5 新たな出会い
俺は、再び安曇大学の第二民俗学研究室にいた。
今日が約束の日だった。
葦原教授は、ロマンスグレーのナイスミドルといった風体だった。オフィスカジュアルに近い品のある服装で、白衣は身に着けていない。
人払いされているのか、部屋には俺と彼の姿のみだった。
「コーヒーでよろしかったかな?」
「あ、はい。ありがとうございます」
椅子に座った俺の前に、カップが置かれる。夏だからアイスコーヒーだった。彼は、俺の向かい側に腰掛ける。
「お話、伺いましょう」
「俺は、五年後の世界から来ました」
教授は特に驚くこともなくこちらの話に耳を傾けている。
「そこでは、神庭みたきは自らのシンパを使って多くの人間を消し、世界は危機に瀕しています」
五年後のことを、かいつまんで説明した。瀬名のことは――話さなかった。話が脱線してしまう気がしたし――いや、これは結局のところ私情なのだろう。
「なるほど」
彼は俺の言葉を咀嚼するようにうなずく。
「とても貴重な情報です」
机に両肘を起き、手を組む葦原教授。
「神庭家は、古来より時間を操って財と地位を成してきました。神話に名が残る
教授の講義は、おだやかな声で進められる。
「彼らは周囲から畏怖と信仰を抱かれながらこの時枝の地に君臨し、一家伝来の術を残してきました。何しろ禁忌の術ですから、表立って喧伝することはありません。時を経るごとに、時間を操るというのは単なる神話だと片づけられ、やがてそんな伝承も薄まっていきました」
確かに、俺は神庭家の話をつい最近まで知らなかった。随分な歴史を誇る旧家だということしか、聞いたことがない。
「そう、彼らは密やかに行動してきたのです。秩序は、そうやって保たれてきたと言っても過言ではないでしょう。ですが代が続けばイレギュラーが現れるものです」
「……それが、神庭みたき、ですか?」
「ええ。彼女は事もあろうか、時間を操る術を広めました。その神秘で人心を掌握し、自身を崇拝する者たちを作り出したのです。そして、行ったことといえば――」
世界を破滅に導くための、一連の行動。
「彼女は存在そのものが危険です。ましてや、現在の司法では裁けない」
「そう、ですね……」
「本来ならば神庭家の中で
神庭みたきという災厄を止めるためには、数限られた人員で立ち向かうしかない。
「これまで、民俗学研究会の方々はどのように対策を講じてきたんですか?」
「そうですね……少し長くなりますが、あなたには我々民俗学研究会と神庭みたきの歴史を一から説明した方がよさそうだ」
教授の話した内容は、こうだった。
民俗学研究会は、皆原市内でのラネットの発生を感知する機械を持っている。だが、ラネットの発生は概ね事故のようなものばかりで、研究会のメンバーも観測結果をそれほど重要視していなかった。絶望は日常的に、どこにでもあるものだから。
だが、あるときから明らかにラネットの発生数が著しく上昇した。発生箇所もやたら密集しているケースが現れ、事件性を疑わざるを得なくなった。
決定的だったのは、今から三年前――みたきが小学六年生のときに起きた、児童連続失踪事件。民俗学研究会は、本腰を入れて調査に乗り出した。
最初は、犯人を突き止めるのも容易ではなかった。前の世界での尾上たちの様子を見てもわかる通り、彼らにできるのは事件が起きてからそれを知ることだけなのだから。
調査が難航する中、ある日研究会に一通の手紙が届いた。
そこには、「○月×日△時、□□でラネットによる殺人が起きる」と書いてあったのだ。
記されてあった通りの日時と場所に半信半疑で行ってみると、なんと実際に殺人が実行されたのである。
犯人を尾行すると、その人物は神庭家の裏口から敷地内に入っていった。そこから、調査は格段に進展したのだ。
「いわゆる告発とも取れる手紙ですが……みたきの信奉者の中に、内通者がいたということですか?」
「ええ。誰かが罪悪感に耐えきれず、告白したのかもしれません。名前こそ明かさないものの、手紙は何度も届き、そのたびに重要な情報が得られました」
そうして、民俗学研究会は神庭みたきに辿り着いた。とはいえ、ここからが本題で難題だった。
「まずは、監視を行いました。彼らの拠点が神庭家――その土蔵だというのは明らかですから。神庭みたきをはじめ、その信奉者も追いました」
それは、ある程度まとまった人数がいる集団、民俗学研究会でなければできないことだ。
「情報収集し、不穏な気配を感じ取ったら阻止に乗り出す――もっとも、首尾よくいかないことばかりでしたがね。我々もラネット研究に精を出してはいますが、神庭みたきを上回るには到底足りない。一度直接対話を試みたこともありましたが、無残な結果で終わりましたよ」
交渉は決裂し、建設的な成果は一切なかった。挙句の果てに、激高してみたきを物理的に捕らえようとした人間がひとり、信者に消されてしまったという。
「元々彼女は、我々に脅しを掛けるつもりで、対話の席についたのでしょう」
ずっと落ち着いた表情をしていた教授だったが、わずかに怒りの色が混じる。
犠牲になったのは、恐らく民俗学研究会に所属していた学生だろう。心中は、察して余りある。
「将来有望で希望に満ちた若者が亡くなるのは、大変遺憾です。彼の親族に合わせる顔がない」
「それは……なんと申せばいいのか……」
「いえ、すみません、私情を挟んでしまい。ですが、そんな危険を伴う事態であることも事実です」
真っ向から止めようとすれば、みたきのシンパたちに消されるのが関の山だ。細心の注意を払わなければならない。
話を戻そう。
「阻止に乗り出す、というと、どういったことを行ってきたんですか?」
「神庭みたきは、もうどうしようもありません。ですから、我々に可能なのは、彼女の
「つまり……みたきの信者の方に、照準を合わせたわけですね?」
「ええ、そうです」
彼女の危険性は、集団となって行動することで増幅されている。それにいくらみたきでも、思い通りになる手駒を作るにはいくらかの時間が要るはずだ。
「信者がひとりで行動しているときを見計らってご同行願ったり、和気藹々と歓談したり……もっとも、彼らの信仰心は強靭で、大したことは話してくれませんが」
同行も歓談も温和な表現だが、実情は拉致と尋問だろう。
「ですが、捕らえられた信者は、皆一切口を割らず、そうこうしている内に隙を見て自害してしまいました。恐ろしい忠誠心です。それなのに、神庭みたきは時間移動して拉致を防ごうともしない」
「……信者のことを使い捨ての駒としか思ってないんですね、あいつは」
「妨害も一時しのぎにしかならず、恥ずかしながら、大した成果が挙げられていないのが実情です」
状況は、芳しいとはとても言えなかった。
「我々の最終目標は、神庭みたきの行動を完全に止めさせること。もしかしたら、彼女自身を闇に葬る結果になるかもしれません」
「…………」
みたきが、自身の信者に行わせてきたように。今度は、みたき自身を消す、か。
彼女は如意宝珠――ラネットを弾く首飾りを持っている。そう簡単に消せはしないだろう。
それに仮に成功しても、前の時間のように世界の狭間に逃げ込まれるだけだ。ひとまずは殺人の指揮をやめさせられるが、大本の解決にはならない。
さらに、「予言書」か何かを遺して、死してなお信者にろくでもないことをさせるパターンもあり得る。実際、前の世界ではそうだったのだから。
「最近、彼らの動きが怪しい。もしかしたら――また、大量虐殺を起こそうとしているのかもしれません」
「そんな……」
「我々は、藁にも縋る思いでした。だから、君の来訪は空谷足音ですらありましたよ。ありがとう」
「いえ、こちらこそひとりでは如何ともし難いので、助かります。世界のためにも、みたきは絶対に止めないといけないから」
「これから協力していく上で、ひとつだけお願いしたいことがあります」
葦原教授は、真剣なまなざしをしていた。
「我々の目的の先に、神庭みたきや彼女のシンパを消すことがあったとしても……決して、こちら側からの犠牲は出さないように。もちろん、君も」
「……はい、肝に銘じます」
敵は無慈悲な殺人者だ。その横暴に立ち向かおうとする者の命が、散らされるようなことがあってはならない。
▶ ▶
「申し訳ないですが、私は時間に余裕がなく、ほとんどの行動は学生たちに任せているのです。君も、今後は学生たちと一緒に動くことになるでしょう。折角ですし、紹介しておきましょうか」
教授の連絡の後に研究室に入ってきたのは、白衣を着た一組の男女だった。
「はろはろ~、はじめまして! あたしは
最初に声を上げたのは、女性の方だった。
アッシュグレーの長い髪は、ゆるく巻かれている。化粧もばっちりで、派手目の女子大生といった感じだ。
明るい上木さんの後ろで、
「ど、どうも……はじめまして。えっと、
大学院生もいるのか。随分対照的なふたりだ。
「よろしくお願いします、笠沙さん」
「鴇野くん、時間移動できるなんてすごいね! うちの研究会じゃ、誰もできないんだよ。最近じゃやることといえば、変な機械のデータを見たり、怪しい奴らをストーキングしたり……研究っていっても、しみったれたことばかりなんだから」
上木さんは、日頃の苦労を多弁に話してくる。
「あはは、それは大変そうですね」
「鴇野くん、折角だし親睦を深めるためにこの後飲みに行こうよ!」
「えっと、一応未成年なので……」
「えー? だって、未来から来たなら精神的には成人してるんでしょ?」
「か、上木さん、日本の法律は時間旅行者を勘定に入れてないんですよ……」
笠沙さんが助け舟を出してくれる。
「うーん? じゃあ、あたし達が未来に行けば、鴇野くんと飲み会できるってこと?」
「ぼ、僕達が時間移動できれば、の話ですけどね……。ああ、胃が痛くなってきた……三年老ける……」
「個性的な面々が揃っていますが、仲良くしてくださいね」
葦原教授の言葉に、苦笑いするしかなかった。
▶ ▶
夜の公園に行って瀬名の顔を見ると、なんだか気が安らぐ。大変なことばかりだが、頑張ろうという気分になってくる。
今日も彼女は、イーゼルに向かって絵を描いていた。
あたたかい色使いで、おだやかな絵だ。それなのに、目を離すことを許さないような、強い力を感じる。
「完成する日が待ち遠しいよ」
そう言って頭を撫でると、瀬名はうれしそうにする。
「わたし、先輩のためにもっと絵を描きます。それで先輩に喜んでもらえるなら、いくらでも描きます」
「……瀬名は、絵を描くの好きじゃないのか?」
「え? 好きですよ。だって、絵を描いていれば先輩に喜んでもらえると思うと、すごくほっとしますし楽しいです」
「…………」
昔の彼女は確かに絵を描くこと自体を楽しんでいたはずなのに、いつの間にかそれが手段になっていて、別のことにウエイトが占められている。これはよくない。この状態のままでは、何かあったらまた前の世界と同じ轍を踏むだろう。
「先輩は、どんな絵がいいですか?」
俺の胸中も知らずに、瀬名は問いかけてくる。
「わたし、先輩の言うことは全部聞きます。きっと、それが一番先輩に喜んでもらえるから」
彼女はまっすぐ俺の目を見て、言う。何の屈託もなく。
「先輩に喜んでもらえるなら、わたし、どんなことだってします」
なんて危うい子だろう。
依存されているのはわかるが、かといって突き放すわけにも距離を置くわけにもいかない。
それに――先輩に喜んでもらえる、か。
冷たい言い方になるが、客観的に見れば彼女がいくら絵で賞を取っても、別に俺に利益は一切ない。むしろ、同じ部の後輩が賞を取るということは、その分割を食うことになる。一般的には、喜びより嫉妬を喚起する可能性の方が大きい。
とはいえ、それが韮沢瀬名という少女のあり方なのだろう。
俺としては、瀬名が自分の才能を活かしている姿はとても喜ばしい。俺なんかのせいで筆を折るよりは、ずっと。
いつか彼女が自分のために絵を描くようになればいい――と思うのだが。
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