17 遭遇
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「孝太郎くん、知ってる? 時間は人の意志で操れるのよ」
彼女の話はいつも唐突だった。
見慣れた神庭家の蔵の中。
俺とみたきは、オセロをしていた。この、白と黒の石を盤面に並べていくゲームが、彼女は好きだった。いたってふつうのルールでやったり、一手番ごとに歌を詠み、相手が詠んだ句に続けていく連歌オセロをやったり、色々なバリエーションがあった。
「……それって、光陰矢の如しとか、年を取ると時間の流れが早く感じるとか、そういう類の話か?」
「いいえ。個人の体感ではなく、人々が現在共有している時間の話よ。加速したり、減速したり、スキップしたり、巻き戻したり、全て自由自在にできる。望みさえすればね」
「なんだか、DVDみたいな話だな」
「同じよ。私たちはリモコンを持ってるの」
突拍子もない話だった。
「世界はね、平たく言うと時間と空間と――核、いわゆる魂で構成されているの。時間がなければ、止まったフィルムの一コマでしかない。時間はただディスクを再生する大きな力だから、別にいち存在がその流れに逆らうこともできるのよ」
それは、世界と時間の概念としてたまに見るもののような気がした。いや、時間を扱った物語で見る、というだけだが。
「だけどね、無茶な操作を繰り返せばディスクはすり減り――壊れる。そうなったら誰も直してくれないわ」
みたきが、盤面に黒い石を打つ。ぴしゃりという軽い音と、次々と黒にひっくり返されていく白い石たち。
「今の社会で一般的に考えられている時間っていうのは、近代の発明よ」
盤面にはまだ白色の面積の方が多いが、むしろこれは後半の追い上げの布石でしかなかった。
「時間が生まれたのは、交通機関――鉄道が生まれたからだと言っても過言ではない。だって、鉄道は正確かつ共有された時刻によって管理しなければ、大事故が起こる可能性だってあるでしょう? だから時刻というものが要請された。発明された。そうやって、今の私たちは二十四、あるいは十二、あるいは六十の区分の中で生きている」
俺が白い石を盤面に置くと、みたきは間髪入れずに黒い石を置く。また、次々と黒くひっくり返されていく。
「あなたが好きな平安時代の暦は?」
「……宣明暦、だな」
石を置く。また盤面がひっくり返される。
「ふふ、そう言うと思った」
少し変人な幼馴染は、笑みを浮かべる。
「その時代なんて、今とは丸っきり違う不定時法じゃない」
「まぁ、そうだな」
昔は時間の区分が一定ではなかった。
たとえば、俺がよく読むような古典文学が書かれた時代と現代とでは、時間に対する捉え方が丸っきり異なる。
こういった認識の差異というものは、昔の文化に触れる際に忘れてはいけない。
「孝太郎くん。今私たちが当たり前のように受け入れている『時間』という概念はね、ある種の共同幻想なのよ」
氷砂糖のような、透き通ってはいるがべたつく声で、みたきは話す。
「でも、それが本質的な時間だというわけでは、決してない。別に生物時計を持ち出して援用するまでもなく、人間は個々人の《時間》を持っているの。私も――もちろん、あなたも」
盤面はすっかり黒一色に染まっていた。
もちろんお手上げだ。
「いやー、いつ見てもすごいな」
まるで未来を見通しているかのようなプレイングだ。
「すごいのはあなたの方よ。これまで何回も何回もオセロをしてきて、一度も私に勝てたことがないのに、誘えば一切断らないじゃない」
確かに、俺がみたきにオセロで勝てたことはない。
「だって、みたきはやりたいんだろ? オセロ」
「ええ」
「だったら断る理由もないよ」
そう言うと、彼女はくすくすと笑う。
「実はね、孝太郎くんがいつ音を上げるか楽しみにしているの」
「……いい性格してるな、本当に」
「あなたの方がずっといい性格をしてるわ」
残念ながら、その願いは叶えられそうになかった。必ず負けるからといって、オセロをやらない理由にはならない。彼女が望む限り続けるだろう。
慣れた手付きでオセロを片付けながら、みたきは言った。
「ねえ、孝太郎くん。永遠の作り方、知りたい?」
⏩ ⏩
昔、呪いで人は死ぬと考えられていた。たとえば「あやしきわざ」とかで。
そういう考えを単なる迷信として片付けるのは簡単だが、考えないことで見えてくるものもあるように思える。
たとえば、人の精神が及ぼす強大な効力、とか。
それに最近は、あながち精神的な影響だけじゃない気がしてきた。
何しろ、深い絶望は他人を消すことまで可能にしてしまうそうだから。
▶ ▶
俺と朝霧と尾上は、張り込みを行っていた。
張り込みというかストーキングというか……とにかく、次の被害者候補である末広穂咲の後を追っている。
目立つので、さすがに尾上には白衣を脱いでもらった。
とはいえ、白衣の女を追う若者三人というのは、なかなか珍妙な集団である。穂咲本人の協力は得られなかったのだから仕方ない。
「そもそも、なんでいつも白衣を着てるんだ?」
そう訊くと、尾上は冷ややかな返答をする。
「一般的に、白衣を着る意味とはなんだ?」
「え……汚れを防ぐため、とか?」
「私の研究対象は?」
「……ラネット」
「そういうことだ」
説明になっていないが、恐らく白い服を身に着けていると黒が目立ちやすいから、期せずして自分がラネット化していることに気づきやすい、ということなのだろう。
「ちっ、あの女、たかが昼食を買うだけでどれだけ時間を掛けるつもりだ?」
尾上が毒づく。
昼時、穂咲がコンビニに入っていき、さすがに店内にまで着いていくと気づかれるので、俺たちは外からこっそり見守っていた。
「悩んだところでどうせ面白みもないものを買うだけだろう。くだらないことで私の時間を浪費させるな」
「……選べるなら、尾行仲間も選びたいものね。ずっと横でごちゃごちゃ言われてたら、集中できるものもできないわ」
「あはは……」
既に前途多難だ。
「あっ、コンビニから出てきたぞ!」
「なんだあの袋の量? 昼食程度でいくら食うつもりだ? どうやらあの女は肥満体になりたいようだな」
「あーもう、うっさいわねえ! 少しは静かにできないの?」
「昼食であんなに食う人間を初めて見たから、驚きを禁じ得なかったんだ。全てはあいつの責任だよ」
「誰かと一緒に食べるからその分も買ったとか、そういう場合だってあるでしょ?」
「誰かと? バカ言え。あいつにそんな相手などいるはずがない」
「あはは……」
なるべく早く終わらせるのが懸命かもしれない。
▶ ▶
俺たちは、引き続き穂咲の尾行を続けていた。
幸い気づかれてはいないようだが――
「はっ、言っただろう。あの女に一緒に昼食を食べる相手などいないと。ひとり寂しく大量の食糧をかき込む姿は見ものだったな」
「うるさいわねえ! ほっときなさいよそんなの!」
この調子じゃ、いつ露見するか分かったもんじゃない。
朝霧は視力が2.5あるらしく、おかげで穂咲とはだいぶ距離を取れている。
もっとも、離れすぎているといざというときに助けに行くのが遅れるので、塩梅が難しいが。
「あ、だんだん裏路地の方に入っていくぞ」
大学を出た穂咲は、どんどん表通りから遠ざかっていく。俄然、俺たちの気も引き締まっていく。
いくらラネットで人を殺していく犯人とはいえ、人目のあるところではさすがに犯行に及ばないだろう。やるとしたら、人通りの少ない裏路地などだ。
だから、犯行が起きるとすればここなのだ。
穂咲とはかなり距離を取った状態をキープしつつ、俺たちは尾行を続ける。
犯人に気づかれたりしたら意味がないので、慎重に。
「……ん?」
少しの間そうしていると、引っ掛かるものを見つける。穂咲の後ろを、同じ方向に歩いている男がいた。もちろん俺たちではない。
服装は至って普通で、どこもおかしいところはないのだが、何か違和感があった。
「あの男……」
目配せすると、朝霧と尾上も同様のことを感じていたようだ。
穂咲が角を曲がると、男は同じ方向に曲がる。穂咲が立ち止まって携帯電話を操作していると、男は不自然に歩くスピードを落としたり、同じように立ち止まる。
明らかにストーキングしていた。
「皮肉なものだな。尾行する側というのは、自分が尾行されていることに一切気づかない」
「……それ、ブーメランになりそうだからやめてくれない?」
朝霧の言葉に、念のため後ろの気配を探ってみたが、俺たちがさらに尾行されているということはないようだ。
男は、徐々に歩調を速めていく。穂咲との距離が縮まっていく。
俺たちは視線を交わすと、各々の役割を果たすために散らばる。
事前に決めた作戦通りに。
俺は穂咲との、そして男との距離を詰めていく。しかし、男に気付かれないように注意深く。
ほかの人通りが絶えた。目撃者になり得る人間はいなくなった。……俺たち三人以外は。
男は穂咲に手を伸ばす。
彼女はまだ気づかない。自分の後ろに迫る脅威に。
男の手が触れようとして――
次の瞬間、男は弾き飛ばされた。
朝霧の飛び蹴りを、一身に食らったからだ。
「え? え?」
地面に倒れる男の物音に振り返って、突然の闖入者に驚く穂咲。地面に転がった男も、何がなんだか分からないようだ。
朝霧は目にも留まらぬ速さで男に組み付くと、腕を後ろに回させて手錠を掛ける。
「な、なんだお前! 離せ!」
男がもがいても、一切抜け出せない。朝霧の柔道黒帯は伊達ではない。もちろん男の手に触れられないよう、細心の注意を払っている。
「何よこれ? 一体何が起きてるの?」
戸惑う穂咲の声。
「こいつが連続失踪事件の犯人なんだ。説明は後だ。気をつけてくれ」
作戦の一つ目。柔道黒帯でラネットへの理解が一番深い朝霧が、犯人を取り押さえる。
危険な役割で、これを任せるのは躊躇われたが、本人たっての希望でこのポジションとなった。
「お前たち、一体なんなんだ!? いきなり人を取り押さえて……これは暴行に当たるぞ!」
「正当防衛よ!」
「せ、正当防衛? 俺が一体何をしたって言うんだ? ただ道を歩いていただけでこんな仕打ちを受けるなんて……警察を呼ぶぞ!」
予想してはいたが、やはりとぼけるつもりらしい。
朝霧は、男の懐を漁る。
「お、おい! やめろ! 罪を重ねるな!」
制止の声も聞かずに引っ張り出したのは、一枚の紙だった。そこには「忽に三途のやみにむかはむ時」と書かれている。
いつか犯行現場で見たものと全く同一だ。
「やっぱり……! あなたが犯人じゃない!」
「い、一体何のことを言ってるんだ?」
なおも男は、しらを切っている。
「これがあなたが犯人だっていう動かぬ証拠よ!」
「証拠? はっ、たまたま犯行現場にあったものと同じ文言の紙を持っていただけだろう!」
「……どうしてこれが犯行現場にあったって知ってるんだ?」
俺の言葉に、男は青ざめる。
「あ――」
「誰もそんなこと言ってないし、これは犯行現場に置かれてもすぐに消えてしまう。知っているとしたら犯人くらいだ」
男は言葉に窮したのか、黙り込んでしまう。それに、言い訳を鵜呑みにしたところで、たまたま「忽に三途のやみにむかはむ時」と書かれた紙を持っている人間なんて、どれくらいいるのだろう。
やはり、彼が犯人と見て間違いないようだ。
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