6 作戦


 夜臼坂学園は、夏休みに入った。これで自由になる時間が増える。大学もそろそろ夏休みに入るから、民俗学研究会の面々も動きやすくなるだろう。


 今日も、研究会の人と作戦会議を行う。

 だが、場所は安曇大学ではなかった。俺のような部外者の中学生が、頻繁に安曇大学に出入りすると、周囲に怪しまれる可能性があるという配慮だろう。


 笠沙さんが運転する車は、皆原市外の山にある古い洋館の前で止まった。あまり手入れがされていないのか、鬱蒼とした木々の中に埋もれるように建っている。


 ここは葦原教授の親戚のものらしく、ほとんど放棄されているため、今は民俗学研究会が拠点として使っているという。

 五年後尾上たちがこの洋館を使っている様子はなかったが、教授が代替わりしたから当然とも言える。


 屋敷の中はいくぶん掃除されていた。綺麗好きの学生でもいるのだろう。だが、歩くたびに劣化した床板が軋む。

 俺たち三人は、客間と思しき部屋に腰を落ち着けた。


 今我々の協力者は、俺を含めて全部で十人らしい。民俗学研究会のメンバー自体はもっといるが、命が脅かされる事態に関わりたくない者や幽霊会員もいるため、勘定に含まれない。


 交代制で神庭家や信者の見張りを行うには、それでも人数が足りないし、常時監視とはいかないらしい。

 こないだ神庭家の裏口の外で、みたきにキスされたことがあったが……。この反応を見るに、それは見られていなかったようだ。


「きょ、教授の方針は、神庭みたきの信者の対処で……我々も、その見解で一致しています」

「そうは言っても、簡単にできることじゃないし、困っちゃうよね~」

 なんとも気が抜けるような、笠沙さんと上木さんの言葉。


「これまで信者を何人か捕らえてきたと伺いましたが、どんなふうに行っているんですか?」

 前の時間で不破を捕まえる際も、相当骨が折れたのだ。


「えっとね、なんか不思議な力でばびゅーんと捕まえるんだよね!」

「不思議な力?」

「か、上木さん、まずはあなたの能力から説明した方がいいですよ……」


 目立つ外見の女性は、髪を指でくるくるいじりながら話し始める。

「あたしはね、なんかラネットを打ち消すアイテムを作れるんだって。うーん、説明しようにも難しいし、実際にやってみよっか!」


 彼女は、手首に着けていたビーズブレスレットを取ると、何やら念のようなものを込め始める。

「むむむーん……むむ……ええい!」

 見る見る内に、カラフルなブレスレットが黒一色に染まっていく。


「これ、みんなはラネットキャンセラーって呼んでるんだ。この黒くなったものを着けると、なぜかラネットが使えなくなるの。これで手錠を作ったりしてるんだよ」

 如意宝珠を、自分で作り出せるということか……?


 だが、如意宝珠は身に着けていれば、誰に触れられても消されないが、このラネットキャンセラーは、あくまで動作主――犯人が身に着けて初めて効力を発揮するらしい。

 つまり、俺たちが装着しても意味はなく、身を守れないのだ。


 とはいえ、色々応用が効きそうな便利な能力だ。これを使えば、多少は安全にみたきの信者を取り押さえられるだろう。


「あっ、このブレスレット気に入ってたのに! どうしよ~」

「か、上木さん、あなた確か、任意で能力を解除できたはずでは?」

「そうだった! 早速戻さなきゃ」


 彼女が再びむむんと唸ると、ブレスレットが元の色に戻っていく。

「すごいですね……」


「でも、笠沙くんも超能力使えるよね?」

「ええっ、つ、使えませんよ!」

「なんか、びびびーんってやってたじゃん!」


「そ、それはですね……また説明が必要になるのですが……」

 急に話を振られて、白衣の男性の声はひっくり返る。

「ぼ、僕は、ええと、これまでラネットについて研究してきて、空間のラネット化に成功したことがあるんです……」


 空間のラネット化?

 俺の脳裏に、尾上が以前行っていた実験が浮かぶ。実験室の内部全てを黒色に染めていた。


 不破を捕まえるときにも、尾上は研究会の機械を使って、彼の身体を部分的に黒化させ、動きを止めた。だが、あれは朝霧のサポートなしには実現できなかった。


「笠沙くんの能力はすごいんだよ〜! 機械をぽちぽちいじったら、広い範囲が一瞬で真っ黒になっちゃうの! しかも、敵は動けなくなるのに、仲間は自由に動けるようにもできるんだ」


 笠沙さんは空間黒化を安定して、更に応用を効かせて発動させることができるというのか?

 そんなの、みたきのシンパを一網打尽にすることも可能だ。


「ラネットキャンセラーを相手に取り付けるのも、結構大変だからね。笠沙くんの力で、その隙を作るって寸法だよ」


 賞賛されて、笠沙さんは頭を抱えている。

「き、期待しないでください……成功率もそんなに高くないんです。肝心なときに失敗しちゃうし……ああ、もうダメだ……十年老けた……」

 あまり褒めるとプレッシャーになるようだ。


 葦原教授がこのふたりを俺に紹介した理由が、わかった気がした。民俗学研究会の中でも、際立った能力を持っているからだ。

 むしろ、何の能力もない俺の方が浮いている気がする。


「鴇野くんは、時間移動できるじゃん!」

「ほとんど事故のようなものだったので、またやろうとしてもできないんですよね」

「大丈夫だよ! きっとピンチのときに大活躍するはず!」


 ピンチのとき、か……。瀬名がまた死ぬようなことになったら、時間移動できるかもしれないが。そんなのは二度と御免だった。


 上木さんが、あっけらかんと笑う。

「こういうふうに能力を使って、敵を車に押し込んでこの屋敷まで連れてきて、地下室に閉じ込めるって感じなんだ」

 思いっきり誘拐だった。


 ラネットは、皆原の地でしか起きない現象だ。だから、その外にあるこの洋館は、比較的安全と言える。みたきも彼女のシンパも、下手なことはできない。


「ひとまずは、皆さんの能力を使って信者を捕まえて、なんとかして情報を引き出すのがよさそうですね」

「そ、そうですね、同感です……」


 これまで、捕らえた信者は自殺してきたらしい。それだけは、阻止しないとな……。

 先日、葦原教授から聞いた話を思い出す。


――誰かが罪悪感に耐えきれず、告白したのかもしれません。


 民俗学研究会に届いた、告発の手紙。

 一体誰が送ったのだろう。有力な協力者になり得るのに。


 方向性が決まったところで、続いては誘拐――同行相手の選定だ。

 民俗学研究会がこれまで情報収集した、みたきのシンパのリストを見る。


 できれば加入してから日が浅かったり、信仰心が薄い人に当たりたかったが、生憎そこまでの情報は得られていないようだ。


「ん?」

 そういえば、リストに不破俊頼の名前がない。個人的な印象としては、信者の中でも屈指の危険度なのに。


 だが考えてみれば、五年後の連続失踪事件で、民俗学研究会は不破を容疑者候補に入れていなかった。疑っていたら、もっと早く不審な行動に気付けただろう。

 だから、この時点で民俗学研究会が不破を認識していないのは自然の摂理とも言えた。


 不破俊頼――みたき亡き後もその遺志を継ぎ、人々を殺して回って皆原市を混迷に陥れた男。あまりにも不穏分子だ。

 今はまだ目立たない信者のひとりかもしれないが、だからこそ早い内に芽を摘んでおく必要がある。


 俺は、不破についてふたりに説明した。

 前の世界では、ひとりで十人以上を消した危険人物であること。捕まえるのに、相当骨が折れたこと。再び凶行を起こす前に、止めたいこと。


「何それ! 超やばい奴じゃん! 早く捕まえようよ!」

「そ、そうですね……」


 以前、不破の住所も確認したことがある。さすがに詳細はうろ覚えだが、それくらいだったらまだ調査できる。


「では、俺達が狙うのは――」

 前の時間――未来での凶悪殺人鬼。

 不破俊頼。




 ▶ ▶




 細かい段取りなども話し合っていたら、一日はあっという間に終わった。

 だが、夜の公園に行くという日課は変わらない。


 瀬名は、キャンバスの上に筆を走らせながら話す。

「最近すごく調子がいいんです。早く先輩に完成したものを見てもらいたいって思うと、勝手に――」


 そこまで言って、はっと真っ赤になる。

「い、いえ、その……別に深い意味はない、ですが」


 彼女が俺に寄りかかりすぎているというのは、薄々感づいていた。そして、このまま放っておけば良い結果にはならないであろうことも。そもそも、前の世界で瀬名があんな極端な行動に走ってしまったのは、そんな不均衡が要因だろう。


 偏りすぎるからいけないのである。ほかに適度に頼れるものがあった方がいい。俺は、こちらでも作戦﹅﹅を考えた。


 まずは俺の女友達の中で、一番面倒見がいい人間に、瀬名の話をして興味を持たせる。そして、幸いにも食いついてくれた。


「あのさ、瀬名と仲良くなりたいっていう人がいるんだ」

「え、わたしと、ですか……?」

「ああ。瀬名さえよければ、一度話してみないか?」


 小柄な後輩は、首肯した。




 ▶ ▶




 多忙な瀬名と予定をすり合わせるのは大変だったが、夏休み中ということもあって、なんとか都合のつく日を見つけ出すことができた。

 場所は、こぢんまりとした喫茶店。スイーツがおいしいと評判のところだ。


「ええと、こちら、佐鳴さなるさん。俺の同級生なんだ」

「はじめまして、瀬名ちゃん」

 慈母のような笑みを、佐鳴は浮かべる。世話焼きで温厚な少女だ。


「私ね、ずっと瀬名ちゃんと仲良くなりたかったの」

「……そう、ですか」

 初対面の人を前にして、瀬名の表情は硬い。デザートすら注文せず、ただ紅茶に口を運んでいる。


「佐鳴は、バイオリンを習ってるんだよな」

「ふふ、そんなに上手くないけどね。前に瀬名ちゃんのピアノの演奏、聞いたことあるよ。すっごく上手で感動したわ」


 瀬名のくちびるは、きつく閉じられている。俺とふたりきりのときとは、まるで違う。

 話を振っても、「ええ」とか「まぁ」とか、短い返事ばかりだ。


 次第に、佐鳴も困り始める。瀬名抜きで会話に興じていても仕方ないのに、当の本人は黙り込んでいるのだから。

 仕方がないので、適当なところで話を切り上げ、佐鳴には先に帰ってもらった。


「……先輩、あの人ととても仲がいいんですね」

 うつむいたその顔から、負の感情を読み取るのは難しいことではなかった。


 見通しが甘かった。俺の友人という時点で、彼女は心を閉ざしてしまう。

 俺に対してだって、こうしていくらか素直に話してくれるようにまでに三年かかっているわけだし。


「今度改めて、俺とふたりで甘いものでも食べに行こうか」

「……はい」

 瀬名には悪いことをしてしまった。佐鳴にも。


 俺が友人を紹介する、という方法は無理だろう。

 とはいえ、楽しいことを分散させるのは重要だった。

 別に、人に限らない。何か新しい趣味を見つけるというのはどうだろう。


 たとえば、彼女は色んなところに遊びに出かけたり、甘いものを食べたりするのが好きらしい。とはいえ、そういったものは、前の世界で瀬名が言っていたことを踏まえると、なんというか、俺の存在が必要不可欠のようだ。


 別に俺がいなくても、出かけたり甘いものを食べることはいくらでもできる。しかし、瀬名の中ではそういうものじゃないのだろう。前の世界では俺を監禁してからは、ふたつともかなぐり捨てていたし。優先順位がすごくはっきりしている。


 だから、新しい趣味を見つけることを俺が手引きしたら、その趣味は俺という人間の下位要素にしかならない。分散どころか集中になる。

 では、やはり物事より人だ。瀬名にとってはそっちの方がモチベーションにつながりそうだし。


 俺の友人知人だということを明かさずに、俺の関わらないところで瀬名に根気強く接し続けて親しくなってくれそうな人間か……。

 そんな知り合い、いるわけない。


 ひとつ考えられるのは、瀬名に恋愛感情を持っている人間だ。しかし、仮にそれが上手いこといったとしても、その先にあるのは恋愛関係だ。対象が変わるだけで、何も解決しないような気がする。


 ……うーん、考えれば考えるほど困難な気がしてきた。

 そもそも、俺が瀬名と仲良くなれたこと自体が、針の穴に糸を通すような奇跡だったのかもしれない。


 そもそも、俺が関わらないような楽しいことを見つけ出す手伝いを、俺がするという前提に無理がある。

 どうすれば、瀬名が精神をかき乱されることなく平穏に暮らせるのだろう。少なくとも人殺しだけはやめてほしいが。


 これは……すごく地道な方法になるが、仕方がない。

 瀬名を息苦しくさせている一番の原因は、自分を信じられていないことにあると思う。それに、意思表示が苦手だから、どんどん溜め込んでしまう。


 そのため、瀬名が自分を認められるように、自分の気持ちを伝えられるように、俺が横から働きかけるのだ。


 こういうのは本職の人に任せた方がいいが、彼女自身にその気がなければ難しい。なんとか必要性を説いて行かせても、うつむいて黙り込んでいる瀬名の姿が目に浮かぶようだった。

 それに必要性を説けば、瀬名に自分の改善した方がいいところを認識させることになる。余計に彼女の自責の念を刺激し、逆効果となる気がする。


「俺さ、もっと瀬名について知りたいんだ」

「え?」


「だから、もっと瀬名自身について教えてほしいんだ。ダメか?」

「だ、ダメではないですけど……」

 瀬名は顔を赤らめる。


「その……あんまり、自分について話すのが得意ではないんです。意義を見いだせないし……。でも、先輩が聞きたいというのなら、わたし……できるだけ話してみるようにします」

「ありがとう、瀬名」

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