9 真夏の退嬰
「彼女は、ある日突然俺の目の前に現れたんだ。それで、一緒に世界を終わらせないかって……」
地下牢の中で、不破はぽつりぽつりと話し始める。
いくらかの時間を置いた後、彼は全てを明らかにすると決断した。
俺の尋問は、現実を顧みさせる契機として機能したようだ。
異常な空間から離れてみれば、そこが如何に常軌を逸していたかに気付かされる。信じていたものの浅薄さが突き付けられる。
そうなってはもう、殺人なんてできない。
信仰は麻薬のようなものだ。
今の彼は、憑き物が落ちたかのように抜け殻になっている。もうあんな凶行に及んだりはしないだろう。
「黒闇天様は――」
「神庭みたき」
「か、神庭みたきは、人を大量に消し続ければ、世界を終わらせることが可能だと言った」
ラネットは、世界にとって歪みだ。あまりにも増え過ぎれば、どんな悪影響を及ぼすかわからない。それこそ、本当に世界が終わってしまう可能性もある。
「人間は愚かで、消えた方がいい。世界を終わらせなければ、真の救済は訪れない」
「それを、みたきが言ったのか?」
「……ああ」
不破は、全てを話した。みたきが信者を勧誘する手口も、これまでどんなふうに殺人をさせられてきたのかも、何もかも。
みたきが率いるカルト集団は、人を消した数が多ければ多いほど称賛される空間だった。彼らは、より指導者の寵愛を得るために、競って人殺しをしていた。
なんとも狂った連中だと言うほかない。
「次の計画は、ライブハウスでの
「五百人……」
そんなの、今までの虐殺とは桁が違う。
「生じる歪みも、前代未聞のものとなる。こ――神庭みたきは、これで世界を決定的に終わらせるつもりなんだ」
▶ ▶
早速、成果を民俗学研究会の面々に報告する。重大な話なので、葦原教授も洋館に来てもらった。
十人の人間が、広いダイニングルームの大きなテーブルについていた。
「こういうわけで、近々恐ろしい計画が実行されるそうなんです」
俺の説明に、一同は苦々しい顔をしている。こんな話を聞かされて、困惑するのも当然だった。
「す、すごいですね、鴇野さん。どうやって聞き出したんですか?」
笠沙さんの言葉。
「俺は、みたきの幼馴染ですから。彼女について知ってる分、弱点も見つけやすいんです」
「あいつ、何しても業突く張りで話にならなかったのに! それを説き伏せるなんてやばいよ!」
驚嘆の声を上げたのは、上木さんだった。
黙って話を聞いていた葦原教授が、口を開く。
「演奏中のライブハウスという半密閉空間で、信者たちに一方的な虐殺を行わせるのでしょう。恐らくは息のかかった者に出口を塞がせ、逃げ場のない状況で……あまりにも悪逆非道です」
想像しただけで、地獄絵図だ。
手で触れられたら負け――なんて、まるで鬼ごっこのようだが。その先に待っているのは、ぬかるんだ暗闇。紛れもない死だ。
「絶対に阻止しなくてはなりません」
教授の声は重々しい。
「でも、止めるって言ったって、どうやって?」
「イカレ信者共は、確認できているだけで十人以上いる。俺たちより多いんだ。正面からぶつかって、勝てるのか……?」
口々に不安の声を漏らす、研究会のメンバー。
「出口を塞いだりする係もいるでしょうから、信者の全員が虐殺を行うわけではないと思います。それでも、五百人を消すのだからそれ相応の人数が投入されることも確かです」
一体どうやって阻止すればいいのか、見当もつかなかった。
ライブ自体を中止にさせる方向で撹乱することはできるだろうが、どうせ彼らは場所と時間を変えて似たようなことをやるだけだ。
そうなれば、一から情報の集め直しだ。
上手く信者から聞き出せるとも限らず、一切対策できないまま虐殺が実行に移される可能性もある。
「そういえば――」
各々が頭を悩ませる中、ひとりが声を発した。
「そこの鴇野って奴は、あの狂人教祖の幼馴染なんだろ? 信用していいのか? 内通者って可能性もある」
疑いを向けられることは、危惧していた。俺の存在はあまりにも異分子だ。民俗学研究会の面々からすれば、懐疑の対象となって当然だ。
「うーん、でも、鴇野くんって全然怪しくないよね? いい人そうだし!」
「た、確かに、何度も助けられましたし……。悪いことをするようには全く見えません……」
「最初に彼と話してみましたが、真摯に事の解決を望んでいることが伝わってきましたよ」
葦原教授も同調する。
よくわからないが、信頼を得られているらしい。
▶ ▶
「あの、笠沙さん」
長時間にわたる喧々諤々の作戦会議の後、俺は声を掛けた。
「な、なんですか……?」
白衣を着た半色の髪の男は、びくびくと振り返る。
「次の大量虐殺を止めるには、やはり空間停止が必要だと思うんです」
「そ、そうですよね……でも、もう失敗して迷惑を掛けたくなくて……」
平常時では、難なく行使できるのに。
いざみたきのシンパと相対すると、焦りと緊張で上手くいかなくなってしまうのだ。
ラネットや時間操作は、人の意志で行われる。だからこそ、精神状態はとても重要だ。
平然と人を殺して回れる一周目瀬名やみたきのシンパの方が、イレギュラーなのだ。
「では、緊張を克服する特訓をしませんか?」
「と、特訓、ですか?」
「緊張で失敗するなら、緊張しなくなればいいんですよ」
簡単な理屈だった。
「で、でも、そう簡単に克服できたら、苦労しませんし……」
「笠沙さん、成功できる自分になりたくはありませんか?」
「そ、それは……」
「特訓するだけなら、誰にも迷惑を掛けません。一緒に、頑張ってみませんか?」
「…………」
彼は、緩慢にうなずいた。
▶ ▶
神庭家の土蔵は、夏でも冷えた空気に満ちていた。
夏休みだから、みたきに届けるプリントはない。とはいえ、空いた日に蔵に顔を出すのは、幼馴染のよしみだった。
ふらっと立ち寄っても一切信者とバッティングしないのは、彼女の予知の賜物だろう。
「みたきは、夏休み何か予定あるのか?」
畳に腰掛けながら、問う。
「人殺しの予定なら、あるわよ」
「…………」
「ふふ、冗談よ」
みたきは楽しそうにくすくす笑っている。何が面白いのかわからなかった。
普段通りに、古典文学の話をする。
今間近にいる少女は、全ての元凶だ。それなのに、堅牢な壁となって立ちはだかっている。
物理的に捕まえようとしても、確実に防がれるどころか反撃を食らう。ラネットも効かない。対話など不可能だ。それほどまでに彼女の
たとえば、彼らの集会がこの場所で行われているというのなら、何らかの手段で拠点自体を潰すことはできるだろう。だが、そうしてもまた別の箇所を拠点にするに決まっている。結果、また新たに拠点探しを行うところから始めなくてはならない。時間稼ぎにはなるだろうが、こちらの方も同等かそれ以上の労力を払う羽目になる。
蔵から如意宝珠でも持ち出せたら、いくぶん楽になるのだが。ほかにも便利なアイテムがたくさんあるだろうし。
「今日は、久々に『本朝文粋』を読んでいたの。最近、大江以言がマイブームだから。それで――」
何事もなかったかのように、古典について話し始めるみたき。
ここで、「今日お前の信者を誘拐してきた」と言ったら、神庭家の一人娘はどんな顔をするだろう。
みたきは、全てを見透かしているかのように冷笑する。
だが、この底知れなさは演出されたものに過ぎない。彼女は、一介の十五歳の少女に過ぎないのだから。
▶ ▶
残忍な虐殺計画への対策は、順調に進んでいる。
笠沙さんとの特訓も。
夏休み中の部活。美術室で、部員それぞれがキャンバスに向かっている。いくら危機的状況とはいえ、日常をかなぐり捨てるわけにもいかない。出来る手は尽くしているのだし。
部屋の片隅で、見慣れた小さな後輩も絵を描いていた。
「瀬名」
そう呼ぶと、彼女はこちらに顔を向ける。しかし、その表情は冷たく、人間味に乏しい。
「なんですか?」
平坦な声色。その整った白い顔立ちと相まって、人形のようだ。
俺は連絡事項をいくつか伝える。
「わかりました」
静かに言葉を短く切って、瀬名はキャンバスに視線を戻す。それ以降の会話は認めないといった様子。
人目というものは、ここまで彼女を縛めるものなのか。
歳を重ねるごとに、彼女の外面が冷たく強固になっている。
小学生の頃はなんだかんだで隙だらけだったが、今はもう誰も寄せ付けない。
それは、彼女が他人を必要としていないからではなく、必要としたくないからだろう。
俺は自分のキャンバスの位置まで戻ると、横に座っている同級生が話しかけてきた。
「鴇野、よく韮沢さんを呼び捨てにできるよな」
「え?」
「いくら同じ学校でも、住む世界が違う人間っているんだよ。あんなに完璧で、同じ人間とは思えないほどの」
瀬名の呼び方なんて、全く気にしたことがなかった。
住む世界が違う人間、か。
確かに、彼女は「完璧」かもしれない。
才色兼備で家柄もよく、傍から見れば非の打ち所がない。夜臼坂学園には富裕層や才子才女も多いが、それでも一線を画している。
彼女が優秀であればあるほど、周囲の人間は近づき難く思う。
本人の纏っている超然とした雰囲気、他人を突き放すような態度も相まって。
だがその本質は、内気で純朴で、寂しがり屋な女の子だ。
一周目瀬名だって、名前を呼ばれるのが好きだと言っていたし。いきなり名字で呼ぶほうが嫌がるだろう。
▶ ▶
その日の夜も公園に行くと、黒髪をショートカットにした女の子がいた。
「瀬名」
そう呼ぶと、抱きつかんばかりの勢いで駆け寄ってくる。
「先輩っ」
あどけない笑顔をこちらに向けてくる。やはり「韮沢さん」なんて呼ぶもんじゃない。
絵を描いている瀬名を見ながら、取り留めもない話に興じる。
だが、不意に彼女は悲しげな表情になった。
「先輩、夏休みが終わったら、美術部を引退してしまいますよね」
「大丈夫だよ。そもそも部活ではあんまり話さないじゃないか。それに、絵画教室は一緒だろ?」
そう言ってみても、後輩の顔は晴れない。
「……先輩は、どうしてわたしに優しくしてくれるんですか?」
「え? どうしてって言われてもなぁ……なんとなく瀬名は放っておけなくなるんだよ」
瀬名は、自分の足元に目線を向ける。
「先輩がどうして優しくしてくれるのか、わからないんです。わからないものは――怖いです。だって、理由を知らないと、ある日突然なくなってしまうかもしれないから」
どうしてなんて、瀬名のことが好きだからに決まっている。
だがそんな言葉では、彼女の不安は解消できなさそうだ。
「先輩に優しくしてもらえるのはうれしいけど、でも、ときどきすごく苦しくなるんです。申し訳なくなって、居心地が悪くなって……。だって、わたしには何も返せるものがないから」
返さなくてもいいのに、なんとも真面目で窮屈な考え方だ。
「わたし、もっと絵を描きます。それでこれまで先輩からもらったものに値するとは思わないけど、それでも、少しでも先輩にお返ししたいから」
きっとこの気弱で口下手な姿が、強がっていない本当の姿なのだろう。
「瀬名は気づいてないかもしれないけど、俺は瀬名から色んなものをもらってるよ」
良いものも悪いものも。まぁ、前者の方が多いということにしておくが。
「そ、そうですか……?」
「瀬名と一緒にいると楽しいし、何も心配するようなことはないよ」
彼女の頭を撫でながら言う。不安に思うなら、安心するまで何度でも繰り返そう。
うつむいたままだが、張り詰めた空気がやわらいだのを感じる。
「先輩、その……今度ピアノのコンクールがあるんです。良かったら、その……」
彼女は言い淀んでいるが、言葉の続きは明白だった。
「ああ、行くよ。瀬名がピアノ弾いてるところ見たいし」
そう言うと、彼女の硬い表情は明るくなる。
「い、いいんですか?」
「もちろん」
「えへへ、先輩に見てもらえるのなら、わたし、いくらでも頑張れます」
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