15 禁忌の家
例によって、俺と朝霧と尾上は民俗学研究室に集まっていた。
「これを渡しておく必要があった」
尾上が取り出したのは、ポケベルのような機械だった。三個あり、彼はひとり一つずつ渡してくる。
長方形の小さな青い端末に、小さな液晶――当然のように白黒――と、ボタンが三つある。
「これは、もしひとりでいるときに犯人に遭遇した場合に使用するものだ」
なるほど。確かに朝霧と尾上は携帯電話を持っていないから、連絡を取れる手段は必要だ。
「一番右の一際大きなボタン。これを押すと、押した本人の現在地が他の同一型端末に送信される」
尾上は件のボタンを押す。
すると、俺と朝霧の持った端末がけたたましく鳴った。見ると、画面に地図とポイントが表示されている。場所は安曇大学――俺たちが今いる場所だ。
「これがアラートだ。ポイントの上に『C』という文字があるだろう?」
「ああ」
「これは送信端末を表している。朝霧に渡したものは『A』で、お前は『B』だ」
そして尾上の端末が『C』と、そういうわけか。
「ガワこそ古く見えるだろうが、中身は最新式だ。最新の地図情報と、高性能GPSを搭載してある。そして、送受信にかかる時間も極めて短い。当然ながら隠密行動時向けに、アラートは音かバイブレーションか切り替えられる」
「すごいじゃない!」
「こんな便利な道具、どこで買ったんだ?」
「買ってなどいない。私が製作した」
「……お前、民俗学専攻だろ?」
「元々こっちの方が得意なんだよ。文転したんだ」
携帯電話を持つことを嫌ってわざわざ道具を自作するなんて、ここまで極まっていると逆に感服する。ポケベルという旧時代のものに似せて作っているし。
「いつでも使用できるよう携帯しておけ。そうでなければ意味がない」
この端末――便宜上ポケベルと呼ぶが――持ち歩いておくか。折角尾上が作ってくれたんだし。
俺と朝霧がポケベルを仕舞っていると、突然神経質そうな声が響き渡った。
「ちょっと!」
振り向くと、女子大学生と思しき人物がいる。
度の強い眼鏡に、金髪に染めたワンレングスのロングヘア。小柄な方で、尾上と同じように白衣を身に纏っている。
肩を怒らせながら近づいてくると、いきなり尾上の胸ぐらをつかむ。
「あんた……部外者を連れ込んでっ! 自分が何をしてるのか分かってんの!?」
「生憎だが。調査の協力者だよ」
その手を払いながら、尾上は事もなげに答える。
「尾上、この人は?」
「
穂咲なる人物は、まだこちらに敵意のまなざしを向けている。
「協力者? ふうん、それなら言わせてもらうけどねえ、まーだ犯人は見つからないのかしら?」
「重要な手がかりはつかんでいるが、お前などに教えることはない」
尾上は冷淡に吐き捨てる。
「な……っ、どうしてよ!?」
「手柄を横取りされては敵わないからな」
「そんなことするわけないでしょ!? バカにしてんの!?」
よく分からないが、民俗学研究会も一枚岩ではないらしい。ただ単にこの尾上と穂咲の仲が悪いだけのような気もするが。
「教授もどうしてこいつなんかにこんな大任を……」
「ならばお前に務まるというのか?」
「当たり前じゃない。少なくともあんたよりは上手くやってみせるわよ」
「身の程も弁えない発言をさせたら世界一だな、お前は。それよりも自分の仕事を早く片づけたらどうだ? それが終われば、教授はいくらでもやりたいことをやらせてくれるだろう」
「あんたが妨害するからじゃない! そうでなければ今頃……くっ、本当に苛々させる奴ねえ!」
一体何を見せられているのだろう。いたたまれなくなって、横にいる朝霧と視線を交わす。俺たちはそろそろ退出した方がいいのかもしれない。
だが、穂咲もこのやり取りが不毛だと判断したのか、話を切り上げる。
「早く事件を解決させなさい! 教授のご期待に応えるために、ね」
「まさか私にそれを言うためだけに戻ってきたのか? 随分素敵な時間の使い方じゃないか」
「うっさいわねえ! この減らず口! あんたがいると作業が進まないのよ!」
穂咲は肩を怒らせながら部屋を出ていった。
民俗学研究会にはこういう人間しか存在しないのか? いや、そうじゃないと信じたいが。
「……色々あるんだな、尾上にも」
「あの程度の女、色々の内にも入らない。私くらい優秀だと妬みを買うんだよ」
「そうか……」
妬みかどうかは知らないが、確かに恨みを買いそうな性格ではある。
「余計な闖入者のせいで時間を取られてしまったが、本題はこれからだ」
白衣の男はこちらに向き直る。
「今日は神庭家に行こうかと思っている。何か痕跡が残っているかもしれないし、ここには都合よくあの女の幼馴染もいるしな」
▶ ▶
塀に囲まれた、歴史を感じさせる日本家屋。表札には『神庭』の文字。
瓦屋根。堂々たる門構え。砂利道には飛び石が並べられている。庭には樹齢が三桁にも及ぶような松の木が植えられており、風流さを感じさせる。
瀬名の家が洋の豪邸なら、こちらは和の豪邸だった。
そして、その豪邸の前に三人。
「……それで、俺が家の人に挨拶して、入れてもらえばいいんだな?」
「ああ。そのためにお前を連れてきたようなものだからな」
別に、このためにみたきと幼馴染になったわけじゃないんだが。
「あたしたちは隠れてるから。あんまり大勢いると、向こうもいい顔しないでしょうし」
仕方なく、俺はひとりで神庭家の門の前に立ち、インターフォンを押す。これも、連続失踪事件の犯人を捕まえるためだ。確かに、みたきの家――特にみたきがよくいた蔵には、何かの痕跡があってもおかしくない。
それほど時間を置かず、家人が姿を表す。みたきの母だ。
「えっと、以前みたきさんと親しくさせてもらっていた鴇野と申します。覚えてらっしゃいませんか?」
「ああ、よく来ていたあの……」
どうやら顔を覚えてくれていたらしい。まぁ、俺はよくプリントを届けに行っていたし。
「久々に懐かしくなって、みたきさんがよくいた蔵を拝見したいのですが、よろしいでしょうか?」
「いいですけど、でも……」
彼女は、露骨に嫌そうな顔をしている。
「見ても、何にもなりませんけど」
突き放すような冷たい響きを持った言葉。みたきの母は、こちらに蔵の鍵を渡すと、早々に家の中に入ってしまった。
「これで蔵の中が見られるわね!」
隠れていた朝霧と尾上が出てくる。
「ああ、首尾よくいったな。ここで役に立たなかったら幼馴染の名折れだったが」
「…………」
いや、何も言うまい。
それにしても、みたきの母のあの態度は不審だった。行方不明の娘の旧友が訪ねてきただけで、あの嫌そうな顔。単に面倒とか、煩わしいという言葉だけでは説明できないレベルだった。
いや、あれはみたきの名前を出した瞬間に顔色が変わったのだ。
確かに、昔みたきと蔵で過ごしていたときも、やけに親の影が薄いとは思っていた。実質別居に等しい距離感だった。当時は、不登校だから扱いを測りかねているのかと思っていた。
だが今俺は、昔は知らなかった情報を持っている。その視点から見ると、別の可能性が見えてくる。
みたきは、あの蔵でシンパを集めて怪しい集会を開いていたらしい。ふつう、家でそんなことをやっていたら親が止めに入る。だが、そうはならなかった。なぜか。当然、みたきが何らかの策を講じたと考えるのが自然だろう。親が、みたきの名前を出されただけで嫌な顔をするようになるほどに。
未だにどこか信じかねていた、みたき凶悪犯罪者説を補強する材料が出てきて、またげんなりしてくる。
いや、別に疑っているわけではないが、心のどこかで信じたくない気持ちが先行しているのだ。
俺たち三人は屋敷の中に入ると、裏に回る。忘れもしない。幼馴染がよくいた場所は。
すぐに、がっしりとした佇まいの土蔵に辿り着く。
「……じゃあ、開けるぞ」
「ええ、お願い」
土蔵の鍵を開けて、俺たちは中に入った。
「な……」
そこには、予想外の光景が広がっていた。
中は空っぽだった。
あれだけうず高く積まれた書物も、何もかもがない。
全てがもぬけの殻だった。ただ、中央にくたびれた畳が一枚敷かれている。
――見ても、何にもなりませんけど。
みたきの母の言葉の意味が、すぐに分かる。そりゃ、何もない蔵を見たって何にもならないはずだ。
みたきの両親が全て処分したのか?
いや、あれだけの書物、恐らくこの家が代々受け継いできた由緒あるものだろう。それをおいそれと処分するとは考えにくい。どこかに移したとしても、あの量の行き先を用意するのは難しいし、それにこうして蔵を空っぽにしておく意味もない。
「あるいは――」
ラネットか。
「神庭家といえば、時間操作の第一人者だ。その技術の結集である書物がなくなったのなら、時間操作技術は随分後退するだろうな」
尾上は険しい目で蔵の中を見つめている。
「だが、神庭みたきのような災厄じみた存在が生まれるくらいなら、なくなった方がいいのかもしれない」
▶ ▶
みたきの母曰く、蔵の中のものは、みたきが行方不明になったのと同時に全て消えてなくなってしまったらしい。
その後、俺たちは――というか立場上俺ひとりだけだったが――みたきの部屋を見せてもらい、そこもほとんどみたきの私物が取り除かれて物置になっている様を見た。こちらは、みたきの両親が片付けたらしいが。
わざわざ蔵を使わずに、みたきの部屋を物置にする辺り、やはり彼らとみたきの微妙な距離感を覚える。
始末に困って、みたきの母から何か手がかりが得られないかと色々質問してみたが、彼女は「何も知らない」の一言ばかりで、すぐに家から閉め出されてしまった。あれでは、また訪ねても追い返されるどころか、そもそも居留守を使われそうだ。
仕方がないので、今日の調査は切り上げて、また別の方策を考えることとなった。
みたきは、一体何をしていたんだ?
五年前に消えた幼馴染。
彼女が率いていたというカルト集団。
皆原市で起きる連続失踪事件。
『方丈記』。
空っぽの蔵。
ダメだ……分からない。
この期に及んで俺は、自分の幼馴染がそんな凶行に手を染めていたなんて信じたくないと考えていた。
彼女は確かに変わった奴だったが、どうしても、世界を終わらせるために自分の信者に人殺しさせるような人間には思えないのだ。
だが、身近にいるからといってその人の全てを知った気になるのも愚かだった。現に、俺はみたきのことを何も知らなかったのだから。
「先輩、どうしたんですか? 顔色が悪いですよ」
「あ、いや……」
顔を上げると、瀬名が心配そうにこちらを見ている。
家に帰っても俺の頭は、事件――みたきのことでいっぱいだった。
花の髪飾りを着けた少女は、ちゃぶ台にグラスを置く。中にはレモネードと、氷が入っていた。
「先輩、あまり根を詰めすぎないでくださいね」
「ありがとう」
口をつけると、ほんのりはちみつの風味がする。その味に、気分が軽くなる。
「瀬名は、世界を終わらせたいって思ったことはあるか?」
「なんですか、いきなり。物騒ですね」
質問が悪かった。しかし瀬名は真面目に答えてくれる。
「ありませんよ、そんなこと。だって、大事なものまで全部無くなっちゃうじゃないですか」
「そう、だよな……」
どうして、みたきはそんなことを……。
「もう、そんな顔しないでください、先輩」
後ろから瀬名が抱き着いてきた。彼女の体温が背中に伝わる。
「あなたはただ、笑っていればいいんです」
「瀬名……」
「何があったのかは知りませんが、あんまり思いつめないでくださいね」
彼女は手を重ねてくる。
しっとりとした肌の感触。細い指が絡んてくる。
「もしわたしに協力できることがあれば、いくらでも力を貸しますから」
鈴を転がしたような声が、耳を撫でる。
「だから、何も気に病む必要はないんですよ」
「……ありがとう、瀬名」
「そういえば、わたしの友達が学校で『秋萩』という人を見たそうですよ」
「え、本当か!?」
「もう、嘘なんて吐きませんよ」
瀬名はくすくす笑う。
いつまでも悩んでいたって仕方がない。大事なのは、これからどうするかだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます