12 雛鳥と回遊・下
まだむくれている後輩を見て、さすがにからかいすぎたな、と自分でも反省する。
どう挽回したものか。
そう思いながら歩いていると、クレープショップが目に入る。
「クレープ……」
食べたいのだろうか。
「瀬名は甘いもの嫌いか?」
「別に好きでもなんでもありません。あんなの単なる嗜好品です」
相変わらずの澄ましたしゃべり方。
これはきっと大好きなんだろうな、と俺は思う。さすがにいくらか一緒にいると、彼女の性格が分かってくる。ただただ素直じゃないのだ。好きなものほど殊更に否定して見せる。
「じゃあ、クレープ食べよう」
「お菓子は禁止されているんです」
「え、アレルギーでもあるのか?」
「いえ、食べる意味がないので。時間の無駄ですし」
なんともよくわからない理由だった。それが好きなものを我慢する理由になるのだろうか。
「でも、きっとすごくおいしいぞ?」
「…………」
「お菓子は嗜好品なんだから、意味がなくたって、食べておいしければそれで十分だろ?」
「ですが……」
瀬名はまだ尻込みをしているようだった。
「じゃあ今日は折角ショッピングモールに繰り出したんだし、特別な日ってことにしよう」
「特別な日?」
「ああ、節分に煎り豆を食べたり、冬至にかぼちゃを食べるのと同じように、クリスマスや誕生日にケーキを食べる習慣があるだろ? 特別な日はお菓子を食べてもいいんだよ。ほら、お正月におせちを食べるのは、別に悪いことじゃないだろ?」
「それは、そう、ですけど……」
「だから、今日くらいはお菓子を食べるべきなんだ。ほら、これで好きなのを買いなよ」
俺は、彼女の小さな手のひらに千円札を乗せる。気分は、姪っ子におこづかいをあげる叔父さんである。
「なっ……先輩から施しを受けるいわれなんてありません!」
「じゃあさっきのお詫びの品だと思ってくれよ」
「……わたし、こんなので許すほど甘い人間じゃありません」
瀬名はうつむいて、しばらく考え込んでいたが、やがてクレープ欲に従うことにしたらしい。
「でも、一応はもらっておきます」
そう言うと、店に向かっていく。
「へえ、色々あるんですね……」
じっとメニューを眺めている。その瞳は、きらきらと輝いていた。
「いちご、チョコ、ティラミス……チーズケーキ?」
とても悩んでいた。
「どれにすればいいんでしょう……ひとつだけなんて……」
「また来ればいいだろ? そんなに真剣になる必要ないって」
「そう、ですね……」
とはいえ、まだ決めかねているようだ。
「いっぱいあってよくわかりません。先輩、どの種類が一番いいんですか?」
それはまた困る質問だった。
「そ、そうだな……」
あんまり変わり種を勧めてもよくないかな。
その店の味を知るには、やはりまず一番人気のメニューだろう。
「チョコバナナクレープとかどうだ? ほら、一番人気だってPOPも貼ってあるし」
「なるほど……では、それにします」
瀬名はチョコバナナクレープを頼み、空いていたベンチに腰掛ける。
そして、小さな口でクレープの端をかじる。
「…………」
「どうだ?」
「甘い、です」
神妙な面持ちでもぐもぐと頬張っている。こうしていると、ますますもって小動物だ。
「大きくて食べづらいけど、悪くはないですね」
「そりゃよかった」
すっかり夢中になって食べている。
あっという間にクレープはなくなってしまった。
「……特別な日が、もっとあればいいのに」
▶ ▶
さすがにショッピングモールは広い。のんびり歩いていたこともあって、まだまだ回りつくせない。
「……先輩。そろそろ帰らないと、バレエの時間に間に合わなくなってしまうので」
「ああ、そうか」
まだまだ行きたいところもあったが、それなら仕方がない。
「…………」
目に見えてわかるほど、彼女の足取りが重い。すごく名残惜しそうにしている。まるで今生の別れであるかのようだ。まだ若い身空で、何をそんなに惜しむ必要があるのだろうか。
「また来ような」
そう言うと、瀬名は戸惑った顔をする。
「い、いいんですか?」
「え? そりゃいいけど。また機会もあるだろうし」
「…………」
瀬名は黙り込んで、うつむきがちに歩く。
「あの……」
「瀬名?」
小さな女の子は、肩掛け鞄のショルダーストラップをぎゅっとつかんで、ためらいがちに口を開く。
「先輩、その、今日は……楽しくなくは、なかったです。色々ご教示していただき、ありがとうございました」
肩が凝るような言葉。だが、それが彼女なりの言葉なのだろう。
「俺も楽しかったよ」
そう言うと、瀬名は目を見開いて立ち止まる。
「本当、ですか?」
「え、何が?」
「楽し、かったって」
「ああ、本当だよ」
だが、その言葉は後輩を納得させるには至らなかったらしい。
「……そんなはずありません。楽しかったなんて、そんなの。きっとつまらなかったはずです」
「なんで?」
思わずそう訊き返してしまう。どうしてそう思ったのか、純粋に気になった。
「だって、別に、ここは先輩が来たくて来た場所ではありませんし。全部、わたしに合わせてくれて。折角の休みに後輩の世話なんて……。わたしは楽しいお話ができるわけでもありませんし……何か、面白いところも、ありません。何か先輩に返せるようなことも……。楽しかったはず、ないです」
不思議なことを言う子だった。
来たくて来たわけじゃないって……そもそも俺が誘ったのに。
「楽しかったよ。瀬名のリアクション、一々面白いし」
「か――からかっていたんですか!?」
瀬名は慌てて俺に詰め寄る。まさにそういうところだ、と思うのだが。
「そんな気遣わなくていいよ。楽しいから誘ったんだろ? 瀬名はきっと自分の楽しいところに気づいてないだけだよ」
「…………」
彼女の表情は曇ったままだった。
「またここに来るのもいいし、別のところに行くことだってできるよ。学校の近くにも、甘いものがおいしい店はいっぱいあるし。あんみつ屋とか」
「あんみつ……」
瀬名の目の輝きのワット数が、ぐーんと上がる。やっぱり甘いものが好きらしい。
「あはは、食べたいなら今度行こうか?」
「い、行きたいわけでは……別に……」
素直じゃない。
瀬名の懐疑を晴らすために、俺は次の約束を具体的に取り付ける。約束といっても、一緒にあんみつ屋に行くだけだが。
「……そうですか」
瀬名は、呟く。何に対してなのかは分からなかった。何に対してでもないのかもしれない。
「つまらないよりは、楽しい方がいいでしょうね」
「ああ」
俺の同意に、彼女はやはり黙り込んだ。だが、それが悪い意味でないことはなんとなく伝わってきた。
⏩ ⏩
誰かが肩を揺さぶっている。誰か、というのは考えるまでもなく瀬名だろう。
「先輩、もう起きないといけない時間ですよ」
「うーん、あと五分……」
「さっきもそんなことを言ったじゃないですか」
いくら肩を揺らされても、俺は起きる気になれなかった。睡魔という強敵に、勝負する間もなく敗北していた。
「夜更かしするからそんなことになるんですよ。きちんと早寝早起きの習慣を身に着ければいいんです。そんなに眠たいのなら、まず早く起きることから始めてください」
それはもっともな叱責だったかもしれないが、眠気に支配された俺の脳には届かない。寝返りを打って、背を向ける。
「わかった、から、今日のところは寝かせてくれ……」
「もう、先輩ったら……」
瀬名は困ったような声を出すと、身を乗り出してさらに強く揺らす。
「ほら、先輩、起きてくださいっ」
しかし小柄な彼女の腕では無理やり覚醒に導かれるほどの力はない。俺は再び眠りの世界に戻っていく。
心地よいまどろみ。
睡眠欲の充足。
曖昧な夢との境界。
「先輩、眠ってはダメですってば、ほら、起きてっ」
瀬名はしばらく揺すっていたが、やがて諦めたように手を離す。
「ごはん、冷めてしまっても知りませんよ? 折角先輩の好きな生姜焼きを作ったのに……」
「え、本当か!?」
その言葉に、俺は慌てて上体を起こす。
「匂いでわかるでしょう」
確かに、意識してみると部屋の中には生姜焼きのいい匂いが満ちている。先ほどまでは眠気のあまり嗅覚すらシャットアウトしていたらしい。
起きて身支度を済ませ、早速食卓につく。ちゃぶ台の上の出来たての生姜焼きに箸を伸ばすと、瀬名はひょいと皿を持ち上げた。
「だらしのない先輩の分はありませんから」
「わ――悪かったって」
そう言ったものの、彼女はぷいっとそっぽを向く。
しまった。怒らせてしまったらしい。
「ごめんな、瀬名。いつも起こしてくれて、助かってるよ」
花の髪飾りを着けた少女は、まだつーんとしている。
「瀬名がいなかったら、遅刻ばかりして落単の連続だったよ」
「…………」
「俺が進級できてるのは、瀬名のおかげといっても過言じゃない。毎日ありがとうな」
瀬名は横目でこちらを見る。
「本気でそう思っていますか?」
「思ってる思ってる」
「……そうですか」
瀬名はそう言いながら、皿をテーブルの上に置く。ひとまずお許しを得たらしい。
生姜焼きを口に運ぶと、予想を上回るおいしさだった。箸が進む。
「もう、現金ですね。本当に悪いと思っているんですか?」
「思ってるよ」
そう言いながら生姜焼きと白飯をかき込む。
「先輩、仮に一限がなかったとしても、毎日同じ時間に起きて、しっかり朝食を摂って、規則正しい生活をするべきなんですよ?」
食事が終わっても、瀬名はまるで母親のようなことを言う。いや、もちろんそうすべきだというのはわかっているのだが、やはり睡魔には敵わない。
「もう、先輩ったら……」
呆れたような顔をする彼女だったが、半分諦めているのかそれ以上気にする様子もなかった。
▶ ▶
出かける支度を済ませて、俺は玄関に向かう。瀬名も後ろをついてきた。
「あ、先輩、後ろの髪の毛がはねていますよ」
こちらに向かって手を伸ばしてくる。
それぐらい自分で直すのに……。仕方がないので、彼女の背でも届きやすいように、屈む。
瀬名は俺の髪をぺたぺたいじくる。なんとも気恥ずかしい時間だった。
「はい、直りました」
ようやく終わったか。
姿勢を戻そうとした瞬間、唇を重ねられた。
「――――」
彼女の髪の、石鹸の香り。微かだけど確かな感触。
顔を離した瀬名は、目を細める。
「隙だらけですよ、先輩。しっかりしてください」
本当に、仕方がない。
「先輩、いってらっしゃい」
「いってきます」
家から出ると、外はなんとも茹だるような空気で満ちていた。
「……暑いな」
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