18 予言された未来
俺は、まじまじと犯人の顔を見る。
人相は平凡だった。歳は三十代頃だろうか。疲れが滲んで老けた顔をしているが、これといって悪人面なわけでもない。
こんな人が大量殺人を行っていたなんて、とてもじゃないが信じられない。
朝霧は、さらに男の懐を漁っている。
財布から免許証を取り出すと、それに目を遣った。
「お、おい! やめろ!」
「名前は――
「あ、ああ……」
俺は免許証を受け取ると、写真を撮る。明らかに個人情報保護の観点に反していたが、更なる被害者を防ぐためだ。仕方がない。
「ば、バカなことをするな! 犯罪者どもめ!」
十人以上の人間を殺している人間に犯罪者と罵倒されるのは、なかなか気が利いているな、と思った。
もしかして彼は自分が罪を犯しているという自覚がないのだろうか。
「……どうして、こんなことをしたんだ?」
それは、俺がずっと気になっていた疑問だった。
どんな動機があれば、他人の人生をこんなにも踏みにじれるのだろう。
男はしばらく考え込んでいた。言い逃れる方法を探して、でも何も思いつかないといった様子だった。やがて開き直ったように口を開く。
「それが、黒闇天様の予言だからだ」
「…………っ」
黒闇天。
みたきが信者たちに名乗っていたという名前。
「俺は、黒闇天様の予言書に従ったまでのこと。だからこそ、黒闇天様の予言書の文章を現場に残した」
「……え?」
予言書?
「その文章って――『忽に三途のやみにむかはむ時』のことか?」
「もちろんだ! 殺す人間だって、開始した時期だって、全部予言書に従った!」
え? だってこの事件は、『方丈記』になぞらえた見立て殺人じゃないのか?
俺は、まさかとは思いながらも、『方丈記』の本文を諳んじてみる。すると、不破は顔色を変える。
「ど、どうしてお前が黒闇天様の予言書を……!」
嫌な予感が当たった。
この男は、『方丈記』をみたきの予言書だと思っていたのだ。
犯人が古文に詳しくないというのは、以前推理の仮説として出したものだ。
だが、ここまでとは……いや、ふつうの人間は『方丈記』をそれと知らずに読まされたら、分からないものなのかもしれない。
なんとなく、みたきの考えが読めてくる。
信仰の材料として予言書が必要になったが、一から自分で考えるのは面倒だ。だから、『方丈記』を使った。古文のいかめしい文章なら、予言書っぽいしぴったりだろう。長さもいい感じに短くてちょうどいい、と。
確かに、みたきならやりそうだ。大方、バレにくいように「行く川のながれは絶えずして」などの有名な文章は削って、細部をいじって、それっぽく予言書に仕立てたのだろう。どうせ信者たちには気づかれないという嫌な魂胆もありそうだ。
時間を操る術を使えるなら、本物の予言書を作ることも容易いだろうに、わざわざそんな雑な予言書を作ったのだ。
しかし。
あいつは、どれだけ作品を愚弄するつもりなんだ?
「人が黒く灰のように消えていくのを火事にたとえるなんて、黒闇天様にしかできないことだ!」
それが、安元の大火になぞらえて次々に人を消していった理由なのか……?
あまりのことに、全身から力が抜けていく。
みたきの考えていることが分からないし――理解ができるが共感できないし、目の前の男、不破の行動も分からなかった。
なんだ? この事件は。
こんなことで十五人以上もの人間が殺されたのか?
被害者は一体どうなる? その家族は? 友人は? 帰ってくると信じて、待っている人たちは?
その全ての人たちが、こんなふざけた理由で踏みにじられたのか?
「な、なんてこと……」
朝霧も呆気にとられているようだ。
だが、それがまずかった。彼女が行っている拘束が緩んでしまうから。
突然朝霧を跳ね除けて、不破は駆け出した。組み付きが弱まる瞬間を、見逃さなかったらしい。
彼は迷いなく穂咲に向かっていき、手を伸ばす。いつの間にか手錠がない。
ラネットで消したのだと思い至るよりも先に、俺は咄嗟に穂咲の前に出ていた。
不破の手が俺の身体に触れる――
ああ、終わった、と思った。
軽率な行動だったかもしれない。でも、これで時間は稼げた。穂咲の命が失われる可能性を、下げられた。
人は誰しも固有の人生を持っていて、その全てが尊重されるべきだから。
穂咲の人生は、守らなければならない。
その瞬間、何かに弾かれた感覚がした。
な、なんだ?
俺の身体は、不破に触れられていてもなんともない。
彼も、驚愕の表情を浮かべている。
「そ、それは黒闇天様の如意宝珠!? どうしてお前のような人間が!」
男の視線は、俺の首元に向けられていた。
俺の首――そこには、竹紐の首飾りがあった。横に広い雫のような形をした、濁った白色の石を紐に通してある。
普段は服の内側に入れているが、もみ合った弾みで出てきたらしい。
不破は動転して何度も俺に触れるが、弾かれる感覚がするばかりだ。いつも彼がしてきたように、俺の身体が黒く染まることはない。
どうやら、この首飾りが防いでいるようだ。
もらったときに、これはお守りで、ずっと着けておくように言われたから。
言われた通りに着けていたのだが。
もしかして、これを予期していたのか……?
「――行くぞ」
どこからともなく、尾上の声が聞こえる。
次の瞬間、不破の身体が一気に黒色に染まっていく。誰にも触れられていないにも拘らず。
「う、うわあ――」
不破は驚愕の表情を浮かべて、逃げ出そうとする。しかし、それはできない。黒くなってしまった彼の身体は、もう微塵も動かせないようだ。
だが、黒色は男の首の辺りで止まる。頭だけが元の色のままだ。動けなくても、話したり瞬くことはできる。
「お、お前たち、一体何をした!?」
そんな不破の問いに答える道理はなかった。
局所的な時間停止――ラネット。
これこそが、今回の作戦の肝だ。なんとか成功できてよかった。
尾上が以前実験していたような、空間の時間を停止させる術。
数々の装置を用いてやっと実現できるものだという。
実験室という決まった場所で念入りに準備しても、それは不安定にしか成功しない。当然、じっとしていない誰かを部分的に黒化させて、動きを止めるなんてことはできない。
だが、ここには朝霧がいる。
民俗学研究会よりもずっと時間を操る術に長けた、朝霧が。
詳しい方法は教えてくれなかったが、彼女はある程度周囲の時間をコントロールできるらしい。それができなければ、そもそも時間跳躍など行っていないだろうから当然だが。
だから、尾上の不完全な空間停止に、朝霧が
触れただけで相手を消せるような危険人物だ、こうでもしないと安全に取り押さえられない。現に、今だって危なかった。
しかし、発動するには時間を要する。尾上が機械を設置したり、準備を整える時間が。さらに、犯人が大きく移動していては焦点が合わず発動できない。
だから、一定の時間犯人をひとつの場所に留めておく必要があった。これもこれでだいぶ難しいが、やり遂げることが出来た。
犯人と悠長に会話をしていたのも、時間を稼ぐためだ。
「話はずっと聞いていたが――」
尾上は姿を表す。
「黒闇天のシンパはお前の他にも残っているのか?」
「言うわけがないだろう!」
身体が黒く染まり、身動きが取れず、いよいよ不破の精神が切迫してきたようだ。彼は必死の形相で俺たちに食って掛かる。
「黒闇天様は五年前宵闇の中にお隠れになってしまわれた! だが彼女の遺志は俺が受け継ぐ! 途切れさせはしない! お前たちのような蒙昧な人間がいくら邪魔しようとも! いや、お前らのような愚鈍な人間しかいないから、世界を滅ぼさないといけないんだ! この世の真理を知っているのは、黒闇天様だけだった! 彼女はこの世の全てを見通していた! 醜悪な世界を一刻も早く終わらせることが救済なのだと! それ以外では決して我々の魂は救われないと! だから俺はそれに従った! それが黒闇天様から賜った使命だからだ!」
な、なんだこれは……?
とても正気とは思えない。これが信者というものなのか?
「黙れ。お前は単なる気が狂った大量殺人者だ」
尾上は冷たく吐き捨てる。
だが、それで止まる不破ではなかった。
「終末の時間は近い! こんな世界はもうすぐ終わる! 今更黒闇天様にかしずいても遅いんだ! お前たちは後で後悔することになる! 黒闇天様の覇道を邪魔したことをな! 精々死の間際に自分たちの間違いを悟ればいい! 黒闇天様こそ正しかったのだと!」
「瘋癲の戯言には付き合ってられんな」
なおも軽蔑のまなざしを向ける尾上。
「一体何の茶番だ。お前の頭がおかしいことはよくわかったから、これ以上醜態を晒すな」
「どうせ黒闇天様はお前らが消したんだろう!? いつの時代も神聖な存在は愚昧な連中に受け入れられず、果てには処刑される! なんて間抜けな連中だ! この世に唯一存在する光を消すような真似を! だが、黒闇天様は仰られた! 仮に消えたとしても、世界が終わりを迎えるとき、再び姿を見せると! だから俺は黒闇天様の予言に従う! 世界を終わらせるんだ! 黒闇天様と再会するために!」
聞いているだけで頭が痛くなってくるような言葉の数々。
何をしたら、人間はこんなふうになってしまうのだろう。
俺にはわからなかった。みたきが、どうしてこんなことをしたのかも。
逆上した男の声が、ただ裏路地にこだましていた。
▶ ▶
その後、尾上が呼んでいた応援――民俗学研究会の人間がやってきて、不破は連れて行かれた。まず薬で眠らせてから、全身の黒化を解き、ロープでぐるぐる巻きにしたのだ。さすが、慣れているのか彼らは手際が良かった。
とはいえ、部分黒化させていなければ移送するのは相当難しかったと言われた。何人か被害者が増えていたかもしれないと。
「……こいつの処遇は教授に任せる。それでいいか?」
尾上に訊かれて、俺は頷く。
「ああ……」
こんな犯人、どうすればいいのか分からないし。
朝霧が、こちらに話しかけてくる。
「ごめんなさい、あの犯人を取り逃がしちゃって」
「あんなこと聞かされたら、そりゃ驚くよ。無理もない」
それほどまでに不破は常軌を逸していたのだから。
次の被害者になるところだった穂咲は、うつむいている。
「あ、あの……」
「ん? どうしたんだ?」
「えっと、あ、ありがとう……かばってくれて。助けてくれて」
「無事でよかったよ」
そう笑いかけると、彼女は所在なさそうにした。
「何がいいものか。お前の行動は軽率すぎる」
傍で見ていた尾上が、話に入ってきた。
「全く、どこかの誰かが最初から協力してくれれば、もっと事態は簡単に進んだというのに」
「う、うるさいわねえ! 全部あんたのせいよ!」
憤りを隠さないまま、穂咲はすぐに立ち去ってしまった。
尾上はそれを歯牙にも掛けず、話を続ける。
「あんな女を助けようという心意気はご立派だが、不破は人を消すことに相当慣れているようだった。お前は一瞬で消し炭にされていたかもしれないぞ」
「そ、そうだな……」
瀬名に、あれほど危ないことに首を突っ込むなと言われていたというのに。やはり考えなしで行動するのはよくない。
「でも、あの石を持っているあなたじゃなく末広さんが触れられていたら、それこそ消えていたでしょうよ」
朝霧の言葉。
「鴇野は、結果的に最善の方法を取ったということになるわ」
「……ありがとう」
「お前、それをどこで手に入れた?」
尾上の視線は、俺の首元に向いていた。
そこには竹紐の首飾り――黒闇天様の如意宝珠らしい――がある。
「どこって……知人からもらったものだけど」
「知人?」
尾上はさらに眉を吊り上げる。
「……まぁいい。お前は随分黒闇天様とやらに守られているみたいだな」
「それより鴇野、お手柄だったじゃない! 見事犯人を捕まえられたわ」
若菖蒲の髪の彼女は、明るい笑顔を向けてくる。
「『方丈記』の見立て殺人だということを突き止めたのもそうだし、不破を捕まえる作戦だって上手く行ったじゃない」
上手く行った、か。
俺はさっきのあの男の常軌を逸した有様を思い出す。
みたきは一体何をやっていたんだ? これで本当に事件は終わったのだろうか?
結局、どうしてみたきは消えてしまったんだろう。
わからないことだらけだった。
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