一話 連続失踪事件
1 柘榴の来訪者
「あなた、少しいい?」
大学の正門の前で自転車を止める。ブレーキが甲高く軋んだ。
俺を呼び止めたのは、少女だった。小さなトランクを引きずっている。
すらりとした長い手足。ぱっちりとした瞳。
その長い髪は不思議な色をしていた。桃色と緑色のグラデーション。着物のかさね色目で言うなら若菖蒲か若鶏冠木。今までどこで見たこともない。
白いノースリーブのカッターシャツに、ローライズのジーンズ。へそを惜しげもなく出している。誰の目も惹くであろう美人だった。
「ねえあなた、この辺で金髪の男を見なかった? 歳は大体あなたと同じくらいか少し下で、名前は『
「秋萩?」
聞いたことのない名前だった。金髪という特徴だって、もっと奇抜な髪色をした人間――たとえば目の前の彼女とか――がいる大学の敷地内ではそれほど際立った特徴ではない。
「思い当たる節はないな……。写真とか、ないのか?」
「それがね、ないのよ」
では、ますますもって見つけるのは難しいだろう。
「……もしかして、行方不明なのか?」
大学で人探し、というと真っ先にそれが思い浮かぶ。
「いいえ、家出みたいなものよ。不真面目な子だから」
「そうか、でも気を付けた方がいいよ。最近物騒だから」
「物騒?」
少女は、きょとんとする。知らないらしい。
「最近この大学の学生が連続して行方不明になってるんだ。俺の同期も、何人か消息が知れない」
「行方不明? それってまさか……」
目の前の少女の表情が突然険しくなる。何かを考え込み始めた。
「……大丈夫か? 何か手伝おうか?」
「ありがたいけど――でもあなた、ここの学生でしょ? 授業は大丈夫なの?」
「あっ」
携帯電話で時間を確認すると、一限の開始時刻が迫っていた。駐輪場に寄る時間を加味すると、かなりギリギリだ。
「あたしのことは気にしないで、行ってきなさいよ」
「ああ、ごめんな」
俺は慌てて駐輪場に向かった。
▶ ▶
安曇大学は地方にある平凡な大学だ。歴史こそあるがいまいちぱっとせず、自由な校風といえば聞こえはいいが、単純にやりたい放題なだけに思える。
目立つ学校ではないし、別段連続失踪事件が起きるような要素があるとは思えない。
だが、現にこうして起きている。
一限を終え、俺はしばしの休息を手に入れる。次の講義は三限からだった。
この講義がなければ、昼までずっと寝ていられたんだが……いや、そんなことをしたら瀬名に怒られるか。
さて、空いた時間を何でつぶすか。またいつもの古本屋にでも行って古書でも読み漁るか、それとも――
思索しながら正門を通ると、先程の桃色と緑色の髪の少女がいた。
彼女はまだ聞き込みを行っていたようだ。しかし生徒たちは疎ましそうに通り過ぎていくだけだ。連日の行方不明事件に寄ってくる報道関係者や野次馬に飽き飽きしているのだろう。
「…………」
なんとなく見ていられなくて、声を掛ける。
「まだ見つからないのか? その、秋萩っていう人は」
「ああ、さっきの」
どうやら覚えていたらしい。
「全然ダメね。箸にも棒にも掛からない」
金髪の少年、というだけではさすがに情報が少なすぎる。せめて写真くらいは欲しいところだ。
「よかったら、手伝おうか? ちょうどこの後時間が空いてるんだ」
「ふふ、優しいのね」
彼女は茶化すように笑う。
「あたしは
「俺は
「鴇野。へえ、いい名前ね」
説明するのに骨が折れるだけの名前だが、そう言われると重畳だ。
「朝霧って何年なんだ?」
「ああ、あたしはこの大学の人間じゃないわよ」
それは、どこか予想外な返答だった。
言われてみれば、別にこの大学で人探しをしていたからって、ここの学生とは限らないか。
「ちなみに、あたしの弟も違うわよ。そもそもそいつ、高校生だし」
「え?」
じゃあ、全く関係ないじゃないか。どうしてここで探してるんだ?
「それがね――」
朝霧は、一枚の紙を取り出した。ポストカードくらいの大きさで、書かれている文章は、西暦から始まる今日の日付と「安曇大学に来い」という不愛想な命令だけ。
「これを、秋萩が書いたのか?」
「そうよ。困るでしょ? でもね、これが唯一の手掛かり」
「なるほど……」
それで安曇大学に来たわけか。
「『秋萩』って誰なんだ? 朝霧の友達?」
「弟よ。身勝手で、いつも困らされてるわ」
「へえ……」
いなくなった弟を探す姉か。にしても、こんな書き置きを残すなんて、家出にしてはちょっと不思議だ。むしろ待ち合わせか何かの文面に見える。
「いわば挑戦状よ。あたしを試そうっていうわけ」
「そうか……大変だな」
一体どんな姉弟なのだろう。
「……だけど、絶対に見つけ出さないといけないの。そうじゃないと、あいつは禁忌を犯す」
禁忌?
それは随分穏やかではない言葉だった。だが、朝霧の顔は真剣そのものだ。冗談で言っているとは思えない。その男を、どうしても探し出さない事情があるらしかった。
安曇大学の生徒数は、一万人以上だという。まぁその全員が全員大学に来ているわけではないだろうし、キャンパスは他にもあるが、とにかく人が多いのである。
というか。
そうだ、そもそもキャンパスはここで合っているのだろうか? 他のキャンパスにいるという可能性はないのだろうか?
「ええ!? 安曇大学ってここだけじゃないの!?」
知らなかったらしい。
一応ここが一番最初にできたキャンパスだし、メインといえばメインなのだが、だからといって他の場所だという可能性も捨てきれない。
「盲点だったわ……どうすればいいのよ」
さすがに朝霧も頭を抱えている。ヒントが安曇大学だけでは、いくらなんでも無理がある。この状態から探し出すなんて、電車で隣に座った人が勤め先の社長くらいの確率だろう。
ん?
この紙、裏に何か書いてある。
――向南山 陳雲之 靑雲之 星離去 月牟離而
『万葉集』の一六一、持統天皇が詠んだ歌だ。
「へえ、すごいわね。あたし、これが何なのか全然わからなかったのに。漢籍の引用かと思ったくらいよ」
「あはは、書き下しで書かないのは意地悪だな」
一応これでも日本文学や和歌を専攻してるから、わかる。それに、インターネットで検索すればいくらでも引っかかるだろう。
何の意味もなく和歌を裏に書きつけてあるとは考えづらいし、恐らくヒントだろう。
しかし、これまた解釈の難しい歌を選んだものだ。万葉集には「南山」と書いてこそいるが、注釈との整合性を計った結果、「北山」と訓読されることが一般的だったりと、色々扱いが厄介な一首なのである。
「ねえ、『万葉集』なら大学の図書館にあるんじゃない?」
「ああ、そうだな」
「行ってみましょうよ」
そのとき俺は、目を背けたくなるほど淀んで歪んだ事件に足を踏み入れていることに、全く気づいていなかった。
いや、既に始まっていた事件に。
▶ ▶
大学の図書館は、学生証か入館証がないと入ることができない。仕方がないので、俺ひとりで中に入り、借りてくることとなった。
当然だが、『万葉集』くらい著名な古典ともなると数々の出版社から数々の訳注が出ている。俺は質のいいものを数冊見繕うと――ひとまずは件の一六一が収録されている巻だけでいいだろう――貸出の手続きを行って図書館を出た。そして、朝霧と一緒に近くの喫茶店に行く。
「うーん……」
テーブルの上に『万葉集』を並べて、ふたりで目を皿にする。
――きたやまに たなびくくもの あをくもの ほしはなれゆき つきをはなれて
俺が手に取った本では、そう読まれていた。一般的には「北山に たなびく雲の 青雲の 星離れ行き 月を離れて」でいいだろう。この和歌から、何を読み取ればいいのだろう? それとも、「向南山 陳雲之 靑雲之 星離去 月牟離而」と書かれていることに意味があるのだろうか? わからない。
「あ!」
朝霧が声を上げる。
「この本、何か挟まってるわ!」
見ると、彼女が持つ『万葉集』、件の和歌のページに、紙が挟まっている。さきほど見せられたカードと全く同じサイズと色。これは、秋萩が用意したものに違いない。
右下に②と書かれている。どうやら、次のカードらしい。
最初のカードから読み取れる要素は、安曇大学、和歌、『万葉集』。安曇大学の図書館にある万葉集を調べろ、ということだったのか。
「……秋萩って、ここの大学生じゃないんだろ? それなのに、どうやって図書館に入ったんだ?」
図書館の入り口には、駅の改札にあるような――いやそれよりはチープだが――入館ゲートが設置されてるのに。
「あたしが見た感じ、あれくらい乗り越えることができるんじゃないの?」
「すごいことするな……」
さすがに目立って司書が飛んできそうだが。あるいは、出口ゲートならICカードの認証がいらないから、そこを逆走したのか……まぁ考えてもせんなきことか。
何はともあれ、次のカードを読もう。俺は、目を落とした。
――こにりなんううんしとまよさあ
「……ん?」
なんだこれは? カードにはこれしか記されていない。裏には何もない。アトランダムに並べられた平仮名が書かれているようにしか見えないが……。
「な、なにこれ……」
朝霧も絶句している。
暗号?
アナグラム? それとも逆に読めばいいのか?
「た」を抜いて読んでみると……と思ったが、そもそも「た」が入っていない。そんなにシンプルにはできていないらしい。
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