12 色失う未来


 

「……あ、朝霧が死ぬって」

 一体、どんなふうに?


「衰弱死だよ」

 秋萩は憎々しげに言う。


「その一秒前までは至って健康体だったのに、その瞬間急に血の色を失くして事切れたんだ。まるで何年も何も食べていなかったかのような有様だった」

 今横に立っている女性が、そんなふうに亡くなってしまうなんて、想像したくなかった。だけど、それは実際に起きる未来――いや、過去なのだろう。


「姉貴は、百年後の世界に行くという禁忌を犯してしまった。だから、罰を受ける羽目になったんだ」

「罰って……」


 彼女の髪色は、烙印だという。だが禁忌の代償が、髪の色が変わる程度で済むだろうか? もっと手ひどいものを与えられたのではないだろうか。

 たとえばそれは罰の最上級である――死、のような。


「姉貴はその日その時間に死ぬことが世界によって定められてしまった。過去に戻っても、姉貴が百年後に向かう以前の地点に戻っても、無駄だった。世界は同じ時間で同期し、同じ結末を辿った」


 きっと秋萩は、何度も時間移動をしたのだろう。姉の命を救うために。そしてそのたびに、死が避けられないことを痛感させられてしまった。

 朝霧の死は、時間移動でもたらされたものだから。

 時間移動で、救えるものだろうか。


「世界は時間と空間のほかに、核――魂という構成要素が存在する。それは生きとし生けるもの全てが備えている固定指示子のようなものだ。魂こそが生命の礎になり、世界はどうやら魂で自動的に生命を識別し管理しているらしい」


――世界はね、平たく言うと時間と空間と――核、いわゆる魂で構成されているの。


 以前、みたきもそんなことを言っていた気がする。


「魂は、如何なる過去でも未来でも、あらゆる世界ですらも同一のものだ。どうやっても生命は魂を切り離すことなんてできない」


 輪廻転生、という概念がある。

 人間は生まれ変わる。姿は変わるし、記憶はなくなるけど、魂は不変だ。

 それくらい魂というのは絶対的なものなのである。


「その魂に、姉貴の死の運命が刻まれてしまったんだよ。どこに行っても逃れられるわけがねえ。何しろ死の誘因は、姉貴の存在そのものにあるんだからな」


 朝霧は、朝霧である限り死ぬことが宿命付けられている。

 それは――なんという絶望だろう。


「だから僕は過去に戻ることをやめた。あとはもう、未来に行くしかなかった。姉貴の死は、決められた地点――時間で起きる。だからその地点をスキップして、未来に行けば回避できるんだよ」

「そ、それで、朝霧は助かるのか?」


「ああ、試してみたが上手く行った。俺は姉貴に死んでほしくなんかねえ。だから、そのまま未来の世界で生き続けようって言ったんだが――拒まれたよ。道理を捻じ曲げてまで生きたくないって」


――こんなことを言ったら怒る人もいるだろうけど、あたしは人の死の運命も全て受け入れなくてはならないと思ってる。


 以前聞いた、朝霧の言葉。

 彼女は時間移動の力で死を回避することを良く思っていなかった。

 でも、まさか自分の死すらもそうだとは――


「姉貴はクソ真面目なんだよ。道理だって禁忌だってどうでもいい。僕たちには最高の逃げ道があんだろ? なのになんで使わねえんだ」

 若菖蒲――烙印の髪色を持つ女性は、黙り込んでいる。


「この勝負は賭けだったんだ。もし姉貴が僕を探し出したら、そういう運命なんだってな。姉貴は自分の死を勝ち取ったんだよ」

 俺が――謎を解いてしまったから。

 朝霧は生き残る道を選択せずに、死んでいくことになる。


 秋萩は、なおも言い募る。彼はまだ、諦めきれていないのだ。

「姉貴だって本当は怖いんだろ? だから理解者が欲しくてわざわざその男に事情を話したんだろ?」


 自分の死を勝ち取るために、未来の世界で秋萩を探す勝負。きっとひどく心細いものだったに違いない。

 だから、つい話してしまったのだろうか。自分が過去から来たことを。「百年の壁」の禁忌を破り、罰を受けたことを。


「……そうやって逃げ回って、それで生きているって言えるの?」

 朝霧は、ようやく口を開いた。

「未来の世界で生きるのは、簡単なことじゃないわ。だって、社会で認められていない存在でしょ? ふつうの生活の一切ができなくなる」


 戸籍を照会されたら存在の矛盾に気づかれてしまう。それを避けようとすると、生活していく上で必要なことが、相当数行えなくなる。


「当然その時間に友人知人はいないし、その時間の人と親しくなることも極力避けなくてはならない。逃げ隠れて生きて――あたしは、そんなことをしてまで生きたくない」

「死ぬよりはずっとマシだろ?」

 声を荒らげる秋萩にも、朝霧は動じない。


「今ここで死の運命を回避したら、今後また死の危機に際したときにも、あたし達はそれから逃れないといけない羽目になるわ。だって、既に一度逃げ出しているんだもの。そして、逃げて逃げて……逃げ続けることになる。その先に未来はないわ。死んでいるのと同じ」


 その生は、前向きなものではなくなる、ということだろう。

 死に怯え、運命を捻じ曲げるために奔走し続ける人生になる。


「むしろ成功してはいけないの。成功して――報われてはいけないのよ。待っているのは底なし沼だけなんだから」

 朝霧の意志は揺るがない。

 彼女は自分の生を全うするために、死を選ぶのだ。




 ▶ ▶




「……絶対見つからないようにしたのに」

 秋萩は悔しげに吐き捨てる。


「姉貴にアウェーな時代を舞台に選んで、姉貴の苦手な分野で勝負して、反則すれすれの無理ゲーを押し付けて……そいつさえいなければな」


 「北山に たなびく雲の 青雲の 星離れ行き 月も離れて」という和歌は、亡くなった人を悼む歌だ。去りゆく人を雲に例えて、哀惜の念を詠んでいる。

 そして、「月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひしりぬる」は、前年に愛しい人を亡くした作者が、その死を弔う旅の最中に詠んだ歌だ。


 和歌において一番重要なのは、歌に込められた意味だ。

 だから、秋萩はこれらの歌で暗号を作ったのだろう。


「……いや、きっとそれが運命ってもんなんだろうな」

 学生服の男は、呟いた。


 秋萩は、極力解けない謎を用意した。体裁上の公平を期すため、本当のでたらめにはしない。だが、朝霧が入れない場所にヒントを置き、さらに第三者に持ち出されやすい場所に仕込んだ。本来ならば、彼が負けるはずなかったのだ。


 偶然古文が好きな大学生に出会う確率。

 そして、一緒に謎を解くに至る確率。

 その大学生が、たまたま同級生が持っていた『万葉集』に目を留め、ヒントを手に入れる確率。


 それが、一体どれほどの確率だというのだろう。ふつうに考えればありえない。

 これ以外ないというような、か細い糸を辿って行きついた答え。


 事こうなってしまえば、もう。

 まさしく、運命と言うにほかならない。

 世界が、朝霧を死に向かわせようとしている。


「勝負の結果は絶対だ。今更翻す気はねえよ」

「ありがとう」

 朝霧は、微笑んだ。自らの死を受容した人間の表情だった。


「じゃ、僕は一足先に戻ってるよ。カードキーを元の時間に置いてこないといけないし」

 秋萩は荷物を取ると、部屋を出ていった。


 俺と朝霧をふたりきりにして、気兼ねなく別れの挨拶ができるようにしてくれたのだろうか。結構気を利かせてくれるものだ。


 目の前にいる女性と、視線が交わる。

 朝霧に謝ろうかと思った。

 謎を解いてしまって。彼女を死の運命に導いてしまって。

 だが、それは彼女の選択に泥を塗るだけのような気がした。


 人は誰しも固有の人生を持っていて、その全てが尊重されるべきだから。

 その選択も、尊重しなくてはならない。


「ありがとう。正直未来旅行は楽しかったわ」

 朝霧は、こちらにも笑いかけてくる。


「さっき秋萩が言ってたことなんだけど――」

 色々言っていたが、たぶんあのことだろう。死が怖かったから、俺に事情を話したんじゃないかと。


「確かに、あたし、知らない時代に来て――それも、死地に赴くような覚悟で、どこか寄る辺ない気持ちになってたのかもしれない。でも、あなたみたいな世話焼きな人に会えて幸運だったわ」

 俺の存在が、何かしら朝霧の助けになっていたのなら、幸いだった。


「あたし、もしかしたらあなたのこと――」

 彼女は、途中で言葉を切る。

「いえ、なんでもないわ。ガールフレンドとお幸せにね」

「……ああ」


「あたしはもう帰らないといけないから、連続失踪事件の犯人探しは手伝えないけど……応援してるわ」

 朝霧は、首に掛けていた竹紐の首飾りを渡してきた。別れる前に、借りていたものを返そうというのだろう。


「ありがとう、朝霧。……名残惜しいけど、これでお別れだな」

「ええ。半月以上も一緒に過ごせてよかった。あなたも、自分の時間をめいっぱい生きてね」

 その言葉を残して、朝霧は部屋を出ていった。


 二度と会うことはないだろう。

 あんな人間が存在しているのか、と思った。

 あんな生き方を選択できる、人間が。

「……俺も、朝霧と一緒に過ごせてよかったよ」


 もうラネットに関わるのはやめよう。

 俺は、俺の時間を生きなくてはいけない。


 スイートルームを出る。家に帰るために。

 ホテルの広い廊下には、誰もいなかった。ふたりの姿も。

 きっと、行ってしまったのだろう。


 ぴしり、と。

 音がした。


「ん?」

 俺は手の中にある竹紐の首飾り――黒闇天の如意宝珠――を見た。

 すると、薄く濁った白色だった石が、淀んだ灰色になっている。表面を黒色の霧が這っているかのように、まだらに蠢いている。


「な、なんだ……?」

 またぴしり、と音がした。

 宝珠に亀裂が入った音だ。


 ひびは瞬く間に広がっていく。石が急速に闇に染まっていく。

 完全に黒色になった石は、粉々に砕け散った。


 何が起こっている?

 いきなり石が壊れるなんて。

 しかも、この石は明らかに特殊で、ラネットから身を守ってくれるものだったのに。


 ぐらりと、空間が揺れた。

 音が捻じれて、壁が歪んで、まるで全てが凍りついたかのように色褪せていく。

 空気の動きがなくなった。何も聞こえない。

 

 ああ、これが止まった時間なのか、と理解した。

 尾上が以前実験していたような不完全なものとは違う。

 停止した状態で安定している。


 硬質の靴の足音だけが響く。

 ぐにゃり、と停止した空間の一部が波打つ。そこから、ひとりの人間が姿を現した。


 彼女﹅﹅は、見慣れた姿で立っていた。

 色素が薄い髪を二つに結わえており、右目の下にはほくろがある。服装はブラウスにタイトなスカートで、ショールを纏っている。

 そう、あの頃と何も変わらない姿。


「ふふ、孝太郎くん、久しぶり」

 彼女は――彼女は、神庭みたきだった。




 ⏸ ⏸


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