13 五彩の絢爛



「私ね、手は抜きたくないの。そうしたら敗北したときの楽しさが目減りするでしょう? だから、頑張ってね」


 みたきは気軽にそう言ってくれるが、とんでもない無理難題だった。

 これからも信者たちを焚き付けて人殺しさせる気のようだし。


 全く、なんであんな人間と幼馴染になってしまったのだろう。

 いや彼女に興味を持たれた時点で、命運は尽きていた。


 まずは引き続き、捕らえた信者たちの尋問を行った。

 情報を引き出すことも重要だが、主目的は信仰心を破り、二度とみたきに与することがないよう働きかけることだ。


 完全に正気に戻ったという確証が得られた人から、解放していった。

 身元は全て抑えているし、再びみたきと関わったら、何らかの罪で警察に通報したり、今度こそ消すとも言っている。

 向こうも探られて痛い腹しかないので、誘拐や監禁を表沙汰にする気はないようだ。


 彼らをラネットで消すという選択肢もあった。既に何人もの人間を殺めている罪人なのだから。その方が再び仲間に戻る懸念を解消できて、確実だし。

 しかし、そんな裁きを下す権利が俺にあるとは思えなかった。


 不破をはじめ、何人もの人間を俺は見送った。

 もうあんな女に引っかからないことを願いながら。




 ▶ ▶




 新幹線の窓からは、野趣に富む景色が高速で滑っていくのが見える。

 俺の座席と窓の間にはもうひとつ座席があり、小さな頭が外の風景に釘付けになっている。


 これから、東京で行われる東日本ジュニアピアノコンクール本選に向かう。

 どうせだし、瀬名と一緒に新幹線に乗ろう話になった。


「えへへ、その……すごく楽しみです。コンクールの日が早く来ないかななんて、初めて思ったんです」

 瀬名がこちらを見ながら言う。にこにこした表情と、弾んだ声。


「折角先輩に来てもらえるんですから、わたし、情けないところは絶対に見せられません」

 彼女にしては、強気な意気込みだった。


「なんだか、コンクールに行くっていうよりも、ふたりで旅行に行くって気分だよ」

「ふふ、そうですね。コンクールのときはいつもピアノの先生が付き添ってくれるんですが……今日は、その……無理を言って断りました」


 先生が傍にいなくて大丈夫なのだろうか。

 瀬名は見た感じ、一切不安要素はなさそうだが。


「あ、忘れない内に……先輩、これ、交通費です」

 差し出された茶封筒を、俺は数回瞬きして見た。

「ああ……ありがとう」

 受け取るのは気が引けるが、断ったらまた彼女が気に病んでしまうだろう。


「受け取ってくれてありがとうございます」

 瀬名はまたうれしそうに微笑む。お金を払っているのはそちらなのに、お礼を言われるとは。


 封筒に触れたときの感触が、少し妙だった。結構厚いというか……試しに中身を見てみると、往復の交通費の二倍以上くらいの額が入っていた。


「せ、瀬名、これ多くないか?」

「キリのいい数にしただけですから。気にしないでください」

 一万円札しか入ってないのに、キリのいい数字もないだろう。


「折角先輩の貴重な時間を割いてもらうんですから、これくらい色を付けるのは当然です。むしろ足りないくらいです。普段のことを考えれば。わたし、先輩に何もお返しできていませんから、せめてこれくらいのことはしないと……」


 俺は、どう言ったものか考える。

 友達付き合いにこんな金銭の授受を持ち込んでは、決してろくなことにはならないだろう。しかし、ただそれを伝えるだけでは彼女を傷つけてしまう。


「あのさ、俺がもし瀬名に、毎月お金を払うから仲良くしてくれって言ったら、どうする?」

「え?」

 突然の質問に、彼女は目を丸くする。しかし、すぐに答える。


「そ、そんな……お金なんて要りません。先輩からそんなもの受け取れませんし……お金のために、先輩と仲良くしているわけではありませんから」

「俺は今、それと同じ気分だよ」


「あ、ご、ごめんなさい……」

「謝ることじゃないよ。俺はお金なんて抜きで、瀬名と仲良くしたいんだ」

 小柄な後輩は、頭から湯気を出してうつむく。


「その……今日のコンクールは会場も大きくて、たくさんの人が来ますけど……わたし、先輩のために……先輩一人のために弾きます。そのために、今日まで練習してきましたから」

 その頬は赤く染まっていたが、瞳はまっすぐこちらに向けられていた。




 ▶ ▶




 本選だけあって、会場は予選よりも広く立派だった。

 子どもの演奏を見に来たと思われる家族の姿で、埋め尽くされている。


 そういえば、瀬名の両親は彼女の大舞台を見に来ないのだろうか。瀬名の様子を見るに、最早来ないのが当たり前といった雰囲気だったが。

 これだけだったら、単に親が多忙なだけかもしれないが、ほかの要素とつなぎ合わせると、嫌な想像をしてしまう。


 瀬名が自罰的思考なのは、きっと傍で彼女を責め続けた人間がいたからだし、人との距離感がおかしいのは、身近な人間と適切な関係を築けなかったからだろう。


 瀬名は家のことを何も話さないが、恐らく話したくないのだ。

 彼女が抱える不安の大きな原因は、親にあるのではないだろうか。


 とはいえ、その領域は俺には手を出しづらかった。

 できるとすれば距離を離すことくらいだが――一周目瀬名と一緒に暮らしていたのは、そういう意味ではよかったのかもしれない。


 そんなことを考えていたら、瀬名の演奏の順番がやってくる。

 予選と同じように水色のドレスを纏って、平均身長より随分低い女の子が大きなステージの真ん中に立つ。


 佇まいもお辞儀も、全て教科書通りの美しさ。

 名家の令嬢らしい気品に満ちた足取りで、彼女はグランドピアノに向かう。


 演奏が始まった瞬間、会場の空気はがらりと変わる。

 本選だけあって、今回のコンクールの全体のレベルは予選より大きく上回っていた。その中でも、彼女のピアノは傑出していた。


 烈火のような打鍵。情感の籠ったメロディは不安定さと紙一重なのに、ミスタッチが一切ない正確さに支えられている。

 居眠りをしていた隣の席の人間が、演奏の激しさに起こされる。そして、心を奪われたかのように聞き入る。


 瀬名の演奏には、耳を傾けないことを許さない力強さがあった。

 かと思えば、落ち着いたパートに入ると一転、穏やかで繊細な音を奏で始める。全ての疲れも、心中のわだかまりもほぐれるような心地良さ。


 心を掴んで離そうとしない。こんなの、中学一年生のレベルをとっくのとうに超えている。

 あの小さな身体にここまで大きな感情が含まれていたとは。


――渇望が強ければ強いほど、人の胸を打つ力になるんだって。


 それは、瀬名の絵を見たときに朝霧が言った言葉だ。

 渇した心が、技術の域を超えた魅力となる、と。


 今まさに、その意味を心から理解することができた。

 底なし沼のように、満たされることを乞い求める空洞が生むものを。




 ▶ ▶




 当然のように、瀬名が最優秀賞だった。

 会場内の人気(ひとけ)がない通路で待っていると、後輩が駆け寄ってくる。細い腕で、もらったばかりのトロフィーを抱えていた。


「先輩っ」

「瀬名、おめでとう。演奏すごかったな。聞き惚れたよ」

 そう言うと、彼女は上気した頬をさらに紅潮させる。


「わたし、舞台の上から先輩を見ていました。どれだけの数の人がいても、すぐに先輩のことを見つけられるんです。だって、あなたは特別だから。弾いている最中も、ずっと先輩のことを考えていました。全部全部、あなたのために弾きました。ほかの人なんていらないくらいです。むしろ、邪魔なくらい」


「あ、ありがとう、瀬名」

 そう言うと、彼女はうれしそうな表情を見せる。

「えへへ、こんなわたしなんかのピアノでいいなら、いくらでも弾きます。先輩に喜んでもらえるなら、いくらだって」


 こんなわたしなんかのピアノ、か。

 それは、今日コンクールに参加した全ての人に対する侮辱にもなり得る。彼女は、自分以下の成績の人間をどう思っているのだろう。きっと眼中にもないはずだ。


 しかし、それを口に出して言ったところで、折角の勝利の余韻に水を差す結果にしかならない。彼女は、そういった言動を控えるようにはなるだろうが、実際に胸中で思うことは変わらない。


「俺は、たとえば世界的なピアニストの演奏が聞けたとしても、瀬名の演奏ほど楽しみだとは思わないよ。瀬名が弾くから、聞きたくなるんだ」


「そ、そんなこと……」

 瀬名がうつむくと、そのつむじがよく見える。なんともかわいらしいつむじだ、と思った。

「瀬名は、高名なピアニストと俺、どっちにピアノの腕を褒められたい?」


「それは……もちろん先輩です」

「ああ、それと同じことだよ」

 そう言うと、瀬名はさらに照れたようで、どんどん縮こまっていく。


「折角最優秀賞を取ったんだ。おいしいものをいっぱい食べよう」

 瀬名はこくりと頷く。




 ▶ ▶




 その後は、一緒に東京を散策した。

 瀬名はきっとコンクールなどでたびたび東京を訪れているだろうに、あらゆるものを珍しそうに見ていた。


「瀬名、はぐれないように気をつけてくれよ?」

 こんな人混みの中で、よそ見ばかりしている女の子なんて、迷子になるのは必至といってもいい。そう思って、手を差し出す。


 彼女はぱちくりと俺の右手を見ていたが、やがておずおずと手を伸ばしてくる。それをぎゅっと掴んで、歩き出した。


「コンクールで遠出することは今まで何度もありましたけど……こんなに楽しいのは、今日が生まれて初めてです」

 確かに、瀬名は用事が終わればすぐに帰っていそうだ。


「人混みは苦手ですが、先輩と一緒にいるとなんだか安心します」

「あはは、しっかり手をつないでないとな」

 彼女はこくりとうなずく。


「こんなに楽しいのなら……わたし、また東京に来られるように頑張ります」




 ▶ ▶




 その後の瀬名の活躍はすごかった。

 絵画やピアノはもちろん、勉強は全国中学模試一位、英検一級合格、TOEIC満点などなど。枚挙にいとまがないほどありとあらゆる賞を総なめし、輝かしい成績を収めていった。


 モチベーションの有無が、ここまで彼女に影響を与えるとは思わなかった。

 もちろん才能と努力あってのことだが、前の世界の瀬名はここまでではなかった。


 天才少女として、地元の新聞はもちろん全国紙からも取材が来たが、「目立つことは好きじゃないから」という理由で断っていた。

 これだけ派手な結果を残しておいて目立ちたくないとは、と思わなくもないが、彼女にとってそれは目的じゃないのだろう。


 彼女が才能を発揮しているのはとてもいいことだが、少し引っ掛かることがあった。

 瀬名にとって、賞も功績も全ては手段でしかない。それ自体を望んでいるわけではないのだ。


 瀬名は、「こうすれば喜んでもらえる」「ずっと一緒にいられる」と思った手段に拘泥してしまう節がある。加減を知らずに。

 一周目瀬名と、本質は何も変わっていない。料理を作ることも、様々な分野で表彰されることも、人を殺すことも、彼女にとっては全て同じなのだ。


 とはいえ、それでも瀬名が幸福や安心を得られるのならそれでいい、のだろうか。幸せの形は人それぞれなのだから。


 時間は流れ、俺は高校生になった。

 みたきや信者をいくら妨害しても、彼らは止まらず新たな信者を増やす。最早いたちごっこの様相を呈しているが、それでもじわじわと手勢を削っていった。


 古典文学同好会は、作らなかった。いい思い出がないというのが一番の理由だった。

 古文の研究はひとりでもできるし。


 みたきも高等部に上がっていたが、普段学校に来ていないのにつつがなく進級していたのは驚いた。

 いくらエスカレーター式の一貫校だからって、出席日数の概念くらいはあるだろうに。

 まぁ、相変わらず蔵に籠って、よからぬことを企んでいるようだが……。

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