7 誘拐ふたたび



 民俗学研究会の人々の手助けもあって、見事に不破の住所を突き止めることができた。


「うーん、あいつ、なかなか出てこないね」

 上木さんの気の抜けた声が、車内に響く。


 窓に濃いスモークフィルムが貼られた、銀色のワゴン車。その中に、俺や笠沙さん、上木さん、その他研究会の人が二名と、計五名が乗っていた。


 不破の家の近くに停めた車から、彼が外出するタイミングをじっと待っている。

 そして、不破が出てきたら捕まえて車に乗せ、山の洋館まで連れて行くのだ、


 ……言い逃れしようもないくらいに誘拐だが、仕方ない。相手は、触れただけで人間を消せるのだから。平和的な話し合いなど望むべくもない。


 俺の手には、上木さんが作ったラネットキャンセラーの手錠が握られている。ほかのメンバーも、似たような拘束具を持っていた。


「あ、ああ、ど、どうしよう、どうしよう、失敗したら……」

 笠沙さんは、挙動不審になりながら古びた機械を操作している。既に極限状態のようだ。


「笠沙、一々弱音吐くのやめてくんね? こっちの士気まで下がるんだけど」

 ハンドルを握っている研究会の男性が、ぶっきらぼうに吐き捨てる。

「す、すすす、すみません……」


 まずい、雰囲気が悪くなってきた。これでは、本当にヒューマンエラーを誘発しかねない。俺は口を開く。

「緊張するのも当然ですよ。でも、向こうはひとりで、こっちは五人もいるんです。失敗してもリカバリーがききますし。きっと大丈夫です」


「そ、そうですよね……」

 言葉とは裏腹に、笠沙さんの顔色はまだ悪い。


「そうだ、お茶を淹れてきたんですけど、よかったら飲みますか?」

 水筒を差し出すと、彼は受け取った。

「あ、ありがとうございます……」


 冷房の効いた車内では、あたたかい緑茶が効力を発揮する。

 笠沙さんも、少しは落ち着いたようだ。


「あ、不破が出てきたよ!」

 上木さんの声に、一同が窓の外に目を向ける。


 見間違えるはずもない顔。

 不破は、五年後に見た姿と大して変わらなかった。黒基調の服装で、背を丸めて歩いている。鞄すら持っておらず、近くのコンビニにでも行くのだろう。


 昼時の、静かな住宅街。人通りはなく、格好の誘拐日和だった。

「……行くぞ」

 運転手の簡潔な言葉。車内の空気が一気に引き締まる。


 ワゴンは、静かに不破に近づいていくと、急に大きく曲がって狭い道を塞ぐ。急に進行方向に立ち塞がれて、ぎょっとする男の表情が窓から見えた。


「笠沙さん、空間停止を――」

 彼の力で不破の時間を止め、ラネットキャンセラーを取り付けて連れ去る。そういう手順になっていた。


「あ、えっと、あ、あ、その……」

 だが、笠沙さんは機械の前でうろたえている。やたらめったら操作しているが、一向に空間停止される気配はない。


「おい、何してんだ!」

 運転手の怒号。

「あ、あれ? な、なんで……あれ? え?」

 涙目になりながら、笠沙さんの口から力のない声が漏れる。完全にパニックになっているようだ。


 空間停止なしで不破を取り押さえにいくのは、危険すぎる。少しでも触れられたら、その時点で消されてしまうから。


 ここは出直して、別日にまた挑戦し直すという手もある。

 だが、不破はきっと不審な車の動きを訝しんで、警戒するだろう。もしかしたらみたきに、この出来事を話すかもしれない。そうしたら、誘拐の難易度は一気に上がる。


 ……仕方ない。俺は一か八かで車から降りた。

「え、ちょっと――」

 後ろで誰かの声がしたが、気にしている余裕はない。


 不破は、車に背を向けていた。道が塞がれていて進めないため引き返すしかないし、すぐにおかしな車から離れようとするのは道理だ。


 彼は車の扉が開く音に反応して振り返ろうとするが、その隙は致命的なほどに大きい。

 急いで駆け寄った俺は、不破の背中にスタンガンを押し付けた――


「うぐっ!?」

 迸る電流と、うめき声をあげて倒れ込む男。俺はすかさず、その手首に手錠を掛けた。


「大丈夫!?」

 上木さんが慌てて車から降りてくる。

「なんとか取り押さえられました。急いで車に乗せましょう」

「う、うん……」


 車に押し込まれた不破は、民俗学研究会の面々に囲まれて、口に布を押し込まれたり、目隠しされたり、全身をぐるぐる巻きにされるなど、好き放題やられていた。


 ワゴン車が山奥の洋館を目指して、発進する。

 なんとか、不破を捕らえるという目的は果たされた。


 俺は、手元のスタンガンを見る。

 念のために用意したが……こんなに役立つとは。


 スタンガンで男の動きを止めて、拘束か……。この後は監禁も待ち受けているし。

 なんだか嫌な気分になってきた。因業とはこのことだろうか。


「……一応、不破の携帯電話の電源を切っておきましょうか。位置情報から居場所が探られると厄介です」

 まさか、彼の携帯に位置追跡アプリを仕込んでいるストーカーがいるとも思えないが。




 ▶ ▶




「す、すみません、本当にすみません……っ。僕のせいで、危うく失敗するところで……謝っても、許されることではないです……」

 洋館の地下室に不破を閉じ込めた後、笠沙さんは床に頭を擦り付けそうな勢いで謝り出した。その瞳には、うっすら涙が浮かんでいる。


「なんとかなったし、もういいじゃん。気にすることないって!」

 上木さんの明るい声とは反対に、ほかの研究会員は険しい顔をしている。


「お前、何度目の失敗だよ? もうこれからは、笠沙の能力を作戦に組み込むのをやめようぜ」

「うん、さすがにこれはね……犠牲者が出たら大変だし」


 空間停止は機械を用いてこそいるが、機械はあくまでアシストの役割でしかないらしい。人の意志に上手く方向性を与え、出力するための。

 大事なのは大本、時間を操作する人間の意志。


 だから、機械を使えば誰にでもできる術ではないという。研究会では、他人の時間を止められるレベルに至っているのは笠沙さんしかいない。


 だが空間停止を使わずに、みたきのシンパたちを捕まえるのはとても危険だ。今回はたまたま上手く行ったが、俺が消されていてもおかしくなかった。

 特に、複数人を同時に捕らえないといけない事態になったら、ほとんど必要不可欠だろう。


「笠沙さんは、きっと慌ててしまうんですよね。仲間の犠牲を出したくないって真剣に思っているからこそ、緊張してしまうんですよ」

 針のむしろにある彼を慰める言葉を並べる。


「空間停止は、すごく難しい術ですから。俺には微塵もできる気がしません。ほかの人よりできるからこそ、できないことを責められるのって、なんだか不思議ですよね。あまり深く考え込まないでください。今はとにかく、折角捕らえた不破をどうするかに集中しませんか?」


「そうだね。捕まえて終わりなんじゃなくって、ここからどう情報を聞き出すかなんだから!」

 合いの手を入れてくれる上木さん。この重い空気に、彼女の元気な声はありがたかった。


「と、鴇野さん、ありがとうございます……。危険を冒して不破を捕まえてくれたのもあなただし、本当になんとお礼を言ったらいいのか……」

 笠沙さんは涙を拭いながら、また頭を下げている。


「そうそう、鴇野くんすごかったよね! ばびゅーんって不破を取り押さえて」

「ああ、なんか気迫を感じた。修羅場慣れしてるって感じ」

「これまで、相当やばい状況を潜り抜けてきたんだろうな」


「あはは……」

 褒められているのだろうか。




 ▶ ▶




 洋館の地下には、鉄格子つきの部屋がいくつかあった。有り体に言うと地下牢だ。一体どんな用途で使われていた家なのか気になるが、深入りしない方がいいかもしれない。


「な、なんなんだお前たちは! 今すぐ解放しろ! これは犯罪だぞ!」

 檻の向こうに閉じ込められた不破は、泡を食って声を荒らげる。この反応も、既視感があった。


 彼の手足にはラネットキャンセラーの枷が嵌められ、自殺できないように危険物は全て取り払われている。一切身動きが取れず、ただこちらに罵声をぶつけてくるしかない。


「あなたは、黒闇天なる人物を知っていますね?」

「犯罪者どもと話すことなどない! 早くここから出せ! 手錠も外すんだ!」


「おいお前、質問に答えないと骨の一本じゃ済まねえぞ」

 車の運転手だった男が、脅しをかける。この人、荒っぽいな……。


「はっ、好きにしろ! お前たちに屈するくらいなら死んだ方がマシだ!」

「ちっ、じゃあガチでやってやるからな? お前、利き腕はどっちだ? まずはそこから折ってやるよ」

「さ、さすがにそれは……」


「お前たちのような蒙昧な輩など、所詮は暴力に頼ることしかできない蛮族だ! いつか神から天罰が下るぞ!」

 不破は強気のままだ。簡単には話してくれなさそうだ。


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