15 打開策
みたきが行おうとしているという、全てを終わらせる計画。
依然として、その詳細は伺えなかった。
信者は何も知らないし、そもそも捕まえることすら難しい。
同じ手はもう通用しないということだ。
みたきのことだ、恐らく「重大な計画を進めている」という情報だけを渡して、こちらがやきもきしている様を楽しもうという魂胆だろう。
だが、決して思い通りにさせるわけにはいかない。
「鴇野くん、相談したいこととは何かな?」
葦原教授がコーヒーを机に置きながら、問いかけてくる。
第二民俗学研究室の中には、ほかに誰もいない。
話したいことがあると、時間を取ってもらったのだ。
「みたきが行っているという計画に関してです。情報を入手するために、新たな策を講じる必要があると思いました」
「ええ、そうですね。その顔だと、何か思いついた様子ですね?」
教授の言葉に、うなずく。
「俺は、みたきの蔵に忍び込もうと思います」
敵の本拠地に、忍び込む。
そして、情報を得る。
普段みたきにプリントを届けに行くようなこととはまるで違う。
彼女がいない時間を見計らって、決して気付かれないよう慎重に、極秘に行う必要がある。
以前、あの蔵に盗聴器を仕込むのは無理だと判断したことがあった。その考えは、今も変わっていない。
だが、それでもやるしかなかった。
「今度、共通模試が行われます。いつも蔵にいるみたきも、そのときばかりは出かけるでしょう。その際、研究会の人にみたきの監視をお願いしたいんです」
監視を付けておけば、潜入の途中でみたきが帰ってくる事態を避けやすい。
「みたきが外出している間に、俺が蔵の中に入って盗聴器を仕掛けます」
勝手をいくらか知っている自分がやった方が、勝算が高い。高一時点の模試の一回くらい、行かなくても問題はないし。
みたきの
時間移動には、身体ごと別の時間に移動する時間跳躍と、精神だけが別の時間の自分に移動する時間転移の二種類がある。
みたきが予知に使っているのは、時間転移だろう。時間跳躍では、同一時間にふたりの人間が存在するという強烈なタイムパラドックスに突き当たってしまう。
大きな歪みは、世界を終わらせるかもしれない。
それは、みたきにとっても望ましい事態ではないはずだ。自分の時間移動によって世界が終わっても、彼女が求める破滅とは程遠いからだ。
時間転移では、未来や過去に行ったところで、彼女に見え得る範囲のことしか知覚できない。
普段は卓越した記憶力と推察力で、予知を完璧なものに見せかけているだけだ。
それへの対策が、今回の作戦。
民俗学研究会がみたきの外出を見張り、その行動に不審なものがあれば、俺は蔵に忍び込まない。そうなると、みたきが俺の行動を突き止めるには、回りくどい手段を取らなければならない。
彼女が行う選択肢として考えられるのは、蔵にカメラを仕掛けて後から映像を確認したり、神庭家の入り口をひそかに監視する人間を設けること。
だが、相手が取りそうな対処がわかっていれば、こちらもさらに布石を打てる。
「また、俺の潜入はほかの研究会員には内緒にしてほしいんです。ただ、普段の監視の一貫として伝えてください。作戦を知っていると、もしかしたら態度に出てしまうかもしれませんから。会員同士で話題に出すかもしれませんし。あいつはそこから勘づきかねません」
作戦が漏れる可能性は、極力避けたい。
「なるほど。それではそういうことにしましょうか。学生に、こまめに監視の報告を行わせましょう。それを聞いた私が、君に伝えるというステップを挟むことで、隠密性を高めます」
「ありがとうございます」
蔵はあいつの本拠地だ。いわば、敵の心臓部。そこに自ら乗り込んで、神庭みたきの上を行かなければならない。
勝算は無に等しいが、みたきの好きなようにさせるわけにはいかない。
「ですが……君があまりにも危険ではありませんか?」
葦原教授は、心配そうな目をする。潜入者なんて、バレたらろくな扱いは受けない。最悪死もあり得る、と言いたいのだろう。
だが、みたきは俺を殺さない。そんな確信があった。
前の世界では、俺がラネットで消されかけるのを予期して、如意宝珠が渡るように図っていたようだし。
なぜだか彼女は俺を特別視しているようだった。
自らに破滅を与える存在だと。
だから、少なくともその望みを叶えるまでは、命を奪うことはないだろう。
「それは恐らく大丈夫です。みたきはむしろ、俺を守ろうとすらしていますから」
「……君たちの関係は、とても不思議ですね」
確かに、どう形容すればいいのかわからない。もう別れたから、恋人でもないし。
幼馴染というか、腐れ縁と言うべきなのかもしれなかった。
「そういうことなら止めませんが……身の危険を感じたら、すぐに離れてください」
「はい、ありがとうございます」
▶ ▶
『天体の運行』がある公園で、瀬名はキャンバスを見せてくる。
「その、完成しました」
このところずっと描いていた絵が、出来上がっていた。
桜をモチーフにした、コンクールに向けての作品だ。
「すごく綺麗な絵じゃないか!」
そう言って頭を撫でると、彼女は目を爛々と輝かせる。
「先輩、この絵を気に入ってくれたのなら、あげます。全部全部先輩のために描いたんですから」
「こ、これ、コンクールに出す絵だろ? まずは出展してみないか? もらうのはそれからでもできるし」
「あ、そ、そうですよね……ごめんなさい」
瀬名は我に返って縮こまる。
「先輩は、次はどういう絵がいいですか? わたし、その通りの絵を描きます」
「……んー、そうだな」
ここで、適当に題材を挙げることは容易い。だが、彼女のためにはならないだろう。
「瀬名は描きたい絵、ないのか?」
答えは、すぐには得られなかった。横に座る後輩は黙り込んでいる。
「わたし、先輩に喜んでもらいたいですから……」
こんなモチベーションで絵を描いていても、きっと彼女は最優秀賞を取り続ける。なんて――才能だ。
瀬名はぽつりぽつりと話し始める。
「誰かの言うことを聞いているのが、一番安心できるんです。どうすれば喜んでもらえるか考えるよりも、直接教えてもらった方が確実ですから」
だいぶ自分のことを話してくれるようになった。
少なくとも、前の世界の瀬名は決して話さなかったことを。
「瀬名のことをもっと知りたい」という俺の言葉に応えようとして。
本当は、自分のことについて話さない方が楽だろうに。だから、表情を暗くして、ときどき言葉を詰まらせて、たどたどしくも言葉を絞り出そうとしている。
「……じゃあ、もし嫌なことを求められたら?」
「わたし、あんまり嫌なことがないんです。ううん……その人の意に沿わないことをする方が、嫌なんです。わたしはただ、喜んでもらいたくて……喜んでもらえるのなら、嫌なことなんてなくなります」
明瞭過ぎるほどの優先順位。
その前では、彼女は全てを犠牲にしてしまえるのだろう。
「それに、その、わたしがわたしのままでいたって、ダメですから。少しでもその人に喜んでもらえるわたしにならないといけないから、言われたことに全部従っていれば、きっと、望まれるわたしに近づけるんです」
自分自身を嫌っている人間にとっては、自分を殺すことはむしろ喜ばしく感じられる。
まず自分を大切にしようという発想がないのだろう。
いや、むしろ身を粉にするほうが内罰的な思考に合致して、気が安らぐのかもしれない。優しくされるより手ひどく扱われるほうが性に合うというのはなんとも痛ましい話だが。
それでも、手荒に接するというわけにはいかないし。
「……何かを言い付けられるのは、いくらか期待されているということですよね? 何も期待されなくなったら、何かを言われることすらなくなりますから。だから、指示してもらえるのはすごくありがたいことなんです。こんなわたしに、少しでもそんな労力を割いてくれるなんて」
ありがたい、か。
それがもしも誰かの都合のいいように後天的に植え付けられた考えだったとしても、俺に否定する道理はなかった。
「だから、わたし、言いつけられるとうれしくて……必要としてもらえているんだって……。それに、言う通りにしていると、すごく落ち着くんです。これで喜んでもらえるって……これでずっと一緒にいてもらえるって……」
その姿を見ていると、瀬名がもし悪い人間にいいようにされたらどうなるのだろう、と心配になる。
以前彼女は俺に金銭を差し出そうとしてきたが、拒まれるどころか求められたら、際限なく渡すだろう。全てむしり取られるまで喜んで利用される瀬名の姿が、ありありと目に浮かんだ。
放っておけないほど、危うい子だ。
いや、そもそも彼女がそこまで誰かに心を開くというのが、容易なことではないか。彼女を囲う壁は、良くも悪くも誰も寄せ付けない。
「じゃあ、瀬名は色々言われる方がうれしいのか?」
彼女は小さくうなずく。
「全部全部、言われた通りにしているのが一番なんです。だから、その、先輩も……い、いえ、なんでもないです」
瀬名は、誰かに全てを委ねたいのだろう。
そしてそれが一番楽なのだろう。
とはいえ俺はそれに応えることが、瀬名のためになるとはあまり思えなかった。
俺がここで、「もっと自分の意思を持ったほうがいい」などと言ったら、彼女は俺の言葉に従って自分の意思を持とうとするのだろうか。あまりにも本末転倒だ。そもそも、こうしていることが彼女の自由意志に基づくものなのだから。
大体、持てと言われて持てるものではないだろう。
少しでも彼女が自分自身のやりたいことに素直になれたらいいのだが。
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