6 民俗学研究会
ラネットを、研究? しかも、安曇大学で?
俺は耳を疑った。
「安曇大学の民俗学研究会はラネットを研究してるって、限られた一部の間では有名なのよ」
朝霧が説明を付け加える。
「というか、ラネット研究をする場の隠れ蓑として、民俗学研究会が作られたようなものらしいわ。この時代でもまだ続いていたとはね」
ラネットという現象は、この皆原の土地に古くから根付いていたらしい。ならば、朝霧をはじめとして、少数とはいえ存在を知る者が脈々といたのも道理だ。
そんな人間たちが、民俗学研究会を作ったのだろう。
そして、ラネットを研究しているということは、当然この一連の事件の調査に乗り出してくるだろう。
だったら、もしかして協力関係を結べるのではないだろうか。
「尾上、俺たちはこの事件を止めたいんだ。だから、何か力になれないか?」
「お前たちが?」
尾上は片眉を上げる。
「まぁ……そこの女はラネットについていくらか詳しそうだが。まだまだ信頼するほどではないな」
白衣の男は、こちらに背を向けた。
「こんなところで立ち話をしても無益だ。ついてこい」
▶ ▶
着いたのは、安曇大学の第二民俗学研究室だった。人は出払っており、俺たち三人しかいない。
にしてもこの乱雑さはひどい。研究室とは往々にしてそうだが、壁は天井まで届く本棚で覆われている。
テーブルの上は授業で配布する前のレジュメなのか紙の束が山のように積まれており、人が座るであろうところだけ辛うじて紙が除けられ、わずかなスペースがある。そこかしこにダンボールやら荷物やらがあり、床は人がどうにか通れる程度の余裕しかない。人間のための空間というよりも、隙間なく荷物で埋め尽くされた場所を人間が頑張って掘削して入れるようにした、といった感じだ。
尾上はパイプ椅子に深く腰掛けて足を組む。促されるままに、俺と朝霧もテーブルを挟んで座った。
当然のように茶の一杯も出すつもりはないらしい。
「それで、お前たちはどうしてあの場所に辿りつけたんだ?」
辿りつけた、という言い方。それは、どうやってラネットを感知できたか、という意味だろう。
薄々察してはいたが、尋問は続くらしい。
俺と朝霧は、事情を説明した。随分根掘り葉掘り訊かれたが、全てに答えた。
やがて質問も尽きた頃、尾上は「なるほど」と言った。
「ひとまずは疑いを解いても良さそうだな」
なんとか一定の信用は得られたらしい。実際探られて痛い腹は一切ないからな。
「俺はざっくりとしか知らないけど、世界規模の危機になる可能性があるんだろ? それなら良かったらお互い協力しないか?」
そちらは人手が足りていないようだし。
「そうだな……というよりも、勝手に動き回られる方が面倒だ。いいだろう」
尾上は首を縦に振ると、立ち上がる。
「まずは情報交換といこう。お前たちからは散々聞いたから、次は私の番だ」
そして、研究室の荷物の山からひとつ機械を持ち上げると、テーブルのわずかに空いたスペースに置く。
表面に錆びが浮いた無骨な機械。様々なパーツが継ぎ足されたのか、やたらごてごてとしている。ぱっと見はどう使うのか一切分からない。
「これは、ラネットの発生を感知する装置だ。精度も範囲も広い。皆原市全域をゆうにカバーする。仕組みとしては――」
尾上は詳らかに説明してくれたが、言っている意味の半分も理解できなかった。朝霧は随分噛み砕いて説明してくれたんだな、と思う。
とにかく、尾上はこの機械を用いて事件現場にやってきたのだろう。
「この装置は常時稼働しており、人が不在の間でも自動で検知データを記録してくれる優れものだ。この研究会にはこういった機械がいくらか存在する。先人たちが作り上げてきたロストテクノロジーのようなものがな。それでこそ研究が成立するというものだ」
ラネット研究、というのは予想以上に進んでいるらしい。
テーブルに目を落とすと、教授が授業で使うのであろうレジュメが目に入ってくる。紙面には、民俗学という文字が躍っていた。
民俗学。
歴史書に残されるような歴史や文化ではなく、庶民が細々と伝承してきた歴史や文化に着目し、自文化の発見を目的とした学問。
ラネットが皆原市土着の現象だというのなら、確かに民俗学の範囲に含まれる、のか?
恐らく、昔に皆原市でフィールドワークか何かを行っていた安曇大学の教授が、ラネットの存在に辿り着いたのだろう。そして秘密裏に研究し始めて、こうして研究会ができるまでになったと。
だから、ラネットが民俗学なのではなく、ただ単に民俗学の教授がラネットについて研究しているだけだ。
尾上は紙を取り出すと、こちらに見えるようにテーブルの上に置く。
「これは最近記録されたラネット発生情報のデータだ。ラネットというのは偶発的に起きることもあるが、なるべく事件性のありそうな規模に絞ってリストアップした。とはいえ、関係ないものが混じっている可能性もある」
リストを見てみると、発生した場所も時間帯もばらつきがある。
さすがに人が出歩かないような時間では起きていなかったが、そもそも失踪させたい相手が出かけていなければ、失踪させられないといった雰囲気だ。
「やっぱり、犯人は相当時間に余裕を持っていそうね。被害者が安曇大学の学生に限られる以上、無差別ってわけじゃなさそうだし――消す相手をある程度絞ってるはずよ。それならリサーチする時間も要るでしょうに」
俺は、朝霧の言葉に頷く。確かにその可能性は大きそうだ。
そして、犯人は安曇大学の関係者と考えるのが自然だ。そうじゃないと、学生だけをピンポイントに狙うのは難しい。それに、何らかの動機があって行っているのなら、なおさら接点がある可能性は強まる。
尾上は、また別の紙束を机の上に置く。
「こっちが行方不明者のリストだ」
紙には、ずらずらと氏名が書かれている。
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12 アビゲイル・リンド 女 19歳
13
14
15
「もう十五人も行方不明になってるのか……」
これだけの人数が、人為によって……?
改めて名前の一覧を見ると、愕然とする。あまりにも犠牲になっている人数が多すぎる。俺が知っている名前もちらほらあった。
「無関係の者も混ざっているかもしれないが、まぁ逆にこのリストに載っていない行方不明者の存在も十分考えられるからな」
尾上の言葉を聞きながらも、俺は動揺を抑えきれなかった。
犯人は一体どうしてこんなことができるのだろう。どうして他人の人生をここまで踏みにじれるのだろう。どんな理由があれば許されるというのか。
表には、名前、学年学部、その他簡単なプロフィールまでリストアップされている。しかしそれに目を通してみても、やはり『共通点はない』という結論に達さざるを得なかった。
「学部生が多いっていうのは、なんかのヒントになるかな」
「割合で考えれば取り立てて偏りがあるわけではない」
確かにそうだ。
「ここまで共通点がないと逆に何らかの意図を感じるな」
「ああ。安曇大学の学生なら誰でもいいレベルだ」
この被害者の数から予想はしていたが、動機は個人への怨恨ではないのか? しかし、だとすると何のために?
何はともあれ、随分網羅性のあるデータを得られた。きっと何かの役に立つだろう。
「あ、このデータ、後で俺の携帯に送ってくれないか?」
そう尾上に言うと、彼は冷淡な返答をする。
「私は携帯電話を持っていないんだよ。あれは人間性を剥奪するからな」
……こいつらしいな。
▶ ▶
また落ち合う約束をして、俺と朝霧は研究室を出た。
「これで犯人探しがいくらか進展しそうだな」
「そうね」
だが、どういうわけだか彼女は浮かない様子だった。
「朝霧、どうしたんだ?」
「え?」
「何か考え事をしてるみたいだったから」
「分かるのね、そんなことまで」
朝霧は苦笑する。
「連続失踪事件の犯人を見つけ出す一番簡単な方法はね、ラネットについて知っている人間を辿っていくことよ。多少ラネットについて知っていなければ、絶望をコントロールして他人を消すなんてできないもの」
確かに、俺のような一般人には想像もつかないような領域だ。
「広まるとまずいってことは、ふつうの人間には嫌でもわかる。だからある程度秘匿されてて、知っている人間は限られている。伝承のようにしか受け継がれていないもの。大学関係者とか――そんな括りで探すより、よっぽど範囲は狭まるわ」
「そういう意味でも、民俗学研究会と親しくなるのは有意義かもしれないな」
「ええ……それもそうだし」
朝霧の言葉は、歯切れが悪かった。
「今回の事件、明らかにペースが早すぎる。組織立った犯行――という可能性もあるわ。ラネットについて知っている集団なんて、もっと限られてくる」
「……え?」
それって、たとえばあの民俗学研究会が犯人だということか? しかし、だったらどうして俺たちと協力しようとするんだ?
「あくまで可能性の話よ。でも、用心するに越したことはないわ」
なるほど、だからどこかどんよりとした様子だったのか。
確かにそんなことは考えたくないが――大学関係者が犯人である可能性が高い以上、犯人が身近にいる、ということは大いにあり得るのだ。
▶ ▶
家に帰ると、瀬名は洗濯物を畳んでいた。ちょうどその手には俺のTシャツが握られている。
「あ、先輩、おかえりなさい」
彼女はやわらかく微笑む。
「ただいま」
瀬名はこの家のことをほとんど全てこなしている。暇な大学生である俺よりよっぽど忙しいだろうに、申し訳なくなる。しかし彼女は非常に手際がよく家事をどんどん片付けていくため、俺の仕事なんて食後に皿を洗ったり、あとは風呂掃除くらいしか残されていない。これじゃ仕事の量としては実家にいた頃と何も変わらない。
しかも瀬名は、仕事がなくなるから任せてと言う始末だ。こんなんでいいのか果たして疑問に思うが。
今も、あっという間に洗濯物を全て畳み終えている。
「今日は天気がよかったので、寝具も洗濯したんですよ」
瀬名はにっこりと笑みを浮かべる。
「ばっちり干してありますからね」
「いつもありがとうな」
俺の言葉が意外だったのか、花の髪飾りを着けた少女はぱちくりと瞬きをした。
「どうしたんですか? いきなり。これくらい、なんてことありませんよ」
「いいや、いつもすごく助かってるから。瀬名はいつも仕事が丁寧なのに早くて、器用で、感心するよ」
「そ、そんな……大したことでは、ないです。褒めても何も出ませんから」
彼女は真っ赤になって慌てている。そして、逃げるようにキッチンに行ってしまった。夕食を作りに行ったらしい。
ちょっと褒めただけで、あそこまで照れることないだろうに。
その後食卓に並んだごはんは、なんだかいつもより輪を掛けて豪勢だった。
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