12 最初の亀裂



 今日も同好会の部室に行くと、先輩はまだ来ていなかった。

 象潟と久我原しかいない。


「韮沢氏ー!」

 象潟はこちらに手を振ってくる。仕方がないので、彼の近くの席に座る。

 相変わらず変な呼び方をする人だった。夜来なずなのように気安く名前を呼んでくるよりはいいが。


「韮沢氏、オレの名前、もう覚えた?」

「はい。象潟さんでしょう?」

「ああ、難読だろ?」

 確かに、「象潟」と書いて「きさかた」と読むには、知識が要るだろう。


「でもさ、鴇野は一発で読めたんだよ。小一でだぜ? びっくりしてなんでかって訊いたら、『象潟』って歌枕として有名な場所なんだって。すごい古文オタクだって思ったね。それが、オレと鴇野が仲良くなったきっかけ」

 なんとも先輩らしい話だ。


「韮沢氏は象潟って読めた?」

「ええ、地名姓ならばわかります」

 それこそ、「象潟」は『おくのほそ道』にも出てくるのだから。


「へえ、あったまいー! すごいね、さすが学年トップ」

「…………」

 この男の気安い態度が苦手だ、と思った。

 別に仲良しこよしするために同好会に来ているわけでもないのだし。


 教室の扉が開く。

 見ると、先輩だった。

「もう来てたんだな」

 こちらを見ながら言う彼に、象潟は、

「そうそう。今瀬名ちゃんと盛り上がってたとこ」


 盛り上がってなどいないが。この男には何が見えているのだろう。

「瀬名が同好会の人と仲良くなってくれてよかったよ」

 先輩は屈託なく笑う。この人には嫉妬なんて感情はなさそうだ。




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 メンバーが全員集まってから、活動が始まる。今日はみんなで短歌を作るらしい。

 いいものができたら、コンクールに提出するという。


「コンクールは中学生でも参加できるから、瀬名もよかったら作ってみるか?」

「はい」

 そうは言っても、短歌の作り方などよくわからない。先輩の説明を受けて、ようやく着手し始める。


 最初の内は机に向かっていた面々も、行き詰まったのか飽きたのか、次第に雑談に興じ始める。昨日のテレビ番組が面白かったとか、そういう話を。

 随分盛り上がっているようだが、わたしはテレビ番組なんて見ない。


 ……真面目に短歌に取り組めばいいのに。

 どうしてこういう人たちはいつもちゃんとやらないんだろう。隙さえ見つければすぐに遊ぼうとして。

 まるで、ちゃんとやっているわたしが浮いているようだ。


「瀬名」

 そんな中、先輩が話しかけてくる。


「短歌の進み具合はどうだ?」

「あ、えっと、その……」

 ろくにできていないし、先輩に見られたくなかった。


「あはは、人に見られるのって恥ずかしいよな」

「はい……でも、どうせいつかは見せないといけませんよね」

「納得のいくものだけで大丈夫だよ。そうだ、俺が最初に作った短歌を教えようか」

「いいんですか?」

「ああ」


 先輩が最初に作った短歌は、「暑い夏 スイカそうめん かき氷」というものだったらしい。

「ふふ、もう、先輩ったら。食べものの話しかしていないじゃないですか」

「夏への喜びが伝わってくる、いい短歌だろ?」


 そんなふうに話しながら、なんとか短歌をひとつ完成させることができた。




 � �




「ねえ瀬名ちゃん、今日は一緒に帰らない?」

 活動の終わり際、春日藤織が声を掛けてくる。彼女にあまり興味はなかったが、ふと先輩の視線が気に掛かった。


――瀬名が同好会の人と仲良くなってくれてよかったよ。


 先輩は、わたしが同好会の人間と仲良くなることを望んでいるのかもしれない。それならば、一緒に帰ってみせた方がいいだろう。

 そうして、彼女と帰路に就く。


 特に話すこともなかったが、藤織が学校生活について、他愛もない話題を振ってくるので、当たり障りのない答えを返す。


「瀬名ちゃんって、鴇野くんと部活同じだったんだって?」

「はい、美術部だったんです。あと、絵画教室も一緒でした」

「へえ、そうなんだね」

 こんな中身のない会話に、一体何の意味があるのだろう。だが、人と関わるということは往々にしてこんなものだ。


 彼女は話を続ける。

「でも、歳が二つも違うって、大変じゃない?」

「……大変って?」

「ほら、色々とね」

 その物言いに棘があるのは、気のせいではないはずだ。


「瀬名ちゃんって、もしかして鴇野くんのこと好きなの?」

「え? どうしてそう思うんですか?」

 先輩のことが好きだなんて、あるわけがない。わたしはこんなにも先輩のことが大嫌いなのだから。


「だって、中二で同好会に入れもしないのに、わざわざ見学なんて。鴇野くんのことが好きなのかなーって。違う?」

 空気が張り詰めていく。

 和やかなんて言葉とは程遠い時間。


「……違いますよ。ただ、古文が好きなので。同好会でなら、一歩進んだ勉強をできるかなと」

「そうなんだ」

 会話が途切れる。お互い沈黙したまま、並んで歩いていた。


 春日藤織は、前を向いたまま口を開く。

「私、実は鴇野くんのこと、好きなんだ」

 え?

 先輩のことが?

 好き?


「……へえ、そうだったんですか」

 何を、ふざけたことを。

「応援してくれるよね、瀬名ちゃん」

 春日藤織はそう言って、笑いかけてくる。

「…………」


 これは、牽制だ。

 そもそもわたしと一緒に帰ろうと誘ってきたのは、端からこうするつもりだったのだろう。

 先輩の誘いで同好会にやってきた後輩なんて、彼女からしてみれば敵でしかないのだ。


「はい、応援しますよ。春日さんのこと」

 わたしの返答に、彼女は満足したように頷いた。




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 家に帰っても、わたしの胸中は平穏ではなかった。

 もう足がつくなんてどうでもいい。春日藤織は今すぐ消してしまわないといけない。

 先輩はどうしてこんなに女性に好かれるのだろう。あんなろくでもない人なのに、一体どこが異性を惹きつけるのか。理解できない。


 いい機会だ。あの邪魔な同好会の人間全員を跡形も残らず塵にしてしまおう。実行したところで、誰もわたしがやったことには気づかないだろうし、単に集団行方不明事件として処理されるだけだ。周囲に多少不審がられたところで問題ない。重要なのは先輩を苦しめることだけなのだから。


 そう、重要なのはそこだ。

 もし同好会の人間を全員消したら、先輩に変に思われるかもしれない。

 わたしを同好会に連れて来た矢先にそんなことが起きて、しかも先輩とわたしだけ残れば、手口に気付かれることはないにしても、何かの因果を感じ取られてしまうだろう。


 そして――先輩とぎくしゃく、ないしは避けられでもしたら、面倒だ。わたしはもっともっと先輩のことを苦しめ続けないといけないのに、距離を取られたらそれが難しくなる。


 消すという方法は最終手段だ。

 そう、夜来なずなという選択肢もあることだし。


 あんな女の恋心なんて、へし折ってしまえばいい。どうせ簡単に壊れてしまうようなもろいものだろう。




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 数日後、休み時間、空き教室にわたしは春日藤織を呼び出した。


「瀬名ちゃん、どうしたの?」

「それが、見てほしいものがあるんです」

 一枚の写真を差し出す。


「あの二人、実はこういう関係だったみたいで……」

 それは、先輩と夜来なずなが抱き合っている写真だった。


「え……」

 藤織は言葉を失う。


 もちろん、こんなもの合成写真に決まっている。

 隠し撮りした先輩の写真に、こちらで用意した夜来なずなの画像を組み合わせて、抱き合っているように見せかけたもの。

 夜来なずなが協力者である以上、作るのは簡単だった。


 ただ画像を貼りつけるだけではどうしても色味の違いや細部の粗が生じてしまうが、それも画像編集ソフトで簡単に誤魔化せた。こんなの、絵を描くのと何も変わらない。


 目の前の女は、すっかり写真を本物だと信じ込んでいる。

 睨むように写真を見ていた。


「……私、なずなに訊いてくる」

 藤織は、すぐに教室を出ていった。

 夜来なずなとは既に口裏を合わせている。あることないことを吹き込んでくれるはずだ。


 これで春日藤織の行動を制限できるし、問題は彼女と夜来なずなとの間のものに移行する。

 より面倒な方向に転べば万々歳だ。




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「まさか春日ちゃんが、鴇野のことを好きだったなんて」

 放課後、夜来なずなとファストフード店に来ていた。ドリンクのストローをくわえたまま、彼女は言う。


 今日は同好会の活動がない日だ。無論、狙ってこの日にしたのだが。春日藤織の反応について情報共有して、更なる作戦を練るために。


「夜来さん、春日さんのことが好きだったんじゃないですか?」

「え? もういいよ、あんなの。どうでもいい」

 見事な手のひら返しだ。人間、こんなに切り替えられるものなのか。


「私のところに来た春日ちゃん、すごい顔してたよ。鴇野の方から告白してきて~とか色々でっち上げたら、どんどんやばい形相になって。瀬名ちゃんにも見せたかったなー」

 わたしは、注文したアイスティーを口に運ぶ。ひんやりとした液体が、のどを通り抜けていく。


「春日ちゃん、自分が中心じゃないと気が済まないってタイプの人だから。これまでは同好会に男子か私しかいなかったから、思う存分ちやほやされてたけど。瀬名ちゃんみたいな超絶美少女がやってきて、あわやお株が奪われるって戦々恐々としてたんじゃない? そこに来て、これでしょ? 今、内心気が気じゃないだろうなぁ」


 くすくすと笑いながら、なずなは話す。

「春日ちゃんが鴇野のこと好きなの、どうせあいつがモテるからだと思うなぁ。モテてる男を物にできたら、自分も箔がつくってもんだよね?」


 そんな理由で人を好きになるなんて、信じられない。

 だったら別に、先輩じゃなくてもいいのに。どうしてよりにもよって、彼にしたのだろう。


「でも瀬名ちゃん、わざわざ合成なんかしなくても、私が偶然を装って鴇野に抱き着くから、それを隠し撮りすればよかったのに」

「いえ、それだと先輩の表情や、構図などに違和感が生じる可能性があったので。合成なら、手間こそかかりますがその辺をうまく取り繕えます」

「そっか」


 この女を先輩に抱き着かせるなんて、想像しただけで虫酸が走る。わたしは先輩を苦しめないといけないのだから、そんなことするはずない。


「ね、瀬名ちゃん、これに協力する代わりに一緒にデートするって話、忘れてないよね?」

「……はい」

「あはは、すごく楽しみ! 色々プランを練ってるんだ。瀬名ちゃんと行きたいところがたくさんあるの!」

「…………」


 全ては先輩を苦しめるためだ。

 一日を棒に振るくらいは、甘んじて受け入れるしかない。




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 次の同好会の活動日、藤織のなずなへの態度は、傍から見ても明らかなほどに変わっていた。言葉は冷たく、隙あらば話を遮る。


 夜来なずなは、終始挙動不審な様子でびくびくとしていた。

 だが。

 一瞬、彼女がこちらに顔を向けたとき、その口角が上がっているのを見逃さなかった。


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