4 撹拌する彼女


 瀬名を家まで送った後、俺は和の大邸宅――神庭家に向かった。


 裏口の鍵は例によって開いていた。土蔵の入り口も同様。そして、本の壁の中央に、よく知った幼馴染。

 シンパたちとの集会の最中だったらどうしようかと思ったが、幸いそうではなかった。


「みたき、瀬名に――」

「孝太郎くん、あなた、時間移動してるでしょう」


 古い蔵の中に、静寂が訪れる。

 みたきに、未来からタイムリープしたことを気取られるのは、想定していた事態だ。だが、こんなに早いとは……。


「とりあえず、座ったら?」

 彼女は、畳の上の空いたスペースを手で示す。

「……ああ」


 向かい合って座る俺とみたき。

 彼女はどこまで知っている?

 何が原因で勘付かれた?


「時間移動? お前、本気で言ってるのか?」

 情報を引き出すために、ひとまずとぼける。


「しらばっくれても無駄よ。未来は私の予言通りになるの。そうならない場合は、必ずほかに時間移動者がいる」

 そして、変化した未来﹅﹅の中心に、俺がいたと。そういうことか。


「あのなぁ、そもそも俺が時間移動なんてできるはずないだろ? いつもお前が言ってる荒唐無稽な話じゃないんだから」


「元々の現在﹅﹅の孝太郎くんなら、そうでしょうね。でも今のあなたは違う。既にラネットにまつわる事件を経験してきたあなたなら、可能よ」

 饒舌な探偵の口から、どんどん情報が出てくる。


 やはり、みたきは一周目で起きたことを予期していた。いや、元凶と言ってもいいかもしれない。


 自分の信者に予言書を遺して、五年後の未来で連続失踪事件を引き起こさせた。詳細は不明だが、俺の手に如意宝珠が渡るように仕組んだのも、みたきだろう。


 瀬名があんな狂った人殺しになるよう焚き付けたのも、やはりみたきの差し金だ。きっと今回と同じように、妙なことを吹き込んだのだ。

 相変わらず目的は読めないが。


 全く……瀬名がまた殺人鬼になったらどうするんだ。


「あなたの知りたいことはこれくらい? どう? 満足した?」

「…………」

 情報収集のためにすっとぼけたことが、見抜かれていたか。


「みたき、もしまた瀬名に何らかの干渉をしたら――」

「したら? どうするの? 私を消す?」

「……どうせ、お前は消されても存在が消えないよう細工をしてるだろ」

「さすが、二周目の人はよくわかってるわね」


「瀬名に関わったら、それが間接的なものだったとしても、俺はもうここにプリントを届けに来ない」

 たったそれだけのこと、と思われるかもしれない。だがクリティカルヒットしたようで、幼馴染は何も答えない。ただ、不愉快そうにしていることは伝わってくる。


 カルト集団を率いて大量殺人を行うことをやめさせるほどの効力はないだろうが、瀬名にちょっかいを出させない程度の効力はあったらしい。


「言っておくけど、あなたがいた世界で私が韮沢瀬名さんと会話したのは一度だけよ。彼女、この蔵までやってきて、私を殺そうとしたの。つまりね――彼女は自発的に殺意を抱いて、実行しようとしたってこと」


「だから、お前は何も悪くないって?」

「孝太郎くんの寛容さには目を瞠るってこと」

 嫌味の応酬だった。


「あなたにとって、私が信者を扇動するよりも、韮沢瀬名にちょっかいを掛ける方が嫌なのは歴然。要するに、特別なんでしょう? 彼女が」

 特別――か。実際、瀬名は特別だった。


「いくらあなたが、人間を尊重するよう振る舞っているだけで、実は全ての人間のことをどうでもいいと思ってる無感動で冷徹な人間だからって、まさか頭の壊れたはた迷惑な凶悪殺人鬼すら嫌わないとは思ってもみなかったわ」

 相変わらず、ひどい言われようだ。俺は無感動な冷徹人間じゃないんだが。


 確かに、瀬名を嫌う理由はいくらでも挙げられる。

 まず、俺の親を含めて多くの人間を殺した、手に負えない人殺しというだけで致命的だ。


 ほかの人間を塵以下だと思っているからいくらでも無下に扱うし、好きだという俺自身にも、停学に追い込んで大学合格をふいにしたり数々の嫌がらせをしたりと、神経を疑う部分も多々ある。


 そのくせ俺に嫌われたくないとか喜んでほしいとか自家撞着甚だしいし、バレなければ何をやってもいいと思っているし、正直自分のことしか考えていない。


 素直に話し合っていれば解決できたようなことも一切話さず、思い込みが激しくて人の話を聞かずに勝手に突っ走るし、やることが一々過激だからなおさら始末に困る。

 彼女が自分の気持ちをもっと話してくれていたら、あんな結末は避けられただろう。


 決めつけが著しいため、俺に喜んでもらおうとする方向性もずれていて、俺自身をろくに見ていないことも伝わってくる。というかそもそも現実が全く見えていない。


 自己評価が低すぎて些細なことで落ち込むから対応に気を遣うし、常に関心を向けてないといけないし、限度を知らずに頑張るくせに休めと言っても聞かないから見ている側まで不安になる。


 依存体質で自分がないから全てを委ねてこようとするし、俺が拒絶すれば自殺するから突き放せないし、有り体に言ってしまえば面倒な人間だ。

 適当に利用して程々のところで捨てるならまだしも、真剣に向き合って幸せにするには相当骨が折れるだろう。


 GPSやらカメラやら盗聴器やらを使ってくるのは正直引くし、付き合ってもいない段階から俺と結婚することを考えているのも、一足飛ばしにも程がある重さだ。


 とはいえ、彼女のいいところはそれ以上に挙げることができた。


 瀬名の笑顔を見るとこちらまでうれしくなるし、幸せにしたくなる。

 それはもう、瀬名のことが好きだからという結論に至るほかない。


「ああいう都合のいいタイプが好みだったなんて、知らなかったわ。あなたにどんなことをされたってずっと妄信し続けるでしょうからね、ああいった手合いは」


 都合のいい女の子が好きだったら、監禁してくるような人間に対してはとっくに裸足で逃げ出していることだろう。


 見た目がとてもかわいいから、というのも理由にならない。美少女なら誰でもいいかと言われればそうじゃないし、実際彼女を最初に見たときは、ほかの人間と何ら変わらない感情を抱いていた。髪が赤い人間を見て「髪が赤い」と思うように、顔立ちが整っていると感じただけだ。


 瀬名のいいところを好きな理由として挙げていっても、雲をつかむような話にしかならない。何しろ特徴のひとつひとつは、ほかに当てはまる人間が皆無というわけではないからだ。言葉を重ねれば重ねるほど、実像が散逸していく。


 彼女が特別なのは、もう瀬名が瀬名だからとしか言いようがない。


「彼女はかわいい顔して、欠けている自分を満たすためにあなたを利用しているに過ぎないのよ?」

「自分に利する人間を好きになるのは当然だろ?」

 誰だってそうだ。責めることじゃない。


「そもそも、俺はまだ瀬名が殺人鬼になったのは、お前のせいだと思ってるよ。得意なんだろ? ふつうの人間にラネットで殺人させるのは」

「信奉対象を求めている人間なんて、ごまんといる。私は、彼らに欲しいものを与えただけ」


 みたきは、全く悪びれない。

「断言できる。私を信奉する人々は、幸福を享受している。楽だもの。他人に依存して全てを委ねて何も考えないのって」


 一周目瀬名は、幸せだと言っていた。俺と出会えて。

 本当にそうだろうか? あんな正気を失った状態で、本当に幸福だと言えるのか?


 でも、それは結局他人の価値観にすぎない。本人の意思からしてみれば、関係ないと一蹴されるだろう。

「……そんな人たちにつけ入って、人殺しをさせておいて、よく言えるな」


「人を殺すっていうのはね、精神の解放とも言えるのよ。規範や倫理のばくを超越し、しがらみを断ち切って、自由な状態になるの。抑圧を――憎悪を――絶望を――それを与える対象を、原始的に、だけど確実に、壊すの。そのときの解放感といったら、比類なきものだわ。彼らにとっては救いとすら言える。一度手を染めてしまったら――もう、戻れないわ」


 殺人を、効率のいいストレス解消法とでも思っているのか? それで、無辜の人々を人殺しにのめり込ませて……みたきはやはりとんでもない危険人物だった。だが、対話で止めさせるのも不可能だというのは明らかだ。早く行動しないと。


「説明はいらないと思うけど、俺はもうみたきと付き合ってた頃の俺じゃないんだ。だから、別れてくれ」

「嫌よ」

「…………」


「軽い気持ちで付き合うから、そうなるのよ。精々後悔すればいいわ」

 みたきはせせら笑っている。


「……交際関係は、お互いの同意があって初めて成立すると思うんだけど」

 片方が思っているだけで付き合ってることになるなら、ストーカーだって両思いになってしまう。


「それは付き合う前の話でしょう? 別れるのにだって、お互いの同意が必要だわ。世の夫婦は、離婚するためにわざわざ裁判までやってたりするんだから」


「婚姻関係の場合はそうだけど、交際関係止まりじゃ裁判はいらないよ。片方が無理だと言ったら、もう無理だ」

「嫌。絶対に別れないから」


 みたきはまだ屁理屈をこねていたが、俺は「とにかくもう付き合ってないから」と言い捨てて、蔵を出た。




 ▶ ▶




 普段通りの夜の公園。幸い、みたきの言葉が尾を引くことはなかったようで、瀬名の様子は特に変わらない。

 だが、水面下で何かが起きているかもしれないし、みたきがまたぞろ何かするかもしれない。注視し続ける必要があった。


 葦原教授と会う約束は、明日に迫っていた。

 気は逸るが、焦ったって仕方がない。今の俺にできるのは、突破口の材料を集めることだけだ。


 瀬名は、黙り込んでそわそわしている。何かを言いたげだ。

「ん? どうしたんだ?」


「えっと、その、今日絵画コンクールの審査結果が発表されたんですが……」

「いい結果だったのか?」

 尋ねると、瀬名は小さくうなずく。この様子だと、恐らく最優秀賞か大賞だろう。


「へえ、すごいじゃないか!」

「そ、そんな……大きなコンクールではないですし……」

 褒められたがっているのに、実際褒められると恥ずかしがるのだから、難儀なものだ。


「別にいの一番に知らせに来たわけではないですが、ちょうどあなたと会う時間だったので……」

 真っ先に俺に知らせに来たらしい。


 俺は彼女の頭を撫でながら、喜びそうなことを言う。

「コンクールの規模は関係ないよ。瀬名の絵が認められた証なんだから」


「先輩、その、もうすぐ全国小中学生絵画コンクールがあるんです。わたし、きっといい成績を収めてみせますから、だから……」

 また、瀬名の声が小さくなる。


「すごい賞なんか取らなくても、俺は瀬名の絵が大好きだよ」

「……そうですか」

 瀬名は恥ずかしそうにうつむく。居心地が悪いのか、落ち着かなさそうにしていた。


「わたし、その、本当は賞なんてどうだっていいんです。ただ、あなたに――」

 彼女はそこではっとして、言葉を切る。

「い、いえ、なんでもないです……気にしないでください。先輩、次の絵は完成したら一番最初に先輩に見せますね」


「楽しみにしてるよ」

 そう言うと、瀬名は目を輝かせる。

「わたし、その、一生懸命頑張って描きますから。わたしのできる、精いっぱいで」

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