11 雛鳥と回遊・中


 その後もショッピングモールの中を歩いていると、瀬名は看板に目を留める。

「おばけやしき?」

 見ると、おどろおどろしい絵の看板があった。


「こういったものって遊園地にあるものだと聞きましたが」

「ああ、ショッピングモールでもやってるんだよ。大体は期間限定だけど、ここは常設だし」

「へえ……」


「入ってみるか?」

「おばけやしきに行ったことはありませんが、こんなのは所詮子ども騙しです」

 随分自信ありげだ。


「何が面白いんですか?」

「まぁまぁ、とりあえず入ってみようぜ」

「言っておきますけど、怯える反応が見たいのなら無駄ですからね」


 言葉とは裏腹に、俺が入ろうとするとやはり彼女はついてきた。

 入口にいる係のお姉さんが、俺たちに気付くと口を開く。


「お客様、申し訳ありませんが入場は小学生以上の方のみとさせていただいております」

「え?」

 一瞬、言葉の意味がわからなかった。

 小学生以上?

 そりゃ小学生以上だが。


 俺は、ふと悟る。

 横できょとんとした表情をしている小さな女の子。

「いや、この子小学四年生ですよ」

 確かに瀬名は小さいが、いくらなんでも幼稚園児には見えないだろう。確かにスモックを着ていても何も違和感がなさそうだが。


「し、失礼しましたっ!」

 係員のお姉さんは慌てている。


「は、初めてです……幼稚園児に間違われるなんて」

 瀬名は屈辱でぷるぷる震えている。

「ま、まぁ、最近の幼稚園児は発育がいいから。瀬名は幼稚園児には見えないよ。精々小学校低学年くらいだ」

「だから、わたしは四年生なんです!」

 しまった、墓穴を掘ったらしい。




 ▶ ▶




 荷物はロッカーに入れ、おばけやしきの中に一歩足を踏み入れる。

 当然だが窓ひとつなく、真っ暗だ。頼りとなる明かりは、入り口で渡された懐中電灯だけとなる。


「な、なんですかここは……」

 瀬名は後ずさる。

「どうしてこんなに暗いんですか?」

「そりゃおばけやしきだからな」

「し、信じられません……」


 俺は懐中電灯で辺りを照らしていく。

 内装は、廃病院を模したものだった。定番といえば定番である。壁も床も劣化が激しく――まぁそういう演出なのだが――血だまりを思わせる黒い染みがいくつもあった。天井の隅には蜘蛛の巣。これも作り物だろう。どれもリアリティのある造形で、スタッフの力量を感じさせた。


 入口付近は受付のようで、無人の窓口や、患者用の椅子まで並べられている。案外広々としていた。

 俺は入り口で渡された紙に載ったイントロダクションを読む。


 かつてこの病院では大きな医療事故が起き、十九人もの患者が死に至ったという。それが原因でたちまち廃業に追い込まれ建物は放置されていたが、時間が経つにつれ怪奇現象が起きるという噂が広がり始めたらしいのだ。

 なんでも、非業の死を遂げた患者の怨霊たちが、二十人目の仲間﹅﹅を求めている、と。


 いかにもな設定だ。七人ミサキの亜種だろうか。俺と瀬名はふたりで来ているが、どちらかを仲間にすれば怨霊たちは満足して帰るのだろうか。だとしたらなんとも面白い光景だ、と思う。


「こ、こんなに暗いと危ないですよ。安全性に問題があります」

 確かに、この暗さは恐怖を引き立てるものがある。人間というのは根源的に暗闇を恐れるものらしい。


 足元を何かが転がってきた。

 懐中電灯を向けると、正体が明らかになる。それは男の生首だった。

 目は見開かれており、口から吐き出されたと思われる血は既に真っ黒に変色している。相当苦しんで死んだのか、その表情は苦悶に満ちていた。


 作り物だが、なかなかよくできている。断面まで精巧だ。なぜ廃病院で生首が転がってくるかはわからないが。

「…………」

 横にいる瀬名に目を向けると、固まっていた。声も出ないようだ。


「瀬名、大丈夫か?」

 彼女ははっと我に返ると、いつも通りの無表情を作る。

「な、なんともありません」

「そうか、さすがは小学四年生だな」


「……今ので終わりですよね?」

「このおばけやしき、長さが売りだから。日本一らしいよ」

 俺の言葉を聞いたときの、愕然とした瀬名の顔ときたら。


「先輩、わたし、帰ります……」

 青くなっている様がなんだか面白く見えてくる。さっきまであんなに強がっていたのに。

 少しからかいたくなって、俺は口を開く。


「ここで帰ったら、おばけやしき如きに怖がる子どもだって係員に思われるぞ?」

「それは……」

 この台詞は効果覿面だったらしい。今にも帰ろうとしていた瀬名は立ち止まる。


「ほら、行こうぜ」

「あ、せ、先輩! 待ってください!」

 ひとりになるのも怖いのか、彼女は急いで着いてくる。


 受付の横に道が続いているので、進む。

 すると突然、窓口の方から電話が鳴る音が聞こえて来た。

「きゃあああああっ!」

 瀬名は黒板を爪でひっかいたような金切り声を上げる。すごい驚きようだ。


「な、なんなんですか……」

 慌てて俺の背中に隠れると、そっと窓口の様子を窺っている。

 電話は鳴り続けている。どうやら誰かが受話器を取らないといけないらしい。

「せ、先輩、まさか電話に出るつもりですか?」

 その声は震えていた。


「まぁ、そういうギミックだろうし」

 電話口から幽霊の声や怪奇音かなんかが聞こえてくることだろう。

「む、無視しましょうよ!」

「え、でも……」

「いいですから! ほら!」

 瀬名は俺を押して、先へ進もうとする。全然力はないが、仕方ないのでそれに従った。


 道の先は廊下になっていた。かなり長く続いているが、奥は突き当たりになっている。どうやら順路は、並ぶ扉のどれかにあるようだ。

 病室、診察室、手術室、といった部屋に一通り入っていく。瀬名はその都度悲鳴を上げたり、固まったりしていた。ここまで新鮮な反応を見せる人間もなかなかいないだろう。見ているだけで面白い。落ち着きのない子犬を散歩させている気分だ。


 そうやって回っていると、突然後ろから、かつん、かつん、と足音がする。

 振り向くと、そこには人影があった。


 顔は長い黒髪で覆われている。

 水色の患者服は血と汚れに塗れ、ボロ布のようになっていた。

 瀬名は息を飲んだ。


 幽霊は一歩こちらに近づいてきた。ぬたり、とその血色のない腕を伸ばす。

 小さな女の子は弾かれたように走り出した。

「きゃあああっ! 死にたくない! 死にたくない!」

 これがこのおばけやしきの売りのひとつだ。幽霊――役のキャスト――が追いかけて来るのである。


「お、おい、瀬名! 明かりも持たずに走ったら危ないぞ!」

 俺も慌ててその後を追う。幸いすぐに捕まえられた。


 腕を掴まれて、瀬名はじたばたともがく。だが俺を払いのけるほどの力はない。

「帰して、もう帰してっ! いやだっ!」

 すぐに今来た方向に走り出しそうな勢いだが、もう中盤をすぎたであろうことを考えると遠回りになってしまう。

「瀬名、進んだ方が早く出口に着くから。あとちょっとだって」

「何がちょっとですか! うそつき!」


「こんな暗闇、いつもいる夜の公園と似たようなもんだろ?」

「全然違います! こんな人間の悪意で作られたような場所!」

 ダメだ、相当動転している。


「ふざけないでください! なんなんですかあなたたちは!」

 瀬名はとうとうおばけに怒り出した。

「わたしが何をしたっていうんです! どうしておどかしてくるんですか!」

 おばけ役の人も、どうしたらいいのかわからないのか、立ち止まっている。


「なんのためにこんなもの作ったんですか! 意味がわかりません!」

 挙げ句の果てに、全方位に怒り出している。

「先輩も先輩です! わざわざこんなところに入って! どんな神経をしているんですか!? どうかしています!」


「えっと、裏に通用口があるので、そこに案内いたしましょうか?」

 とうとうおばけ役の人が心配して話しかけてくる。

 しかし。


「きゃああああっ! ち、近づかないでください!」

 おばけに寄って来られて、彼女はおばけから逃げ出そうとする。


「瀬名、だから、明かりを――」

「わたしはもう帰りますから! 止めないでください!」

「あ、瀬名!」

 一瞬の不意を突いて、彼女は俺の手を振り払うと駆け出す。


 だが、走っていった先でおどろかせシステムが作動する。

「ぎゃああああああああっ!」

 断末魔のような声が響き渡った。




 ▶ ▶




 結局、瀬名は俺の後ろにしがみついて、背中に顔を埋(うず)めてきた。

「わたし、もう何も見ませんから。先輩が勝手に連れて行ってください」

「……わかったよ」

 背中にくっつかれたまま、進んでいく。なんとも珍妙な格好だった。これはこれで係員に変に思われるだろうが、まぁ今更何も言うまい。

 瀬名は先程の言の通り、一切顔を離そうとはしない。


 それでも時折音に驚いていた。




 ▶ ▶




 無事おばけやしきから出た後、後輩の女の子は恨みがましい目を向けてくる。

「……覚えておいてください」

「悪かったって」

 あんなに取り乱すとは思わなかった。そこまで怖がりだったなんて。悪いことをしたものだ。


「先輩はあんなところだって知っていたんでしょう? それなのに……」

「ごめん、なんか埋め合わせするから。ジュースでいいか?」

「バカにしているんですか!? ジュース一本程度の非礼だとでも!?」

「ご……ごめんって」

 火に油を注いでしまったらしい。


「先輩の苦手なものを教えてください」

「え?」

「いいから教えてください!」


 瀬名は詰め寄ってくる。迫力はまるでないが、これは対応に困る。

 苦手なもの、と言われても。何も思いつかない。あるにはあるのだろうが、彼女のあの有様を見た後では多少の弱点なんて霞んで見える。嫌いな食べものもないし、これといって怖いものもない。


「特には……ないかな」

「…………」

 彼女は腹立たしげにこちらを見る。

 何かでっちあげるべきだっただろうか。いや、それでは彼女の溜飲は下がらないだろう。

「別にいいです。いつか必ず見つけ出しますから」




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