっ……!」
横を見ると、笠沙さんも同様の状態になっていた。
下半身の辺りに更に輪っかが現れ、脚も拘束する。
なんだこれは? 上木さんがやっているのか?
こんな能力があったなんて……。
「孝太郎くん。あなたが私の蔵を盗聴していたことなんて、最初から気づいていたわ。放置したのは、民俗学研究会なんて全く取るに足らない存在だから」
こつこつと靴の音を鳴らして、みたきは俺を見下ろす。
「だから、わざわざ上木さんとの会話を聞かせてあげたのよ」
あの計画の話をしていた相手は、上木さんだったのか……。
「それに――ねえ、集魚灯って知ってるかしら? 夜の海を灯りで照らすと、魚が寄ってくるの。わざわざ獲物を探しに行くより、おびき寄せた方が楽よね? 特に、獲物を一網打尽にできたら、一切骨を折らずに事を済ませられるもの」
「……俺たちをまとめて始末するための、餌だったってことか?」
今遊園地には、打倒みたきに関わる民俗学研究会のメンバー全員が集まっている。
最終計画という餌を垂らせば、敵をいっぺんにおびき出せる。自分に有利な状況に引き込める。
あとは、掌握した空間の中で好き勝手に弄ぶのも、まとめて消し去るのも選びたい放題、ということなのだろう。
今この場に敵がいた方が面白いから、という動機の方が正確な気がしたが。
上木さんという内通者の存在も含めて、民俗学研究会は端から神庭みたきの手のひらの上で踊らされるだけのものだったのだ。
「精々そこで世界が終わるのを見ていればいいわ」
幼馴染は身を屈める。さらさらの髪が流れるように広がった。
そして、俺の耳元でささやく。
「私はあなたを愛しているから、あなたには最後に破滅をプレゼントしてあげる」
ありがた迷惑とはこのことだろうか。
神庭みたきと上木美伽は、そのまま去ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます