19 遊園地で君と


 冴木メリーランドは、皆原市の西部にある遊園地。五十年ほど前に地方初の総合遊園地として開業してからというもの、皆原のディズニーランド――は言い過ぎにしても、地元民に親しまれている。


 アトラクションの数は三十くらいと、正直多くはない。ゲームコーナーには、型落ちのアーケードゲームが並んでいる。

 よく言えば時代を感じさせる、悪く言えばさびれた様相で、夢の空間というよりかは、デパートの屋上にあるような遊園地が広くなった雰囲気である。


 とはいえ、この鄙びた場所もそれはそれで風情がある。

 遊園地として代表的なアトラクションは揃っており、休日を楽しむ場所として打ってつけだった。


 瀬名を連れてきたら、さぞ喜ぶことだろう。もっとも、今だけはとても連れて来る気が起きないが。


 今日はみたきの計画当日だった。

 夏休み、しかも水遊びイベントの開催ということもあって、園内は人でごった返している。


 これまで様々な準備を行ってきた。

 まずは、園内の各所にこっそりカメラを仕掛けた。いいか悪いかで言えば明らかに後者寄りだったが、人命救助のためだ。


 カメラ映像は、ライブハウスのときのように研究会員が携帯電話やタブレットから確認できる。


 入園口付近では、研究会員がリストバンド型ラネットキャンセラーを朝から配っている。さも入場券といった雰囲気を醸し出して。


 これも、前回のライブハウスで行ったことと同様だ。みたきのシンパが身に着けなければ効果がないし、どこまで通用するかは未知数だが。


 敵の頭数を減らすために、信者たちをまた何人か捕らえて洋館の地下牢に閉じ込めた。

 もう少し多い人数監禁したかったが、向こうも守りを固めてきていて、なかなか難しかった。


 更に、みたきが行うであろう大規模空間停止への妨害も行う予定になっている。


 俺が土蔵の地下室で入手した本。そこには、空間停止の方法やメカニズムがひどくわかりにくく綴られていた。


 その文章をどうにか解き明かし、読み取った。

 メカニズムがわかるということは、応用すれば妨害も可能だ。

 実際、事前に行った準備では成功した。


 今日は、その妨害を笠沙さんに任せている。彼は空間停止に通じているし、きっとほかの人より要領を掴みやすい。

 ……葦原教授には、任せられなかった。命を削らせるなんて、そんなことできるはずなかった。


 これが成功すれば、みたきの計画は端から頓挫する。




 ▶ ▶




 俺は、冴木メリーランドの中を歩く。

 カメラだけでは、遊園地の全てを見渡すことができない。だから、こうして園内を見て回るのだ。

 できれば万全を期するために複数人で周りたかったが、その人数の余裕すらなかった。


 何か異常を感知すれば、すぐにワイヤレスイヤホンでハンズフリー通話し、研究会員に知らせる段取りになっている。


 真夏日の陽光が、目を眩ませる。昼時なので、日が高い。

 その上、この人いきれ。熱気が充満し、歩くだけで体力が奪われる。

 水分補給は欠かさないようにしないとな……。


 人ごみの中、視界は良好ではない。それでも、俺は必死に周囲に目を配る。数え切れないほどの顔を認識しながら。


 ふっ、と。

 突然空気が変わった。


 歩を進める足が止まる。

 なんだ? この嫌な予感は。


 慌てて三百六十度を見回す。

 人波が一瞬途絶えた先。ひとところだけ、影があった。

 光を跳ね除けているような、場所が。


挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16816927862471961213


 神庭みたきは、黒い日傘を差していた。全身をすっかり覆う影を落とすほどの大きさだ。そういえば彼女は陽光を極力避ける。おかげで、更に不健康さが加速していくという寸法だ。


 黒いコンサバワンピースは七分袖で、黒く薄手のストッキングを身に着けている。猛暑日にしては、相変わらず季節感に乏しい恰好だ。


「……みたき」

「こんなところで会うなんて奇遇ね、孝太郎くん」

 彼女の前に、奇遇なんてものが存在するのだろうか。今ここで出会ったことも、どうせ狙い澄ましたものだ。


「私、遊園地が好き。孝太郎くんもそうでしょう?」

「……まぁ、人並みには」


「行きましょうか」

 彼女は俺の横に立つと、歩き始める。着いて来い、ということらしい。


 みたきの周囲は、そこだけ温度が十度ほど低いように感じられた。

 まさかそんなはずはないが、現実にこんなにも冷えている。


 ポケットの中に入れた携帯電話を、俺は気取られないように操作し、研究会員に連絡する。「神庭みたきを見つけた」と。

 こんなことしてもどうせ彼女にはバレそうだが、こそこそしておくに越したことはない。


「家族連れにカップルに友達同士に――多くの人がいる」

 幼馴染は、行き交う人々の姿に目を遣りながら話し始める。


「でもね、アミューズメントパークという名とは裏腹に、あちこちに不和の種が撒き散らされているの。耳障りな子どもの泣き声や駄々をこねる声。そういうものに手を焼いたり、長い待ち時間でうんざりしたり、喧嘩を始めたり。楽しまなければならないという義務感に急き立てられた人々」


「……好きなんじゃないのか? 遊園地」

「好きよ。だって、面白いじゃない」

 くるりとこちらに向かい直るみたき。


「孝太郎くん、観覧車に乗りましょう。その方が園内を一望できるもの」




 ▶ ▶




 見上げると、円状に並んだゴンドラと、そこに乗っている人影を捉える。

 各部にイルミネーションが取り付けられているが、こんな真っ昼間だ、当然点灯はされていない。


 みたきは傘を閉じて、観覧車に乗り込む。その後に俺も続いた。

 二列のシートに、向かい合う形で座る。


 透明なポリカーボネートの板で囲われたゴンドラが、ゆっくりと空に登っていく。

 離れていく地面。少し響く機械音。


 正面に腰掛ける幼馴染は、見慣れた冷笑を浮かべながら、窓の外に視線を向けていた。

 眼下には、行き交う人々、遊園地の敷地を囲むようなジェットライダーのレール、大きく前後に傾くバイキング――楽しい夏休みが広がっていた。


 観覧車に連れてきて、一体どういうつもりなんだろう。

 まさかのんきに遊園地を散策したいわけでもないはずだろうに。


 一緒に遊園地を歩いて、観覧車に乗って――まるでデートのようだ。

 もっとも、今の状況はそんな牧歌的なものとは程遠い。


 待ち受けているのは、広がる黒色と大量の死。

 だから俺は、みたきを下さなければならなかった。その先に、彼女の死があったとしても。


「俺はさ、お前が人殺しなんてしない人間だったら、これから先も仲良くやっていけたと思うよ」

「珍しいわね。あなたがそんなことを言うなんて」


 確かに、今の言葉は「人は誰しも固有の人生を持っていて、その全てが尊重されるべき」からは外れていた。

 でも、心からの言葉なのだから仕方がない。


「でもね、私はこう﹅﹅なの。孝太郎くんなら、わかってくれるでしょう?」

「ああ」

 残念なことに。


「世界は時間と空間と――魂でできている」

 彼女の唐突な話し口も、随分慣れた。


「だけど、この通り時間は人間の思うがままになる。止まった時間の中では、空間を占有できる。そして、世界のウィークポイントたるこの時枝の地ならば、世界を完全に壊し、終わらせることすらできる。私には、できる」


 その言葉は、傲慢ではなく事実を断言する口調だった。


「私は何度も時間操作を繰り返した。たぶん私以上に時間操作を得手とする者はいないわ。過去にも未来にも。もうなんだって――なんだって――なんだってできる」


 窓の外、下界を見ると、多くの人々がいた。その頭の数だけ人生があって、今日こうして遊園地に来たことにも多くの運命が絡んでいるのだろう。

 だが、みたきからすれば、それら全ては掌上のものでしかない。

「でもね――手に入るものなんて、これ以上につまらないものはないわ」


 彼女にとって手に入らないもの。

 それが己が身の破滅、なのだ。


 ふつうの人間だったら、こんな傍迷惑なことはしない。

 しかし幸福を追求する権利は誰にでもある。……他人の権利を侵害しない限りにおいて、だが。

 彼女に自身の幸福を棄却させることしか、世界は神庭みたきを許容し得ない。


 さっさと終わらせてやることが、一番なのだろう。

 世界のためにも、眼の前の少女のためにも。


 俺たちを乗せたゴンドラが、頂上に達する。しかし途端に、観覧車が大きく軋んだ音を立て始めた。

 如何せん乗ってるものが乗ってるものなだけあって、焦らずにはいられない。


 けれど心配も虚しく、観覧車が止まる。

 何かがおかしい。異常でもない限り、アトラクションが急に止まることはないのに。


 立ち上がって、窓から外の様子を伺う。すると観覧車のフレームが、隣のゴンドラが、真っ黒に染まっていくのが見えた。

「な――」


 全てを飲み込もうとする闇は、俺たちが乗っているゴンドラにも到達する。椅子も窓も、黒色に変容する。こんなの、ラネットしかあり得ない。

「お、おい、みたき、何をしたんだ?」


 悠然と漆黒の中に腰掛ける幼馴染。薄い笑みを作る口元は、開かない。説明する気はないようだ。


 彼女は緩慢に立つと、その手で観覧車のドアに触れる。扉はわずかに揺らいだかと思うと、すぐに霧散した。

 縦に長い長方形に切り取られた空が、現れる。


 みたきは、空のふちに手を掛けた。

「ねえ、孝太郎くん」

 その赤い瞳が、こちらに向けられる。

「私を終わらせてくれるわよね?」


 嫌な予感がした。

 今から目の前で何が起こるのか、わかってしまった。


「お、おい――」

 制止の声も聞かずに、みたきは空中に身を投げた。


 ふわり、とワンピースが広がる。約三十五メートルの高さを、落下していく。重力に従って、彼女の細い身体が小さくなり、地面に近づく。


 だが、神庭みたきが地面に叩きつけられて、ばらばらになることはなかった。

 気づけば、遥か地上に悠々と立っている。こちらを一瞬見上げてから、傘を開いて歩き出した。


「お、お前なぁ……」

 そんな呆れの声は、彼女には届かないだろうが。


 恐らく、時間操作を駆使して落下の衝撃を消したのだ。便利なものである。


 だが、俺はここからどうやって脱出すればいいのだろう。

 携帯電話を開くと、どういうわけだか圏外になっている。


 観覧車には脱出用の通路もはしごもない。柱を伝って降りることもできない。

 救助が来るのを願うしかない。


 しかし、救助が来るまでどれほどかかるのだろう。

 待っていたら、全てが終わってしまう。


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