11 真実は朝靄の中


 ⏪ ⏪




「時間を操ることに、向いている人と向いていない人がいるのよ」

 彼女の話はいつも唐突だった。


「この間、時間は人の意志で操れるって言ったでしょ?」

「ああ、そうだったな」

 相変わらずにわかには信じがたい話だったが。


「この蔵には色々と面白いものがあるわ。たとえばね、この石」

 みたきは、道端に転がっていそうな何の変哲もない石を持って見せる。

「ほら、あなたも持ってみて」

 言われるがままに受け取ると、いやに重い。明らかに普通の石ではなかった。


「これに特定の感情を込めると、秩序立った時間の淘汰を掻い潜る――私が便宜上名付けたものだけど――『飽和』という現象を起こすことができるの。有体に言うと、消されなくて済むってこと」

 何を言っているのかさっぱりだった。

 秩序? 淘汰? 飽和?


「とはいえ『飽和』はこんなものを使わずとも起こせるわ。ちょっと面倒な条件を満たす必要があるけど」

 みたきの舌は止まらない。


「重要なのは世界を錯覚させることなのよ。その状態をバグだと認識させないこと。だから長期間――何年も継続的に――真綿で首を絞めるようにじっくりと、でも決定的なとどめを欠いて――絶望すればいいの。物心ついたときから、っていうのが一番ベストね。そうすれば絶望は、世界の歪みは、バグではなくフラットな状態になる。『飽和』するの。世界に定着し、決して淘汰されなくなるわ。


「不思議だったのよ。本来ならばとっくに消えていてもおかしくないくらい絶望しているのに、一向に消えない人がいるから。それでも許容値を超えるくらい絶望していればラネット化はするけど、すぐにそれも治まってしまう。それで色々と調べてみたら類型を見つけたの。そこから法則性を探し出すのは容易だったわ。最早その人の心そのものがラネットになっているんでしょうね。興味深いわ。『飽和』していても、外部からラネットで干渉されれば消すことはできるけどね。


「とはいえ条件を揃えても必ず『飽和』が起きるとは限らないの。でも、『飽和』している人間はみんなすごくラネットの扱いが上手いのよ。最早絶望を飼いならしているのかってくらいに。


「これは道具の性能としては物足りないわね。如意宝珠という完全上位互換があるし。他には、もっとすごいものが色々あるのよ」


 みたきはその後も何やらつらつらと話していたが、俺はいつものたわむれ事だと思って聞き流した。

 そもそも彼女はこちらに理解させようとして説明していなかったのだから仕方がない。大丈夫、あなたはいつかわかるわよ、とそんなことを言う。




 ⏩ ⏩




 大学の講義が終わったのは、夕方だった。六限の後朝霧と落ち合う。


「その、昨日のことなんだけど……やっぱり犯人探しを優先させた方がいいんじゃないかしら」

 彼女がそう言うことは、予測できていた。


「朝霧は優しいな、すごく」

「あ、いや……世界の危機だもの」


「でも、俺は期限のことが心配だよ。とりあえず、ホテルに行ってみないか? もしかしたら、解くのにすごく時間のかかる暗号があるかもしれないし」

「そ、そうね……」




 ▶ ▶



 

 皆原グランドホテルは、皆原市でも屈指の高級ホテルだった。駅前の一等地に、三十七階建てという高さを誇っている。

 和と洋両方の高級レストランがあり、高級ランチやコース料理、高級アフタヌーンティーを楽しめる。高級スパや高級ジムも完備している。

 とにかく高級づくしのホテルだ。


 三十七階はレストランとなっているため、三十六階が客室の最上階だ。

 そして、カードキーは三六〇五号室を示していた。最高級スイートルームである。


 エレベーターで三十六階まで登り、三六〇五号室の扉にカードキーをかざす。もしかしたら開かないんじゃないかという危惧はあったが、そんなことはなく、至極自然に扉は開いた。

 俺たちは足を踏み入れる。


 大きく開いた窓からは、夕焼けと町並みが一望できた。

 キングサイズのベッドが鎮座しており、リビングスペースも広い。ふかふかのソファに、テレビもホームシアターもある。


 俺のアパートの部屋より一回りも二回りも広い。

 さすがに高級ホテルのスイートルームに入るのは初めてだった。否が応でも圧倒される。


 そして、ソファに深々と腰掛けている人物がひとりいた。最新式の携帯電話をいじっている。


 長めの髪は脱色されており、身に纏った夜臼坂学園の男子制服は着崩されている。コンビニの前でたむろしていそうな風貌だが、その顔にはどこか朝霧の面影があった。

 彼が秋萩、なのだろう。


「誰だよその男」

 秋萩はこちらを見ると訝しむ。姉の来訪は予想していたが、俺の存在は予想外だったらしい。


「あんたを探すのに手伝ってくれた人よ」

「まさか時間のことを全部話したんじゃねえだろうな?」

「関係ないでしょ? あんたには」


 秋萩は深く嘆息する。

「あーあーあー、軽率なことを」


「それよりも、もしかしてずっとここに泊まってたの?」

「ああ。街をぶらついて姉貴と出くわすなんてオチ、最悪だろ? だから僕は半月以上ずっとここに籠もりっきりだよ。スイートルームでもないとやってらんねえ」

 半月もここに連泊するとは、なんという財力なのだろう。以前朝霧から、彼女の家は相当裕福だと聞いていたが。


「あ、あんた、そんな贅沢して……! ダメじゃないの! 今後どの寝具で寝ても、石のように固く感じられるわよ」

「ほっとけよ、そんなん。姉貴には関係ねえだろ?」 

 なんとも所帯じみた会話だ。


「そういえば、カードキーはどうしたの? ずっとコインロッカーに入れてたなら、簡単に部屋に入れなくなるでしょ?」

「ああ、それなら――」

 学生服の男は、ポケットから一枚のカードを取り出した。

 見覚えのある、カード。というのも、今俺が持っている三六〇五号室のカードキーを全く同一だったからだ。


「別の時間から持ってくれば済む話だ」

「あ、あんた、またそんな軽率に時間移動して――」

「うっせーな、ちゃんと後で戻すし、別にいいだろ?」

 そうやって二枚のカードを用意するとは――相当時間移動の力を便利に使っている。


 秋萩は、カードキーと携帯電話をテーブルの上に置いて、立ち上がった。

 ……携帯電話?

 そもそも、過去からの旅行者であるはずの彼が、どうして携帯電話を持っているのだろう。現に、朝霧は持っていないのに。


「その電話、どうやって手に入れたの?」

 姉に訊かれ、弟は嫌そうな顔をする。話したら、どうせがみがみ言われることがわかっている顔だ。


「……飛ばしの携帯をちょろっとかっぱらってきたんだよ。退屈しのぎにちょうどいいからな」

 と、飛ばし……日常生活ではなかなか聞かない言葉だが。

 朝霧とは違って、秋萩はよくも悪くも相当この時代に馴染んでいるらしい。俺の横に立つ女性は、「飛ばしって何? 飛ぶの?」と意味が飲み込めていないようだ。


「というか、本題はそんなことじゃねえだろ?」

 深く追求されることを避けるように、彼は口を開く。


「……そうよ。あたしがあんたを見つけたってことはつまり、勝負が決したってこと」

 ふたりの勝負。

 秋萩は、時間移動の力を使って禁忌を犯そうとしているという。だから、朝霧は止めようとした。


 平行線の問答の末に、隠れんぼ﹅﹅﹅﹅で勝敗を決することにした。

 カードを手がかりにして、朝霧が秋萩を見つけられれば、彼女の勝利となる勝負を。

 そのために、これまで解かせる気が一切ない暗号や謎に頭を悩ませ、答えに辿り着いたのだ。


「はいはい、おめでとうございました」

 秋萩はやる気のない拍手をしながらそう言う。

「これで、見事に姉貴の死は確定されたってわけだ」


「え……?」

 朝霧の、死?


「ど、どういうことだ?」

「ん? 言ってなかったのかよ。これがどういう勝負なのか」

「ちょっと、彼にはその話は――」


「こいつが姉貴をここまで連れてきたんだろ? なら、こいつには知る義務があるはずだ」

 奇妙な髪色をした女性は、眉根を寄せた。


「僕は時間移動の能力を駆使して、姉貴の死の運命を回避する方法を見つけ出した。でも、姉貴はそれを受け入れなかった。そんなふうに運命を変えるのは禁忌だと。だから、勝負することにしたんだ」

 秋萩は――朝霧の弟は、真実を告げる。


「僕が勝ったら姉貴は生き続ける。姉貴が勝ったら、姉貴は死ぬ。そんな勝負をな」


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