13 人形と憂鬱


 皆原駅の、有名な待ち合わせスポット。休日だから、人がごった返している。その中に、わたしは立ち尽くしていた。

 今日は、夜来なずなと出かける予定になっていた。


 待ち合わせの時刻から二十分過ぎて、ようやくなずながやってくる。わりと少女趣味な恰好だった。

 黒いリボンのついたブラウスは、フリルがふんだんにあしらわれている。それに、黒いコルセットスカートを合わせていた。足元はレースのクルーソックスと黒いクラシカルなパンプス。


「ごめんね、髪が上手くまとまらなくて! さ、早く行こう!」

「……はい」




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「私ね、瀬名ちゃんと服を見たいの!」

 連れて行かれた先は、ふつうの服屋ではなかった。

 並んでいるのは、やたらフリルやリボンがごてごてとついたワンピースばかり。おとぎ話の中に出てくるようなデザインだ。夜来なずなが着ている服を、ずっと派手にしたようなもの。


「あ、これ、瀬名ちゃんに似合いそう! ほら、早速試着してみて!」

「…………」

 わたしはひとりで試着室に入って、しぶしぶ渡された服に着替える。


 それは白のワンピース。胸元には大きなリボン。袖はパフスリープで、パニエでふわりと広がったスカートは三段フリル。

 頭には白いリボンのカチューシャ。両手を覆う白いレースの手袋が疎ましい。


「瀬名ちゃん、本当にかわいい……」

 うっとりとした表情を浮かべて、夜来なずなは満足そうな声をこぼす。

「綺麗な髪に、白くてなめらかな肌。黒曜石をはめ込んだ瞳……本当に人形みたい。このままずっと家に飾っておきたいくらいだよ」


 こんな人に褒められても、全くうれしくない。

 なずなは、興奮したようにぱしゃぱしゃと写真を撮っている。過剰なフラッシュがじりじりと頭を焦がしていくようだった。


「今度はこっちのゴスロリを着てみよっか。あ、こっちのアリス服もいいなぁ……どうしよう」

 彼女は、名案を思いついたかのように笑顔になる。

「全部着てみればいいよね」


 わたしは着せ替え人形だった。

 彼女は、わたしのことなんて全く見ていなかった。きっと物言わぬ人形が欲しいだけなのだろう。そんなものに付き合わされるのなんて、まっぴらだった。

 だけど、わたしにはやらなければならないことがある。




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 服屋を出て、駅前の混雑の中を歩く。夜来なずなの行き先は決まっているようだった。前を歩く彼女は浮かれた様子で、昂ぶった様子で話しかけてくる。

 わたしはそれを大雑把に受け流していた。


 不意に、何かを見たなずなの顔から、笑顔が消える。

「……醜いですね」

「何が、ですか?」


「そこのカップルだよ。女の方」

 彼女の視線を追うと、確かに恋人だと思しき二人連れがいた。女性の方は、男性と寄り添って幸せそうな顔をしている。


「見て、あの、バカみたいに浮かれ切った顔。横の男の関心を、歓心を得ることしか頭にないような顔。醜悪だよね」

 醜悪?

 あれが?


「私の友達にも何人かああいうのがいました。男に依存するしか能のない女。私の彼氏を奪ったりなんだりと、もうやりたい放題ですよ。この恋の前には全てが許されるなんて言って……頭が膿んでるんじゃないですかね」

 何かのスイッチが入ったのか、夜来なずなは一気にまくしたて始めた。


「主体性が何もなくて、ただ男の言いなりで、どうしようもなく恋愛脳なんです。相手に合わせて進路選んだりとかふつうにするんですから。なんてふざけた人生なんでしょう。かわいそう。中身が空っぽな、何もない人って」

 かわいそう。

 それは、いつかどこかで聞いた言葉だった。


「『あなたがいないと生きていけない』とかよくある台詞ですけど、バカじゃないですか? だったらさっさとくたばれって思っちゃいます。どうせいなくなったらすぐ次の相手を探すだけなんでしょうけど。


「『好き』とか『愛してる』とか、よく言えますよね。優しくしてくれるなら、誰でもよかったくせに。自分の欲求を満たしてくれないと簡単に傷つけるくせに。か弱い恋する乙女を気取ってますけど、とどのつまり勝手に自分にとって都合のいい存在に当てはめて、そこから逸脱することを許さない、図太い生き物なんですよ。恋するその人のことなんて実はこれっぽっちも見ていなくて、『白馬の王子様』が欲しいだけ。そんなのは単なる醜い自己愛です。


「自分の気持ちは言わないけど、『白馬の王子様』ならわかってくれるよね? どうしてわかってくれないの? なーんてことを大真面目に考えていたりするんですから。笑えますよね。というか、自分は相手のために何もしないのに。無償の愛を注いでくれるなんて親くらいですよ。まぁ、どうせそういう人間は親にすら愛されなかったから、だから男に依存してるんでしょうけどね。


「あと、やけに相手を束縛したがる傾向がありますよね。どうせ自分に自信がないからなんでしょうけど。自分と他の女を天秤に掛けられたとき、自分を選んでもらえるとは思っていないからでしょうけど。バカみたいですよね。そういうのは一生一人でやってろって感じです。どうせ全部くだらない自己陶酔なんですから」


「少し静かにしてください」

 発せられた言葉。それはわたしのものだった。


「ご、ごめんねっ、私、ああいう男と女が本当に嫌いで――」

 なずなはまだ何かを言っていたが、わたしは耳を傾けることをやめた。




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「あ、瀬名ちゃん、ここ入らない? ケーキがおいしいって評判なんだ」

 夜来なずなが指差したのは喫茶店だった。窓から見える店内の席は若い女性が埋め尽くしており、なるほど繁盛しているらしい。


「すみません、わたし、甘いものが苦手なので」

 お菓子は特別な日に食べるものだ。そして、今日は特別な日でもなんでもない。

「いいじゃんいいじゃん! ほら、入ろう!」

 だが、結局強引に引っ張られてしまう。


 なずなはミルクレープを頼んでいたが、わたしは紅茶だけで済ませる。

「瀬名ちゃんっていっつも無表情だよね。同好会では笑顔だけど」

「これが素なんです」

「うん、そっちの方が人形めいてて素敵だよ」


 彼女は、さも楽しそうに話を振ってくる。

「瀬名ちゃんの趣味って何?」

 趣味なんて意味がない。全くもって不必要だった。

「じゃあ、いつもは何をしてるの?」


 いつもは勉強をしている。それは必要なことだから。本を読む。それも、教養のために必要なことだから。

 あとは――先輩が他の人と仲良くしないように、監視したり、邪魔している。だって、わたしは先輩のことが嫌いだから、先輩のことを苦しめないといけないんだ。

 だけどこんなこと夜来なずなに話す意味はない。


「……勉強や読書、ですかね」

「へえ、真面目なんだね」


 ミルクレープをつつきながら、目の前の女はじっとこちらを見つめる。

「瀬名ちゃんって、鴇野とどういう関係なの?」

 最近そう訊かれることが多い気がした。別にどうもしないのに。


「習い事と部活が同じだったんです。だけど、わたしは先輩のことが大嫌いで――どうにかして、苦しめたかったんですよ」

「あんな男に付きまとわれたら、そりゃ鬱陶しいですよね。やたらめったら愛想振りまいてるけど、下心が見え透いてますし。そこまでするかって感じ」

「…………」


 なずなは、先輩の何を知っているというのだろう。どうせ何も知らないくせに……。

 こんな人間、この世に必要なのだろうか? どう考えても、意義が見いだせない。今すぐ消してしまいたい。


「あいつ、優しそうな顔をしてるけど、よくこっちを観察してる気がするんだよね……。観察っていうか、鑑定? 人間を値踏みするような目」

 人を値踏みしているのはそちらの方だろう。そんな曲がった見方しかできないなんて。先輩はそんなことする人じゃないのに。


 この女が、二度と先輩の名前を口にできなくさせてやりたかった。

 こんな人間が先輩について話すだけで許されない罪業なのだ。……いけない、我慢しないと。わたしは話を逸らす。


 彼女との話題などそれほどなかったが、なずなは一方的に話し続けるので、わたしは適当に頷くだけでよかった。

 やがてなずなは、自分の出自について雄弁に語り出した。終いには涙も交えながら。


 何やら複雑な家庭環境に置かれていたらしいが、何ひとつ興味も湧かなかったし、心が少しも動かされなかった。有体に言うとどうでもよかった。ほとんど聞き流していた。

 結局全てのものは先輩を不幸にするのに役立つかどうかという、それだけの意味しか持っておらず、それ以外には無価値だった。


「家を出たこともあるんだよ。ネットで泊めてくれる人を探して……。でも、結局みんな身体目当てで、私のことなんて全然見てないの。もう疲れちゃった。獣みたいな男共にも、そんな男に媚びる女も」


 先輩だったら手を差し伸べたかもしれないけど、わたしには無理だ。

 しかし仕方がないので彼女に同情や慰めの言葉を掛けた。付きまとわれるのも鬱陶しいので必要最低限のものに留めたが、それでも夜来なずなは大層有り難がって、わたしに感謝した。


「瀬名ちゃん……あなたは私の理想です……!」

 くだらない時間だった。




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 連れ回されている内に、ようやく日が沈む。

 長い一日だった。あとはもう、門限とか適当なことを言って切り上げよう。


 そう考えていると、締める気配を察知したのか、夜来なずなはわたしの肩に触れた。今すぐ跳ね除けたい嫌悪感が全身を駆け巡る。

 顔を近づけてキスしようとしてくるので、わたしは早々に後ろに下がって距離を取る。


「すみません、そういうことはあまり……その、恥ずかしいので」

「瀬名ちゃん、本当にかわいい……。純真で、私の理想だよ」

 第一、人通りが少ないとはいえ街中でそういうことをしようとするなんて。何を考えているのだろう。


「ねえ、瀬名ちゃん、この後私の家に来ない? 今日は親いないんだ」

「…………」

 この女は、すぐにでも消してしまうべきなのかもしれない。今触れたら本当に消してしまいそうだ。


「申し訳ないですが、そろそろ門限なので帰ります。それでは、また同好会で」

「じゃあ、私が家まで送っていくよ。瀬名ちゃんみたいなかわいい子がひとりで出歩くなんて、危ないし」

「いえ、大丈夫ですよ。それに、寄るところがあるので」


 なずなは食い下がらなかったが、しばらくの押し問答の末に、なんとかひとりで帰ることになった。

「瀬名ちゃんは、携帯持たないの?」

「はい、家の方針で」


「そっか、携帯があれば、帰っても色々話せるのに」

 携帯電話なんて必要がない。持ったところで、この女により付きまとわれるだけだろう。バカバカしい。


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