3 次の一手
朝、寝ぼけ眼を擦りながら、俺は食卓につく。
実家暮らしも最早遠い話だったが、紛れもない現在だ。早くこの時間に慣れないとな……。
テレビを見て、当時――現在あったことを思い出していく。五年という隔たりを少しでも埋めるために。
現状を認識することも重要だが、それ以上に重要なのは、これから起きることだ。俺の目的は、あんな未来を回避することなのだから。きちんと出来事を整理して、原因を洗い出さなければ。
そんなことを考えながら、母の手料理を口に運ぶ。
……なんだろう。物足りなさを感じる。
ああ、そうか。いつも瀬名の作った料理を食べていたからだ。
彼女は勉強熱心で、俺の好みに沿った味を研究していたし、料理店並みの腕になっていた。
調理も盛り付けも丁寧で、一日五十品目を遵守していて――おかげで、すっかり舌が肥えてしまったらしい。
また彼女の料理が食べたいと思っている自分に気づいて、嫌な気分になった。
俺は別に、瀬名を飯炊き女として見ていたわけではないのに。
瀬名をなんとかする以外にも、この世界ではもうひとつ課題がある。
みたきだ。
ラネットを悪用し、自分の信者を集めて大量殺人に勤しんでいた危険人物。
前の世界では、瀬名がみたきを殺すことで、シンパたちの凶行は一旦収まった。だが、この世界ではそうはいかない。
そして、幼馴染の行動を放置するわけにもいかない。
それに――と思う。
一周目瀬名があんなふうになってしまった原因を色々考えたが、みたきが手引きしていた可能性がある。
そもそも、瀬名がラネットで人を消す方法を知ったきっかけは不透明だ。
一番ありそうなのは、みたきが自分の信者にしたように、消し方を教えたというパターン。それで自分を殺させているのだから、なんとも常人の発想ではないが。みたきならやりかねない。
考えてみれば、人を殺して回る瀬名の姿は、みたきの信者と近いものがあった。
あの神庭家の一人娘は、手に負えない殺人鬼が生まれるように仕向けたのかもしれない。彼女は、自分のシンパと同じように瀬名を利用して、自らの目的を果たそうとしたのだ。
……世界を、終わらせるために?
ダメだ、みたきの行動を推測できても、思考が読めない。
何のために自分を殺させた?
世界の狭間に行くため?
だが、そこまでメリットがあるように思えない。
時間移動の技術が卓越しているみたきにとって、世界は現時点でもほとんど掌の上のようなものなのに。わざわざ世界に介入できない傍観者になりたがる性格ではないだろう。
何にせよ、みたきを止める必要がある。
俺ひとりでは止められる気がしないが、五年前の今、朝霧にも尾上にも頼れない。
誰だ?
誰なら協力してくれる?
以前聞いた、尾上たちの会話を思い出す。みたきはこの頃から民俗学研究会と敵対していたはずだ。
確か、
これは、活路かもしれない。
▶ ▶
学校が終わってから、俺は通い慣れた安曇大学に来ていた。
いきなり中学生が乗り込んでいっても、教授と話ができるとは思えない。だが、ラネットに熟知している者なら、俺の事情も理解してもらえる算段はあった。ましてや、彼もみたきを止めないと思っているのなら、俺というみたきの幼馴染の話を聞いてくれるのではないか。
授業の時間だから構内を歩く生徒の姿は少ない。
大学を見学しに来る高校生は珍しくないので、別に俺が歩いていても見咎められたりはしないが、それでも好都合ではあった。
第二民俗学研究室は、五年後に比べるといささか整頓されており、秩序がある。この頃から、民俗学研究会の拠点として使われていたようだ。
教授は研究室にはいなかった。代わりに、助手と思しき人物が慌てて寄ってくる。
「き、君、どうしたの? ここは部外者は入っちゃダメだよ」
「……ラネットの件で、葦原教授とお話したいことがあります」
「…………っ」
助手は俺の言葉に目を見開いた。
彼は深い事情を聞かず、ただ教授に取り次ぐと約束してくれた。俺は、携帯の電話番号を伝えた。
▶ ▶
葦原教授とアポイントメントを取り付けることに成功したが、実際会うまでに少し時間がある。
俺は、俺にできることをしないと。
五年前の記憶が薄れる前に、覚えていることをありったけ紙に書いた。
既に俺の行動で世界は分岐しているから、全てこの通りに進まないだろうが。
あまねく結果には原因がある。その原因を突き止めることができれば、思考や動機に近づける。思考や動機に踏み込むことができれば、問題を未然に防ぐことができる。
放課後、みたきにプリントを届けることも忘れない。
彼女と話す中で、何か手がかりが得られればいいが……。まさか、「あなたの目的はなんですか?」と訊いて答えてくれるわけないし。
当面は、俺が時間移動したことを悟られないよう、秘密裏に動きたかった。
それが終わったら、いつもの公園に向かう。やはり瀬名はいた。
「先輩、あの、これ……」
またキャンバスを抱えていると思ったら、差し出してくる。
「岡崎先生に贈る、ウェルカムボードです」
岡崎先生……ああ、絵画教室の若い先生か。確かこの頃は、彼女の結婚式が間近に迫っていて、教え子のみんなでお祝いをしようとしていたんだったか。
なんとか記憶を探っていく。
それで、瀬名にウェルカムボードを描いてもらったんだった。
「ありがとう、瀬名」
「べ、別に先輩のために描いたわけではないですし……岡崎先生のためですから」
「あはは、そうだな」
包装を少し外させてもらって、早速絵を見てみる。キャンバスの上には、水色の花が咲き乱れていた。そして、綺麗な筆記体で、「Welcome to our wedding party」と書かれている。
今にも風に揺れて動き出しそうな、鮮やかな花々。
あたたかな色遣いに、美しいレタリング。
非の打ち所がないウェルカムボードだ。
これも、見た覚えがない絵だった。
そういえば前の世界では、瀬名は結局ウェルカムボードの作成を辞退していた気がする。
なんだろう、この変化は。
単なるバタフライエフェクト? いや、その考えは早計だ。
瀬名は、中学の頃から絵を描かなくなった。絵画教室や美術部をやめたのも、この頃だった覚えがある。
――絵? あんなものにかかずらっていた時間は、全部無駄でした。
――だって、あんなものいくら描いても先輩は喜んでくれませんから。
一周目瀬名は、そんなことを言っていた。
彼女が絵をやめた理由は、明らかに俺にあるんじゃないか?
原因はわからないが、瀬名は何らかのきっかけで「絵を描いても先輩に喜んでもらえない」と思うようになってしまった。だから、絵を描かなくなった。
しかし、今の世界では違う。彼女から誕生日の絵をもらったとき、俺は惜しみない賛辞を贈った。頭も撫でたし、瀬名は「絵を描いたら先輩に喜んでもらえる」と考えていてもおかしくない。
だからこうして絵を描いていると、そう考えれば辻褄が合う。
な、なんて――他者に依存した行動原理なんだ。そんな理由で描かなくなるものなのか? こんなに才能があるのに。何かの間違いであると信じたい。
「最高のウェルカムボードだな。瀬名に頼んでよかったよ」
試しにそう言ってみると、小柄な女の子は、目をきらきら輝かせる。
「きっと岡崎先生も喜ぶよ」
今度はこう言ってみたが、瀬名の反応は薄い。目の輝きのワット数まで低くなっている。
「やっぱり、瀬名の絵が好きだって再認識できたよ。改めて、ありがとう」
百万ワットの眩しさになる双眸。
……なんてわかりやすいんだ。俺が褒め続けている限り、絵を描かなくなることはなさそうだ。
「…………」
感情が顔に出やすい少女は、物欲しそうな目でこちらを見つめている。
ん? なんだ?
試しに頭を撫でてみると、うれしそうにしている。
いや、撫でてほしいならいくらでも撫でるけど。
折角だし、いつもより長めに撫でておいた。
瀬名自体は、特に問題なさそうだ。
やはり、みたきといった第三者の介入がなければ、変わらない。瀬名はよくも悪くも受け身だから。
▶ ▶
その日は、普段と様子が違っていた。
公園に行くと、当然のように後輩がいる。だが、その表情は曇っていた。
「先輩……」
普段は、俺を見るなりうれしそうにするのに。
ベンチ――彼女の横に腰掛けても、こちらを見ようとしない。
「瀬名、どうしたんだ?」
「……いえ、特に何も……」
たまたまテンションが低いときも、そりゃあるだろう。だが、今の俺には少しの変化も看過できなかった。
折角過去に戻ってやり直しているのに、二の舞は御免だ。
「何かあったんじゃないのか? 教えてくれよ」
「…………」
瀬名はうつむいて、黙り込む。どう答えればいいのか、困っているらしかった。
元々知ってはいたが、彼女は誰かを頼ったり弱音を吐くことが苦手だ。全て自分ひとりで抱え込んでしまう。放っておけば、どんどん思い詰めていくのは目に見えていた。
なんとかして、ここで聞き出さないと。
「何か心配事があるんだったら、なんでも言って欲しいんだ。瀬名の力になりたいから」
「そ、そんな……気にしないでください。ごめんなさい、気を遣わせてしまって」
ダメだ、これでは埒が明かない。仕方がない、手段を変えるか。
「瀬名、俺が信用できないのか?」
「え、い、いえ……」
「だったら、教えてくれるよな?」
「…………」
彼女は躊躇いの後に、やっと口を開く。
「……その、先輩が、神庭みたきさんとお付き合いをしているっていう話を聞いて……」
それを聞いた途端に、全てを悟る。
瀬名の暗い表情の理由も、何が原因かも。
「先輩、ごめんなさい……わたし、知らなくて」
「……みたきに言われたのか?」
「…………」
その沈黙は、肯定と同義だった。
「その、先輩と神庭みたきさんは幼稚園の頃からの幼馴染で、先輩が古典文学を好きになったのは、自分の影響だって……。恋人で、すごく深い仲だって……」
それは、全て真実だった。だからこそ性質が悪かった。みたきに求められたから応えただけなのに。
「わたしと一緒にいても楽しくないですよね……今までごめんなさい」
「いいや、楽しいよ」
この様子だと、彼女の劣等感を刺激するようなことも言われていそうだ。
「い、いいんです……わたしなんかに気を遣わないでください。さようなら、先輩」
「瀬名!」
俺は、立ち去ろうとした彼女の腕を取る。
「せ、先輩、なんですか?」
「瀬名は、俺よりみたきを信じるのか?」
「そ、そんなことは……ない、です」
「確かにみたきは幼馴染だよ。でも、瀬名が思ってるような仲じゃない。俺はみたきに恋愛感情を持ってないし」
詳しく説明することができず、じれったいが。
「みたきは……なんていうか、物事をややこしくさせるのが好きなんだ。今回だって、俺と瀬名が仲良くしないように、そんなことを言ったはずだ」
「え……」
「だから、みたきの言うことは話半分で聞いた方がいい。あんまり真に受けちゃダメだ。瀬名、わかってくれたか?」
「は、はい……」
瀬名はおずおずとうなずく。
また他人に変なことを吹き込まれて、かき乱されたらたまらない。
きちんと念押ししておかないと。
「瀬名、これからも誰かに何か言われるかもしれないけど、そんなの全部気にしないでくれ。いくらでも適当なことを言う人はいるんだ。たとえば、俺がもし誰かに、瀬名は俺を嫌ってるなんて言われて、それを信じ込んだりしたら、瀬名は困るだろ?」
「そ、そうですね……」
「だから、そういうのは気にしないのが一番なんだ。何かあったら、全部俺に言ってくれよな?」
彼女がうなずくのを見て、俺は瀬名の両肩に置いていた手を離す。
「こんなことで、瀬名とぎくしゃくしてたらと思うと、ぞっとしないよ。話してくれて、本当によかった」
「先輩、その――」
「ん?」
「わたしと、ずっと一緒にいてくれますか?」
一瞬、答えに躊躇した。
俺と瀬名は、過度に親しくなると危険だ。突き放すまでは行かなくても、適切な距離感を保たなければならない。
しかし、瀬名が求めている答えはこの上なくはっきりしていた。
「ああ、もちろん」
黒髪の少女は、やっと表情がやわらいだ。
曖昧でどうとでも取れる返事をして、誤魔化すこともできた。だが、この状況でそんなことをしたら、余計な亀裂が生じかねない、と。そういう理屈も通るが。
どうして彼女にはここまで入れ込んでしまうのだろう?
同情? 罪悪感?
前の時間の彼女は完全に頭がおかしくなっていたのに、そんな姿を見てもなお彼女と距離を置く気にはなれない。
俺がここまで感情を揺さぶられるのは、韮沢瀬名という少女だけだった。
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