4 普通の1/365でない日




「先輩、おかえりなさい」

 家に着くと、瀬名はやけににこにこして出迎えてくれた。

「ただいま。どうしたんだ?」


「どうしたって」

 彼女はくすくす笑ってから、俺の手を引っ張って奥に連れ込む。

「先輩、お誕生日おめでとうございます」


 部屋の中は飾り付けされ、絵に描いたように誕生日を祝う様相になっていた。

 花に風船に、輪飾りをはじめとした様々な装飾。瀬名が作ったのだろう。やはり手先が器用だ。


 確かに、今日――七月十三日は俺の誕生日だった。とはいえ、これは予想外だった。


「先輩、忘れていたんですか?」

「いいや、瀬名が覚えてるとは思わなくて」

「もう、覚えていますよ。大切な日なんですから」


 ちゃぶ台の上にホールケーキが乗っている。ちゃんと俺の年齢の数だけろうそくが立っていた。

「二十歳の誕生日だから、二段重ねにしてみたんです。ちょっと安直すぎるかもしれないけど」


 二段重ねのケーキは真っ白なクリームでコーティングされていた。

 ケーキの一番上にはポンポンボウに結わえられた赤いリボンがあり、両端は皿にまで伸びている。ケーキの白さと相まって、ぱっと見プレゼントボックスのようだ。一瞬本物のリボンかと思ったが、マルチパンで作られており食べられるらしい。


 リボンに添えられたチョコレートプレートには、『Happy Birthday!』の文字が筆記体で流暢に書かれている。

 そして、空いたスペースをストロベリーとラズベリーの果物が彩る。


「す、すごいな……」

 あまりに出来がよすぎる。食べものを通り越して芸術品だ。絵にしろケーキにしろ、やはりこういうのが得意なのか。

「こんなに綺麗なケーキ、初めて見たよ」

「もう、褒めすぎですよ」

 瀬名は少し照れたようにはにかむ。


「では、早速恒例のあれを行いましょう」

 小柄な後輩は窓のカーテンを閉める。部屋の中がいくらか暗くなったところで、ろうそくに火を灯す。

 こういうの、いつぶりだろう。


 瀬名はアカペラでハッピーバースデートゥーユーの歌を歌ってくれた。手拍子も交えて。そのかわいい声で、あまり歌い慣れていないのに一生懸命歌ってくれるから、なんともくすぐったい。名前のところはディア先輩だったが。

 ときどき瀬名は俺の名前を覚えていないんじゃないかと思う。無論そんなことはないのだろうが。


 歌が終わったタイミングで、思い切りろうそくを吹き消した。

 二十本もあったのでは、どれかが残ってしまうのではないかと心配だったが、幸い一度で済んだ。


「先輩、お誕生日おめでとうございます」

 拍手しながら、祝ってくれる。

「あはは、ありがとう」


「それでは、ケーキを食べましょう」

 瀬名はケーキナイフを取り出す。


 当然ケーキを切り分けるのだろうが、もったいなく感じられた。あまりに芸術品すぎて手を付けるのが躊躇われる。

 流麗な絵画にクレヨンで落書きするような罪悪感があった。


「もう、先輩ったら」

 瀬名は迷わずケーキにナイフを入れる。

「折角作ったんですから、食べてもらわないと」


 しかし、ナイフがマルチパンに触れた途端、止まる。

「あれ、これ、硬いです……全然切れません」

 瀬名は両手で柄を握り直して切ろうと試みる。力を込めているらしいことは伝わってくるが、全く刃が通らない。というか、なんだか危なっかしくて見ていられない。


 俺は彼女のナイフに手を添える。

「うわ、これ、本当に切れないな。だいぶ固まってる」

 石にでも当てているかのようだ。しかし元は砂糖なんだから切れないことはないだろう。

 俺は、片手でマルチパンを抑えながら、ナイフに力を加える。折角のケーキを崩さないように、慎重に。

「先輩、切れ目が入りましたよ!」

「よし……」


 どうにか切れた。

 その調子でどうにか六等分していく。

「先輩、ありがとうございます。なんとか切れました」


 切り分けられたケーキのピースを、瀬名は皿に移す。ご丁寧にフォークまで用意してあった。


 口に運んでみると、既製品のように整った味がする。いや、それよりもずっと繊細な味だ。

 スポンジもクリームも、全部一から作ったのだろう。それも、全て丁寧に。

 使われている果実は瑞々しく、こちらも念入りに選ばれたことが伝わってくる。


 あっさりとした甘さだから、くどくない。どんどんフォークが進む。

「すごくおいしいよ」

 そう言うと、瀬名はうれしそうな表情を浮かべる。太陽のようによく笑う少女だった。


「好きなだけ食べてくださいね。先輩のために作ったんですから」

「瀬名も食べてくれよ。折角こんなにおいしいんだし」

「ああ、それではわたしも……」


 目の前の少女も、ケーキを口にする。そして、ぱっと華やぐような表情。

「先輩と一緒に食べるケーキ、おいしいです」


 料理の方も豪勢だった。

 巻き寿司に手毬寿司、すき焼き、鰻、その他諸々。これでもかというごちそうである。品数が多い分、個々の料理の量は少ないが、ひとつの料理を多めに作るより大変だろう。


 もちろん、どの料理もおいしかった。

 一体これを用意するのにどれだけの時間と手間が掛かったのか。

 しかし、瀬名は一切それを誇示しようとはしない。


「生まれてきてくれて、ありがとうございます。わたし、それだけが言いたくて」

「ありがとう、こんなに色々用意してくれて。しかも、どれも丹念に作ってくれたことが伝わってくるよ」

「ふふ、先輩の誕生日ですから。足りないくらいです」

 花の髪飾りを着けた少女は、にこにこしたまま傍らから物を取り出す。


「えっと、プレゼントです」

「こ、これは……」

 差し出しされたベルベットの四角いケースの中に入っていたのは、腕時計だった。


「え、これ、すごく高いやつじゃないのか?」

 光沢のある黒い文字盤には、誰でも知っているようなブランド名が印字されている。


「ど、どうしたんだ? これ」

「ちょっと奮発しただけです。先輩ももう大人なんですから、それくらいの方がいいかと思って。でも、大事なのは値段ではなく、気持ちですから」

 それは安価なものを贈られた人間が言う台詞だと思うが。


「着けてみてください、先輩」

「い、いいのか?」

 さすがに気後れするが。


「いいに決まっているでしょう。そのために贈ったんですから」

「それもそうだな……」

 俺は恐る恐る銀色のブレスを左手首に巻き付ける。

 瀬名はそれを見て、にっこりと笑った。

「やっぱり、とてもよく似合っています。ほかの何よりも」


「ありがとう、大事にするよ」

「ふふ、これを選んで正解でした」

 彼女はそう言ってから、そっと唇を重ねてきた。微かにかかる息と、石鹸の香り。それは、当然初めての行為ではなかった。回数なんて、数えるのはとっくの昔にやめていた。


 少ししてから、瀬名は顔を離す。頬を染めて、はにかんだ表情。それは、こちらの胸を高鳴らせる表情でもあった。


 しかしこれは、来年の瀬名の誕生日――三月二十六日に何を贈るか俄然難しくなった。瀬名は何をあげても喜んでくれるだろうが、それでも相応のものをプレゼントしたい。


 そういえば、瀬名は何かが欲しいと言ったりしない。

 甘いものにはやけに興味を示すが、それ以外はさっぱりだ。


 今年は泊まりで遊園地に行った。

 去年は――そもそも何も贈らなかったしな。

 まぁでも、またどこかに連れていくか。


 何の気なしに、尋ねてみる。

「瀬名は来年の誕生日のお祝い、どんなのがいい?」

「そ、そんな……わたしは、お祝いしてくれるだけでうれしいです」

 なんて慎ましいのだろう。


「じゃあ、何か欲しいものとかないのか?」

「欲しいもの?」


 一瞬。

 空気が変わった気がした。

 時間が凍りついたような気がした。


 なんだ? これは。

 何が起きたのかわからなかった。

 いや、何かが起きたわけではない。状況は数秒前と何も変わらない。ただひとつを除いては。


 瀬名のくちびるが動く。

「欲しいもの、は――」

 だが、次の瞬間彼女はいつも通りに微笑む。顔から抜け落ちていた表情が元に戻る。


「わたしは――特に欲しいものなんてありません」

「……そうか」


 今日は、いい日だった。

 瀬名がこんなに盛大に祝ってくれたのだし。

 だから、いい日でないはずがなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る