16 光目指すイフェイオン


「瀬名もそろそろ高校生か」

「まだ半年くらいありますけど、確かにそうですね」

 いつもの公園の青々とした木々が、赤く色づき始めた。それを見ながら、先輩と会話する。


 夜来なずなの失踪は一時期騒がれたものの、全く痕跡が見つからないということもあって、捜索の手は次第に緩められている。話題に上ることも減り、いつしか忘れ去られるだろう。


「あのさ、瀬名」

 先輩はどこか躊躇いがちに言う。

「秋休み、映画でも見に行かないか?」


「え?」

 いつもと彼の様子が違う。

 どうしたんだろう。


「あ、嫌なら……いいんだけどさ」

「いえ、嫌では、ないですけど」

「そうか。じゃあ、えっと、そういうことで……」


 その日は確か秋期講習があったはずだけど、どうだっていいか。

 誘われてしまった。先輩は一体何のつもりなのだろう。




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 何の服を着ていこう。あんな誘われ方をされたから、妙に意識してしまう。

 先輩は、どんな服が好きなのだろう。


 ……わからない。

 そもそも先輩はどんな女性が好みなのだろう? それがわかれば楽なのに……。

 どうすればいいんだろう。


 とりあえず、書店でティーンエイジャー向けのファッション誌を何冊か買って、ぱらぱらと目を通してみる。

 しかしなんだか華美なものばかりが掲載されていて、これを自分が着ている様を想像できない。アクセサリーに、化粧に……なんだかどれも難しそうだ。


 流行の色、というものもあるらしい。誌上にはゴシック体で『今秋のトレンドカラーはくすみのテラコッタオレンジ!』という文字が躍っている。

 これは一体どのくらいの配点なのだろう。オレンジなんて派手な色、着たこともないが、三十点ほどの配点があるのだとすれば捨てるわけにはいかない。対策を講じる必要がある。


 そもそもわたしは幼く見えるタイプであると自覚しているので、これらをそのまま真似てもちぐはぐになって――変に思われるに違いない。それはきっといけない。

 とはいえ、あまり幼い服を着ては、先輩に子ども扱いされてしまう。だったらどうすればいいのか。


 でも、結局一番重要なのは対象の傾向をつかむことだ。

 先輩は一体どんな服装を求めているのだろう。

 また悩ましい面倒ごとが増えてしまった。




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 結局、ベージュのトップスに、テラコッタオレンジのハイウエストスカート、というものになった。

 だけど、やけにひらひらしていて気恥ずかしい。色も派手だし。

 お店の人に強く勧められたので買ってしまったが、わたしには似合わないのではないだろうか。


 それに、一緒に買わされたブーツも、ヒールがあって歩きにくい。これではかなり練習しないとうまく歩けないだろう。

 わたしは背が低いから、こういったものでかさ増しを図るのは道理に適っているが、それでも、やっぱり、変に思われてしまう気がする。

 ……この靴はやめて、無難にいつもの革靴にしよう。それがいい。


 買った服を着て、わたしは鏡をまじまじと見つめる。

 どこかおかしくないだろうか。

 きっと、何も問題はない、だろう。お店の人にも、どこも変じゃないと言われたし。




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 約束当日、待ち合わせ場所に早く着きすぎてしまった。

 当たり前だけど、先輩はまだ来ない。


 来なかったらどうしよう。あの日みたいに。

 そう考えると、急に落ち着かなくなる。


 わたしは手帳に書いたメモを読み返す。大丈夫。時間にはだいぶ余裕があるし、待ち合わせ場所も間違えていない。先輩は昨日別れるときに、「明日はよろしく」と言ってくれた。先輩はきっと来てくれる。


 ……だけど、本当にそうだろうか?

 何か急に用事が入るかもしれないし、それに……気が変わって、来るのが嫌になるかもしれない。


 どうしよう。お昼になっても、夕方になっても、先輩が来なかったらどうしよう。

 そんなの……もしそんなことがあったら、わたしは……。

 なんだか浮かれていたけど、バカみたいだ。


 来るんじゃなかった。そうすればもうこんな思いをしなくても済んだのに。

 だけど、帰るわけにもいかないし。

 わたしは先輩が来るまでここで待ち続けるしかない。

 ずっと、ずっと。




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 待ち合わせ時間の三十分前に先輩はやってきた。わたしを見つけると、相変わらずの笑顔で右手を上げる。

「ごめん、待ったか?」

「……いえ」


 よかった……先輩は来てくれた。

 何を心配していたんだろう。


 彼はわたしの服に目を留める。

「瀬名ってオレンジ色も似合うんだな。あつらえたみたいだ」

「…………」

 居心地が悪くて、わたしはうつむく。


 先輩と並んで歩き出す。

 気恥ずかしい。これではまるでデートみたいだ。どうして先輩とそんなことをしないといけないんだろう。


 映画館が入っている商業施設に着いたが、上映時間よりだいぶ前だった。

「映画の時間まで結構あるから、店を見て回ろうか」

「はい」




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 まず目についたのは、駄菓子屋だ。存在は知っていたが、訪れた経験はない。

「時代の流れで廃れつつあると聞いていましたが」

「懐古趣味による需要で、今はチェーン店なんかがあるんだよ」

「へえ……」


 店内は、見たこともない雑多な商品に埋め尽くされている。これら全てがお菓子らしい。

 先輩はひとつのお菓子を差し出してくる。

「これとか、かわいいんじゃないか?」


「なんですか? これ」

「リングキャンディだよ」

 袋の中に入っているのは、輪っかに、シングルカットの宝石を模したと思われる水色の物体がついたお菓子。指輪の形だ。


「これ、飴なんですか?」

「ああ」

 飴は、向こう側が見えるほど透き通っている。


 試しに買って、恐る恐る舐めてみる。

 甘い。口内にソーダのさわやかな甘さが広がる。

 本当に飴だ。


「これ、指にも着けられるんだよ」

「へえ……面白いですね」

 食べてしまうのがもったいない。だって、なくなってしまうから。




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 次に入ったのは、綺麗な雑貨屋だった。

 穏やかなクリーム色で統一された店内に、繊細に作られたアクセサリーなどが並んでいる。


「へえ、花韮って綺麗な花なんだな」

 先輩が視線を向けていたのは、六弁の白い花の髪飾りだった。確かに、商品名に「花韮の髪飾り」と書いてある。


「瀬名、これ、ちょっと着けてみてくれないか?」

 そう言われて、わたしは髪飾りをこめかみに当ててみる。

「こう、ですか?」


 先輩は表情を緩める。

「すごく似合ってるよ。黒い髪に映える」

 似合うなんてそんな……恥ずかしい。


「そろそろ映画の時間だし、行こうか」




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 今回見たのは、ファンタジー物の冒険スペクタクル映画だった。

 わたしは、その映画があまり好きだとは感じなかった。綺麗な話のはずなのに、どこか寒々しくて暴力的だった。

 世界中の誰もが笑っているのに、ひとりだけ笑っていないような、そんな綺麗さだったから。


「映画、面白かったな」

 先輩のその声を聞いて、わたしは頷いた。

 そうか、面白い映画だったのか。

「はい、すごく面白かったです」


 わたしは、先輩が話す「映画の面白かったところ」を、脳裏に焼き付けようとする。

 どういう映画が面白くて、素晴らしいものなのか。とても勉強になるから。




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 映画館を出て、また商業施設の中をぶらつく。

「いい時間だし、ごはんでも食べたいな」

「そうですね」


 そうやって飲食店が密集しているフロアを見ていると、パンケーキショップが視界に入った。

 店先に飾られたパンケーキの写真はどれも光り輝いていて、食欲を刺激する。


「あはは、入ろうか」

 先輩はなぜだか笑っている。……そんなに入りたがっている顔をしていただろうか。


 店内に入ったら、二人掛けのテーブルに案内される。先輩と向かい合って座った。グラスに注がれた水はほんのりレモンの味がした。

 メニューを見ると、どれもおいしそうだ。食べてみたい。


 散々悩んだ末に、わたしは塩キャラメルパンケーキを頼む。

 少しすると、三段重ねのパンケーキが運ばれてきた。ナッツとキャラメルソース、ホイップクリームがかかっている。とてもおいしそうだ。


「わあ……」

 早速口に運ぶと、甘い。

 ふわふわだ。


 一口食べただけでバターの濃厚な風味がありありと分かるパンケーキ。それがキャラメルソースとホイップクリームという二種類の甘さを引き立てている。

 さらに、その中に塩味がトッピングされていることで、いいコントラストになっている。ナッツの食感もいい。


「瀬名は、本当においしそうに食べるよな」

 ……また子どもっぽいと思われてしまっただろうか。でも、実際においしいのだから仕方ない。


 パンケーキを食べ終えたが、先輩はまだ自分の注文したスフレパンケーキをつついていた。

 あれもおいしそうだ。


「半分食べるか?」

 先輩はそう言いながらパンケーキを半分に切り、片方を取り分け皿に乗せる。


「あげるよ」

「い、いいんですか?」

「パンケーキも、そんなふうにおいしく食べてもらった方が本懐だろうから」

「あ、ありがとうございます……」


 もしかして、物欲しそうな目で見ていただろうか。そんなつもりはなかったけど……もらったものはありがたくいただこう。


 スフレパンケーキは、口の中に入れるとしゅわしゅわする。不思議な食感だ。

 なるほど、これがメレンゲの……。


「こっちもすごくおいしいです……!」

「ああ、それ、おいしいよな」

「はい」


 そうやって黙々と食べていくが、ふと気づく。

「あれ?」

 そういえばこのパンケーキ、先輩が口を付けた――


 がしゃん、と。

 気づいた途端、わたしはフォークを取り落としていた。幸い皿の上に乗ったからよかったものの、食器のぶつかる音が響く。


「瀬名?」

「い、いえ……すみません」

 なんてことをしてしまったのだろう。いくらパンケーキがおいしいからって、こんな……だって、こんなの……。


 だけど、折角分けてもらったのに残すなんてことはしてはいけない。

 わたしは恐る恐る口に運ぶ。

 どうしよう。

 パンケーキの味がよくわからなくなってしまった。




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 なんとか店を出るが、先輩は近くの別の店に視線を向ける。

「へえ、ソフトクリームだって。食べるか?」

「い、いいです」


 わたしは固辞する。

 これは戒めだ。食欲に支配されてはいけない。


 飲食店だらけの危険なフロアからは離れて、衣料品店が並ぶフロアに移る。レディースの様々な服が並んでいる。そうだ、先輩と一緒に服を見たら、何か参考になるかもしれない。


 恐らくティーン向けの適当な店に入ると、わたしは、

「先輩は、どの服がいいと思いますか?」

「え? そうだな……」

 彼が選んだのは、落ち着いた薄桃色のシフォンワンピース。これも普段着ないような色だった。


「じゃあ、わたし、これを買います」

「い、いいのか?」

「はい。もう決めましたから」

 こうすれば、先輩の好みがわかるのか。これからもこの方法を使おう。




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 先輩は、買った服の袋などを持ってくれた。

「そろそろ帰ろうか。遅くなるといけないし。送っていくよ」

「……はい」

 もうそんな時間か。まだまだ全然明るいのに。


「瀬名は、そろそろ携帯持たないのか?」

「あ……そう、ですね。わたしも近い内に高校生になるので、買ってもらいます」

「そうか。買ったら教えてくれよな」

「はい」


 そうやって話していると、わたしの家に着いてしまった。

「ありがとう。今日は楽しかったよ」

 先輩は笑みを見せる。

 本当だろうか。……パンケーキも半分強奪してしまったし。


「瀬名、これ、もらってほしいんだ」

「え?」

 差し出されたのは、ラッピングされた小さな袋だった。


 中には、先程雑貨店で見た白い花韮の髪飾りが入っていた。

「瀬名にぴったりだと思ったから」

 いつの間に買ったんだろう。全然気が付かなかった。


 もらったものを、早速着けてみる。やはり先輩は褒めてくれた。

 普段アクセサリーなんて使わないけど……先輩が似合うと言うのなら、しばらく着けていよう。


「また、誘ってもいいか?」

「……構いませんよ。別に」


「また明日な」

 先輩は手を振る。

「はい、また明日」




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 わたしは携帯電話のディスプレイに映し出された、先輩からのメールを見つめる。


 携帯電話を手に入れるのには、骨が折れた。

 未成年は契約に保護者の承諾が必要だが、そんなもの得られるはずがない。だから、わたしは偽の同意書を用意した。

 私文書偽造にあたるが、そんなことは些事だった。


 家の中で携帯電話を操作しているところを見られたら、問題になる可能性があった。そのため、お手伝いの人にも気取られないようにしている。

 幸い、料金の支払いには一切支障がなかった。毎月、かなりまとまった額のおこづかい﹅﹅﹅﹅﹅が口座に自動送金されているから。

 金はやるから、学業での出費や衣料品、日用品その他必要なものは全て自分で用意しろ、ということだった。


 連絡先を教えた先輩から早速届いたメッセージは、飾り気のない、素朴な文章だった。それなのに、わたしを気遣う文章で締められている。

 なんだかとても先輩らしい。


 いや、先輩が書いたものなのだから、そりゃ先輩らしいだろう。他の誰よりも。

 なんだか、ずっと見ていてしまう。

 その文章の一文字一文字を嚥下して、意味を考えたくなる。

 普段話すときと、受ける印象が少し異なる。その違いもまた面白かった。


 説明書を見ていると、メールには保護機能があるらしい。書かれた通りに操作して、そっとメールを保護する。

 いざ持ってみるとこの端末はとても便利だ。


 さて、メールが来たからには、返信しなければいけない。

 どういうふうに書けばいいのだろう? そんなの、習ったことなんてない。


 言葉が多ければ、その分余計なことを言ってしまう気がした。

 かといって、少ないと伝えたいことを伝えきれない。




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「お気遣いくださりありがとうございます。季節の変わり目なので、何卒ご自愛ください」


 丁寧に推敲していたら、一時間近くかかってしまった。でも、先輩に送るメールに間違いがあってはいけないし……。


 心拍数が上がる。

 思い切って、送信ボタンを押した。

 すると、すぐに返信が来る。


「メールありがとう。瀬名も風邪には気をつけてな。おやすみ」


 ど、どうしよう。

 「おやすみ」の四文字からは、先輩の声まで聞こえてくるようだった。

 先輩も今頃布団に入って、わたしと同じように天井を見上げているのだろうか?


「えっと、お、や、す、み、な、さ、い、と……」

 慣れない手つきで文字を入力して、送信する。


「先輩、おやすみなさい」

 小さく呟くと、目を閉じる。

 手に入れるのには苦労したけど、やっぱりこの時代は携帯電話も必要だろう。


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