8 縛めはあたたかく
不破の口を割らせるには、長期戦を覚悟した方がいい。研究会員があの手この手で脅しているようだが、成果はなかった。
……骨を折るような過度な暴力は、今のところストップが掛かっている。
「不破の尋問に関してですが、ちょっと俺に任せてもらえませんか? 前の世界での不破のことも知っているので、違うアプローチができると思うんです」
そう提案してみると、感触は悪くなかった。
「いいんじゃない? 鴇野くんならなんとかしてくれそうだし!」
と、上木さん。
「ふ、不破を捕まえた鴇野さんに任せるのは、ある種自然ですし……」
笠沙さんも同意見のようだった。
「まぁ、確かに鴇野の大手柄だったもんな……」
「思いつくことは全部やったし、一回任せるのもいいかもしれない」
ほかの研究会員も、口々にそう言う。
こうして、俺が尋問を担当することとなった。
▶ ▶
「……何をされても、しゃべらないからな」
檻の前に立った俺を見て、不破は言う。研究会員から代わる代わる問いただされ、その顔には疲労が色濃い。
尋問……か。
ぱっと思いつくのは、脅迫や拷問といった行為。だが、人道に反することはできれば避けたかった。
しかし中途半端にやると、嘘の情報や不確かな情報を流される可能性もある。
そうこうしている内にも、みたき達によって新たな犠牲者が生まれているかもしれない。一刻も早く、情報や次の大量虐殺の計画について聞き出したかった。
人は誰しも固有の人生を持っていて、その全てが尊重されるべきだ。それならば、俺はどうすればいいんだろう。
――あの男、消される前になんて言ったかわかるか? 『殺さないでくれ』だとよ。
五年後の未来で、不破は消される。十人以上の人を殺した罪業の末に。
自分自身で選んだ選択とはいえ、不破の最期は惨いものだったらしい。
だったら――俺は、それを阻止することで、不破俊頼の人生を尊重しよう。
「今から、お前が敬う黒闇天様について話す」
「そ、そんなこと聞くわけ――」
「黒闇天の本名は、神庭みたきだ」
「…………っ」
「その顔は……もしかして、知らなかったのか? 黒闇天の名前を。家にまで出入りしてるのに」
「そんなもの、必要ない! 彼女は存在そのものが特異で、神聖なのだから!」
不破の表情に焦りが浮かぶ。
やはり、ここが彼のウィークポイントだ。
「屋敷の表札くらいは見たことがあるだろう? 神庭家は皆原に古くからある旧家で、彼女はそこの一人娘だ」
「そ、それがどうした? そんなこと、どうだっていい!」
「俺は、神庭みたきの幼馴染だ」
目の前の男が、息を呑んだ。予想外だったらしい。
「同級生で、幼稚園の頃からの付き合いだよ」
携帯電話を取り出すと、みたきと一緒に撮った写真を探して、表示させる。
「見間違えるはずないよな? 俺の横に写ってるのは、お前たちが日頃から崇めている人間だ」
不破は一瞬画面を見た後に、目を背ける。
「彼女については、お前の何倍もよく詳しいよ。みたきは、夜臼坂学園に通う中学三年生だ。もっとも、学校にはろくに行ってないけどな」
ふたりしかいない部屋の中、檻を挟んで向かい合う。
「だから俺は、いつもみたきの家にプリントを届けに行っていた。神庭家の蔵に。お前も知ってるよな? いつもそこで集会してたっていうんだから。普段お前たちがうやうやしく通っているところは、俺たちが睦み合う場所だったってことだよ」
「そ、そんな話、信じるわけないだろう! いつまで話しているつもりだ!? お前の話などどうでもいい!」
不破は更に声を張り上げる。俺の言葉を遮りたいのだろうか。これ以上聞きたくないといった様子だ。
「みたきの性格もよく知ってる。あんなに性根が腐ってる奴は、なかなかいない。いつも全ての人間をバカにしているような態度で、他人を嘲弄するのが何よりの趣味って奴だ」
「そ、そんなはずがない! 黒闇天様ほど心根が清く、慈愛に満ちた性格の人間はいない!」
「心根が清い」も「慈愛に満ちた」も、神庭みたきとは対極にある言葉だった。
「そうか、みたきはそんなに上手くお前たちを騙しているんだな。でも、俺の前ではお前たちのことを、『思い通りになる手駒』とか『実験体』って言ってたよ。簡単に心酔してくるともな」
「う、嘘を吐け! 一体どこにそんな証拠がある! これ以上黒闇天様を侮辱するな!」
本当に俺の話を信じていないのなら、そんなに動揺するはずがない。彼は、心のどこかで信憑性を感じている。全部事実なのだから、当たり前だった。
だが四肢を縛り付けられて、耳を塞げるはずもない。
彼は、俺の話を聞き続けるしかないのだった。
「そして、神庭みたきは俺の恋人だった」
みたきの信者は、目を見開いた。
「向こうから告白してきたんだ。俺は一切恋愛感情を持ってないけど、付き合った。キスだって、みたきの方からしてきたよ。ファーストキスだったらしい」
きっと、不破はこういう話を嫌がるだろう。事実、目の前の男は、今にも俺を殺しそうなほどの憎悪に顔を歪めている。
俺は、恋人としての神庭みたきについて、詳らかに話した。
ふつうだったら口に出さないような、生々しいところまで、全て。
「や、やめろおおおおおおおおお!」
不破の絶叫が、地下牢に響く。だが、いくら叫んでも壁の向こうの土に吸い込まれるだけだ。
「この悪魔が! 犯罪者が! 今すぐ殺してやる! 黒闇天様がそんなことをするはずがない! ふざけるな! お前だけは絶対に許さない!」
我を失った彼は、暴言の限りをぶつけてくる。
「悪魔か。でも、その悪魔を選んだのは、お前の崇拝する黒闇天様なんだよ」
「…………っ」
言葉を失う不破。
この男は、みたきを恋愛対象として見ているわけではない、と思っているだろう。
だが神秘的な美少女でなければ、頭を垂れていなかったはずだ。
「お前たちが神のように崇めている人間の正体は、所詮こんなものに過ぎない」
いくら信じがたくても、彼の中には疑惑の種が植え付けられた。
もう以前のようには、盲目的にみたきを信じられないだろう。
神の解体。
彼を支えているものが信仰心なら、それを打ち崩してしまえばいい。
「また来るよ。それまでに、考えておいてくれ。今後どうするか。だけど――」
呆然としている男に、俺は背を向ける。
「神庭みたきは、そこまで信仰に値する人間か?」
▶ ▶
不破の尋問は、順調に進んでいる。だが、いくらか時間を置く必要があった。こればかりは急かしても仕方がない。
今日は、瀬名と一緒に甘いものを食べに、街に繰り出していた。
こないだ気まずい思いをさせてしまったお詫びも兼ねている。
「瀬名は何か食べたいものあるか?」
「え? わたしは、その、別に……先輩の、食べたいものでいいです」
「特に、具体的に食べたいものはないんだ。瀬名に食べたいものがあったら、それにしようと思ってたんだけど」
そう言うと、彼女は困ったようにうつむく。やはり、自分がどうしたいか訊かれるのが苦手らしい。少しの間待っていると、躊躇いがちに口を開く。
「えっと、わたし、その……この間見かけたんですけど、パンケーキがおいしそうなお店があって……」
「へえ、じゃあそこに行こう」
「い、いいんですか?」
「ああ。なんだかパンケーキが食べたくなってきたよ」
俺が笑顔を見せると、瀬名はほっとした表情になる。
▶ ▶
二人用の席に案内されて、小さな後輩はメニューをじっと見つめている。
「えっと……先輩は、どれがいいと思いますか?」
何を頼むか、決められないらしい。
「そうだなぁ、瀬名が気になってるのはどの辺だ?」
「この、チョコバナナパンケーキと、塩キャラメルパンケーキと……あと、ホットチョコレートパンケーキもおいしそうです」
「ああ、どれもおいしそうだな。チョコが好きなのか?」
わざわざ二つ挙げるほどだ。
「チョコレートも好きなんですけど、その、キャラメルも好きなので……」
「あはは、究極の二択だな」
俺が適当にパンケーキを見繕ってもいいが、彼女が自分で決めた方がいいように思えた。
「おいしかったらまた来ればいいじゃないか。夏休みなんだし、きっと機会はあるよ」
「また来るなんて……いいんですか?」
「もちろんだよ」
瀬名は顔をほころばせると、
「じゃあ、その……塩キャラメルパンケーキにします」
運ばれてきたパンケーキを、目の前の女の子は満面の笑顔で食べる。
「えへへ、すごくおいしいです」
その表情には、ヒーリング効果があった。
そういえば前の世界の瀬名と出かけたときも、塩キャラメルパンケーキを頼んでいた気がする。
「瀬名、キャラメル好きなのか?」
尋ねると、彼女はなぜか赤くなる。
「そ、その……色が、好きで」
キャラメル色。それは、色としてはあまりポピュラーではない気がした。
よっぽどキャラメルが好きなんだろうな……。
▶ ▶
カフェを出た後、街を散策する。
家電量販店の前を通りがかったとき、大画面のテレビに映し出されたニュースが目に留まった。
別れ話がこじれて、恋人を刺し殺した事件が起きたらしい。
前の世界のことを想起させて、だいぶ嫌な感じだった。
「……どうして」
横で見ていた瀬名が、小さくつぶやく。
「どうして、好きな人を殺したりするんでしょう?」
それは、心の底から疑問に思っているという声だった。
「わたし、好きな人にはたくさん長生きしてほしいです。それなのに、殺すなんて……嫌いな人ならまだしも」
「好きな人を、自分のものにしたいからじゃないか?」
「え?」
「そりゃ、ずっと一緒に仲良く過ごせれば一番だけど、それが叶わなかったら、殺して自分のものにするって考え方をする人もいるんだよ。どうでもいい相手だったら、そもそも殺したくならない」
「自分の、ものに……」
殺意は無関心からは生じないものだから。
「殺せば自分のものにできるんでしょうか? 一緒にいられなくなるのに……」
確かに、一口に自分のものにすると言っても、方法は様々だ。
精神的、物理的、社会的、経済的、などなど。
だからわざわざ殺すという手段を取る意味が、わからないのかもしれない。
それに前の世界のことを考えれば、瀬名にとっては、殺すということは邪魔な人間を排除する行為でしかないのだろう。
「人間にとって一番重要なのは命だろ? これからも続いていくはずだった未来や可能性、その全てを暴力的なまでに奪うことができるんだ。自分の手で。この上なく自分のものにできるとは思わないか?」
人は誰しも固有の人生を持っていて、その全てが尊重されるべきものだからこそ。
それが潰えてしまうのは絶対的だ。
結局のところ人間は死に対して無力で、抗うことなんてできないのだから。
「それに、別れ話ってことは、これから好きな人は自分のもとから離れていくわけだろ? そんな相手を殺すってことは、自分のものじゃなくなる好きな人を殺して――そんな未来も可能性も排するってことも意味するんだ」
自分のものにする、なんて突き詰めて言ってしまえば、相手から選択権を取り上げて、自由を奪取することだ。
殺すこと以上に、自由を奪う行為が存在するだろうか?
思い通りにならなくなったら、殺すメリットしか存在しない。
「なるほど……そういう考え方の人もいるんですね」
瀬名はあまり腑に落ちていないようだった。
「わたしは、やっぱり好きな人とずっと一緒にいたいです」
主眼をどこに置くかの違いだろう。好きな相手を所有すること自体に満足できるかできないか。
彼女には前者の人間が理解できないだろうし、別にそれでいいと思った。何も問題はないのだし。
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