11 古典文学同好会



 先輩は高校生となった。

 しかし、それで何かが変わるわけでもない。わたしはせっせと先輩の悪い噂を流し続けているし、夜の公園でこうして一緒に話す時間も同じだ。


「先輩、この前薦めてくれた本、とても面白かったです」

「そうか、よかった」

 笑顔を向けてくる先輩を見ながら、本の感想を言う。先輩おすすめの古典文学を。


 わたしは、最近古典文学の本をよく読んでいた。だって、わたしは先輩のことが大嫌いだから。先輩の好きなものをリサーチしないといけない。


 先輩のお母さんが描いた絵本にも全て目を通した。彼の母親は「ときのまい」というペンネームで、有名な絵本作家だった。本名は鴇野麻衣で、旧姓は呉敷ごしき。経歴も全部調べた。


 先輩は古典文学同好会の話をする。

 無事発足した同好会では、作品の講読を行ったり、みんなで和歌や短歌を作っているらしい。そんなに古文に真剣な人がいるものだろうか、と思ったが、和気藹々とやっているようだ。


「先輩、わたしも今度その同好会に遊びに行ってもいいですか?」

 そう言った瞬間、先輩は分かりやすいくらい喜色満面となる。


「瀬名も古文の魅力に目覚めたのか!?」

 わたしの手を取って、眩しいばかりの表情を向けてくる。

 ……本当に、この人は、もう。どうしようもない。


「そんなところです」

 わたしはにっこりと笑みを作る。

「先輩ったら、最近は同好会の話しかしませんから」

 こうして、次の活動日に参加することになった。




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 わたしはまだ中学生なので、高等部の同好会に入ることは出来ない。

 しかし、同好会の活動場所に顔を出すことは容易だった。こういうとき、小中高一貫校に通っているメリットを感じる。


 同好会の活動場所といっても、部室のようにしっかりとした場所が与えられているわけではない。単なる空き教室だ。

 教室の中には、わたしと先輩のほかに四名の男女がいた。その中のひとりの男が、こちらの姿を見てはっとする。

「あ、見たことある。よく表彰されてる子だよね? 名前はなんだっけ、韮山、いや、韮崎――」


「韮沢だよ。韮沢瀬名。中学二年生で、今日は見学に来てくれたんだ」

 先輩が苦笑しながら、わたしのことを紹介した。

「はい。みなさん、よろしくお願いします」

 軽く頭を下げてから、教室の中を見回す。


 まず目に入るのは、わたしの名前を盛大に間違えていた男子生徒。

「俺は象潟きさかた。古文は万年赤点だけど、よろしくな」

 榛色の髪を長めに伸ばしており、どこか不真面目そうな印象を与える。

 先輩と同学年で、昔からの友人。本業はサッカー部だが、誘われてこの同好会にも顔を出しているという。


「わあ、かわいい!」

 そう言って両手を合わせたのは、少女だった。

 赤みが混じった長い髪を、七夕の吹き流しのような形のポニーテールに結わえている。


「こんなにかわいい後輩なら大歓迎だよ。あたしはね、春日かすが藤織ふじおりっていうんだ。二年だから、鴇野くんよりも先輩だよ」

 上級生もいるのか。相変わらず先輩の交友関係は広い。

 この同好会の会長は発起人の先輩だが、副会長は彼女らしい。


「わ、わわ、私は、夜来やらい、なずな、といいます」

 褪せた紫色の髪を二つ結びにしている少女。こちらも高校二年生らしい。前髪は目にかかるほど長く、比較的背は高い方だろうに、縮こまって丸まっているため、小さく見える。

 おどおどしていて、気弱そうだ。


「なずなはシャイなんだよ。ね?」

 藤織の言葉に、なずなは小さく頷いた。


 最後は、隅で黙り込んで読書している男。厚いレンズの眼鏡で、黒い髪は無造作に縮れている。

「……久我原くがはら。二年だ」

 それだけ言うと、開いている本に目を落とす。


「おいおい久我原氏、初対面の子にそれはないでしょ。もっと愛想よくしないと、折角の見学者が尻尾巻いて帰っちゃいますよ?」

 象潟の茶々にも、久我原は冷淡な反応だ。

「中学二年生なら、入会者にもならない」


「未来の会員候補には優しくしておかないと、罰があたりますよ? ごめんね、韮沢氏。久我原氏は鴇野と同じくらいの古文好きでね。ここのメンバーは大体鴇野が集めてきたけど、久我原氏だけは古典文学同好会と聞きつけて自分から入ったくらいだから」


 どうやら象潟は、人に敬称をつけるときは「~氏」と呼んでいるらしい。奇妙な喋り方だ。彼の態度からすると、ふざけているのだろう。

 理解できないが、そもそも興味もない。


「そもそも、なずなだって自分から入会したいって言ってくれたんだよ。そうだったよね、なずな」

 藤織の言葉に同意するなずな。

「は、はい……」


「あ、そうだったっけ。それは夜来氏には申し訳ないことをしちゃいましたね」

 象潟は、へらへらと笑う。


 その後、彼らは同好会の紹介も兼ねておしゃべりを始める。

 明るい雰囲気で、盛り上がっていた。


 わたしは笑顔を浮かべる。

「とても楽しいところですね」

 先輩には必要のない場所だ。早くみんな消してしまわないと。


 いや、先輩だけを残して同好会のメンバーが全員消えたらさすがに目立ちすぎる。

 だけど、これをこのまま放置することなんてできない。

 ここにやってきた理由は、ほかでもない。この同好会を壊すためなのだから。




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 翌日の朝。登校すると、下駄箱に手紙が入っていた。

「…………」

 有名なマスコットキャラクターが描かれた、かわいらしい封筒。ハートのシールで封までされている。


 これが先輩の下駄箱だったら話が早かった。燃やすなり破くなりしてから送り主に返せばいい。

 だが問題は、わたしの下駄箱に入っていたということだ。


 手紙の文章は簡潔だった。


「韮沢瀬名さんへ。

 お話があるので、今日の放課後校舎裏まで来てください。

 待っています」


 性質の悪い冗談だろうか。

 かなり無視したい気分だったが、そうはいかなかった。何せ、差出人の欄に書かれていた名前が、夜来なずなだったのだから。




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「どうしたんですか、夜来さん。こんなところに呼び出したりして……」

 指定された時刻に校舎裏に行くと、彼女はそこにいた。


 なずなは何も言わないまま近づいてくると、いきなり唇を重ねてきた。

「――――!?」

 反射的に突き飛ばす。


 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い――

 全身を駆け巡る嫌悪感に、わななく。

 なんておぞましいのだろう。信じられない。こんな侮辱があるだろうか。

 あと少しで咄嗟に消してしまうところだった。


 突き飛ばされたことを意にも介していないのか、夜来なずなは頬を染めたまま口を開く。


挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16816927860180841729


「に、韮沢さん、あなたは私の理想です。大好きです」

「……え?」

「私と、お付き合いしてくれませんか?」


 何を言っているんだろう、この人は。

 理解できない。

 告白?

 どうして?


「小さくて、かわいくて、まるでお人形さんみたいで、愛らしくて……私、一目惚れしちゃいました」

 彼女はわたしの両手を握って、熱っぽい視線を向けてくる。


「だって、こんなに綺麗な顔立ちで美しい人は初めて見たんです。肌はすごく白くて、黒髪はさらさらで……。私、絶対付き合いたいって思いました」

 一目惚れ?

 わたしに?

 ろくに会話したこともないのに?


 どうしてそれで好きだなんて言えるんだろう。

 わたしのことを何も知らないくせに。


「元々春日ちゃん目当てで同好会に入ったのに、ほかの男どもは下心しかないし、春日ちゃんもちやほやされていい気になってるところが期待外れだったし、そろそろ抜けようかと思っていたんです! でも、こんな収穫があるなんて!」


 何も訊いていないのに、彼女は一方的に話し続ける。

 春日藤織に恋をして、見損なうまでの経緯を。そして、古典文学同好会を抜けたい理由の数々を。


「……あの、夜来さんは古典文学同好会があまり好きじゃないみたいですね」

「もう、そりゃもちろん! あんなところに入ったのは失敗でした。韮沢さんに出会えたことを除いては!」


 今すぐこの場から立ち去りたいところだったが、話が変わってくる。

 もしかしたら、彼女は何かに利するかもしれない。

「よかったら、一緒にあの同好会をぶち壊しませんか? わたしも、ああいうの嫌いなんです」


「いいですね!」

 夜来なずなはわたしの手を取る。

「一緒にあいつらに痛い目見せてやりましょう!」


 わたし自身が派手に動くわけにはいかない。先輩に不審に思われてしまうから。

 だけどなずなを介してなら、目立たずに行動することができる。これで、あの同好会を壊すことができる。


「ねえ、瀬名ちゃん! あ、瀬名ちゃんって呼んでいい? もういいよね? 私たちはこれでお付き合いすることになったんだから。これからよろしくね」

 いつ交際する話になったのか、全く理解できない。一体どういう思考回路をしているのだろう。


「お付き合いはその……わたし、まだあなたのことをよく知らないので……」

「だったら、これからいっぱいお互いのことを知ればいいんだよ! 今度の休み、遊園地に行こう!」

「いえ、わたし、騒がしいところはあまり……」


「だったら水族館は!?」

「えっと……」

 遊園地も水族館も行ったことがない。どうしてこんな人と行かないといけないのだろう。

 この女と関わるなんて、今から先が思いやられるが、これも先輩を苦しめるためだ。


「夜来さん、わたしたちが……その、仲良しだということは、秘密にしましょう。その方が、うまく同好会をかき回せると思うので」

 こんなの先輩に知られたら面倒だ。


「なんだか秘密の関係みたいでどきどきするね」

 なずなは何やら勝手に納得しているらしい。とはいえ、これで関係を伏せることはできそうだ。


 それにしても、まさか告白されるとは。

 告白なんて、結局自己陶酔のくだらない儀式に過ぎない。


 それに、そんなことをするのは、相手が自分に傾いてくれるという蒙昧な希望を抱いている人間だけだ。

 わたしが、夜来なずなに少しでもなびくと思われたなんて、こんな屈辱はなかった。

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