10 雛鳥と回遊・上


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 時間は、待ち合わせ時刻の十五分前。


 瀬名は既にいた。公園の入り口で佇み、クリスティの『スリーピング・マーダー』を読んでいる。服装は、リボンのついた白いワンピース。肩にはショルダーバッグ。白いショートソックスにローファー。なんとも折り目正しい格好だった。


「瀬名」

 軽く手を上げると、彼女はこちらに目を向ける。

「早いな」

「集合時間に遅れないようにするのは基本です」

 一体どれだけ待っていたのだろう。これでも早めに来たつもりなのだが。真面目というか……今後彼女を誘うときは、待ち合わせ時間を少し遅めに設定しておいた方がいいかもしれない。


「じゃあ行こうか」

 瀬名はこくりと頷いた。

 ショッピングモールまでの道のりは、ちゃんとシミュレートしてある。電車を乗り継いで郊外に出、最寄り駅で降りるのだ。複雑な経路ではない。


 歩き出すと、瀬名は小さな歩幅で、とことこ後ろをついてくる。俺が歩くペースを落とすと、露骨に不満そうな顔をした。

「……どうぞお気遣いなく」

「瀬名ってほんと小さいよな」

「わたしが小さいんじゃないんです。他が大きすぎるんです」

 なるほど、それは一理ある理屈かもしれない。屁理屈とも言うが。




 ▶ ▶




 地下鉄をターミナル駅で降りる。

 JR駅に乗り換えてホームに着くと、ちょうど電車が滑るようにして停車するところだった。

 平日の昼間だから電車の中はそれほど混んでおらず、座席もかなり空いている。


 俺と瀬名は、これ幸いにとシートに座る。

 彼女はきちんと膝の上に手を置き、足を揃えていて、姿勢がよかった。背筋もしっかり伸びている。電車に乗るだけなのだから、もっと気を抜いてもいいだろうに。

 お決まりのアナウンスが流れて、電車は動き出す。


 窓の外の風景は、どんどん牧歌的になっていく。皆原市は政令指定都市だが、栄えていると言っていいのは精々皆原駅付近のみ。他は至って田舎だ。

 店が引き払い、空っぽになった建物の剥がされた看板。無限に続いていきそうな、なんとも米どころらしい田園風景。そういったものに事欠かない。

 瀬名は、興味津々そうに風景に目を遣っている。そんなに物珍しいのだろうか。


 しばらくの間電車に揺られていると、ようやく目的の駅に辿り着いた。

「瀬名、ここで降りるよ」

「はい」


 頷いて立ち上がった瀬名は、しかし扉の前で止まる。

「あれ? 先輩、ドアが開きませんよ」

 ああ、そうか。彼女は自動扉しか知らないのか。

 俺がボタンを押して扉を開けると、目を輝かせる。どうやらドアが押しボタン式の電車に乗るのは初めてらしい。


「電車のドアがボタンで開けられるなんて……!」

 とてもやりたそうにしている。しかし、後ろの人がつかえているためそんな暇はない。

「帰りも乗るから、そのときまたやろう」

 そう窘めると、瀬名は頷いた。

「そう、ですね」




 ▶ ▶




 大きなショッピングモール。十年ほど前に、新興住宅地の近くに建てられたものだ。郊外にあるが、駅と直結しておりアクセスは整備されている。衣料品店、食料品店、百貨店、映画館などは一通り完備している。


 まだ新しい内装に、三階までの広々とした吹き抜け。開放感あるつくり。様々な店が並んでいる。

 やはりここも、それほど混んでいなかった。


 瀬名は物珍しいのか、やたらきょろきょろして辺りを見回している。

「どこか行きたいところでもあるのか?」

「別に……今日は画材屋さんに行くために来たんですから」

「あはは、わかったよ。じゃあ早速行こうか」




 ▶ ▶




「わあ……!」

 目当ての大きな画材屋に着くと、瀬名は年相応のかわいらしい声を挙げて画材の棚に飛びつく。

「こんなに広いお店全部に画材が並んでいるんですか? すごいです!」


 既視感があった。以前も見たような――というか、街の小さな画材屋に連れて行ったときとほとんど同系統の反応だった。

「こんな色の絵の具、初めて見ました。すごく綺麗な色……これで絵を描いてみたいなぁ……」

 絵の具に見入っている。


「全部素敵です……!」

 ふらふらと歩いていく瀬名を見失わないように、俺も慌ててついていく。

「こんなにいっぱいだと、一日で見終えられませんね、えへへ」

 余程上機嫌なのか、こちらにあどけなく笑いかけてくる。その表情を見ていると、連れてきてよかった、と思う。


「あはは、そんなに喜んでもらえると、連れてきた甲斐があるよ」

 そう言うと、瀬名はまた我に返って、ぷい、とそっぽを向く。

「……だから、これは先輩を立てただけです」

 随分演技達者だな、と言いたかったが、やめておいた。あまり水を差しても仕方がない。




 ▶ ▶




 あちこちを見て回っていた瀬名が、いつの間にかひとつの棚をじっと見つめていた。

「どうしたんだ?」

「いえ……欲しいものが、あったんですが」

 その視線の先にあったのは、グレアールの油絵の具セットだ。ヨーロッパのブランドで質もいいが、如何せん高い。値札を見ると案の定五桁の数字が記されている。


「あー、さすがにこれは手が出せないな」

「はい……」

 おこづかいを何か月分貯めれば買えるのか、考えただけで気が遠くなる。

 ちなみに俺の家は風呂掃除一回で百円の給金が出るが、これで賄おうとすると……いや、やめておくか。


「クリスマスプレゼントにでも、買ってもらったらどうだ?」

 それが一番賢明なはずだ。時期的にも遠い話ではないし。だが瀬名は驚いた顔をした。

「先輩の家には、サンタさん来るんですか?」

「え、そりゃ来るけど」

 そうか、瀬名はサンタなるものを信じているのか。まぁ小四だしそんなものかもしれない。

「先輩って案外いい子なんですね」




 ▶ ▶




 瀬名は、随分悩んだ末にいくつか画材を購入した。あんなに目移りしていたのだからもっと色々買うのかと思ったが、案外少なかった。財布の紐は固いらしい。


 予想より早く終わったので、次はどこに行こうか――と考えていると、瀬名は丁寧にお辞儀をする。

「先輩、今日はありがとうございました」

 それは、なんとも予想外な言葉だった。


「え? 帰るのか?」

「はい、用事も終わりましたし」

 瀬名はさも当然といった顔で話す。元よりそのつもりだったらしい。


「でも習い事の時間はまだなんだろ?」

「それは、そうですが……」

「だったらもっと他のところも回ろうぜ」

 至極ふつうのことを言ったつもりだったのだが、瀬名はなぜか困ったように躊躇っている。画材屋に来る途中、いくつか興味を惹かれたような店もあったのに。


「折角だし、寄っていかないか?」

 そう提案しても、彼女の表情は変わらない。

「意味もなく遊ぶなんていけないことです」


 禁欲的だ。楽しいから遊ぶ、ではいけないのだろうか。

 少しは自分の生きたいように生きればいいのに。まぁ、そういうことができないくらい真面目なのだろう。


「意味がないわけじゃないよ。わざわざ遠出して、画材屋にしか行かないなんてそれこそ無意味だよ。何か得るものがあるかもしれないし、行ってみようぜ」

 そう言っても、彼女はただこちらを見上げるばかりだ。


「……先輩は、いいんですか?」

「え? 何が?」

「だから、その……お時間を取らせてしまって」

 なんだ、そんなことを気にしていたのか。


「元から今日は一日中瀬名と遊ぶつもりだったよ」

「……そうですか」




 ▶ ▶




 瀬名は、手に持ったマップガイドに目を落としながら、とことこ歩く。

「どこか行きたいところはあるか?」

「……別に。先輩の行きたいところに行けばいいでしょう」

 随分冷たい言い方だが、俺の行きたいところを優先しようという気遣いなのだろう。口下手だから硬い言い回しになってしまうだけだ。


 そうして歩いていると、ゲームセンターが目に入る。瀬名も、そちらに視線を向けていた。

「入ってみるか?」

「ゲームなんて、やったことがありません」

 どこか拗ねたような物言いだ。


「後学のためにやってみるのも悪くないだろ?」

「ゲームで学ぶことなんて……」

 そうは言うものの、俺がゲームセンターに足を向けると、ついてくる。


 店内は、いわゆる「ピコピコ」が並んでいた。機械的な光と、機械的な音を周囲に響かせている。

 この独特な雰囲気に、横に立つ後輩は気圧されているようだ。

 さて、何をやろう。瀬名が楽しめそうなものはどれだろう。

 そんなことを考えていると、小さな女の子は目についた筐体を覗き込む。


「これ、なんですか?」

「何って……アーケードゲームだけど」

「へえ……」

 まるで黒電話でも見るかのような表情を、瀬名は浮かべた。完全に前時代の遺物だとしか思っていない。

「目がちかちかしますね」

 なんとも気の抜ける反応だった。


 一体どのゲームがいいだろう。

 格闘ゲーム……ってタイプじゃないだろうし、かといって音楽ゲームって感じでもない。ピアノにも秀でているのだから、リズム感はありそうだが。


「瀬名、このゲーム、やってみないか?」

 俺が指差したのは、クイズゲームだった。軽くやり方を説明する。

「問題に答えればいいんですね」

「ああ、折角だし対戦形式にしようか」




 ▶ ▶




 瀬名の得意ジャンルははっきりしていた。

 学問に関してはずばぬけた精度を誇ったが、それ以外のジャンル――スポーツや芸能などはとんと振るわなかった。全国正答率九十六パーセントの問題でさえ、見事に外した。


「む……こんなの分かるわけがないでしょう」

 不満げである。

 まぁだいぶ差をつけて勝ってしまったからな。初心者相手に大人げなかったかもしれないが、一応これでもわりと手を抜いたんだ。彼女に負けられるほど間違えたら、さすがに気づかれる。


「先輩、これってジャンルを指定することはできないんですか?」

「え? ああ、このバージョンならできたはずだけど。やってみるか?」

「はい。これでは正当な勝負とは言えません」




 ▶ ▶




 学問のジャンルを指定して、ゲームをプレイする。

 今度は瀬名の圧勝だった。

「当然と言えば当然ですね」

 どこか得意げだ。

「あはは、瀬名の知識量には負けるよ」


「でも、続詞花集の選者を当てられなかったのは悔しかったです」

 俺に点を取られたのを根に持っているらしい。勅撰集じゃないんだし、わからないのも仕方ないと思うんだが。


「こういったゲームなら勉強にもなりますし、悪くないですね」

 瀬名は、所狭しと並べられたゲームを眺めている。

「色々なゲームがあるんですね……」


 彼女の目が、クレーンゲームで止まる。

「先輩、このゲームはなんですか?」

「これはこのクレーンを操作して、中の景品を取るゲームだよ。ほら、ここにボタンがあるだろ?」

「へえ……」


 瀬名の視線は、中にぎっしり詰め込まれた犬のぬいぐるみに注がれていた。

 ダックスフンドをデフォルメ化した、茶色い大きなぬいぐるみ。つぶらな瞳にかわいらしい逆三角の鼻。毛が長く、ふかふかそうだ。


「これが欲しいのか?」

「いえ別に……欲しくなんて」

 そうは言うものの、明らかに気になっている表情だ。

「まぁまぁ。先輩に任せておけって」

 クレーンゲームに硬貨を投入し、ボタンを押す。


「本当にこの頼りなさそうなクレーンでぬいぐるみが取れるんですか?」

 懐疑的だ。

 クレーンゲームは特別得意というわけではないが、これくらいのぬいぐるみなら取ることができるだろう。ぬいぐるみの首の辺りを狙って、アームを動かす。

 三回目のプレイで、見事取ることができた。


「よし……」

 どうにか先輩の面目は保てたか。

 ぬいぐるみを取り出して手渡そうとすると、瀬名は呆気に取られたような顔をする。

「ん? どうしたんだ?」

「先輩が欲しくて取ったのではないですか?」


「まぁそりゃ取りたくて取ったけどさ」

 彼女にぬいぐるみを押し付ける。

「俺が持って帰っても仕方ないだろ?」

「それは……そう、ですけど」


「受け取ってくれって。この犬だって瀬名みたいなかわいい女の子にもらわれた方がうれしいだろうし」

「…………」

 瀬名はうつむいて黙り込む。やがて、差し出されたぬいぐるみをしぶしぶ受け取った。

 元々大きめのぬいぐるみだったが、瀬名が抱えると余計に大きく見える。


挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16816927859404050122


 瀬名の一対の瞳と、ぬいぐるみの一対の瞳が一緒にこちらに向けられる。

 なんだか毛並みのよさが似ている気がした。

「あはは、なんかぴったりだな」

 そう笑うと、瀬名はむっとする。


「これ、袋のようなものはないんですか?」

 恥ずかしがっているようだった。

「袋もらえるだろうから、後で店員に頼もうか」

「……はい」



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