5 次なる暗号
「先輩、起きてください。朝ですよ」
「うーん、あと少し……」
「もう、先輩ったら……」
と、そんないつものやり取りを挟みつつ、なんやかんやで俺は家を出る。
今日も秋萩の行方を追って、夜臼坂学園に行くことになっていた。
▶ ▶
朝霧は当然のように今日も制服を身に付けていた。だいぶ着こなしている。
俺の方はというと、こちらもなんとかまた学園の敷地内に入ることができた。何分十二年間も通っていたので、お世話になった先生方への挨拶は一日じゃ終わらないと言ったら、簡単に通してくれた。
……やはりザルなのかもしれない。
「それで、今日はどうするんだ?」
昨日一通り回っては見たが、一切収穫はなかった。
「正直何も思いついてないわ。ひたすら足で稼ぐしかないかも」
「あはは、夜臼坂学園ということしか情報がないもんな」
さすがに、一切ヒントがないなんてことは可能性が薄い気がする。これまでの謎も、親切でこそないものの、太平洋の底にある一粒の砂を探し出すような無理難題ではなかった。
「ちょっと行ってみたいところがあるんだけどさ……」
▶ ▶
辿り着いたのは、高等部の図書室だった。
俺は、そこから『万葉集』を手に取ると、一六一――「北山に たなびく雲の 青雲の 星離れ行き 月も離れて」のページを開く。
すると、そこには見慣れたカードが挟まっていた。
「まぁ……すごいじゃない!」
朝霧の感嘆の声。
あり得るとは思っていたが、実際そこにあるのはどこか意外だった。
これは、一枚目のカードと同様の謎だった。
「安曇大学に来い」と書かれたカードが指し示したのは、安曇大学の図書館の『万葉集』。
そして、「夜臼坂学園に来て」書かれたカードが指し示すのは、夜臼坂学園の図書室の『万葉集』ということだろう。
ご丁寧に、本の見返しにある貸出カードの貸出人欄に「秋萩」と書いている。
挟まっていた紙は二枚あった。
一枚目は、これまでと同じくポストカードくらいの大きさで、次のように書かれていた。
――20 19 21 11 9 23 15 11 15 19 15 14 1 7 1 13 5 14 1 18 5 19 8 9 11 1 8 15 19 8 9 14 15 25 15 14 15 6 21 11 1 11 9 1 8 1 18 5 23 15 11 15 25 15 8 9 19 8 9 18 9 14 21 18 21
暗号だ。いかにもな。
秋萩はやはりこういう系統で来るらしい。なんというか、こういった暗号や
恐らく、勝負の方法が取っ組み合いの喧嘩などだったら、朝霧が圧勝するだろう。いや、もしかしたら秋萩も相当に強いかもしれないが。
何はともあれ、問題は二枚目の方だった。
ポストカードサイズに折りたたまれてこそいるが、広げるとだいぶ長い。そして、こう書かれていた。
――21 1 21 8 3 11 1 19 13 18 1 21 18 8 5 9 21 14 7 5 15 4 1 19 9 9 11 7 5 4 9 13 13 3 14 18 9 5 9 1 15 1 15 18 20 15 14 12 2 11 1 9 11 9 14 15 1 23 8 9 13 9 8 8 15 19 14 9 15 19 15 5 1 15 11 3 14 7 20 18 8 5 15 1 14 5 1 19 1 14 15 1 2 11 1 18 9 14 21 26 6 2 1 8 21
「お、おお……」
すごい。全くヒントがない。
一体どうすればいいんだ?
▶ ▶
高等部の図書室には、『万葉集』は一種類しかなかった。大学の図書館ほどのバリエーションがない。
念のため初等部と中等部の図書室も確認してみたが、空振りだった。
ひとまずのヒントは、この二枚の紙だけのようだ。
「とりあえず、一旦学園から出ないか?」
今までのパターンだと、ここではこれ以上収穫がなさそうだ。こちらを見つめる司書の目も気になってきたし。
▶ ▶
近くの喫茶店に入って、俺たちはほっと一息つく。やはり母校には長居するものではない。
「さて、気を取り直して暗号を解きましょう」
「ああ、そうだな」
何か良い案があるわけでもなかったが。
前回の暗号と同じ、換字式暗号ということはなさそうだった。
これまでのカードから、秋萩という人間の性格が少しずつ見えてきた。とにかく朝霧との勝負に勝ちたくて、そのためなら反則ギリギリの謎を出す。
しかし、解けない暗号は絶対に出さない。それは、勝負として破綻してしまい、秋萩の負けになってしまう恐れがあるからだろう。
だからどこかしらにヒントがあるはずだ。気づいていないだけで。
一体どこだ……?
「あ、あたし、もうダメ……昔から数字の羅列を頭が受け付けないの。見てるだけで熱が出そう」
「あはは……」
俺も、別に数字が得意な方ではないが。秋萩は、朝霧のそういう性質を踏まえた上で暗号を作っていそうだ。
さて、どうしたものか。計算がどうこうといった暗号ではない気がするけど、かといって解き方が分かるわけでもない。
一秒ごとに呻き声を上げる朝霧の横で、俺は必死に暗号とにらめっこした。
「鴇野、この後の予定は大丈夫?」
「ああ、今日はこの後大学ないから、いつまでも付き合うよ」
「ありがとう」
「あ、ちょっと待ってくれ。遅くなりそうなら、瀬名に連絡しないと」
遅くなるから先に夕飯食べといてくれ、と携帯電話に打ち込もうとして、そういえば彼女はいくら俺が遅く帰っても、いつも必ず待っていてくれることを思い出す。
「相変わらずラブラブね」
茶化すような朝霧の顔。
「……いや、瀬名は俺のこと好きなのかな」
つい口をついて、そんな言葉が出ていた。
「どうして? あたしから見てもなんとなく分かるわよ。よっぽど好かれてるんだろうなって」
「そう、だよな……」
何を言っているんだろう、俺は。朝霧にこんなことを話しても仕方がない。
好意というのは、嫌いな人間に向けられるものでは決してない。俺は瀬名に何をされても文句は言えないのだから。
▶ ▶
散々粘って暗号に向き合ったが、結局今日のところはこれ以上どうしようもないという結論に至った。
「先輩、おかえりなさい」
「ただいま。遅くなっちゃってごめん」
「いえ、事前に連絡してくれましたし」
瀬名はちゃぶ台に広げていた参考書やノートを仕舞うと、エプロンを身に纏う。
「夕食はあらかた出来上がっていますから、もう少し待っていてくださいね」
彼女はキッチンへ消えていった。
瀬名は家にいるとき、いつも勉強か家事をしている。黙々とちゃぶ台に向かって、その合間に掃除をしたり洗濯機を回している。勤勉だ。
高校三年生なのだからこれくらいの勉強時間は当たり前なのかもしれないが、瀬名は一年前からずっとこんな調子だ。もう少し自分の時間を持ってもいいのではないかと思う。テレビを見るとか、そんなことでもいいから。
昨日のケーキや料理は、きっと準備にかなりの時間を要したことだろう。高価なプレゼントまでもらってしまったことだし。
それなのに、彼女は自らの努力を誇示することなどない。むしろ、努力しているところを見られたくないようだった。
俺が瀬名に何かをしてやれているかといえば、そんなことは全くない。
夕食は、肉じゃがと天ぷらと、トマトとオクラのサラダというラインナップだった。
天ぷらは揚げたてで、衣がさくさくだ。俺が帰ってきてから揚げているのだから、当然とも言えたが。
「肉じゃがはおかわりがありますから、好きなだけ食べてくださいね」
「ああ、ありがとう」
瀬名は、俺が箸を手に取るまで食事に口を付けない。
なので、早速夕食を食べ始める。やはり彼女の料理はおいしかった。
▶ ▶
食事の後、ひとつ思いつくことがあった。
暗号について瀬名に訊いてみたら、何か分かることがあるかもしれない、と。
「瀬名、ちょっと訊きたいことがあるんだけどさ」
「なんですか?」
俺は、彼女に暗号のカードを撮った写真を見せる。
「これは……すごいですね」
瀬名も困惑している。
「全然解けなくってさ。瀬名なら何か思いつくんじゃないかって」
「そうですね……」
小柄な後輩は、じっと液晶を見つめる。
「一番大きい数字が25ということは、恐らくアルファベットを数字で表していますね」
「あ、確かにそうだな」
「それに、これくらいの文量なら頻出度から探ることもできますが……明らかに15と1と5、それに9と21の頻度が高いです。これはアルファベット順で言うと、OとAとE、IとUですから。ローマ字で書かれた文章なのだというところまでは推察できます」
「おお……すごいな」
「ふふ、昔読んだ小説に、似たような暗号があったんです」
瀬名に訊いてみて良かった。こんなにするする解いてしまうなんて。
――20 19 21 11 9 23 15 11 15 19 15 14 1 7 1 13 5 14 1 18 5 19 8 9 11 1 8 15 19 8 9 14 15 25 15 14 15 6 21 11 1 11 9 1 8 1 18 5 23 15 11 15 25 15 8 9 19 8 9 18 9 14 21 18 21
これらの数字を、アルファベットに置き換えていく。
――tsukiwokoso nagamenareshika hoshinoyono fukakiaharewo koyohishirinuru
「これは……先輩なら分かりますよね?」
「ああ、『月をこそ ながめなれしか 星の夜の 深きあはれを こよひしりぬる』だな」
『玉葉和歌集』に載っている、建礼門院右京大夫の歌だ。
だが……この和歌は一体何だ? 何の意味がある?
前の暗号のように、これ自体がコードブックということはなさそうだし……。
もう片方の暗号を解けば分かるのだろうか。
「それでは、こっちの方は、ここから下半分をわたしが解きますから、先輩は上半分をお願いします」
「ありがとう」
もう片方も、同じ要領で解いていくが……。
――u a u h c k a s m r a u r h e i u n g e o d a s i i k g e d i m m c n r i e i a o a o r t o n l b k a i k i n o a w h i m i h h o s n i o s o e a o k c n g t r h e o a n e a s a n o a b k a r i n u z f b a h u
「うーん……」
「なんだか違う感じがしますね」
「ああ、同じ解き方じゃダメなのかな……」
「こちらも、法則性は一つ目の暗号と似通っているように見えるのですが……難しいですね」
確かに、秋萩が暗号の解き方を使い回せるようにするとは思えない。一筋縄ではいかなさそうだった。
「ありがとう、瀬名のおかげでだいぶ進んだよ」
「もう、先輩ったら。これくらい大したことではありませんよ」
ふたりがかりで解けなかった暗号をするすると解いたのだから、充分大したことだと思うが。
「先輩、面白そうなことをしているのはいいですけど……夢中になって遅くまで出歩くのは、やっぱり危ないですからね。先輩が行方不明になったりしたら、大変ですから」
そうか、瀬名はまだ犯人が捕まったことを知らないのか。
「あはは、気をつけるよ」
「はい」
彼女はにっこりと太陽のような表情をする。いつも瀬名には助けられてばかりだ。
「……瀬名は、どうしてそんなに優しいんだ?」
「どうしてって」
彼女は嫣然と微笑む。
「あなたのことが、大好きだからですよ」
「……そうか」
「先輩、もうすぐお祭りがありますね」
「ああ、そうだな」
もう川瀬祭の時期か。
川瀬祭とは、近所の時枝神社で行われる、年に一度の祭りだ。
その日は神社の周りが出店でいっぱいとなり、花火まで打ち上げられる。なかなかにぎやかだ。
「ねえ、先輩」
瀬名は肩を寄せて来た。
「……誘ってくれないんですか?」
「え、あ、じゃあ、行こうか」
「はい」
瀬名はうれしそうな笑みを浮かべる。
お祭りか。一緒に行くのは楽しそうだ。
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