13 追い縋る過去



 今日も、俺は朝霧と尾上と落ち合う約束をしていた。連続失踪事件はまだまだ解決していないし、被害者雁屋新太の件で話したいこともある。


――恐らく次の行方不明者の名前は『小路』か『かりや』。


 こんな符合、偶然だったら逆に驚く。やはり『方丈記』の見立て殺人だったのだ。


 そんなこんなで、俺と朝霧と尾上の三人は、空き教室にいた。昼休みなので、俺は弁当箱を広げる。

 弁当にも生姜焼きがぎっしり入っていた。思わず表情が緩みかけて、咄嗟に抑える。

 朝霧も、コンビニで買ってきたおにぎりを取り出している。以前やってみせたからか、器用にフィルムをはがしている。


 一方、白衣の男はただアイスコーヒーをすすっていた。何か食事を摂る様子もない。

「尾上は昼食べなくていいのか?」

「大食漢に見えるか?」

「……見えないな」

 この男は普段何を食べているんだ?


 とはいえ、本題はそんなことではない。

「みんな、昨日のニュースは見たか?」

「ホテルで見たわ! ねえ、被害者が雁屋新太って――」

「見事お前の予言通りとなったわけだな」


「予言ってほどでもないけど……やっぱり、『方丈記』になぞらえて事件が起きているのは間違いないと思う」

「すごいじゃない! これが分かれば、事件解決にぐっと近づくわ!」

 まさか古文の知識がこんなふうに役立つとは思わなかった。


「ここまで被害者を選別﹅﹅できるということは、やはり犯人はこの大学の関係者だろうな」

 確かに、最初からある程度安曇大学の生徒の名前を知っていなければ、そもそもこんなことをやろうとは思わないはずだ。


「にしても、古文になぞらえて殺人なんて……こんなバカげたことをやる人間、ひとりしかいない」

「尾上、心当たりがあるのか?」


「こんなの――どうせ手を引いているのは、神庭みたきだ」

「え?」


 神庭、みたき?

 それは五年前、中学生のときに行方不明になった俺の幼馴染だった。




 ⏪ ⏪




 歴史と厳然さを感じさせる、広い日本家屋。その庭の隅にある古くて大きな土蔵に、彼女はいた。

 俺は、慣れた手付きで重い扉を開け、中に入る。

 夏だというのに、この土蔵は妙に涼しかった。埃っぽい空気が立ち込めている。


 それもそのはず、この蔵の中には文字通り本が山のように積まれているからだ。歴史が長い家ゆえに貯め込まれてきた蔵書が、壁を埋め尽くしている。ほかにも荷物は入れられているが、あまりの本の数に圧迫されて影が薄い。


 本の山に囲まれた中心、空いたスペースに畳が敷かれている。そして、そこにひとりの少女が座り込んでいた。

 いつ見てもその光景は同じで、まるでここだけ時間が止まっているような錯覚を受ける。


 髪は色素の薄い明るい色で、光の加減によっては銀色にも見える。それを腰の辺りまで伸ばして、二つに結んでいた。

 季節感のない長袖のブラウスに、膝丈のスカート。その上から、ショールを羽織っている。細い脚はこげ茶色のストッキングに包まれている。

 右目の近くに泣きぼくろがあった。


挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16816927859479759470


「孝太郎くん、今日も大過ないようね」

 神庭みたき。俺の幼馴染だった。

 幼稚園で仲良くなった、古い付き合いだ。


 とはいえ、毎日学校――夜臼坂学園で顔を合わせているわけではない。なぜならこいつは早々に学校というものに見切りをつけ、ずっと自宅のこの蔵に籠っているからだ。みたきの籠城﹅﹅の始まりは早かった。小学校には半年も通わない内に行かなくなり、それからというものずっとこの蔵で古い書物を読み漁っている。


 勉強ができないわけではない……というか、模試での成績は良好すぎるくらいだ。だからこそ周りの大人も口を出しにくいのか、彼女は悠々と籠城生活を続けている。

 変わった奴だとは思うが、古典文学の話をしていると楽しいので、俺はみたきのことが好きだった。


「はい、これ、今日のプリント」

 みたきの向かい側に座って、鞄から紙を数枚取り出す。

「ありがとう」

 彼女はそれを受け取ると、一瞥だけしてファイルに仕舞う。たぶんこいつがプリントを二度と見ることはないのだろう。なんせ、今月の予定表だの給食のメニューだの、彼女には一切関係がないのだから。毎日毎日意味のないやり取りをしていると思うが、仕方ない。


 みたきが淹れた茶をすする。水出し緑茶だった。

「珍しいな、いつもは夏でも熱いお茶を出してたのに」

「嫌ね。冷たい飲み物がいいと言ったのはあなたじゃない」

 確かに、夏場はさすがに冷たいものがいいと言った覚えがある。


「どうかしら」

「うまいよ。こっちの方が飲みやすい」

「そう」

 俺と同じように湯呑に口を付けてから、みたきは白いのどをこくりと鳴らす。


 ずっと籠りきりだから、肌は青白くて手足は細い。なんとも不健康そうだ。本人曰く夜はときどき出歩いて図書館などに行くそうだが、そういう問題ではないと思う。吸血鬼か何かなのか?

 そんなことを考えていると、みたきは湯呑を置いてこちらを見つめる。長めの前髪の隙間から、垂れ目がちの双眸と目が合った。


 容貌は整っている方、だと思う。通った鼻梁。すっきりとした輪郭。パーツが整っており、あどけないかわいらしさというよりも大人びた美しさに満ちていた。病的な青白い肌がまたそれを際立たせている。いつも浮かべている、人を嘲弄するような薄い笑みはいただけないが、それがまた似合っているからやるせない。


「孝太郎くん。うたた寝の『うたた』って、どんな意味か知ってるかしら」

 彼女の話はいつも唐突だった。

 もう慣れっこなので、俺は付き合う。

「『うたた』……『ますます』って意味の副詞じゃないのか? うたた寝は『転寝』とも書くしな」


「ますます寝るって……それじゃうたた寝の意味が通らないじゃない」

「まぁ……それも、そうだけど」

「『うたた』には他にも意味がある。『異様に』や『不快に』ね。つまりうたた寝は異様に寝るという意味なのよ」

「それでも意味が通らないじゃないか」

「そうね」

 みたきは楽しそうにくすくすと笑う。……一体何が言いたいんだ?


「うたた寝といえば、この和歌が有名でしょう。古今集の五五三」

「『うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき』、か」

 小野小町の、広く知られている和歌。うたた寝して好きな人の夢を見てからは、夢がその人に会う手段となった。


「考えてみて頂戴よ。この和歌のうたた寝が異様に――あるいは不快に寝るという意味だったら、面白いとは思わない?」

「そ、そうか?」


「『なほその惡しき態止まずてうたてありき』――面白いわよ、そりゃ、さぞ覚め難い夢だったんでしょうから」

 こいつの神経にはときどきついていけない。悪い奴ではないと思うんだが……。まぁ、これも神庭みたきという人間の個性なのだろう。


「ねえ、夢ってどうして『見る』ものなのかしら。むしろ、何も見えていない人こそが夢に浸るものじゃない?」

 なんだかひねくれたことを言っている。


「だからこそ夢を見てるんだろ」

「ふふ、そう言うと思った」

 ときどき彼女は、人の神経を逆撫でするのが楽しくて仕方がないんじゃないかと感じる。実際そうなのだろうが。


「お前は夢を見たりしないのか?」

「見るわよ。多少は」

 相変わらずみたきは、その冷笑を崩さない。


「私の夢は、ひどくささやかなものよ。ありふれた、普遍的な夢」




 ⏩ ⏩




「みたきの仕業って――そもそもみたきは五年前に行方不明になってるんだぞ?」

 今現在進行系で起きている事件に、どうやって関与できるんだ?

 だが、尾上は違うところに反応した。


「……お前、神庭みたきを知っているのか?」

「ああ、幼馴染だった」

 そう告げたときの尾上の顔ときたら、ひどかった。指名手配中の犯罪者を見つけたときのような目をこちらに向けてくる。


「言っちゃ悪いが、あれは消えて当然の女だったよ」

「……お前、それどういう意味だ?」

 さすがにそれは侮辱だった。


「あの女が何をしでかしていたのか知っているだろう?」

「しでかして、いた?」

「お前、知らないのか?」


 なんだ? この感じ。

 みたきは幼馴染で、彼女はずっと家の蔵に籠っていてほかの誰かとの接触も希薄で、正直俺くらいとしか関わりがないと思っていたのに。

 それなのに、自分の知らないところで何かが進行していた違和感。


「だったら教えてやろう。神庭みたきはな、平たく言うとカルトの先導者だった。どこからか自分を崇める信者を集めてきて、そいつらにラネットで人殺しをさせていたんだよ」

「……え?」


 出てくる単語のほとんどが理解不能だった。いや、意味は分かる。それでも、理解できなかった。

 カルト? 信者? 人殺し?


「神庭家は、この皆原の地に古くから根を下ろしてきた一族で、ラネット――時間を操る術に長けていた。時間操作に関して言えば、この世界に神庭家に及ぶ知識と技術を持った人間などいないと言っても過言ではない。その能力で莫大な財を成し、代々秘密裏にノウハウを受け継いできた」

 確かに、みたきの家は由緒正しそうな邸宅で、随分歴史がある感じだった。

 とはいえ、だからといって……。


――孝太郎くん、知ってる?


――時間は人の意志で操れるのよ。


 いつか聞いたみたきの言葉が、また脳裏をよぎる。


「当然一人娘である神庭みたきも、時間を操ることに卓越していた。だがな、あいつの特筆すべき点はその技術を、社会に混乱をもたらすことに用いたということだ」


――孝太郎くん。今私たちが当たり前のように受け入れている「時間」という概念はね、ある種の共同幻想なのよ。


 彼女は、ラネットについて知っていた。今となってみれば、もうそうとしか考えられない。


「神庭みたきは、ラネットの神秘﹅﹅なども用いて、次々と自分に心酔する人間を生み出していった。元より時間をほとんど自由自在に操れる女だ。失敗してもいくらでもやり直せるし、人の心に入り込むなんて造作もないだろうよ」


「ま――待ってくれ。みたきは学校に通わずずっと家の蔵にいたし、放課後はいつも俺と会っていた。信者を集めるなんて、そんなことできるはずがない」

「そんなことが、否定の根拠になるか?」

「そ、それは……」

 尾上の鋭い返答に、思わず言葉が詰まる。


「不登校ならば、さぞ空いている時間が多かっただろうな。いくらでも信者集めに乗り出せたはずだ。それとも、お前はあいつが日中何をしていたかまで全て把握していたのか?」

「……確かに、俺は放課後のみたきしか、知らない」

 ずっと蔵で本を読んでいると思っていたし、本人もそう言っていた。だが、そんなことは何の証拠にもならない。


「蔵、か。そういえばみたきは、自分の信者どもを自宅の蔵に集めて集会を開いていたらしいな」

「え……」

「それが一番都合のいい場所だったらしい」

 じゃあ、俺がみたきと会っていた蔵の中にすら、そのカルトの影はあったのか? 俺はそれに気づかずに通っていたのか?


 俺は、みたきのことを何も知らなかったのだ。


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