16 近づく真実
世間では連続失踪事件が起きていても、大学の講義には出席しないといけない。
俺は教室で授業の支度をする。出されていた課題が、もう少しで終わるところだった。
「はー、レポートかったりぃー」
クラスメイトの会話が耳に入ってくる。確かに、そろそろ試験期間が近づいてきた。当然のように、レポート課題も山ほど出されることだろう。
「ん?」
クラスメイトが手に持っている本が、目についた。『万葉集』だ。裏表紙に、大学の図書館の蔵書であることを示すシールが貼ってある。『万葉集』でレポートを書くらしい。なかなかいい題材だ。
……『万葉集』?
「わ、悪い、その本、ちょっと見せてくれないか?」
「え、別にいいけど……」
いても立ってもいられず、声を掛けてしまった。
『万葉集』といえば、秋萩から出されたヒントにまつわる本。しかもこの本は、以前朝霧と調べたときに見た覚えがない。ぺらぺらページをめくると、何かが挟まっている。
ちょうど一六一の和歌のページに。
「これは……」
ポストカード程度の大きさ。記憶にある書体。
紛れもない。秋萩のカードだ。
すっかり連続失踪事件に気を取られていたが、こちらの謎も残っていた。
俺は慌てて書かれている文に目を通す。
――さわのめよわすろんししかを
――ひやしかを
――みほなうつこさ
――くさかなうつあ
右下に①と書いてある。この意味不明な文字列も、いかにも秋萩のカードだ。
二番目に見つけたカードの右下に書いてあった②は、これが二番目のカードということを表していたわけではなかった。二枚セットのカードのナンバリングだったということらしい。考えてみれば、最初のカードには①などと書いていなかったのだから、道理だ。
だが、俺たちが図書館に行ったときには、既に他の学生に借りられていたのだ。図書館の本に隠しておいたら、そりゃこういうことも起こり得るだろう。
「このカード、もらってもいいか?」
「いいけど……何、忘れもの?」
「ああ、そんな感じだ。ありがとう」
思わぬところでヒントを手に入れた。
▶ ▶
今日の朝霧と尾上の集合場所は、空き教室だった。民俗学研究室だと、また穂咲と出くわすかもしれないから、という理由らしい。
講義が終わった後に指定された教室に行くと、朝霧がいた。尾上はまだ来ていない。
「朝霧、ちょうどよかった。知らせたいことがあるんだ」
「何? どうしたの?」
俺は彼女に、新しく発見したカードを見せる。
「同級生が借りてた『万葉集』に挟まってたんだ。新しいヒントだと思う」
「まぁ……! 大発見じゃない!」
「それに、瀬名の友達が、夜臼坂学園で秋萩を見たらしいんだ。そこにも何か手がかりがあるかもしれない」
「ふふ、すごいわね。あなたといると、どんどん謎が明らかになっていきそう」
「あはは、これで秋萩の居所に近づいたな」
「……でも、それは後回しね」
「え、いいのか?」
「今は連続失踪事件を食い止めることが急務よ」
確かに、緊急性でいえばそちらに軍配が上がるが、秋萩探しだって重要なことだろう。やはり朝霧は人がいい。
「今回の事件が片付いたら、絶対秋萩を見つけ出そうな。朝霧にとって、すごく大事なことだろうし」
「ふふ、ありがとう」
「鴇野、時間を操る術っていうのはね、悪用しようと思えば、いくらでもできるのよ」
「え?」
「神庭みたきのこと。彼女は相当悪用してたみたいだし、本気で自分がやってることを隠そうとしたら、気づけるはずないわ」
それは、幼馴染の悪行にちっとも気づけなかった俺を、気遣う言葉だった。
時間を操れるんだから、勘付くことなんてできない、と。
「あはは、ありがとう」
なんだか励まされてばかりだ。
「俺もしっかりしないとな……」
そこで、尾上が教室に入ってくる。
「早速だが、新たな被害者の情報が出た」
「二人も……」
この被害者の名前……恐らく、『方丈記』の「吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ」の記述から取っているのだろう。前から順に文章を消化していってるし。多少順番が前後しているのは、行方不明を断定するまでに時間を要する性質上あり得ることだ。『方丈記』の見立て殺人であるところは揺らいでいない。
「ここまで法則性に則っていると、次の被害者が予測できるんじゃないか?」
「そうだな。そのために、まず全学生のリストを入手しないといけない。教授に言えばなんとかなるかもしれないが……」
それはだいぶ骨が折れそうだ。個人情報の塊だし、ただでさえ安曇大学の学生が行方不明になっている真っ最中なのだから。
俺の目は、『方丈記』の本文に向けられていた。
「扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ」――扇を消化したということは、続く文が被害者となりそうだが……。
「すゑひろ」――末広? 最近どこかでそんな人物の名前を目にしたような……。
「あっ」
瞬間、思考がつながる。
「末広穂咲だ!」
▶ ▶
民俗学研究会のメンバーで、尾上と犬猿の仲の女性、末広穂咲。彼女が次の被害者になるかもしれない。
俺たちは慌てて彼女を探し出すと、事情を伝える。
だが、一笑に付された。
「はん、そんなたわ言、私が信じると思ってんの?」
尾上を連れてきたのが間違いだったか……? 一切信用されていない。
「でも、危ないかもしれないんだ。しばらく単独行動は避けて、なんだったら俺たちが警護を――」
「あなたたちの余計なお節介なんて結構。どうか付きまとわないで頂戴ね」
穂咲は、すぐに立ち去ってしまった。
尾上は無表情で、同じ研究会の人間を見送る。
「もうあの女は見捨てていいだろう。消された直後に犯人を現行犯逮捕すればいい。一石二鳥じゃないか」
「おいおい……」
あの様子じゃガードするのは骨が折れそうだ。
でも、次の被害者候補を見つけられたのは大きい。
「ひとつ作戦があるんだけどさ――」
いよいよ犯人に辿り着けるかもしれない。
▶ ▶
家に帰ると、瀬名がキッチンに立っていた。部屋着のロングワンピースに着替えており、その上からエプロンを身に着けている。
キャベツを千切りしているようだ。
「先輩、おかえりなさい」
「ただいま。今日のごはんはなんだ?」
「ふふ、内緒です。楽しみにしててくださいね」
「あはは、そりゃ楽しみだな」
なんだろう、カツ系だろうか。
「先輩、もう少しでできますからね」
そう言って、まな板に向かう。
下を向いた瀬名のつむじが見える。なんとなくそれが愛おしく思えて、気づけば彼女の頭を撫でていた。
「……っ、せ、先輩……」
突然瀬名の目の色が変わる。すごい勢いで振り返ると、抱き着いてこようとする。包丁を持ったままで。
「せ、瀬名、包丁! 危ないって!」
「あ……ご、ごめんなさい」
彼女は、はっと我に返るとおずおずと包丁を置いた。意外とそそっかしいところもあるものだ。いや、刃物を扱ってる最中に触った俺も考えなしだったが。
小柄な後輩は、なんだか申し訳なさそうにしている。そんなに気にする必要ないのに。
元気づける意味も兼ねてこちらから抱きしめ直すと、その細さがありありと分かる。
「…………」
瀬名は照れているようだった。試しに頭を撫でてみると、余計に赤くなる。
なんだろう、頭を撫でられるのが好きなのだろうか。そういえば昔は撫でていたが、ここしばらくやってなかったし。
「せ、先輩……」
「ん?」
「も、もういいですから……」
「あはは、そうか」
身体を離すと、瀬名はすぐこちらに背を向ける。よほど照れているらしい。
「わ、わたし、早くごはん作らないといけないですから」
「ああ」
これ以上邪魔をしないように、部屋に移動する。
棚の上に置かれたガラスの花瓶の中には、一輪だけ花を挿してあった。眩しい黄色の花だった。たぶんこれは――マリーゴールドだろう。
昨日まで、花瓶なんてなかった。瀬名が飾ったのだろう。なんともきめ細やかな計らいだ。
そっと花弁に触れる。マリーゴールドの花が揺れ、水をやったばかりなのか、雫が滴った。
ふと気が付くと、俺は花びらを一枚ちぎりとっていた。黄色い花弁が、指と指の間にある。
何をやっているのだろう。
ともかく、作戦決行は明日から、ということになっていた。
いよいよ事件の真相が迫っていた。
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