17 終わらせるために


「計画は滞りなく進んでいるわ」

 盗聴器の受信機から流れる神庭みたきの声は、音質が悪く機械じみて聞こえた。


「ふふ、とても楽しみだと思わない? いよいよ全てが終わってしまうのよ」

 だが、揺らぎを含んだ不安定な声は相変わらずだった。

 距離が遠いのか、ただ何も話していないだけなのか、会話相手の声はよく聞こえない。


 恐らく相手は、ひとりか精々ふたりだろう。信者たちの大部分にも詳細を教えていない計画なのだから。


「今回の実施場所の選定には手間を掛けたけど……やっぱり冴木さえきメリーランドしかないと思うわ」

 冴木メリーランド。

 皆原市にある遊園地だ。


「愚昧な人間たちを闇に帰して浄化するには、こういうにぎやかで楽しい場所が打ってつけでしょう?」


 信者相手だからか、その語り口はカルトモードだった。

 実際は、主義主張もへったくれもない、性質が悪い破滅願望者なのに。


「世界に幸福などないのに、そこから目を逸らして、存在しない喜びを求めて無駄に生を選んでいる民衆に、真の安寧とは何かを教えてあげるの。だから、遊園地全てを黒色の中に引きずり込まなければならないわ」


 遊園地、全てを?

 そんな規模、到底不可能だ。

 現在のみたきのシンパは精々十人足らず。そんな人数にできるわけ――


 そこまで考えて、はっとする。

 彼女には、時間を操作する術があるじゃないか。


 以前ライブハウスで、笠沙さんはホール丸ごと時間を止めてみせた。

 みたきなら、遊園地の全敷地という広大な範囲を掌握できるんじゃないか? きっと彼女だったら、機械すら使わず容易に。


 そんなの――まさしく神の領域じゃないか。

 静止した時間の中で、全てを消し去るつもりなら。それほどの歪み、紛れもなく世界は終わってしまう。


 カルト集団の指導者は、言葉を続ける。

「その日冴木メリーランドを訪れた者は、楽しいアトラクションと一緒に、ひとり残らず消してあげましょう。期待しているわ――」




 ▶ ▶




 みたきの計画を聞かされた民俗学研究会の面々は、黙り込んでいた。

 古びたダイニングルームの中には十人に及ぶ人間がいたが、誰ひとり口を開かなかった。


 盗聴で入手した情報を、俺は話した。

 向こうが尻尾を出すのに、かなりの時間は掛かったが、どうにか辿り着けたのだ。


 遊園地を丸ごとラネット化させ、全てを消し去る計画。生じる歪みの大きさも、前代未聞だろう。どれほど世界に影響を及ぼすのか、考えたくもない。


 実行予定日は、夏休みの日付だった。

「夏休み中って……家族連れも多くなるじゃん!」

 上木さんの声。


 もちろん、わざわざ人が多くなる時期を狙ったのだ。あいつにとっては、犠牲者が多ければ多いほど愉快なことになるから。


 俺は、調べておいた情報を話す。

「しかも、その日は冴木メリーランドでイベントがあるらしいんです。水遊びイベントとかなんとか……。一年の中でも一二を争う入場者数になる可能性もあります。入場者数は、一万人に及んでもおかしくない」


「そ、そんな……」

「正気か……?」

 ダイニングルームに、震えの混じった声が響いた。


 一万人。ライブハウスでの観客五百人とは、桁が二つも違う。

 いや、そもそもライブハウスの計画なんて、彼女にとっては他愛もない遊びに過ぎなかったのだ。


 手に入れた情報は、これだけだ。

 計画の詳しい概要については不明のままである。遊園地全体を空間停止させるというのも、俺の推測止まりだし。


 部屋の中の空気が、お通夜のようになる。誰もが、どうすればいいのか測りかねていた。

 あまりに強大な敵に、打ちのめされようとしていた。


「神庭みたきの所業は、狂気の沙汰としか言いようがありません」

 葦原教授が、口を開いた。


「彼女は恐らく、本気で一万人近くもの人々を、死に至らしめようとしているのでしょう。いや、それだけではない。真の目的はその先――世界の終わり。全人類、現在のみならず、ありとあらゆる過去と未来、並行世界全ての崩壊。神庭みたきは、人類の敵です」

 ダイニングルーム内にいる全員が、教授の話に耳を傾けていた。


「あの悪鬼の所業を知っているのは、ここにいる我々だけです。ほかに協力者はいません。下手に口外すれば、より危険な事態になりかねませんから」

 むしろ、俺たちがラネットについて広めるのは、みたきにとって大歓迎だろう。世間はより混沌を極め、収集がつかなくなる。


「なんとしてでも、やるしかありません。彼女を止められるのは、世界を救えるのは、我々だけなのですから」


 研究会員の何人かが、重々しくうなずく。

「そ、そうですよ……」

 笠沙さんも声を揃えた。


「僕たちがなんとかしなければ、一万人もの人々は、世界は、無残に蹂躙されるだけです。どうにかして、方策を考えないと」


 まだ苦い顔をしているメンバーが大半だったが、彼らの瞳は少しずつ前を向く。これから先どうすべきか、考えている顔だ。

 葦原教授の言葉は、場の空気をがらりと変える力があった。


 自分も、胸中で決意を新たにする。

 絶対に阻止しなければならない。


 俺が神庭家の蔵の地下から入手した、時間を操る秘術を書き記した本の一部。

 それについては危険すぎるから、民俗学研究会の人間にも誰にも明かしていない。


 見せても易々と読める人はそういないだろうし、そもそも読めても書かれている術が使えるとは限らない。


 事実、俺が読んでみても、文字を判読こそできても、意味はさっぱり理解できなかった。

 たとえるなら、英語の文章を見て、何のアルファベットが並べられているかはわかるが、文章の内容そのものは読み取れないときのような。


 恐らく神庭家の中では教えるまでもない初歩的な操作術が省かれていたり、感覚的な記述や独自の言葉が多く部外者には伝わらなかったりと、あらゆる意味で読みにくい本だ。


 俺にはきっと時間を操る才能がない。時間移動できたのも、ほとんど偶発的で、意図的には再現できない。


 だから、この本を活かせるのはもっと別の人間。

 そしてその人物は慎重に見極めなければならない。


 強大な力は救世の神秘にも大量殺人兵器にもなる。

 第二第三の神庭みたきが生まれるかもしれないのだから。




 ▶ ▶




 実行予定日には、幸か不幸かまだいくらかの時間があった。研究会の面々と、毎日のように作戦会議を行う。葦原教授は多忙のため、なかなか洋館に顔を出せなかったが、コミュニケーションツールなども交えて、話し合いを重ねる。


 学校とみたき対策の二足のわらじは続いた。

 もちろん、瀬名と会うのも欠かさない。


 普段と同じように夜の公園で過ごした後、彼女の家まで送っていく。だが、その日はいつもと違っていた。


「あっ、おばさん」

 実家の近所に住むおばさんが、柴犬――翁丸を連れて散歩していた。


「珍しいですね、こんなところで会うなんて」

「この子がね、いつもの道じゃ嫌だってぐずるのよ」


 人懐っこい柴犬が、俺の足元にじゃれてくる。俺は抱えていた荷物を置くと、翁丸を撫で始めた。


「まぁ孝ちゃん、こちらのかわいいお嬢さんは?」

 おばさんの問いに、

「部活の後輩だよ」


「韮沢瀬名です。はじめまして」

 冷たい声色を発して、瀬名は辞儀する。すっかりよそいきの硬いモードになっている。


「瀬名、この人は近所に住んでる人なんだ。それで、こっちが翁丸」

 傍らに立つ少女が、少しかがんで犬を覗き込む。普段あまり動物に接する機会がないのだろう、その顔には物珍しさが浮かんでいた。


「お嬢さん、遠慮せず触っていいのよ。この子、全く噛まないから」

「…………」

 瀬名は、どうするべきか迷っているようだった。


「折角だし、触ってみたらどうだ?」

 勧めてみると、後輩は恐る恐る柴犬に手を伸ばす。


 そういえば、前の世界で瀬名が翁丸に噛まれたことがあった気がする。一瞬止めなければと焦ったが、瀬名に触れられた犬は大人しいままだ。どころか、撫でられてうれしそうにしている。


「……毛が少しちくちくします」

 小柄な少女は、おっかなびっくり犬を撫でている。


 そうか、この瀬名は一周目瀬名とは違うんだ。

 もう、あんな精神に異常をきたした殺人鬼ではない。




 ▶ ▶




 手を振って、おばさんと翁丸を見送る。

 姿が見えなくなったところで、瀬名は口を開いた。

「先輩は、犬派ですか?」


「ああ、そうだな。懐かれたときのかわいさはひとしおだし、忠義に篤い生きものだし」

 なかなか懐かなかった犬が、こっちにしっぽを振って駆け寄ってくるようになるところなんて、抱き締めたくなるほど愛らしい。


「だったら、その、先輩は将来家庭を持つとき、犬を飼いたいですか?」

 それは、なんとも一足飛びな質問だった。


「んー、そうだな――」

 どう答えるべきか、少し考える。


「帰ってきたとき、家に犬がいた方が楽しいかな」

「そう、ですか」


 瀬名は黙り込んだ。考え事をしているらしい。犬と暮らす生活を、想像しているのだろう。俺は別に、新たに犬を飼う必要性を感じなかったが。

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