8 真相解明


 ⏪ ⏪




 瀬名と話すようになってから、しばらく経った。

 俺は、夜にちょくちょくあの公園に通った。やはり瀬名はそこで絵を描いていた。


 話してみると、生真面目で悪い子ではない。からかい甲斐があって面白いし、絵や習い事についてなら色々な話をしてくれる。


 その日も、俺は公園に来ていた。しばらく話をしたところで、瀬名は荷物をまとめ始める。絵が一段落したのだろう。


「じゃあ、瀬名、また明日」

 そう言うと、彼女はぱちくりとまばたきをする。少し目を丸くしているようだった。

 普段の冷たい表情も綺麗だが、こういう表情の方が似合っている気がした。

 にしても、この反応はなんだろう。


「やっぱり家まで送って行こうか?」

「……勝手にしてください」

 突き放すような物言い。だが、拒否の意でないことは分かった。

 少しは仲良くなれたのだろうか。


「だったら、イーゼルとか持つよ」

「べ、別にそれくらい平気です」

「遠慮するなって」

 俺は、瀬名のイーゼルを抱える。分かってはいたが、かさばるしそこそこの重さがあった。いつもこれを担いで家と公園を往復しているなんて、大変だろう。

 瀬名の様子を伺うと、少しむっとしているが、やはり嫌がっている感じではない。


 後輩の小さな足取りに従って、道を歩く。

 少しすると、彼女はひとつの門の前で立ち止まった。


「え、まさか……」

 愕然とせざるを得なかった。


 そこにあったのは、四階建てのモダンな白い建物だった。絶対建売ではない、ドラマにでも出てきそうな洗練された建物だ。


 庭は幼稚園の運動会程度なら執り行えそうなほど広く、青々とした芝生が敷き詰められている。各所には細い木や花々が植えられてあった。

 隅には白いベンチと丸テーブルが置かれており、ここで優雅な午後のひと時が楽しめそうだ。


 この家が郊外にあるのなら、まだ理解できた。

 しかし、この辺りは地価が高いことで知られているのに、それを歯牙にもかけないこの贅沢な敷地の使い方。アメリカのサバービアのようだ。


 家の前には車寄せのスペースまであり、そこに停まっている車は小学生でも名前を聞いたことがあるような、いかにもな高級車ばかりだ。


 家を取り囲む白い柵は高い。ふと、設置されている監視カメラと目が合った。

 俺にもお金持ちの知り合いはいるが、ここまでの豪邸は見たことがない。圧倒されるというかなんというか……身が、すくむ。

 ときどき前を通りかかるたびに、一体どこの富豪の家かと思っていたが。まさか瀬名の家だったなんて……。


 仮に俺がこのような建物に入る機会があるとしたら、食べるものに困って空き巣するときくらいだろう。しかし、敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間に最新式のセキュリティが作動しすぐお縄になる。そんな想像まで容易だった。


「どうしたんですか? 先輩」

 瀬名は不思議そうにこちらを見上げる。

「いや……」

 俺は、自分が不審者になった気がして、落ち着かなくなる。

 大丈夫だろうか。誘拐だと思われないだろうか。いや、家まで送る誘拐があるはずない。


 確かに、いいとこのお嬢様といった雰囲気はあったが。ここまでだったとは思わなかった。


「先輩、さようなら」

「ああ……じゃあまたな」

 当たり前だが瀬名は門をくぐって敷地内に入っていく。彼女にとっては日常なのだろうから当然だが、あまりにも自然に行動するので、俺は驚きと共に見送った。




 ▶ ▶




 その日も俺は、公園で瀬名が絵を描いている傍らにいた。


「あ、スカイブルーがなくなっちゃいました」

 絵筆の動きを止めた瀬名が、そう言う。絵の具のひとつが切れてしまったようだ。


「家にストックはないのか?」

「いえ……なかったと思います」

「じゃあ今から買いに行くしかないな」

 折角の彼女の描画をここで中断させるのはあまりにも惜しい。


「今から、ですか?」

「ああ、この時間でも開いてる店、知ってるんだ」




 ▶ ▶




「わあ……!」

 店内に入った瞬間、瀬名は無邪気な声を上げる。


 個人経営の、小さな画材屋。こぢんまりとしているが品揃えがよく、おまけに遅い時間までやっているという、知る人ぞ知る名店なのだ。俺は、同じ絵画教室の友達から教えてもらった。


「これはキタサカの絵の具! 色が豊富で発色も良く、耐久性に優れているいい絵の具なんですが、なかなか置いてあるお店がないんです!」

 棚に並べられた商品を見ながら、小さな女の子は声を弾ませている。どうやら琴線に触れるものが盛りだくさんらしい。


「こっちはハセクラの画用液! これもなかなか使い勝手がよくて、簡単に透明感が表現できるので手放せないんですよ! でもやっぱりなかなか置いているところがなくて――」

 棚の前を飛び回りながら、熱弁している。

 分かってはいたが、絵を描くことが好きなんだろうな、と思った。


 店の奥のレジに腰掛けて本を読んでいる店主が、我関せずといった態度を取りつつも、口元が微妙に緩んでいる。

 そりゃ、こんなに喜ばれたら店主冥利に尽きるだろう。


「それどころか、見たことない画材がいっぱいあります! 先輩、こんな絵筆初めて見ました! これはどういうものなんですか!?」

「ああ、これはだな……」


 説明すると、瀬名は随分興味津々そうに相槌を打つ。そのあまりにもきらきらした瞳を向けられると、眩しすぎるくらいである。

 その後も、しばらく陳列された商品に沸き立つ瀬名に付き合った。


「こんな素敵なお店があったなんて……! すばらしいです!」

 目当てのスカイブルーの絵の具を選び、余程うれしいのかにこにこしている。初めて瀬名の笑顔を見た。


 いつもは冷たい表情をしている彼女だが、好きなものに対してはこんなふうに笑顔を見せることもあるのか。

 普段は近づきがたく見えるのに、こうして年相応の表情をしていると、ただのあどけない女の子だ。


「喜んでもらえてうれしいよ」

 そう言うと、瀬名ははっと我に返って、ぷいっとそっぽを向く。

「……別に喜んでいません。でも、紹介された以上多少はそれらしい反応をしないといけませんから。先輩の顔を立てているだけです」

 素直じゃない。


「そんなに画材が好きなら、隣の市にもいい店があるんだけど、行ってみるか?」

 試しに提案してみると、瀬名はすぐに目を輝かせる。

「行きます行きます! 連れて行ってください!」

 このまま、かどわかせそうだった。

 この子は果たして大丈夫なのだろうか。少し心配になってきた。


「じゃあ、いつにしようか。ショッピングモールの中にあって、行くには結構電車を乗り継ぐ必要があるからな……。早速次の土曜なんかどうだ?」

「あ……その、土曜日はそろばんと英会話があるので……」

「だったら日曜は?」

「日曜日は、華道と学習塾に行かないといけませんから」

「月曜は?」

「月曜日は習字の稽古が……」

「……じゃあ、いつなら空いてるんだ?」

「うーん……」

 考え込んでいる。この様子じゃ無論平日も全滅なのだろう。


「薄々気づいてたけど、瀬名ってお嬢様だよな」

 あの豪邸を見た時点で推して知るべしだが。


「……付き合いにくいですか?」

「いいや。でも、習い事なんて一日くらいサボっちゃおうよ」

「なっ……そんなのダメに決まってます!」

 やはりダメらしい。なんとも真面目な反応だ。


「俺なんてしょっちゅうサボってたけどなぁ。それじゃ遊ぶ時間なんて全然ないだろ?」

「先輩と一緒にしないでください。遊ぶ時間なんて必要ありません。何の役にも立ちませんから。それに……」

 瀬名はうつむく。


「習い事を休んだら、怒られてしまいますから」

 誰に、と訊くまでもない。

 無論それは、親に、だろう。そりゃ習い事をサボったことが知られれば、怒られるだろう。当然だ。既に諦めの域に達している俺の親は例外みたいなものだ。


「……先輩、その、折角誘っていただいて申し訳ないですが、わたしやっぱり――」

 その言葉の続きは簡単に予測できた。

 だけど、あんなに楽しそうにしていた彼女の姿を見た後だと、どこか口惜しい。たった一度きりの人生なのだから、多少やりたいことをやったって罰は当たるまい。

 どうにかならないものか……。


「あ、そうだ! 瀬名、来月の十一日はどうだ? 確か先生たちの会議とかで、授業午前までだったよな? その日に、こっそり遊びに行けばいいんだよ」

「こ、こっそり……?」

「別にサボるわけじゃないし、いいだろ? それに、いい画材屋に行けば、絵を描く上でメリットだらけじゃないか」

「……それは、そう、ですけど」

 まだ躊躇っている。あんなに行きたそうにしていたんだから、行けばいいのに。


「じゃあ、十一日、学校が終わったらあの公園で待ち合わせしよう」

 少し強引に提案すると、瀬名はおずおずと頷いた。

「わかり、ました」

 こうして、少し素直じゃない後輩と遊びに出かけることになった。




 ⏩ ⏩




 水を向けてみても朝霧の口が堅いことを悟ったのか、尾上は話を戻す。

「連続失踪事件への今後の方針だがーーやはり、犯人の特定に主眼を置いていきたいと思う」

 俺と朝霧が以前話していたような結論に、彼も辿り着いていたらしい。


「何か犯人につながりそうなものを見つけたら、すぐ言ってくれ」

 犯人につながりそうなもの、か……。


 そういえば、すっかり失念していたが。

 尾上と事件現場で出くわす直前に、ラネットの中に一枚の紙を見た。内容も覚えている。「忽に三途のやみにむかはむ時」と。

 『方丈記』の終盤の一節だ。意味は――まもなく暗い死後の世界に向かおうとしているとき。


 これは、恐らく犯人が置いたものだろう。むしろ、第三者が俺たちより先んじて事件の発生に気づき、現場に駆けつけ、謎の紙だけを置いて去っていたら、そっちの方が気味が悪い。


 『方丈記』といえば、数々の災厄に見舞われた都を、無常観の籠った筆致で綴った作品。末法思想に包まれ、悪化する治安の中、社会不安が湧き上がった時代を写し取っている。


 ……なんだ?

 何か嫌な予感がする。

 そんな厭世的な作品の文を、人を消し去った場所に残す意味とは? しかも、文の内容も何かを示唆しているというか――


――ラネットはね、世界にとって歪みなの。だから淘汰されるけど……あまりにも歪みが増えすぎると、いずれ世界にガタが来る。


 以前聞いた、朝霧の言葉。

 もしかして犯人の目的は、人間を消すことよりももっとその先、世界そのものに混乱をもたらすことなのでは――


 いや、さすがに考えすぎか。

 とりあえず、俺は見かけた紙について話す。


「ああ、そのような一節なら私も事件現場で発見したことがある。すぐに消えてしまったがな」

 それなら、俺の見間違いではないだろう。

「犯行予告――いや、犯行声明か。いかにも肥大化した自我の持ち主がやりそうなことだ。他人を消すことを、自己をアピールする手段に貶めている」


 犯行声明。

 そんな、怪盗がお宝を盗んだ後に「貴重な品を頂戴いたしました」と書いて残すような感覚で、あの紙を残したのか? 人を殺した後に?


「もっとも、ラネットの中に置けば、紙は長い時間は保たない。第一、犯行声明なんてのは報道機関や警察など、もっと目立つ﹅﹅﹅送り先がいくらでもある。人目につきたくはないが、犯行声明は残しておきたい……そんな鬱陶しい自己顕示欲が垣間見えるな」


 本当に、あの紙は自己顕示欲で残されたものなのだろうか?

 もっとこう、違った意味合いのような気がする。


 安曇大学――行方不明――皆原市――ラネット――時間――世界――『方丈記』。


 あと一歩で、散らばった欠片がつながりそうな気がする。

 俺は、不意に行方不明者のリストを手に取っていた。


「これは――そんな」

 嫌な予感だった。だが、読み進めれば進めるほどに、確信だけが増していく。


「鴇野、どうしたの? 顔色が悪いわよ」

「分かった、かもしれない」


 それは、木から林檎が落ちるときのように。

 浴槽に入ると、水位が上がるときのように。

 真実が目の前に横たわっていた。








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