16 境界の先


「神庭みたき、会場への到着を確認。引き続き監視を続けます」

 耳につけたワイヤレスイヤホンからの連絡を聞いてから、俺は行動を始める。


 瓦屋根の大きな屋敷、神庭家の周辺には不審な影がない。みたきの息が掛かった者の目がないことを慎重に確認してから、敷地内に入る。


 作戦を唯一知っている葦原教授に、家の周囲の監視を行ってもらっている。

 近づく者がいれば、合図してくれる手筈になっていた。


 土蔵の入り口には錠前で鍵が掛かっていたが、何分つくりがシンプルなので、似たような形の鍵を差し込めば開いてしまう。

 俺が親切な幼馴染だったら、不用心だから鍵を変えるよう忠告するが、そんな義理はなかった。


 何度来たかわからない、埃っぽい空間。

 この場所の主は、珍しく不在だった。


 監視カメラや何らかの罠がないことも、丹念に調べる。見慣れている場所だけあって、変化があればすぐわかる。


 今はまだ、この行動に意味がないかもしれない。

 だが、未来で事態を察知したみたきが時間移動し、罠を仕掛けた際に意味が生まれる。常に時間移動を予測した行動を取らなければ。


 安全を確かめてから、本棚の隙間に盗聴器を仕掛ける。本来ならコンセントに仕掛けて、バッテリー切れの懸念をなくしたかったが、生憎ここには電気配線が通っていない。

 バッテリーが尽きるまでの間しか盗聴できないが、詮無きことだ。


 盗聴器にはVOX機能――音声起動機能がついているため、周囲が無音のときは電池を消耗しない。また、その間は電波も発さないため、盗聴器発見機に探知される危険性も減る。


 ふと、床に落ちている如意宝珠が目に入る。これを持ち出せれば、どれだけ楽になるだろう。

 だが下手なことをして潜入に勘付かれるのはまずい。


 盗聴器を仕掛けるという目的自体は完遂できたが、盗聴はあくまでも情報収集。仮に上手く行ったとしても、そこから先の対策はまた考えなければならない。

 ここで、攻めの一手を打った方がいい気がした。


 畳の下に、地下室に続く扉があることを、俺は知っていた。

 この世界ではその先に行かなかった。だが、一周目では行ったことがある。十五歳の誕生日に、ほかならぬみたきに誘われて。


――ここにはね、我が家に代々伝わる貴重な書物がたくさんあるのよ。


 土蔵にある書物は古いものの、文学書や歴史書といったものばかりだ。神庭家独自のものとは言えない。

 真に先祖伝来の本は、地下にある。


 みたきの一番の厄介さは、時間操作の力量にある。ラネットの扱いはもちろん、彼女は息をするように時間移動できる。

 そんな彼女に打ち勝つには、こちらもいくらかの能力を得た方がいい。




 ▶ ▶




 地下は暗く、あらかじめ用意していた懐中電灯で照らす。

 空気が淀んでいて、胸につかえるようだった。静まり返っていて、何の音もしない。


 まず目についたのは、いわゆる座敷牢だった。

 木製の格子は檻以外の何物でもなく、中には生活していくために必要最低限のものが、質素に設けられている。刑務所然としていた。


 屋敷は、地下に牢がないとダメなのか?

 古い畳には黒い汚れが広がっており、血の跡にも見えた。一体ここで何が行われたのか、想像したくもない。


 座敷牢から離れて少し歩くと、本棚があった。試しに一冊手に取ってみる。

 相当古いものらしく、和綴じ本で紙は黄ばんでいた。中を開くと、墨で直接書かれた文字が並んでいる。


 流れるような筆さばきだが、如何せん草書体だ。ほとんど別言語にも等しいような、崩れた文字が並んでいる。今の時代だと、読める人間は限られるだろう。

 だが、俺は古典に親しんでいることもあって、いくらか読めた。


 この本は、神庭家の歴史について綴っているものだった。これはこれで興味深いが、今の目的とずれている。

 次々と本を調べていくと、目当てのものに行き着いた。


 時間を操る術について記された書物。

 神庭家の秘中の秘。

 今俺の手の中には、世界を大きく揺るがす知識がある。


 数冊分あり、全て持ち帰りたかったが、さすがに危険だ。

 俺は携帯電話を取り出すと、重要そうなページだけを撮っていった。




 ▶ ▶




「模試が終了しました」

 ワイヤレスイヤホンから、葦原教授の声が聞こえてくる。


 そろそろここを出なければならない。

 俺は、動かした物を元に戻し、忍び込んだ痕跡を極力消す。畳も、積もった埃の跡に合わせて敷き直す。みたきに決して気付かれないように、神経をすり減らす必要があった。


 それが終わると、すぐに立ち去る。

 仕掛けた罠が、無事に機能することを祈りながら。




 ▶ ▶




 盗聴器は問題なく作動している。

 時折、みたきと信者たちの気が狂った会話を聞くことができた。だが、「全てを終わらせる計画」に関しては、話に出していない。


 シンパたちを尋問しても何も出てこなかったように、みたきが計画をあまり口にしていないことは予想通りだ。

 だが、恐らく計画は大規模。みたきだけで行えることではないだろう。誰かしら協力者がいるに違いない。


 その相手と密談するときが、きっとやってくる。

 狙うべきは、そのタイミングだ。


 盗聴は重要だが、いつも公園に行く時間がやってきた。

 俺は夜道を歩いて、目的地に向かった。


 さらさらの髪をショートカットにした女の子が、ベンチに座っている。

「ごめん、遅くなったな」

 そう声を掛けると、後輩は笑顔を見せる。


「いいんです。わたし、いくらでも待ちます。先輩を待っている時間は、苦じゃないですから。先輩のことを考えていると、あっという間に時間が過ぎていくんです。わたし、先輩のことずっとずっと待っていますから」


「あ、ありがとう」

 本当にいつまでも待っていそうだから困る。


 瀬名は、木炭で白いキャンバスの上に下書きしていた。

「すごいな。線に迷いがない。完成形がもう見えてるみたいだ」


「昔から習ってきただけですから」

 彼女は恥ずかしがるばかりだ。


 その様子を見て、ふと思い出す。

「そういえば、木炭そろそろ買い足さないといけないんだった。明日の部活までに忘れないようにしないと」


「先輩の家と同じ通りに、画材屋がありましたよね」

「ああ……あれ? 瀬名、俺の家知ってたっけ?」


 前の世界で彼女が家に来たことはあるが、この世界では呼んだことなどない。帰りはいつも彼女の家まで送っていくから、俺の家に寄ったこともない。


 そう訊いた瞬間、目の前の少女の顔色は変わって口ごもる。

「え、あ、えっと……鴇野ってあまり見ない名字ですから。前にたまたま鴇野って書いてある表札が目に入って、それでそこが先輩の家かなって……」


「へえ……そうか」

 果たして本当なのだろうか。前の世界の彼女は、GPSや盗聴器で俺の行動を隈なく追っていたが。まさか今の瀬名もそうしているわけじゃないだろうし。


「瀬名、今度うちに遊びに来るか?」

「ええ……っ」

 俺の家に興味があるのなら、その方がいいだろう。


「えっと、その……先輩がいいのでしたら……」

 こうして、今度瀬名を家に呼ぶことになった。




 ▶ ▶




 瀬名を家まで送った後、俺も帰路につく。

 不意に、先程の会話が脳裏に浮かんだ。彼女が俺を尾けているのではないかと。


 聴覚に集中すると、後ろの方から小さな足音がする。

 普段は気づかなかっただろうが、意識するとわかる。


 俺は、道の角を曲がったところで足を止めて振り向く。こちらに追いつこうと慌てて角を曲がった瀬名と向かい合う形になる。

「あ、せ、先輩……」


 まさかとは思ったが、やはりついてきていたのか。

 結局一周目瀬名と、根本のところは変わっていないらしい。


「ご、ごめんなさい……」

 彼女は蒼白になっている。


「離れてないで、どうせなら一緒に歩かないか?」

「え、でも、その……先輩の迷惑になるでしょうし……」


 隠し事が露見して、挙動不審のまま彼女は言葉を継ぐ。

「その、わたし、なんだか名残惜しくて……でも、これ以上先輩に貴重な時間を割いてもらうわけにはいかないし、だから、その……」


 ただ、俺ともっと一緒にいたかったのだろう。そして、彼女は一方的に俺を見つめているだけで、ある程度満足できるのだろう。


 正直人殺しされることに比べたら、これくらい何も感じなかった。瀬名がそういうタイプだというのは、とっくに知っているし。GPSや盗聴器が出てこない時点で、随分平和だとすら思える。


「俺も、瀬名ともっと一緒にいたいよ」

 不安そうにしている女の子を落ち着かせるために、そんなことを口にする。


「ほ、本当ですか?」

「ああ」

 その返答を聞いた途端、彼女は表情を浮かべる余裕すらないのか、無表情のまま話しかけてくる。


「それなら、ずっとずっと一緒にいましょう? もうほかの人も、ほかのことも全部どうだっていいんです。先輩も同じ気持ちでいてくれますよね? それで、ふたりきりで――」


 そこまで言ったところで、はっと我に返る。

「あ、ご、ごめんなさい……変なことを言ってしまって」

「い、いや、大丈夫だよ」


 別にそれで瀬名が安らぎを感じるのなら、好きなだけ後をつければいい、と思った。しかし、今回は少し問題があった。


「瀬名が夜道をひとりで歩くのが心配だから、家まで送ってるんだ。でも、結局俺の家についてきたら、元も子もないだろ? 一緒に過ごすのはまた別の機会にして、今日はひとまず帰ろう。送っていくから」


 特に、瀬名は俺を尾行している間、周囲のことなんて全然視界に入ってなさそうだし。


「ごめんなさい、二度手間にしてしまって……」

「いいや、いいんだよ」

 瀬名が気に病まないように、頭を撫でる。


 ストーキング行為は構わない。俺がみたきにかかずらっているところまで追って来られたら困るが、今の彼女にそこまでの時間的余裕はないだろう。


 重要なのは、「一緒にいたい」という願望を伝えず、隠れて行動するところだ。

 瀬名が心置きなく自分の意思を表明できるように、これからも頑張らないと。

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