14 黒闇天




「神庭みたきが集めた信者は、破滅思想の持ち主ばかりだった。あいつはそういう人間を選んでいたからな。そして、ラネットについて教えたんだ。人間の消し方という限られた情報だけだが、それだけで致命的なのは推して知るべしだろう」


 未だに信じられない。

 みたきがカルト集団の先導者だったなんて。


「ラネットは秘匿されるべきものだ。時間を操る方法など、いくらでもやましい使い方ができる。しかも、濫用すれば世界そのものに歪みが生じかねない。それなのに、あいつはわざわざ破滅思想を持つ人間を集めて、そいつらにラネットについての情報の一部を提供した。銃を配って歩いているようなもんだよ。現に、こうして街では大量殺人が起きている」


「み、みたきはなんのためにそんなことを?」

「世界を滅亡に導きたかったらしい」

 滅亡?

 世界を?

 ともすれば間抜けさすら感じるような、突飛な言葉。


「バカげた話だろう? 子どものくだらない戯言だ。だが運の悪いことに、あいつはその手段を持っていたんだ。おかげで、この有様だ」

 今皆原市では、およそ十五人が行方不明になっている。そして、その数は依然として増える一方だ。


「ラネットは時間に干渉する。いわば、世界を捻じ曲げているんだ。世界はその歪みを是正するため、歪みそのものを淘汰しようと働く。それが、ラネットが消える仕組みだ。だが、あまりにも無数の歪みが蔓延れば、捻じ曲げられた世界は悲鳴を上げ、やがて壊れる」

「……壊れる」

 それが、世界の終わり。


「と、言われている。実際どうなるかは誰にもわからない。何せ、今まで誰も実行したことがないのだから。だが、どうせろくでもないことになるのは目に見えている」

 みたきは、それをやろうとしていたのか?


「ま、待ってくれ、みたきは確かに変わった奴だったし、冷笑的な言動も多かったけど、でも、いくらなんでも世界を破滅させようだなんて――」

「そんな人には見えなかった、か?」

「……ああ」

 そんなの、犯罪者に使われる常套句だ。


「お前が余程鈍感だったのか、それともあの女が余程巧妙だったのか……いずれにせよあの女の所業は悪魔のようだったよ。八年前の児童連続失踪事件や、六年前の遊園地での集団神隠し――お前も覚えているだろう?」

「覚えてるけど……」

 当時、そこそこ話題になったことを覚えている。


「……それがみたきの仕業だっていうのか?」

「ああ」

「…………」


 八年前なんて、俺もみたきも小学生の頃じゃないか。そこまで昔からやっていたなんて。


――私の夢は、ひどくささやかなものよ。ありふれた、普遍的な夢。


 それが、世界の終わりだっていうのか?


「当時も、民俗学研究会は彼女の行動を阻止しようとした。だが時間操作の技術という点で完全にこちらを上回っていたあいつに、我々は遅れを取るばかりだったらしい。結局、その頃の教授の病死と神庭みたきの行方不明で、うやむやのまま幕は閉じられたよ。事の真相も、彼女がいなくなった﹅﹅﹅﹅﹅﹅後、統制を失った信奉者たちからぽろぽろと漏れ出た情報を拾い集めた結果やっと判明したものだ」


 最早、自分と地続きの世界の話だとは思えなかった。

 情報の洪水に、どうすればいいのか分からない。一番近くにいたはずの幼馴染のことを、俺は何ひとつ知らなかったらしい。


「神庭みたきは、信者たちの前では黒闇天こくあんてんと名乗っていたらしい。黒闇天とは何か、お前なら知ってるだろう?」

「……吉祥天の妹で、世界を災いをもたらす醜悪な女神だ」


「その名を借りて、大量殺人を行うなんて……随分バカバカしい所業をしてくれたものだ。自分が神だとでも思っていたんだろうな」

 尾上は鼻白んだように笑う。それは、あたかも凶悪犯罪者に対するような反応だった。

 いや、事実神庭みたきは凶悪犯罪者、だったのだろう。


「あいつは、古文や経典に何かをなぞらえることを好んだ。『方丈記』で見立て殺人も、いかにも神庭みたきの考えそうなことだ。もっとも、古典に敬意を払っていたら、こんなバカげたことに使わないだろうが」

 確かに、俺だったら絶対にそんなことはしない。

 ……大量殺人なんて、そんなことは。


「鴇野、大丈夫? 少し休憩しましょうか?」

 ずっと黙っていた朝霧が声を掛けてくる。この時代のことには、口を挟みづらいのだろう。

「ありがとう……大丈夫だよ」


 俺は、言葉を発する。

 ずっと気になっていた疑問を。

「……それで、みたきはどうしていなくなったんだよ?」


「さあ。そこまでは分からんな。自殺かもしれないし、サロメの物語のように信奉者に殺されたのかもしれない。あの女にはお似合いの末路だ。もっとも、殺しても死ぬような女じゃないだろうが」

「…………」


「神庭みたきが消えてくれて本当に助かったよ。冗談抜きで世界を終末に導こうとしていた、気の狂った連中を率いていたんだ。あいつが消えなかったら今頃どうなっていたか想像すらしたくない。だが――」

 白衣の男は、言葉を切る。


「今起きている連続失踪事件、明らかにあの女が関わっている。実行しているのは信者の残党だろうがな。信者たちの始末は当時研究会でつけたようだが、大方それから逃れ得た者がいたのだろう。そして、五年の歳月を挟んで再び犯行に及んだと」

「……みたきの信者が誰だったのか、情報は残ってないのか?」


「生憎網羅性のあるものはない。信者たちはお互いの素性をろくに知らなかったから、聞き出すこともできなかった。興味があるのは神庭みたきだけだったらしい。いくらかある情報の中には、怪しい者はいなかった。我々も、神庭みたきの再来を何よりも先に警戒し、調べたからな」

「そうか……」


 結局犯人を特定するには至らないらしい。それでも、みたきの関係者というところまで絞れるのは、大きな収穫か。


 ……未だに動揺が収まらない。自分の幼馴染がそんなことをしていたなんて、信じられない。だが、尾上の言葉に揺らぎはない。ただ真実を流暢に語っているようだった。俺が望めば、証拠も見せてくれるだろう。


 今考えるべきなのは、この一連の行方不明事件の犯人だ。

 それは、神庭みたきに向かう道のりでもあるはずだから。




 ▶ ▶




 ひとまず帰宅することにした俺は、自分のアパートを見上げる。

 いつも通り、自室の窓が見えた。

 しかし。

 いつもとは違って、部屋の明かりが消えていた。


 扉の鍵を開錠し、開ける。

 無彩色の暗然たる廊下と、部屋。冷蔵庫のファンの音だけが機械的に響いていた。

 誰もいない。

 当たり前だ。夜に電気がついていないということは、家にいないということだ。そんなの考えなくてもわかる。


「……瀬名?」

 彼女は部活もしていないし、塾にも通っていない。いつも家で勉強をしている。普段ならとっくに帰ってきている時間なのに。

 狭い1Kの部屋が、嫌に空虚だった。


 いや……用事のある日くらい、たまには存在するだろう。そもそも彼女は受験生なのだ。それに、いつも任せきりにしている家事をする好機かもしれない。


 メールに、夕食は俺が作ること、そして帰りは何時になりそうか訊ねる旨をしたため、送信する。そして、キッチンに立つ。


 オムライスに、サラダに、コンソメスープ。それを二人分。瀬名の料理と比べるとそれほど上手くないが、たまにはこういうのもいいだろう。

 



 ▶ ▶




 おかしい。

 瀬名の帰りが遅い。

 送ったメールに、返信はなかった。


 行方不明。

 そんな言葉が俺の頭によぎる。

 いや、まさか……。

 行方不明になっているのは俺の大学の学生だけのはずだ。夜臼坂学園に通う高校三年生である瀬名が、行方不明になるはずない。

 だが。それはあくまで帰納法によって導かれた結論に過ぎない。今までがそうだったからといって、これからもそうであるとは限らない。


 彼女が帰って来なかったら?

 そんなことあるはずがない。

 あるはずがない、が、現にこの街では既に十人以上の人間が帰って来なくなっている。


 心配になって電話を掛けようとしたところで、玄関の扉が開いた。


 そこにいたのは、小柄な少女。

「先輩っ、遅くなって、ごめんなさい……っ」

 制服姿で、相当息せき切って帰ってきたのか、上がった息のまま声を絞り出す。


 その顔を見て、俺は安堵する。

「瀬名、おかえり。心配したんだぞ? 何か事件に巻き込まれたんじゃないかって。メールにも返信なかったし」

「メール?」

 目の前の少女は、慌てて携帯電話を確認する。

「ああ、すみません。気が付きませんでした」


 瀬名は、もう一度頭を下げる。

「ごめんなさい、お待たせして……。委員会の仕事が長引いてしまったんです」

 なんだ、その程度のことか。動揺していた自分がバカらしく思えてくる。


「いいよ、気にしないでくれ。これから遅くなるときは、毎日ちゃんと連絡してくれよ?」

 彼女はこくりと頷くと、笑顔を見せる。

「ふふ、心配してくれてうれしいです」

「あはは、そりゃ心配するよ」

 帰ってきてよかった。何事もなくてよかった。


「夕食、もう用意してあるんだ。すぐ温め直すから」

「……先輩が?」

「ああ、オムライスだよ」

 そう言うと、どういうわけだかその表情が翳る。


「……ごめんなさい、お手を煩わせてしまって」

「え、いいよ、そんなこと。俺はいつも瀬名に助けられてるんだから」

 彼女の表情は暗いままだ。


「家のことは、全部わたしの仕事です。それなのに、先輩にさせるなんて……」

 真面目だ、と思った。だけど、余計なものを背負い込みすぎるきらいがある。

 別に、家事は彼女ひとりの小さな双肩にかかっているわけじゃない。二人でやればいいじゃないか。それに、忙しい受験生の彼女より、暇な大学生の俺の方が時間に余裕があるのは明らかだし。


「たまには俺だって力になりたいよ。おなかすいただろ? 一緒に食べよう」

「はい」

 瀬名は微笑んだ。


 ふたりで食卓を囲む。スプーンでオムライスを一口食べた彼女は、また誰しもを惹きつけるような表情をする。

「先輩の作ったごはん、おいしいです」


 ……この連続行方不明事件が人為によるものならば、それは止めないといけない。そんなことは、許されない。

 いつか瀬名に火の粉がかからないとも限らないのだから。



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